第31話麗の身体に異変、図書館司書嬢により医務室に。

翌朝7時、またしても、やかましい目覚ましが大音量で鳴り響き、麗の脳髄は破壊寸前。

ただ、起き上がろうにも、実に頭が痛いし、寒気で身体が震える。

吐き気もするし、咳もひどく出る。

おさめようと水を飲んでも、またむせて、咳はますますひどくなる。

熱もあるようなフラフラ感ではあるけれど、麗のアパートには薬どころか体温計もない。


「大学をさぼるか」とも思う。

それ以前に大学まで歩く自信もない。

しかし、麗は「ここで寝ていても、だらしがないだけだ」とも思う。

手帳を確認すると、午前中の10時半からの「万葉集講座」のみ。


麗は、気持を固めた。

「人麻呂か・・・敬意を払わないといけない」

「少々体調が悪くても、講義くらいは聴ける、おまけに大教室だ」

「あまりひどくなったら寝ていればいい」

体調の悪さなどは無視して、アパートを出て駅まで向かう。


それでも、咳だけは我慢できないし、あまり咳込んで周囲の学生に迷惑になっても問題と思うので、通りがかりのドラッグストアでマスクを購入、その場でつける。

ドラッグストアのレジのおばさんが、「大丈夫ですか?顔が真赤、お熱でも?」と心配してくれたけれど、返事はしない。

何しろ返事をしたら、また咳がひどくなりそうな感じ。

そのため、ドラッグストアを逃げるように出て、駅までの道をまた歩く。


麗は駅について、また足と頭がひどくフラフラし始めた。

改札階に向かうエスカレーターの手すりが、こういう時は、実に便利と思うし、命綱的とも思う。

また三井芳香を見てしまうかと不安に思うけれど、麗はその不安以上に、自分が電車に乗って大学までたどりつけるか、その不安のほうが強い。


麗が駅のホームにおり、最初に来たのは急行。

永福町に停まるだけで、次は世田谷校舎最寄りの駅となる、すぐれものである。

しかし、麗は急行には乗らない。

「案外混んでいる、次の各駅停車でいい、座りたい」と、少し待って、その各駅停車に乗り、座り、そこで少々の落ち着きを得る。


その各駅停車が、高井戸に停車した時だった。

少しウトウトしていた麗は、自分の前に若い女性が乗り込んで来たことに気がついた。

といっても、下を向いているので、顔は見ない。

そもそも、見知らぬ若い女性の顔など、見る理由もないと思っている。


そして、またウトウトし始めた時だった。

麗の耳に、聞き覚えのある声が飛び込んで来た。

「沢田麗君でしょ?」


麗は、その声だけでわかった。

この若い女性は、大学図書館の司書嬢であるということを。


麗が「はい」と小声で答え、咳を我慢して顔をあげると、確かに司書嬢である。

やはり毎日のように通うと、名前も顔も覚えられてしまうと、少し反省やら恥ずかしいやら。


すると司書嬢は、心配そうな顔。

「ねえ、麗君、風邪?顔が真赤だよ?」

「お薬飲んだ?」


麗は、ここで答えると、咳が止まらなくなると思った。

そのため、首を横に振る。


司書嬢はため息。

「もう、しょうがないなあ」

ただ、いつもの通り、その言葉の響きはやさしい。

そのまま司書嬢は、その手を麗の額にあてる。

「お熱あるよ、ひどい、大学についたら、さっそく医務室」


麗は「それでは講義が」と言いたいけれど咳込みそうで、とても言えないまま大学最寄りの駅に到着。


麗は、とにかく体調が悪いので、周囲の目も、全く気にしている余裕などない。

司書嬢には腕を組まれ、そのまま大学医務室へ、直行。

ただ、診察を受けている間、麗が気になったのは、司書嬢がずっと付き添っていること。

そんな麗の気持ちを見透かしたのだろうか。

司書嬢は、いつものやさしい笑顔。

「心配いらない、今日は有給休暇にする、帰りも送っていく」

麗は、不覚にも、涙が出て来てしまった。

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