第215話吉祥寺の料亭にて (1)

水曜日の夕方になった。

麗が大学図書館に出向くと、司書嬢の山本由紀子が顔を少し赤らめて麗を見る。

上品な紺のスーツに着替えているので、麗は見とれてしまう。


山本由紀子は、そんな麗を笑う。

「そんなに見つめないの、おばさんだよ、私」

麗は、懸命に冷静を保つ。

「あまりに素敵なので、つい・・・」

「吉祥寺の料亭から、心待ちにしているとの連絡を受けています」


山本由紀子は花のような笑顔。

「はい、それでは、遠慮はしません」

ただ、手までは握ろうとしない。

麗は、これが大人の女性の余裕と思う。

すぐに接触を試みる桃香やお世話係とは全然違うので、安心感もある。


最寄の駅から井の頭線に乗り、麗は頭を下げた。

「この電車で見つけていただけなかったら危険でした」

「本当に助かりました」

その麗の頭を山本由紀子は軽くコツン。

「うん、そうだよ、麗君」

「君は欠食過ぎた、自業自得だけど、見過ごせないよ」


麗は、そんな山本由紀子も、素敵に感じる。

「江戸っ子の雰囲気がある」

「さっぱりとしていながら、いざという時は思いやりがある」

「それに比べると関西人、京都人は重くて、実に当てにならないことが多い」


井の頭線が吉祥寺に着き、麗と山本由紀子は、駅の雑踏を抜けて、香苗の料亭に到着した。

玄関の中に入ると、香苗と桃香が指をついて、御挨拶。

「九条様、山本様、お待ちしておりました」


山本由紀子が「九条様?」と麗の顔を見るけれど、麗は少し頷いただけ、香苗と桃香に先導されて予約の部屋に進む。


山本由紀子は、予約された部屋に通され、また驚いた。

「麗君・・・すごい部屋」

「調度品といい、掛け軸、壺・・・座卓も座椅子も・・・」

いつもは落ち着いている山本由紀子の声が、少し震えた。


麗と山本由紀子が座椅子に座ったことを確認すると、女将香苗と桃香は再び指をついてご挨拶。

「九条様、山本様、ごゆるりと」

「誠心誠意、務めさせていただきます」

と、再びの挨拶の後、一旦部屋から姿を消した。


麗は、山本由紀子に、少し頭を下げた。

「山本さんには、まだ言ってありませんでした」

そして学生証を山本由紀子に提示。

「少々、事情がありまして、九条麗となりました」


山本由紀子は、それで、ようやく頷く。

ただ、事情は聴かない。

「うん、わかった」

「私には、名字は関係ないよ」

「歴史好きの麗君、ちょっと冷たい麗君だったけど」

「最近は、おばさんを誘う麗君」

と言って、クスッと笑う。


麗は、そんな山本由紀子の反応がうれしい。

事情を聴いて来ないのが、ホッとする。

身分とか、名字が学業とか、読書に何の関係もないと思う。


部屋の扉がノックされ、桃香がお茶を持って入って来た。


麗は、少し桃香に頷く程度、それより山本由紀子が桃香に声をかける。

「あの時は、驚かせてごめんなさいね」

桃香は、山本由紀子に頭を下げる。

「いえ、麗様をお救いいただき、本当に感謝しております」

ただ、それ以上は何も言わない。

丁寧にお茶を淹れ、スッと部屋から姿を消す。


山本由紀子は、それでも気になった。

「ねえ、麗君、あの子、麗様って言っていたけど」


麗は、どう答えていいものか、少し困っている。

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