第446話麗は音楽鑑賞にも慎重 高校野球と吹奏楽

渋谷から井の頭線に乗り込むと、葵から「改札口で待っています」のメッセージ。

麗は、そこまでしなくても、と思うけれど「了解しました」のシンプルな返信。

要するに一人歩きの時間が減るのが、少しでも惜しい。

「都内に引っ越しした当時、ほぼ一か月だけが自由な時間だった」

「時々、神保町を歩いて、解放感があった」

「いろんな本と、その中のいろんな世界を覗けた」

「あの町を歩いていれば、田舎での嫌なことも、全て消えた」


しかし、今後は、そんなことを望むことは、実に困難。

皮肉と言えば、皮肉と思う。

「あれほど嫌だった京の人々に、喜ばれているとか、期待されているとか」

「半分以上、いや完璧にお世辞と思うべき」

「九条の後継だから、そんな反応になるだけ」

「慎重な態度を貫くほうがいい、落とし穴だらけの京社会」

「一度落ちたら、這い上がるなど、ありえない」


麗がそんなことを思いながら、最寄りの駅、改札口を出ると、葵が寄って来る。

葵は笑顔。

「お待ちしておりました」

麗は、表情を崩さない。

「早起きでもしたのですか?」

葵は、ためらいなく麗の手を握る。

「逢いとうなって、起きてしまいました」

「昨日もお逢いしたのに」

「大旦那からの話で、奈々子さんと花園美幸さんを財団に」

葵の声が明るい。

「はい、タイミングよく、ご英断です、誰も困る人はいなく」

「むしろ安心と、今後が楽しみになります」

「奈々子さんも、元気なお顔、心配いりません」

「可奈子さんから、連絡が行ったかな、高輪の家にも」

葵の声が更に弾む。

「はい!もう、それで昨日の晩は盛り上がって」

「全員、出席です、楽しみでなりません」


大学構内に入り、麗はヴァイオリンを抱えて歩く学生を見る。

「交響楽団かな、いつかは聞いてみたい」と思う。

葵も、麗と同じ視線。

「財団でチケットの手配も取り扱っています」

「ご希望とあれば、手配いたしますが」

麗は苦笑い。

「いや、当分は無理、もう少し時間の余裕がないと」

「京都にもオーケストラがありますが」


麗は、慎重に答える。

「仮に聴けるとしたら、都内にいる時、場所も都内か横浜あたりまで」

「京都では難しいかと、全てが聴けるわけではないので」

つまり、京都は噂が走る社会、「九条家の後継が、あのオーケストラを聴きに来て、あそこのオーケストラには来なかった」とか、そんな話からつまらない憶測のタネになりたくない。

そんな心配があるのなら、京都市内のコンサートには一切顔を見せないほうが無難と思う。


また少し歩くと、トランペットの音が聴こえて来た。

野球の応援のようなメロディーを吹いている。

あまり上手でないので、チャルメラのような感じ。


葵が聞いて来た。

「吹奏楽に興味は?」

麗は、即答。

「全くありません」

「もともとは軍楽隊、戦後は高校野球の下部組織かなと」

葵は厳しい言葉に驚く。

「まあ、特に高校野球では、吹奏楽の応援が定番で」


麗は厳しめな顔。

「高校で実態を見たけれど」

「炎天下でも雨が降り出しても、吹奏楽部は屋根のないスタンドで始終演奏をして」

「楽器も痛むけれど、そんなことは野球部には関係がない、同情もねぎらいもなく」

「当の応援される野球部員は、屋根の下で、出番以外は休んでいる」

「野球部だけが特別扱いも気に入らなかった」

「柔道でも剣道でも、そんな他の部の応援を定番視することは無いのだから」

「しかも、それを当たり前と思う、校長と野球部監督、そして野球部員たちでした」

「吹奏楽指導の先生も、部員も、何も逆らえず、本当に可哀想でした」

そこまで言って、悲しそうな顔に変わっている。

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