第262話改装された音楽室で、麗はショパンを弾く。

麗は音楽室に入り、驚くばかり。

「すごいピアノ、スタインウェイ・・・一千万どころか・・・軽く超えている」

「ステージもあって、数人は演奏できる」

「客席も設置、50人程度か」


麗は手を叩いてみた。

反響が1・5秒から2秒ほどの、完璧な音響に仕上がっている。

「ここまで音響に凝るとは」と、またしても驚く。


内装は、完全和風住宅の九条屋敷とは考えられないほどのヨーロッパ中世風。

写真でだけ見たことがあるベネツィアの大貴族のサロンのような雰囲気。


ただ、いつまでも改装された音楽室を見ているわけにいかない。

麗は、「本当に下手で、素人です」と、美幸に頭を下げ、ピアノの前に座った。


美幸はうれしそうな顔。

「いえいえ、少し厳しめでもいいと、大旦那様からも言われておりまして」

「私、麗様のレッスンができるなんて、ほんま、うれしゅうて」


麗は、この時点で大旦那の意向をしっかりと把握する。

「大旦那は、俺にピアノを弾かせたくて、こんな贅沢なピアノを買い、改装までしてしまった」

「そして、音大ピアノ科卒の直美にレッスンをさせて」

「きっと関係筋やら何やらの前で、演奏をさせる意向だ」

「実に面倒なことだ、案外強引だ、大旦那は」

「九条家入りからして、強引だった」


美幸から、再び声がかかった。

「さて、何の曲を?」

本当に未熟な生徒を指導するような余裕をもった顔。


麗は、目を閉じて考えた。

「何か、追い詰められているような気がする」

「こんな音大ピアノ科卒の人に、下手なピアノを迫られる」

「何の曲を・・・」


その麗の心に何故か浮かんだのは、高橋麻央と佐保の顔。

「あの自由が丘の豪邸でも、ピアノをせがまれた」

「あの時は、ショパンのバラード第一番」

「そのバラード第一番を弾く前に、ノクターンの第一番を聴いた」

「なんとなく、また逢いたくなった、あっちのほうが、まだ気楽だった」


麗の、考えが決まった。

目をゆっくりと開け、ショパンのノクターン第一番を弾き始める。


途端に美幸の表情が変わった。

余裕のような笑顔が、消えた。

そして、うっとりとした目で麗の指使いや表情を見る。


麗によるショパンのノクターン第一番が静かに終わった。

麗は、美幸に頭を下げた。

「本当に、下手で申し訳ありません」

「練習不足と言う前に、技術そのものがなくて」

「なんなりと厳しいご指導を」


美幸は、本当に驚いた顔。

そして、麗の手を握る。

「麗様・・・お人が・・・悪うございます」

「うち、かないません」

「ここまでのピアノとは・・・」


麗は、困った。

少し厳しめの言い方になる。

「あの、美幸さん、下手なお世辞は結構です」

「本音を言って、指導してもらわないと」

いずれは、ここでピアノを「京都のお偉いさんとか、関係筋」の前で弾かなければならないと思う。

その際に、「九条家が人を呼んで、その後継が無様な演奏をした」となっては、相当なダメージになる。


美幸は、大きく首を横に振る。

「いえ、本音です、うちは負けました」

「うちはいいとこ、ピアノの先生止まり、麗様は今のままでも、人を呼べる優秀なプロレベル」

「このまま、コンクールに出しても問題ない、相当な成績に」


そして、麗を真顔で見つめる。

「どうして今までコンクールに出られなかったんですか?」

「せめて、音大でないのが・・・わかりません」


麗は、その答えに、また難儀している。

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