第263話麗と美幸の合奏中、音楽室の扉が開く。

「何故、コンクールに出なかったのか」

「何故、せめて音大に進まなかったのか」


美幸に聞かれても、麗は本当のことは、言えない。

そもそも麗がピアノを習ったのは、「過去の母奈々子」から、「大旦那の御意向」と言われたから。

しかし、父を任せられた宗雄は、ピアノや音楽に対して全く興味がない、理解できない男だった。

「は?男のくせに音楽?ピアノ?」と、レッスンから帰るたびに、より激しい暴言と暴力を受けた。

また、奈々子も、それを全く止めない、見ているだけだった。

そんな状態で、どれほどレッスン講師に勧められようと、コンクールに出るなど考えられない。

まして、音大進学となれば、五体満足ではいられない。


麗は、懸命に無難な答えを探した。

「あくまでもお習い事の一つ」

「そもそもプロを目標にする気持ちは、全くありません」


美幸は「はぁ・・・」と残念そうな顔。


麗は、ピアノの蓋を閉じた。

「美幸さん、これ以上、用がなければご自分の部屋にお戻りに」

「もう、夕食も終わりました」

「お休みになられてください」


美幸の顔が悲しそうに変わる。

「麗様・・・麗様は、何か他に御用が?」


麗は、美幸の悲しそうな顔の理由が読めない。

「いえ・・・特に・・・風呂に入るくらいで」

と、素直に答えた。


美幸の悲しそうな顔は、それでも変わらない。


麗は、ようやく考えた。

「もしかして、俺にレッスンをしていないことに、がっかりしているのか」

「大旦那と茜姉さまからの指示を守らないことに罪悪感でも?」

「そうなると、このまま風呂に行ってしまうと、またがっかりするのかな」


麗は、閉じたピアノの蓋をまた上げた。

顔も懸命にやわらかにした。

「美幸さん、何か弾きます?」


今度は美幸が意味不明の顔。

「えっと・・・うちが?」

「もう、自信が無うなってしまいました」

「恥ずかしい」


麗は、言葉を足した。

「例えばモーツァルトのK381、一緒に弾けます」

麗としては、仕方ないと思った。

四手のためのピアノソナタ を試しに言ってみた。

美幸としても、何らかの「レッスン」をしたことになるのではないかと、考えた。


意味不明だった美幸の顔が、一瞬真っ赤、そしてうれしさ満点の顔になった。

「はい!麗様!弾きます!」

と麗の腕を弾き、椅子に座る。


美幸と麗は、早速、四手のためのピアノソナタ ニ長調を弾き始める。

麗は低音部を引き受け、美幸は笑顔のまま高音部を弾き続ける。


美幸は弾きながら思った。

「はぁ・・・弾きやすい・・・」

「思うがままに弾ける」

「麗様、ソロもメチャすごいけど・・・合わせるのも抜群」

「気難しいけど・・・音楽はクリアで情感が深い」

「何より、こんな浮き浮きするモーツァルトを弾いたの初めてや」

「いつまでも弾ける、麗様なら」


美幸と直美が弾き続ける中、音楽室の扉が開いた。

大旦那、五月、茜が入って来た。

それだけではない、お世話係も、その他の使用人も全員入って来てしまった。

そして、そのまま、客席に座る。


「途中で止められない・・・仕掛けられたか・・・」

麗は、またしても困惑顔になっている。

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