第57話麗は高橋麻央の車で、源氏物語問答
それでもためらう麗に高橋麻央がさらに迫る。
「実は、いきなりだけど、もう近くに来ているの」
「もうすぐ麗君のアパートの前」
麗は、実に困るけれど、観念も仕方ないと思った。
「本当に強引な人だ、最初に古典文化研究会に誘った時と同じ」
「押しまくって来る」
「それに、押し倒される俺も、実に情けない」
「でも、二日間も絶食も、それは危険かもしれない」
そこまで思って、ようやく返事。
「わかりました、いますぐ、支度します」
ただ、この時点では、今日一日、お手伝いをして「クビになれば本望」程度、助手を続ける気持などは、毛頭もない。
あくまでも、食材の仕入れ兼三井芳香からの緊急避難と考えている。
麗が大慌てで、ジャケットを着ていると、アパートのチャイムが鳴った。
麗は高橋麻央の顔を確認して、ドアを開ける。
高橋麻央の顔が少し厳しい。
「麗君、このまま、車に乗って」
「三井さんの後ろ姿を見た、表札も外して」
麗は、こう言われると、どうしようもない。
表札をすぐに外し、そのまま高橋麻央のブルーのワーゲンに乗り込む。
麗は、高橋麻央に尋ねた。
「ところで、行先はどちらですか?」
確かに、仕事の内容は聞いたけれど、場所までは聞いていない。
大学の研究室となると、三井芳香が嗅ぎつけて来ることもある、それはないだろうと思っている。
高橋麻央の答えは、早い。
「自由が丘の私の実家がメイン」
「本当は中野の私のアパートでもいいけれど、三井さんも、アパートに来たこともあるし」
麗は、少し驚いた。
「自由が丘にご実家があったんですね」
世間や流行に疎い麗でも知っている、ハイセンスな雰囲気のある街である。
高橋麻央は、少し笑う。
「まあ、昔から住んでいるってだけ」
「貧乏学者の娘だしさ」
「私は、年増だし、あまり流行のファッションとか、似合わないし」
麗は、そうではないと思う。
「いや、高橋先生は、いつもシックな感じです」
「知性も品性が高いと思っています」
高橋麻央はまた笑う。
「そう?頭でっかちで、婚期が遅れ、面白みがないとは?」
麗は困った。
「まるで、源氏の帚木です、それ」
「式部丞の話をそのまま」
高橋麻央は、少し笑い、麗に催促。
「はい、麗君、それを簡略に」
麗は、仕方なく簡略に答える。
「式部丞の師匠、おそらく年老いた博士が、学者にありがちな貧窮生活の中で、その賢い娘と式部丞の婚礼の宴を開く」
「その時に、白楽天の秦中吟の議婚の一節を歌う」
高橋麻央が、また催促。
「ふむ、その歌の内容を簡略に述べよ」
まさに試験問題風、麗は呆れたけれど、そのまま答える。
「つまり金持ちの家と貧乏な家の二つの家の娘の結婚後の生活」
「金持ちの娘は早く結婚出来るけれど、夫を軽んじる。貧乏な家の娘は結婚は遅いけれど、姑孝行。どちらの娘を選ぶかといった意味の歌」
高橋麻央が、満足そうな顔をするので、麗は気に入らない。
つい、切り返したくなった。
「先生は、風邪をひくと、大量のニンニクを食べるんですか?博士の娘みたいに」
「その匂いのまま、愛人に迫るとか?」
高橋麻央は、珍しく「うっ・・・」と言葉に詰まっている。
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