第2話 麗は、源氏物語講師高橋麻央から声をかけられる。

麗は今日も能面のような顔をして、大学図書館にいる。

朝食もほとんど食べないけれど、昼飯は絶対に食べない。

それは学食の雑踏が好きではないことが最大の理由。

コンビニも大学の近くにあるけれど、昼飯時は相当混む。

「昼飯など、順番待ちして食べるほどの価値はない」

そう思うと、食欲そのものが、わかない。

かろうじて、アパートで水筒に入れて来た珈琲を飲むくらい。

その珈琲も濃い目に淹れてあるので、すぐには飲み干せない。

結局は、一日程度は持つ。


ただ、図書館で気になるのは、書籍を借りだす時の司書嬢の「いらぬ笑顔と言葉」。


「毎日ですね、熱心」


そんな当たり前のことを笑顔で語りかけられたとしても、麗は、応えることそのものが面倒。

だから、「はい」程度、最近はうなずきもしない。


「とにかく、他人とは極力、接触を避けたい」

「この穏やかそうな笑顔を見せる司書嬢とて、社交辞令を言うに過ぎない」

「何を好き好んで単なる学生、しかも地方出身の新入生に過ぎない俺に、愛想笑いをするのか」

「呆れて物も言えないが、この司書嬢には、何もそんな悪気などない」

「ただ、社交辞令やら慣例に基づく態度に過ぎない」


麗は、書籍を受け取り、そのまま鞄に収納、後は何も振り向かず、アパートへの直帰の道をたどる。


また、書籍を図書館に返却する際にも、「ありがとうございました」の一言だけ。

能面を変えることもないし、笑顔で見つめてくる受付嬢の顔などは、ほぼ見ない。


「ただ一人の毎日定例的に声をかけられる女性ではある」

「しかし、会話などする理由はないし、会話そのものに、何の意味がない」


そのように麗は、誰とでも、「いらぬ会話や接触になることは避ける」、それだけを貫くのである。


そんな麗の学生生活が、入学後、授業開始から二週間が経過した時だった。

麗は、一般教養科目「源氏物語講義」の講師である高橋麻央から、授業後に突然、呼び止められた。


高橋麻央

「沢田君と言ったかしら、少し時間をいただけないかしら」


麗は、実に戸惑った。

「もしかして、先週提出した源氏物語の現代語訳と解釈に手ひどい不備があったのか」

「いや、しかし、かなり念入りに解釈も、誤字脱字もチェックしたはず」

「それなのに、呼び止められるとは、この大学の学生のレベルは、それほど高く、俺の訳の出来が悪いのか」

「そうなると、実に俺の勉強は不足していることになる」

「ますますもって、遊んでいる時間などはない」


麗が、「はい」と答え、少々次の言葉を出すのに難儀していると、高橋麻央は面白そうに麗を見つめてくる。


麗は、うろたえながらも、高橋麻央を観察。

「まだ講師、大学を卒業して何年かは知らない、30代と見た」

「近くで見ると童顔で華奢な感じ」

しかし、麗は、そんなスタイルやら何やらは、どうでもいい。

そもそも、女性の体形まで含めて、全く女性はおろか人間に興味がない。


高橋麻央は、黙ってしまった麗に、再び声をかける。

「もし、予定があるのなら、それを先に」

「もしなかったら、私の後について来て欲しいの」

実に単純明快な二者択一だ。


麗は、考えるのが面倒になった。

「特に予定はありません」

麗の口から、親と妹と上京前に、一言二言交わして以来の会話言葉が出た。


その高橋麻央は、実にうれしそうに麗の肩をポンと叩く。

「じゃあ!ついて来て!」


高橋麻央は、うろたえる麗の顔など見ない、どんどん廊下を歩いて行く。

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