第83話日向先生宅の麗(2)

目を閉じて麗の古典読書歴を聴いていた日向先生が目を開けた。

「実に素晴らしい、その若さで」


麗は、恥ずかしいけれど、口に出してしまったことは仕方がない。

「いえ、たいしたことはありません」

と、頭を下げる。


日向先生から、また麗に声がかかった。

「少し、目を通してもらいたい本があります」

「今、持って来ますので、少しお待ちください」


麗は、「はい」と答えるしかない。

日向先生が立ち上がって、その本を持って来るのを神妙に待つ。


その麗に麻央。

「ねえ、よく読んでいるねえ、本当に古文好き」

佐保も感心しきり。

「奥が深いなあ、麗君、隠しているだけかな」


日向先生は、すぐに、本を持って来た。

そして麗の前に広げて置く。


麻央の表情が変わった。

「先生・・・これは?」

佐保は、見た時点でお手上げ、首を横に振る。

「無理・・・これ・・・崩し文字・・・」


しかし、麗は全く動じる気配がない。

「古い写本のコピー、それも定家の青表紙・・・若紫ですね」

と、そこまでは、まだよかった。


麗は、崩し文字を、そのまま読み始めてしまった。


「わらはやみにわづらひたまひて、よろづにまじなひ加持など参らせたまへど、しるしなくて、あまたたびおこりたまひければ、ある人、北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき行ひ人はべる。去年の夏も世におこりて、人びとまじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひ、あまたはべりき」


そこまで読んでしまい、麗は反省した。

「何と恥ずかしいことをしたものだ」

「この源氏の大家の日向先生と、講師の高橋麻央の前で、下手な源氏を読んでしまった」

「俺のような田舎者がと、馬鹿にして呆れているに違いない」

「ウカツに読んでしまった俺も情けない限りではあるけれど」


そして、崩し文字を教えてくれた九条の大旦那と、京都の香料店の叔父晃を恨めしく思った。

「覚えがいいとか、面白がって教えるから、こんな恥ずかしい羽目になる」


麗は、そこまで恥じと思ったので、頭を下げて謝ることにした。

「すみません、本当に下手で、先生のご厚意にそむいてしまいました」


頭を下げた麗に日向先生は、驚きを隠せない。

「麗君、頭を上げてください」

「いや・・・驚きました」

「青表紙を知っていて、若紫とすぐに理解、そして、こんな崩し文字をすらすらと・・・」

「読み方は、私より美しい」

「それも完璧に・・・京都のイントネーションで」


麻央は、麗をうっとりと見る。

「うーん・・・すごいや、源氏は京都だよね・・・当たり前だけど、あっちの言葉のほうが雰囲気が出る」


佐保は麗に質問。

「ねえ、麗君、今読んだほうが言葉がスムーズだった、麗君は京都に関係があるの?」


麗にとって、一番敬遠したい言葉が、佐保の口から出た。

確かに九条の大旦那に教わった通りの読み方をしてしまった。

何故、関東のイントネーションで読まなかったのか、またしても麗は悔やむ。

それでも、九条の名前と香料店の名前を出してはいけない、最低限のことを言おうと思った。


「いえ、たまたま、詳しい人に教えてもらいまして」

「その人が京都弁なので、そのまま身についてしまいました」


麗は、必死に窮地から脱出するべく、無難な答えを心がけるのみとなる。

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