第12話 実は麗をよく知っていた女将、そしてその姪の桃香

「えっと・・・」

麗は実に戸惑った。

どうして東京吉祥寺の料亭の女将が、自分の名前を知っているのか。

「大きくなりましたね」などとは、まるで小さな頃を知っていることになる。

しかし、麗には目の前で柔らかく微笑む女将と会ったような記憶がない。


戸惑う麗に、女将は実にあっさりと、笑いながら、その理由を述べた。

「あはは、忘れてしまったの?麗君」

「もう、仕方ない、京都のお店よ、わかる?」


麗の顔に途端に緊張が走る。

とにかく「京都」などという地名は、絶対に三井芳香に聞かせたくはない。

「人違いでは?」と聞きなおそうとするけれど、自分の名前を知っている以上は、人違いではない。

普通の名前であれば人違いとも言い張れるけれど、「麗」などの名前を男子につける親は、ほぼいない。

となると、目の前の女将は、確実に小さな頃の自分と逢っていることになる。


女将は、また笑う。

「お母様には、本当によくしていただいて、まるで姉妹のように」


麗は、その笑顔で、また驚き、そして突然記憶がよみがえった。

「もしかして・・・香苗さん?」

確かに母の京都の実家の古い香料店で、当時新人の可愛らしい笑顔の店員だった。

麗が京都に行くたびに、「お散歩」として、街を案内してもらったことも、思い出した。


女将はクスッと笑い、麗に耳打ち。

「遅いなあ、麗君、ボンヤリしすぎや」

「うちは、見ただけであれっと思ったし、源氏の先生に連れられてきて、侍従の香りをすぐに当てるし、明石の話までや、麗君以外には考えられんもの」

女将香苗の言葉がいきなり関西弁に変わる。


麗は、「はぁ・・・」とため息。

「こちらに来ていたのですか?」


女将香苗はにっこり。

「はい、それも京都のご実家のご紹介、旦那も含めてやけど」


麗はまた焦った。

何が何でも「京都」の地名を三井芳香に聞かせてはならない。

そのため、麗も女将香苗に耳打ち。

「あの、京都の地名は禁句に」


その耳打ちで香苗は、含み笑い。

「何がある?麗ちゃん、何を隠す?男やろ?どんとせなあかん」

麗君から「麗ちゃん」に変わっているけれど、麗は答えようがない。


女将香苗は笑って麗を見た。

「うちは飲んでしまったさかい、姪に送らせる」

「先生から渡されたタクシーチケットは、またいずれの機会にでもな、取っておけばええやん」

そして、その手をポンポンと叩くと、懐石で料理を運んできた若い仲居が顔を出した。


すでに私服に着替えていた仲居は、麗を見てクスッと笑う。

そして、またしても驚きの言葉。

「麗ちゃん、お久しぶり!」

クールサインまでしている。


麗はまた焦ったけれど、今度はすぐに顔と名前がわかった。

「え?マジ?・・・桃香ちゃん?」

この桃香とも、京の街を何度も一緒に散歩したことを思いだす。

「ごめん、すごくきれいに着物を着こなしていたので、気がつかなかった」


すると、桃香は歩いてきて麗の頭をコツン。

「もーーー!とっくにうちは気がついとった!」

「マジで奥手は変わっとらんなあ」

「そんなボンヤリやと、彼女にも呆れられるよ、うちはかまへんけどな」


桃香は、少し目を開けた三井芳香を見ながら、含み笑いをしている。

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