第65話麗は麻央に後ろから抱きしめられる。

麗は、説明しかけた有識故実の話は、そこで止めた。

「ただ、細かくなり過ぎますし、故実家の学説と各貴族家で伝承した現実との照合も、しっかり行われた形跡が無い」

「そうなると読者にも混乱を招き、別の問題が発生すると思うのです」


呆気にとられていた麻央が、ようやく口を開いた。

「うん、それだけで研究期間が10年あっても足りない」

佐保は、首を横に振る。

「読者も理解しきれないし、学会の報告程度、出版社としては採算ベースを確保出来ない」


麗は、麻央と佐保のすり寄りが、少し緩和したので、一定の目的は達成したけれど、ここでまた後悔した。

「九条の大旦那の受け売りだった」

「香料店の晃叔父さんにも、少々教わったけれど」

「京都の知識を、また偉そうに言ってしまった」


そう思いながらも、麻央の知識には、少し不安。

「知っているかと思ったけれど・・・」

「源氏学者であっても、筋を追うのが専門の人もあるのかな」

「その当時の社会慣習、風俗も含めて紫式部の文を考えないと、皮膚感覚で理解しがたい」

「ただの恋愛物語ではないのだから」


佐保が立ち上がった。

「夕食を作るよ」

「鍋にする、精力増強系にね」


麗が、「はぁ・・・」と答えていると、麻央も立ち上がる。

「麗君、部屋に案内するよ」

どうやら、麗を今晩泊まる部屋に誘導するらしい。

麗も、泊まると言った以上は、案内されるしかない。

麻央の後を歩くことになった。


麻央

「たくさん部屋はあるけれど、洋室にする」

麻央の言うとおり、さすがに大きな洋館、いろんな部屋がある。


麻央

「和室もあるけれど、ベッドのほうが慣れているかな」

麗は素直に頷く。

「そうですね、ずっとベッドで」

実際、畳の上で寝たのは、子供の頃の九条のお屋敷ぐらいなので、これは間違いではない。


麻央がドアを開けた。

「ここでいいかな」

麗が、麻央に続いて部屋に入ると、確かに10畳ぐらいの洋間。

ダブルベッドがどっしりと置かれていて、年代物の机もある。

椅子もおそらくウィンザー調の、しっかりとしたもの。


麻央は少し笑う。

「何しろ、今風ではなくてね。現代っ子の麗君には悪いけれど」


麗は、何気なくカーテン、天井の照明、壁にかけられた絵画などを見ている。。

尚、カーテンは濃いワインレッド、照明はおそらく最近付け替えられたのか、明るいLED照明、絵画はイギリスの画家ターナーの複製のもの。


麗は、そのターナーの絵に思わず声を出してしまった。

「へえ・・・ノラム城の日の出・・・ターナーですよね」


麻央は、その麗にまた驚く。

「へえ・・・ターナーの複製画とは知っていたけれど・・・絵の名前まで?」

「ほんと・・・すごいなあ、この家で育った私も知らないのに」


麗は、説明をしなければならないと思った。

「北部イングランドのトゥイード河畔近くにあるノラム城を描いた作品なんだけど、保守的な本国では評価されなくて、つまり光とか空の描き方が幻想的過ぎて・・・」

「でも、普仏戦争でフランスから逃れてきたクロード・モネが、この作品に感動して影響を受けて、印象派の名前の由来となった代表作『印象・日の出』を書いたとか・・・」


ただ、麗の説明は、そこまでだった。

麻央が、麗の後ろに立った。


そして、麗をそのまま、抱きしめている。



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