第70話 地獄の六大学リーグ
これまでは三イニングごとに交代をしていたツインズと明日美であるが、イニングの途中でも相手バッターを見て交代してくるようになった。
それによってまたも勝利し、これでリーグ戦は六連勝の勝ち点三である。
最下位脱出どころか、おおよそ半世紀ぶりの四位、いやそれ以上が見えてくる。
東京大学の野球部寮は一誠寮という名前であるのだが、ここに掲げられている文字の中の「成」の「ノ」の部分が欠けている。
これは実のところ単なる書き損じであったそうだが、今では東大が優勝した時に、その「ノ」の部分が書き足されることになっている。
おそらく何かの天変地異でも起きない限りは、ありえないことだとさえ言われている。
だが、だがである。
現在春のリーグ戦では、無敗でいるのは早大と東大だけである。
そして早大は直史が完全に本気を出してしまい、とんでもない記録を続けている。
今まであいつは手を抜いていたのか、と思わないでもないが、手を抜かれていても仕方がない。
必殺のスルーをほとんど投げずに、完全試合を達成したのだから。
同じリーグに所属しているのに、一人だけ実力が突出しすぎている。
かつて江川卓が27人を三振でアウトに出来ないかと考えたことがあるという伝説があるが、それに近いことをやってしまった。
そしてインタビューには「やろうと思ったら案外出来そうなんですね」と答えるのである。
野球辞めたい。
そう考えて、実際に退部をしようとする者が、この時期の六大学リーグでは何名も出た。
いつもだったら、去るもの追わずという姿勢の監督などもいたのだろうが、さすがに状況と相手が悪すぎる。
必死で止めて、この悪夢の期間を耐え忍ばんとす。
そう、悪夢だ。
大阪光陰は甲子園で、こんな悪夢と戦っていたのか。
単純な完全試合というのは、確かに狙っていくピッチャーはいる。
そもそもお山の大将のエースと言うのは、まずパーフェクトを、それがダメならノーヒットノーランを、それがダメなら完封を、それがダメなら完投をと、とにかく最初から飛ばしていくのだ。
だが傲慢にではなく、計算して完全に試合を支配するピッチャーなど、他に誰がいるのだろう。
上杉は津波か竜巻のように、全てを流しさって吹き飛ばしていく。
だが直史は一つ一つ、丁寧に蟻を踏み潰していくのだ。
津波や竜巻の後には、穴に潜って生き残った者もいるかもしれない。
だが直史のこのピッチングの執拗さは、樋口の悪魔的リードとあいまって、絶望しか感じない。
試合に出て、バッターボックスで三振を三回するだけが仕事なのか。
そんな耐え難い苦しみを、選手は感じている。
ベストナインもMVPも、全てやるからさっさと卒業してくれ。
敵のみならず味方でさえも、この深淵を思わせる才能の前には、絶望以外の何があるというのか。
「努力してここまでなったのに、なぜそこまで言われないといかんのだ」
直史としては努力の一言で済ませてしまうし、確かに球速は天才の中では平凡な程度だ。
しかし、コントロールが異次元過ぎる。
自分とキャッチャーまでの空間にボールの通り道を描き、そこに想像通りのボールを投げる。
文字にすれば簡単なことだが、そんなことの出来る人間が他にいるのか。
……女子だが二人もいるではないか。
センバツと夏の甲子園の中間、高校野球に大きな動きはない。
プロ野球は交流戦前で、相変わらず大介がおかしなことをやっているが、それはそれで面白い。
去年ほどに大学野球が盛り上がることは、二度とないだろうと言われていたが、今年の方がよほど盛り上がっている。
あるいは世界的に配信がされるこの時代、日本の大学野球は空前絶後の盛り上がりを得ていると言っていい。
SSGトリオ。
何かとKKだのSSだの言いたがるマスコミであるが、それはTTGからのパクリか何かではなかろうか。
そもそもtwinsなのであるからTGあるいはSGでいいのではないか。
SG……スーパーグレートの略であろうか?
英語圏ではこの三人のことを、スーパーガールなどと呼んでいたりもする。そこからきたのかもしれない。
18歳はそろそろガールという歳でもないのかもしれないが、なにしろ日本人は若く見えるので。
明日美などは童顔なので、いまだに普通に高校生で通用する。
まあツインズも中身の凶悪さに比して、顔は幼いのであるが。
人は見かけによらない。
これほど適した言葉はそうないであろう。
ツインズのピッチングに翻弄され、明日美にホームランを打たれて、帝大野球部からも退部を願う者が何人か出たりした。
まだ二年生であるにもかかわらず、それらを止める手伝いをさせられたジンは、事態を重く受け止めていた。
彼は直史ほどにはツインズを理解しておらず、それゆえに飽きてあっさり野球から離れる可能性にまでは思い至らない。
「女子野球行こうかな……」
そう遠い目をしているのは、昨年の秋に女子選手として六大学を湧かせたシーナである。
世間は完全に、彼女のことを忘れている。
勉強でしか入れない東大で、上位互換が現れてしまえば、それも仕方がないのかもしれない。
ジンの説得によりレイプ目から復帰した彼女であるが、それでも蹂躙されたという感触は残っている。
高校時代から、自分よりも優れた才能であるとは、しっかりと自覚していた、
しかし同じ舞台に立って、はっきり比べられてしまうと分かるのだ。
自分は天才かもしれないが、それはあくまでも人間としての才能だ。
いくら強い女でも、現実世界にYAWARAはいない。
それを覆してしまうのが、あの、一対と一人の存在だ。
この事態を、ジンも憂慮している。
はっきり言ってあの三人の存在によって、才能ある男子選手が自信を失い、己の存在意義さえも見出せなくなっている。
ここで野球を捨ててしまって、才能の空白地が出来てしまうのをなんとか避けたい。
そう思ってジンは久しぶりに直史に会うのであった。
東京ならどこにでもありそうな、ファストフード店。
顔を合わす程度なら何度でもあるが、改まって話をするのは久しぶりである。
最初から難しい顔をしている直史は、同じ現状把握をしているのか、と考えるジンである。
ジンは事態を憂慮している。
大学野球が崩壊するかもしれない。
少なくともこの後の数年は、大学からドラフトで指名される選手が、理不尽に低い評価をされることはありうる。
「なんとかなんないの、あれ?」
「好きなことをしてるだけで、悪いことはしてないだろ」
ツインズは野球を楽しんで、勝っているたけだ。
だから本当の原因は、彼女たちにあるのではない。
マスコミやネットの空間。
女にやられた大学生ということで、散々に言われている。
「負ける方が悪いのは分かるけど、マスコミとかネットの騒ぎがさ……」
マスコミは過剰に三人を持ち上げているし、ネットでは中傷被害が凄い。
女より弱いと男が叩かれる。
フェミニストはこういう時にこそ、男女の差別だと声を上げるべきだろう。
「ナオは勝つ見込みがあるから、余裕でいられるんだろうけどさ」
「ジンはどうして負けたんだ? やりようはあっただろう?」
「甘く見たらダメですよ~って言ってるのに甘く見て負けたからね」
どうやらジンは部内での自分の発言力を上げるために、あえてツインズ対策を本格的にはやらなかったらしい。
今後の六大リーグがどうなるか。
ジンはそれを心配している。
「セイバーさんは、単純に、俺と公式戦で戦いたかっただけだって言ってたな」
「快楽犯だなあ」
それに助けられたこともあるので、文句も言えないジンである。
ツインズはこれでも相当に忙しい。
芸能人としての活動は、収入を得るために必要なことである。
そして将来のために勉強もしているし、あとは甲子園に応援に行くことも多い。
その中で別に好きでもない野球をするというのは、やはり単に男共を従えて叩きのめしたいのか。
ツインズは弱い者イジメは好きではないが、弱い物イジメをする者を苛めるのは好きである。
東大野球部という弱者をお供に、頭に野球しか詰まってないバカを苛めるのは、楽しい。
「ねえねえ、どんな気持ち? 弱小と思っていた東大に女子が入って、その女子に負けるのってどんな気持ち?」と散々あおりたい気分は満載である。
まあネットでは無関係の人間が、既にそんなことをしているわけだが。
ネットの意見だと他には、このままリーグ優勝もして、全日本も優勝してほしいとまで書いてあったりする。
さすがにそこまでのことをやる気はない。
ただでさえ土日を拘束されるのは、仕事に支障を来たすのだ。
優先順位としては、それなりに関東でも行われるライガースの試合を、毎回甲子園まで見に行くことは出来ない。
将来のことを考えると、ある程度の勉強やコネ作りはしておきたいのだ。
それに野球部はあくまでも手段でしかない。
中学高校と、全力を出すのは避けてきた。
その中で思うのは、兄と一緒に馬鹿騒ぎがしたいということ。
何度もするものではなく、一回か二回。それが果たせれば満足だ。
セイバーの考えは当たっている。
どうせならリーグ最終戦で優勝決定戦をしたかったが、六大学リーグの場合、最後の週は早稲谷と慶応の対決と決まっている。
邪魔な伝統ではあるが、優勝決定戦を持っていけるほど、さすがにツインズも試合を自由自在には操れない。
勝つか、負けるか。
直史たちが思っているほど、二人は余裕で他のチームを倒しているわけではない。
ここまで頑張っていても、一試合にほぼ一点は取られている。
それほど他のチームも、女子の混じった東大に負けるのは、御免被るといったところなのだろう。
そんな必死の男共の無様なハイライトの消えた目を見るのは、ツインズにとって暗い喜びである。
なお明日美は完全に無邪気に、野球を楽しんでいる。
東大の弱小と言われる野球部でさえ、女子野球と比べればはるかにレベルは高いのだ。
自分の球がそれなりに打たれるというのは、キャッチャーが恵美理でないとは言っても、これまでになかったことだ。
ただツインズは、一年生の時ぐらいしか出来ないと、明日美には言っていた。
明日美はだから、二年生になれば女子野球に参加する予定である。
サイヤ人が地球人だらけの天下一武道会に参加するような、ひどい事態になるかもしれない。
ジンとの話を終えた直史は、より緻密にピッチングを組み立てる。
第四週の対戦相手は、そのジンのいる帝都大学である。
ジンはベンチにこそ入っているが、正捕手ではない。
そもそもジンは大学は人脈作りを最優先に考えているので、正捕手に拘ってはいないのだ。
帝都大の正捕手は、一学年上で帝都一の正捕手をしていた石川がいる。
石川もジンほどではないが、あまりバッティングには期待出来ないキャッチャーだ。
それでも学ぶところは多いらしい。
樋口としても石川のリードや肩の強さなどは、かなり高いレベルにあると評価している。
現在の六大学リーグでは、自分を除けば竹中に次ぐ存在だと言っている。
自分を除けば、というところが謙虚なのか傲慢なのか。
直史は一年生の時点で、連続イニング無失点記録を塗り替えて、ここまで公式リーグ戦ではその記録を更新し続けている。
なのでいつの間にか、応援歌みたいなものが出来てしまっている。
イリヤの曲のような美麗なものではないが、とにかくリズムも歌詞も単純で、誰もが歌えるということが大きいのだろう。
佐藤が投げるなら チャッチャッチャ 佐藤が投げるなら チャッチャッチャ
一点あれ~ば大丈夫 ジャン! 一点あれ~ば大丈夫 ジャン!
佐藤が投げるなら チャッチャッチャ 佐藤が投げるなら チャッチャッチャ
一点あれ~ば大丈夫 ジャン! 一点あれ~ば大丈夫 ジャン!
以下エンドレスである。
確かにこれまで、まだオープン戦の自責点ではない一点以外、直史は点を取られていない。
この死ぬほど単純なメロディーと歌詞が流れると、相手チームのバッターは戦意を喪失しかねない。
第四週、帝都大学との対戦、第一試合土曜日。
マウンドに登るのは佐藤直史。
さっそく一回の表から、佐藤の応援歌が流れている。
直史としては甚だしく遺憾であり、いっそのことリードしている場面で、一点ぐらい取らせてやろうかと思わないでもない。
だが記録に残る試合で、一点を取らせるというのは、ピッチャーの本能が許さない。
本当にもう勘弁してくれ。
帝大の選手たちも、自分たちの攻撃が来るたびに、逆に憂鬱になってくる。
この試合も狙いすぎて振られなかったフォアボールが二つと、エラーが一つのノーヒットノーラン状態で、最終回が回ってくる。
ツーアウトからは、三番の堀。
直史とは高校時代、関東大会で対戦した、大阪光陰の巧打者である。
その時、奇跡が起きた。
いや奇跡ではなく、単に統計の問題なのではあろうが。
直史のカーブを打って、レフト前に運ぶ堀。
ノーヒットノーラン阻止である。
(ノーヒットノーランを阻止できたぐらいで、何を喜んでるんだ俺は!)
堀としては忸怩とした思いがある。
そして別にこのヒット一本で、直史の集中が切れるということもない。
散々にノーヒットノーランは達成してきたので、いまさら達成に失敗しても、別にこだわりがないのである。
結局はこの日も97球を投げて14奪三振の完封。
再来週の東大との対戦に向けて、準備は万全である。
あとはこちらの打線が、一点を取ってくれるかどうか。
直史は、低い可能性であるが考えている。
どちらのチームも点が取れず、二試合目以降に勝ち点を得るのが持ち越された場合。
月曜日火曜日と、二勝目が付かない限り、試合は終わらない。
そうなったら直史が一人で投げるのは難しいし、ある程度球数を制限して投げるなら、妹たちに打たれる可能性もある。
直史は完璧主義者ではないが、よりベターな方法を追求するので、完璧主義者に見えることもある。
あとは守ってくれるバックの問題だ。
ごく稀にではエラーはするし、おそらく大観衆で大詰めとなる神宮で、いつもとは違う環境でプレイすることになるのではないか。
早慶戦を散々に経験している上級生たちも、雰囲気に呑まれる可能性はある。
ならば、やはり三振だ。
大学入学以来、おそらく初めて、本気で準備をする直史であった。
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