第162話 伝説との対決

※ プロ編も読んでいる人は、大介の三年目のレギュラーシーズン終了後にお読みください


×××


 プロ野球もリーグ優勝は決定し、これからクライマックスシリーズに入ろうかという九月下旬。

 プロ入り後三年連続で頭のおかしな記録を残している大介が、ついにホームラン記録を大幅に更新した。

 そろそろ国民栄誉賞じゃないのか、と巷で騒がれる中、直史も元チームメイトとして、コメントを求められたこともある。


 大介は友人であるし、将来的には親戚になる可能性が極めて高いので、普通に「おめでとう」というぐらいの言葉は出てくる。

 だがそんな直史に対して、直史なら抑えられるか、という質問が飛んできたりする。

 撮れ高がほしいそんなマスコミに対しては、直史の態度は辛辣なものである。

「ご自分で考えるなり、分析の専門家に頼んでみればいかがか?」

 慇懃無礼を承知の上で、直史は対応する。

 そもそもマスコミ嫌いなのは、高校時代からずっと一貫している。


 そんな直史が、この日は投げる。

 春のリーグ戦はほとんどがリリーフか途中継投で、完投した試合は一度しかなかった。

 だが夏休み中の社会人チームとの対戦では、またおかしなピッチングを繰り広げたというのは、今の時代SNSですぐに拡散するものである。


 秋のリーグの初戦は、東大相手に他のピッチャーで圧勝であった。

 プロ入りはしないと広言している直史よりも、むしろ武史の方に、マスコミならず野球関係者は期待をかけている。

 だがそれでも登板してくれば、見ないわけにはいけないのが直史である。


 あまりにも、技巧の完成度が高すぎるのだ。

 上杉や武史のように、三振をどんどんと奪い、とんでもないスピードをたたき出すパワーピッチャーの方が一般受けはいい。

 だが見る者が見れば、特にピッチャーやキャッチャーなら、直史のやっていることの異常さが分かる。

 特に分かりやすいのは、そのコントロール。

 パーフェクトストライクの九枚の板を、六球で落としてしまうそのコントロール。

 また変化球の多彩さも、その魅力の一つだ。


 だが本当の魅力は、試合が進むにつれて出てくる期待。

 今日はノーヒットノーランを達成するのか、それとも完全試合か。

 そんな期待をずっと頭の中でしており、これまた必要であれば、しっかりと三振も取れるのだ。


 直史が高校時代にパーフェクトなどをやっていた時、逆張りでストレートで三振を取らないのがいかん、という老害丸出しのことを言っている元プロがいた。

 現役時代は確かにたいした成績を残したものだが、シーズン記録などは大介に全て抜かれた者である。

 高校時代は完全に無視していた直史であるが、大介がプロ入りし、直史が大学で無双を始めると、間に大学をはさむことは逃げ、などとまた逆張りの発言をしてきたものだ。

 直史がプロの世界に行かないのは、ああいった老害と距離を置きたいからでもある。

 なんでもかんでも一方的に言い切ってしまうというのは、討論を大切に思っている直史としては、言及することすらめんどくさい。


 三冠王を取った大介が、直史について問われた時に、あっさりと答えたものだ。

「え? なんかそんなこと言ってる人いるの? どんな記録残した人? へ~、俺よりも随分下なのにな。直史に勝てるわけないじゃん」

 現役最強どころか、史上最強とも言われるバッターの言葉は、直史の方がはるかに上だと断言した。


 大学を経由してプロ入りし、様々な記録を作ってきたピッチャーがいる。

 だがその中には一人も、リーグ戦で何度もノーヒットノーランを達成した者はいない。

 大介が言って、直史も完全に眼中にないので、最近は直史についての質問などされない老害である。

 直史的にはあれは、発言者ではなくあんなのを使っているマスコミが悪いと思っているのだが。

 だいたいマスコミというのは前例のないことには批判がましく、大記録を残すと掌を返すのだ。

 その素早さは直史のクイック以上であろう。




 一回の表から早稲谷は、その強力な打線で先取点を取る。

 その裏、マウンドに登った直史に、黄色い歓声が届く。

 早稲谷のエースということで、当然のように直史はモテる。

 だが完全にそういった層とは距離を置いている。

 アマチュアがファンのことなどを気にしだしたりしたら終わりだと思っているのだ。

 そういうつれない態度が、逆に人気にもなるらしいが。


「さて」

 いつも通りの体調であるが、今日は昨日の夜も早めに寝て、いつも以上に調整をしてある。

 直史であってもその投球の精度を最高にするには、事前に自分で調整をしておかないといけない。

 本日の精神状態は完璧に近い。

 ストレートだけで勝負するとか、特定の球種を禁止するとか、そういった配慮もするつもりはない。

 たまには全力を出さないと、その限界がどこにあるのか忘れてしまうのである。


 バッターボックスに入った先頭打者は、直史の観察するような視線に背筋が凍りつく。

 何かとてつもない、深淵の向こうから見られたような感触。

 だがそんな感覚はすぐに消え、直史はパタパタとロージンバックをはたく。


 投球練習の段階から、ちゃんと分かってはいるのだ。

 樋口のどんな無茶にでも対応出来る、本日の調整具合である。


 先頭打者への初球は、アウトローへのストレート。

 ゾーンにかするほどのコントロールで、審判は自然とストライクをコールする。

 このコントロールを見た法教の先頭打者は、ゾーン内のボールは積極的に振っていこうと決める。

 わずかな変化でボールからストライクに、そしてストライクからボールにするコントロール。

 さらにボール半個分ぐらいに外れるなら、簡単にストライクにしてしまう樋口のフレーミング。

 

 本当なら先頭打者は、その日のピッチャーの調子を見たり、球種を見たりする。

 だが直史相手には、ほとんどその意味がない。

 不調であるのがはっきりと分かったのは、知る限りでも一試合だけ。

 一年秋のリーグ戦、16個の四死球と四つの失策があったにもかかわらず、ノーヒットノーランを達成した、あの頭のおかしな試合。

 当時はスタンドから応援していたが、ランナーが出るたびに盛り上がり、そして結局一点も取れずに、試合後しばらく野球部全体がお通夜状態であった。


 直史は相手に打ち気がないとしれば、普通に甘めの球を投げてくることも分かっている。

(それを打つ)

 第二球は内角へ。

 ストレートかと思ったが、わずかにズレてさらに内へ入る。

 それでも打てる程度の変化で、バットの根元ながらミートには成功。

 サード正面へのいい感じのゴロであった。

 軽く捌いた近藤がファーストに送り、まずはワンナウト。

 

 二球で一つアウトを取る、省エネピッチング。

 続く二番にもやや甘く見える球を打たせて、内野フライ。

 ここまで四球である。

(で、どうするんだ? わざと歩かせて勝負したいのか?)

(いやいや、そんな自己中なことをするわけないだろ)

 けっこうしてるぞ。


 ネクストバッターサークルで待機していた谷を、ちらりと見る。

 構えた状態で、直史のボールのタイミングを計っていたらしい。

 キャッチャーの樋口は、いつもよりもさらに精度が高いのを実感していた。


 ツーアウトから迎えるバッターは、昨日四番を打っていた谷。

 今日は打席がさらに繰り上がって、三番打者である。

 まだ四番信仰の強い日本で、強打者の打順を前にしてきたのだ。

 確実に、打てるバッターを少しでも多く回る打順へ。

 直史が先発だと考えていたら、そういうこともあるのか。

 もっとも法教としては、そういう意図ではなかったのだが。

 直史が久しぶりに意識した、法教の谷。

 直史としては、久しぶりに全力で遊べるかな、とサイヤ人のようにわくわくしていたりする。

 ただしその内面の変化に気付いているのは、相棒の樋口と実の弟である武史ぐらいだ。

 あとはスタンドにいる瑞希か。




「ご機嫌そうね」

 紫外線よけの日傘を持って、ほぼ満員の神宮球場にやってきているのは、瑞希の知り合いであった。

 何度か試合を見に来ているのは知っていたが、最近はあまり姿も見かけなかったのだが。

「イリヤ」

 今日は直史がやる気であるとグループメッセージに書いてはおいたのだが、まさか彼女が来るとは。


 バックネット裏の瑞希の周りの席は空いていない。

 だがイリヤもここから見るつもりはない。

「読んだわ。サキの本」

「明日美ちゃんも主人公なんだけど」

「そうね」

 映画化される部分の『白い軌跡』には、まだイリヤは登場していない。

 なので彼女に肖像権の問題は出ていないのだが、いずれ続編の声などはかかれば、必ずそのチェックは必要になる。

 まあ既にBGMなどの依頼を出そうかという話はあって、金がかかりすぎるためアウト、などとは言われていたのだが。


 イリヤは直史のことを特別な存在だと思っている。

 芸術家にはよくある、インスピレーションを刺激される存在というものだ。

 ただし最近の直史は、少なくとも大学のリーグ戦では、イリヤの好きな直史ではない。

 相手に求めるのが贅沢なのも、芸術家の特徴か。

「私はバックネット裏にいるけど」

「試合の後、時間はある? 少し聞きたいことがあるんだけど」

「時間……なくても作るわ」

 イリヤにとっては、瑞希もまた興味の対象だ。

 好きなものの周辺までもよく知りたくなるというのは、人間にとって自然なことである。

 なので瑞希の頼みでも、多少はイリヤは聞くのである。


 スケジュール調整をしている間に、直史と谷の最初の対決となる。

 イリヤはそこで手を止めて、その戦いを見つめる。

 最初のボールは、スイングも出来ないボールであった。

「今のはスルー?」

「たぶん。最近はあんまり使ってなかったんだけど」

 直史はまさに魔球と呼ばれるスルーを、確かに最近はあまり使わない。

 投げられなくなったわけではないが、単純にオーバースペックの球種であるのと、そのくせコントロールに不安があるからだ。


 絶対的に有効ではあるが、コントロールへのじゃっかんの不安。

 それだけで直史は、スルーを投げる頻度を下げた。

「やっぱりそう」

 ネット中継の映像もタブレットで同時に見ていると、今の投球の再現シーンが見れた。

 スローにすると綺麗に見える、螺旋回転のボール。

 魔球を見せるだけの価値は、谷に認めたということか。


 だがそこからは、カーブとストレートで三球三振。

 あっさりと一打席目を終わらせてしまった。

 だが瑞希には、直史が楽しんでいるのが分かる。

「容赦ないわね」

 そう言うイリヤは、これまた楽しそうに見えた。

 天才と天才との間に分かる感覚。瑞希には分からないものだ。

 もっとも世間から見れば、彼女もまた天才の一人であるのだが。

「それじゃあ、また後で」

 そしてイリヤは自分の席へと戻っていく。

 瑞希は少しきになりながらも、試合の観戦へと戻ったのであった。




 球が伸びながら沈んでいった。

 あれが噂のスルー。ジャイロボールというやつか。

 様々なメディアで検証されていたボールだが、似たような性質の球を投げられる者は他にもいる。

 だがあれだけの速度でと回転で投げられるのは、おそらく世界でただ一人。


 感動のあまり、二球目は完全に見逃して、三球目は漠然と振ってしまった。

 振ってから気付いたが、ストレートもえぐい伸びとキレであった。

 だが彼は、絶望などしていなかった。

 そう、感動であったのだ、あれは。


 アマチュアトップレベルどころか、おそらくはMLBもNPBも含めた、世界のピッチャーの中でも最高クラスの一人。

 そんな相手と、正面から戦うことが出来るようになった。

 その意味では武史も充分以上に化け物なのだが、武史は甲子園でパーフェクトはしていない。


 伝説と出会った。

 伝説が目の前にいて、自分にボールを投げてきた。

 一打席目はまさにそれで、思考することを放棄してしまっていた。

「谷やん、大丈夫か?」

 そんな声をかけられて、谷は現実に戻ってくる。


 そうだ。現実だ。

 自分の現実が、もう伝説の中に入り込んでいる。

 甲子園のグラウンドには届かなかったが、プロへの道はもう見えている。

 この試合、最低でもあと二打席は打順は回ってくるのだ。

 ただそのためにはこちらも守備をしっかりとして、直史を引っ込めても大丈夫な点差にするわけにはいかない。

 もちろん法教側は、今日の直史が完投するつもりであることを知らない。




 注意はしていたが二回の表も、早稲谷は一点を追加した。

 最近キャッチャーだけではなく、打つほうも真面目にやり始めた樋口は、打率だけなら西郷を超えている。その六番樋口の一発である。

 西郷はあれだけの巨体でパワー型にもかかわらず、ミートまで上手いのがすごいのだ。

 ただし樋口は打つ球を絞って、確実に打ってくる。

 今は評価を高めるために、打てるボールは全部打っているが、本来は勝つための場面でしか打たない。


 序盤で二点のリードを得たが、もちろんこれは逆転出来る展開。

 ただしピッチャーが直史でなかったらという話である。


 直史は二球目までは打てる球を投げ、三球目では空振りか、バットを振ることすら許さない。

 積みあがっていくのは、凡打と三振の山である。

 今日もやっぱり暇だなと、特に早稲谷の外野は呆れている。

 それでも今日は普段より、三振を奪う確率は低いか。


 全く危なげのない、直史のピッチング。

 法教の守備もそれなりには堅実で、三回と四回を無失点。

 そして四回の裏、ツーアウトから谷の二打席目が回ってきた。


 今度はただ感動しているわけにはいかない。

 今の自分の最高で、この稀代の名投手と対決する。

 そんな闘志に燃える谷を、直史は氷のような視線で、マウンドから見下ろしていた。

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