第161話 遅咲き
人の成長曲線は、直線ではない。
また早熟なタイプの才能もいれば、晩成なタイプの才能もいるし、延々と成長し続ける才能もある。
たとえば大介や上杉などは、そこそこ早熟なタイプであり、爆発的な成長期を終えた後も、じわじわと伸び続けていく。
人間の肉体の出力は、どうしても加齢と共に衰えていく。
それを少しでも遅らせるために、食事や睡眠、休養にストレスの発散などが必要なわけである。
武史の成長曲線は、爆発と収縮とでも言えばいいのか。
何かのきっかけに一気に伸びるが、それが終わると全く伸びない期間が続く。
もう成長が終わったのかなと、技術的な面を伸ばそうと思えば、これである。
二打席目の谷を三振で切った武史は、腕をぶんぶん振りながらストレートを投げてくる。
それで別にコントロールも悪くならないところが、佐藤家の血筋なのであろうか。
これまでに計測した最速の、166kmが何度も出ている。
最高に近い出力が、安定して出ているということだ。
そして連続三振が続いていく。
ストレートだけで空振りや、それどころか振ることすら出来ない三振が続き、法教の打線陣は完全にお通夜状態である。
連続奪三振記録。
それがどんどんと伸びていく。
直史も、自分に才能がないとは言わない。
だがちょっとしたきっかけで爆発的に伸びる武史を見ていると、やはりああいうのが才能というのだと思うのだ。
調子に乗って限界を超えて投げれば、一球で肘に限界が来る。
「タケ、肩とか肘は大丈夫なのか?」
基本選手の管理にまでは口を出さない辺見さえ、そう言ってくるような投球内容。
「え? 球数投げてないし、大丈夫ですけど」
ぐりん、と辺見は首を回して、スコアラーに確認する。
「六回が終わって62球です。……あと、四番に一発打たれてからは、一人を除いて全員三球三振です」
「……」
佐藤家の次男は、また変なことをしていらっしゃる。
連続三振というだけでなく、三球三振がほとんどであるのだ。
ストレートだと分かっていても、まともに当たらない。そもそも球に目が追いつかない。
実際にところはバックスピンで落ちない軌道なため、脳がどうしても錯覚するのだが。
それでも追い込んだ三球目に空振りを取れるあたりが、樋口のリードのおかげである。
樋口としては武史のリードをするのは、機械的な作業である。
とてもヒットにはならないが、当てる程度のことは出来る球を投げさせ、最後の一球だけ全力のストレートを投げさせる。
低めだろうが高めだろうが、外角だろうが内角だろうが、打てないことには変わりはない。
一度だけファールを打たれたが、それもほとんど奇跡かマグレであろう。
そして谷の第三打席。
武史はここで、初球からストレート勝負を挑む。
いくらなんでも勘弁してくれ、と思う樋口であったが、これで打たれるならそれはそれでいいだろう。
どうせ点差は挽回不可能なぐらいに広がっているし、ホームランを打たれても、あと一人ランナーが出なければ、四打席目は回ってこない。
さすがにこいつになら打たれるかと思っていた樋口だが、アウトローに投げた後に、インハイという組み合わせで、一球目は見送られたが、二球目は振ってきた。
ただそれも空振りで、タイミングもいまいち合っていない。
(なんだこいつ……)
樋口は勘違いしていた。
谷は確かに、大学三年になってようやく花開いた、晩成の人間であるのかもしれない。
だが武史とて本格的に野球をやり始めたのは高校生からで、その時既に145kmが投げられた。
大学二年生の今は、166kmがMAX。
直史はなんだかんだ言って体力の限界まで投げたことはあるが、武史にそういったものは感じたことがない。
変化球を必要としたので、勘違いしていた。
ちょっとした壁に当たっていただけで、ここはまだ武史限界ではなかったのだ。
166kmのストレートを投げられるなら、普通はもうそこが成長限界だと思うだろう。
だが上杉という前例があるのだから、まだ人間の限界には到達していない。
上杉のストレートの方が、間違いなく武史よりは速い。
だが武史のストレートの方が上だと感じる要素もあるのだ。
それはリリースのタイミング。
球持ちがいいので、ぎりぎりまで持っていて、最後に指先から放たれる。
ホップ成分はおそらく、武史の方が上だ。
これは小学生の時代に水泳をしていたため、肩の駆動域が広いことが、理由であるのだろう。
上杉も日本海で、夏には遠泳をしていたらしいが、武史の場合は水泳教室で年中泳いでいたのだ。
ツーストライクと追い込んで三球目。
樋口の構えたコースに、さすがに武史も驚く。
今日は驚かされてばかりの樋口が、さすがにちょっといたずらをしかけたという感じである。
構えたミットはど真ん中。
だが武史は頷くのだ。
ゆったりとした動作から、体を大きく使う。
水の中を泳いでいたとき、手は少しでも先の水を掻き、足は激しく水を蹴る。
全身運動である水泳の経験は、間違いなく今に活きている。
他のスポーツをすることで身につけた、柔軟性と体のバネ。
それを今は全て、小さなボールにこめて投げる。
ど真ん中だ。
谷のスイングは、反射で動いていた。
これは打てる。はっきりとそう思ったのだ。
だが武史のストレートは、谷の中にあるあらゆるストレートを超えてきた。
かろうじてバットには当たり、真上に上がったキャッチャーフライ。
樋口がそれをキャッチして、谷の第三打席は凡退。
三振を取れなかった武史は不満であり、タイミング自体は合っていたことに樋口は驚く。
もちろん凡退した谷は、悔しさを隠さない。
(谷か。ナオとタケならともかく、他のピッチャーじゃ難しい相手だな)
帰ったら詳しく分析すべしと、樋口は心に決めていた。
谷との対決で消耗した武史は、ここからは樋口のリードに従って、ムービング系を主体にし、ストレートはあまり使わない。
それでもある程度は三振を取れるのが、160km近いストレートなのだ。
だが受けている樋口にはっきり分かるのは、明らかに球威が落ちているということ。
やはり兄弟であっても、ピッチャーとしての資質が全く違う。
直史であれば強打者を打ち取っても、涼しい顔で次の打者と対決する。
WBCの壮行試合や、WBCの決勝などのように。
油断も慢心もなく、それでいて余裕はある。
上杉に似ている気もするが、どうしてもイメージが合致することはない。
この試合の最終的なスコアは8-2で決着した。
法教の谷がホームランを打ち、前試合からも急速に注目を集めることになる。
来年のドラフト候補が、また一人増えたわけである。
勝利の余韻を味わうこともなく、早稲谷の首脳陣は谷についての分析を始める。
そしてその中には直史も混じっていた。
普段ならば試合が終われば解散してしまう直史であるが、今日はバッターの分析に残っている。
試合で少しでも楽に勝つために、事前の準備を怠らない。
ここ最近はむしろ、データなしで勝つことを優先していたが、それだけあのホームランはインパクトがあったということか。
弟の才能を、しっかりと認めている兄である。
武史相手にはホームランを打ち、アイドリングが終わった後のストレートにも当てていたことから、とりあえず速球に強いことは間違いない。
問題は変化球にどう対応しているかだが、とりあえず入手できている映像データは、この前の慶応戦しかない。
スライダーとカーブを使うピッチャー相手に、四打数の三安打一ホームラン。
スライダーもカーブもストレートも打っていたが、やはりホームランにしたのはストレートであった。
変化球への対応力もあるが、やはり速球に強い。
ある程度は分かっていたことである。
今年の春まではリーグ戦に出ておらず、夏に行った練習試合で結果を出し、この秋からベンチ入り、そしてスタメン入りした。
名門刷新学園の出身だが、高校時代や大学の一二年では実績無し。
明日までには間に合わないが、背景事情も調べておいた方がいいだろう。
「明日は投げます」
直史の言葉に、どこか憮然とした表情の辺見である。
言われなくても指名するつもりではあったが、決めるのは監督なのである。
ただ、直史の様子を見て、そんなに戦いたい相手か、と認識を新たにする。
武史は序盤、肩慣らしの間には、そこそこ打たれることもある。
だがそれでも150km台の後半は出ているので、まともに連打を食らうことなどはない。
そして終盤になると、バットに掠ることさえ稀になるのだ。
だが全力のストレートに当てられた。
解散した時もまだ、釈然としない顔をしていたものだ。
あの三打席目のあとは、珍しくフォアボールなども出していたし。
直史の宣言は自分勝手なものと思わなくもないが、これはやはりエースだな、とも思う。
優れたバッターに出会った時に燃え立たせる、それを封じたいと思う欲望。
自分になら可能だという自負。
「弱点でも見つかったか?」
「そういうわけでもないですけど、どれだけの力があるのかには興味がありますね」
「勝てるのか?」
「勝ちます」
直史が投げるのは、自分以外のピッチャーが投げるよりも、確実に勝てるから。
そんなナチュラルな傲慢さを、この超絶技巧のピッチャーは持っているのだ。
辺見もまた、負けるつもりなどはない。
「抑えろよ」
「はい」
珍しくも意思が一致する、監督とエースであった。
法教の谷は、実はこれまで完全に無名だったわけではない。
リトルの頃から野球はしていて、シニアではそれなりに注目されたピッチャーでもあったのだ。
だが、本当に運だけが悪かった。
成長期が人より遅かったため、高校で最初からフィジカルを求める強豪私立からは、スカウトの声がかからなかった。
ただそれでも自分の実力を信じていたため、地元の刷新学園に入ったのだ。
栃木県ではほぼ一強とも言われる刷新学園。
その中でも入学時にはかなり目立つ能力を持っていたが、ここからが本当にタイミングの悪いことが起こった。
遅れてきた成長期である。
入学時162cmしかなかった身長は、卒業の頃には187cmに達していた。
これだけ体格が変化すれば、ピッチングにも支障が出る。
成長中の肉体でピッチングを行い、あちこちに小さい怪我をすること数回。
高校のうちはピッチャーはやめておけと言われてしまった。
そして打たせてみれば、こちらにもちゃんと才能はある。
ただしこれまた走塁で、怪我をしてしまう。
センスは監督も認めていた。
肉体もようやく卒業の頃には縦方向への成長が止まり、これから筋肉をつけていけばいいということになった。
だからこそ大学へも推薦したし、本人も野球は続けた。
だが体の横幅を大きくしながら、遠ざかっていたピッチングに戻るのは、もう無理になっていた。
元々運動神経自体はいいので、外野でも内野でも、かなりの守備も出来た。
そこから二年かけて、ようやく完成形に近い形に体を作り上げた。
もちろんその間に、技術も身につけていた。
長く辛い雌伏の日々であった。
だがそれでも諦めなかったからこそ、こうやって花開いているのだ。
甲子園には全く適応できなかった肉体。
だが大学三年目にして、ようやく試合に出るだけのバランスが取れるようになった。
実は元ピッチャーだけあって、外野から返球するのも強肩のレーザービームを使える。
センス、フィジカル、テクニックが、ようやくここでバランスよく成立するようになったのだ。
高校時代、甲子園では常に、スタンドから応援する立場であった。
自分と同年代に、とんでもない才能がいて、まともに試合にも出られず、練習も休まなければいけないときがあった自分が、果たしてこれ以上野球を続けるべきなのかと迷ったこともある。
だが、一つだけ確かな確信があった。
自分はまだ、やりきっていないということだ。
武史の160km近いストレートをスタンドに運んだ時、諦めなくて良かった、と思えた。
夢の一つであった甲子園は、スタンドから応援するだけであったが、もう一つの夢をこれで目指すことが出来る。
プロへの道だ。
大学三年の秋、それは谷にとって、実りの季節。
間違いなくドラフト一位と言われるピッチャーから、ホームランを打ったのだ。
その後はギアを上げた武史に打ち取られたが、それでも目指す先に背中が小さく見えてきた。
「三番ですか」
「ああ、お前に必要なのは、一打席でも多くの経験を積むことだと思うからな」
法教の監督に言われたそれは、谷も納得出来るものであった。
今でもほとんどのチームでは、最強の強打者は四番に置くことが多い。
だがプロではライガースが、史上最強のバッターを三番に置いている。
メジャーでも三番や、それどころか二番に最強のバッターを置いていたりする。
土曜日の第一試合でも、三番打者であれば、もう一打席勝負出来たのだ。
今はとにかく、一打席でも多く打ちたい。
四番のプライドとか、そういったものは頭に浮かんでこない。
必要なのは、一打席でも多く、打席を経験すること。
監督の配慮はありがたい。
プロを目指すことが、もう現実的になってきている。
夏休みの終盤から、練習試合でポンポンと打っている谷を見て、プロのスカウトが何人も監督に話しかけてきたのだという。
監督もまさか、ここまで成長しているとは思っていなかったのだが、高校時代に自分ではどうしようもない挫折を経験しているだけに、その精神力を買った。
諦めてしまう理由はいくつもあったはずなのだ。
だがそれでも諦められなかった。野球を捨てられなかった。
野球に魂を縛られたからこそ、こうやってまた新たな道が示されている。
など、ある程度の情報で想像した樋口は、ちょっとさすがに可哀想かな、と思わないでもない。
日曜日の第二戦、早稲谷の先発は佐藤直史。
それも実験だとか、いかに楽に勝つかだとかを考えず、久しぶりに全力で制圧しにかかっている直史である。
谷は、おそらくプロに行けるレベルだ。
狙って打つ自分とはバッターとしての質が違うが、技術的には上なのではないかとも思う。
だからこそ、直史は打てないとはっきり分かるのだ。
(まあこれで折れても立ち上がるなら、それこそ本物だからな)
そして樋口も己のリードで手加減をしてやるつもりなど、全くないのである。
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