第144話 閑話 維持
世界には天才と凡人の二元論だけでなく、要領よし、要領悪しの二元論も存在する。
また凡人ではあるが技術の習得は早く、ただその上限が高くないという者もいるし、そうたいしたレベルにまでは達しないが、そのレベルを長く維持できるという者もいる。
つまるところ、才能の形は一つではない。天才とまではいかないが、才能があるとは言えるレベルも存在する。
直史は自分の才能は、あくまで研鑽と反復練習によるものだと思っていた。
だが実はそうでもないのかな、と最近では思うようになってきている。
中学から高校に入学するまで、受験勉強の合間の息抜きに、ピッチングの練習はしていた。
だから高校入学時、すぐに対応出来たと思っていた。
ただ高校野球の引退から、大学野球の練習への参加まで、そして大学野球のシーズンオフを何度か経験して気付いた。
自分は練習をしなくても、技術が衰えないタイプだと。
これは新鮮な驚きであった。
別に野球に限らず、人間はその能力を維持するために、ある程度の練習などは必要だと思っていたからだ。直史自身もそうではあるが、必要とする練習量が想像よりも圧倒的に少ない。
たとえば大学にもなれば、もう法学部では数学などは全く必要としなくなる者もいる。
そんな中で偶然数学知識が必要となった話題があったりした。
他の者が必死で思い出そうとしている中、直史は普通に方程式を導き出し、その問題を解くことが出来た。
日本人は社会制度上、その頭脳が一番活性化するのが、20代などではなく大学の受験勉強の時である人間は多い。
その一番勉強する時に鍛えた直史は、一度習得した知識などは、なかなか忘れないタイプの人間であるらしい。
そしてそれは、運動面にも言えるようだ。
一週間以上の期間を空けて、さすがにコントロールなどの勘が鈍っているかな、と思った直史であるが、そんなことは全くなかった。
小柳川の構えたミットに、あっさりと変化球が収まったのだ。
同じくストレートも、そして角度を変えた変化球も、自由自在に操れる。
そして球速を計測しても、152kmがしっかりとコントロール出来ていた。
元から自分は、勉強に限らず運動でも、その習得速度は早いと思っていた。天才というほどではないとも思っていたが。
だがさらには、その習得した能力や知識を、肉体面も含めて維持する力にも長けていたのだと分かった。
人間は一度、自転車の乗り方をおぼえたら、二度と忘れないなどとも言われている。
勉強による知識などはそれとは別のはずだが、直史はとにかく技術の維持に長けた肉体と脳を持った人間であるらしい。
だがおかしな話で、筋力などは確かにわずかに落ちていたのだ。
それなのに球速は元のままというのは、理屈が通らない。
元々コントロールを無視すれば、154kmまでは球速は出ていたということはある。
だが今はコントロールを無視しても、152kmまでしか出ない。
最大出力は下降したのに、コントロールの乱れはない。
習得するのが早く、それを維持する労力が少なく、感覚を空けても技術の衰えがない。
これは間違いなく才能だ。だが、割と地味な才能だ。
一般的に見れば、うらやましすぎる才能であろうが。
夏休みの間、野球部の一軍は、全国行脚というほどではないが、合宿と遠征を繰り返す。
その間は二軍の人間が、都内のグラウンドで都内の関東の社会人チームや、他の大学リーグのチームと練習試合を行う。
直史は残っているし、武史も残っている。
それだけでこの二軍は一軍並の強さになるわけだが、直史は自分の能力を実戦で試すため、ここでいくつかの試合に出る。
カーブが斜めに落ちてくる。
それを見逃すしかないバッターだが、小柳川もわずかに弾いてしまう。
ブルペンの中でこそちゃんとキャッチングしているものの、実際の試合のプレッシャーの中で、直史の最大出力の変化球を投げられれば、後逸しても仕方がない。
何種類もの多彩なカーブ。
それに鋭さを増したスライダーを使っていると、やはり後逸してしまうのだ。
あとはスプリットなども、サイン通りに投げても落ちる量を見誤る。
甲子園に出場したチームの正捕手だった小柳川だが、やはり樋口にはくらぶべくもない技術である。
そんな試合の中、直史は少し呆れた声で言う。
「なんだか面白いことになってきたな」
「面白くねえよ」
小柳川は不機嫌だ。
著名な社会人野球のチームを相手に、八回までを投げて、直史は三振を25個も取っていた。
24個ではない。25個だ。
後逸による振り逃げが三度もあったため、他の二つのアウトは内野ゴロで取っている。
一試合で28個以上の三振という、なんだか自然の摂理に反するような記録が達成されようとしている。
そしてそれは九回の裏に、またもパスボールがあったことで、現実的になる。
最後はこれと決めたスルーを投げて、どうにか小柳川は体で前に落とした。
(こんな球を樋口は!)
己との才能の差に、愕然とするばかりである。
ノーヒットノーラン達成。
直史には珍しく、球数がそこそこ多くなった。
そして奪った三振の数は、29個であった。
おそらくこの試合で直史と対決し、野球を諦めたバッターは何人もいただろう。
罪深すぎる記録である。
「あのさ、やっぱうちの兄貴って、本当の化け物なのかな」
化け物の弟である化け物にそう問われて、武史と同学年の選手は「こいつマジか?」といった感じの顔をする。
「お前がナメック星人で兄貴はサイヤ人ぐらいの力はあるな」
多芸多才という点では、むしろ直史の方がナメック星人に近いかもしれないが。
直史と対戦したチームは、企業がスポンサーになったクラブチームであり、レベル的には東都の一部に等しいぐらいの選手も多くいた。
それを相手にしても全く問題にせず、三振ばかりを取っていったのだ。
この超人じみた記録の、裏アシストがパスボールを四回もした小柳川である。
延長戦でもなくこれだけの三振が奪えるというのは、他のピッチャーにも絶対に無理である。
いや元々直史は、三振を取っていくタイプのピッチャーではないのだが。
つまるところ樋口がいないため、配球が上手く組み立てられなかったわけだ。
するとボールの力により頼ることになり、ボール球を効果的に混ぜながらでないと、相手を打ち取ったり、丁度いい加減の打球にすることが出来ないのだ。
どうやら樋口は直史以上に、頭を使いながら野球をしているらしい。
これまでは指示の通りに投げるだけであった直史は、改めてキャッチャーのありがたさを思い出した。
どうにかあれを自分のチームで取れないだろうか。
これのみならず、リーグ戦などを見ていたプロのスカウトの感想は、全て同じである。
突出していて基準が分かりにくい場合は、紅白戦の様子を見る。
直史とは逆のチームに、西郷や武史が入る。
チームメイトのプライドをバキボキには折らないように、直史は何本かのヒットは打たせる。
だがそれが明らかな手加減であるのは、フォアボールは一つもないことと、一点も取られないことで分かる。
紅白戦で味方のバッターを抑えすぎないのは、高校時代からの直史の配慮である。
だがホームランを狙う西郷には、絶対にホームランを打たせない。
得点圏にまでランナーが進むと、ギアを上げてピッチングの内容を変える。
そんな中では味方のエラーで、点を取られることもある。
だがいまだに自責点はゼロなのだ。
「惜しいなあ……」
レックスのスカウトである鉄也は、東京に来るたびにほとんど毎回、早稲谷の練習グラウンドを見に来る。
他の球団のスカウトも多いが、特に鉄也は多い。
レックスは今年は、打てる選手ということで、野手の第一指名を決めている。
西郷は複数球団で競合となるだろう。
そしてその次の年はどうなるのか。
直史がいないドラフトであれば、キャッチャー樋口を地味に一本釣りするところがあるかもしれない。
個人的には鉄也は、西郷、樋口、武史と三年で取れるなら、三年後にはレックスは優勝の有力候補のなれると思っている。
もちろん逆指名並の熱意でレックスを指名しているのは、武史だけなのだが。
あいつはあいつで考えがシンプルなので、レックス以外が指名したら、言葉通りにプロ入りは拒否するだろう。
その点は、前からずっと白富東を見ていた鉄也が、なぜか自分の手柄として評価されていたりする。
武史の進路を決めたのはセイバーだ。
そして彼女なら間違いなく、自分の手によって武史の能力を伸ばせるだろう。
ただ社会人やクラブチームを経由すると、プロ入りまでにはさらに三年の時間がかかる。
25歳からプロでプレイするというのは、果たして選手にとって幸せなのだろうか。
レックス以外の球団は、武史が志望届を出したなら諦めないはずだ。
強行指名して色々と裏金を使って、契約に持ち込む。それがNPBの球団の手法である。
そこでさらに一年浪人するか、社会人にまで入るなら、さすがに該当の球団以外は諦めるのだが。
どちらにしろそれは、再来年の話である。
今年のレックスは、まず打撃陣の補強が言われている。
リリーフ陣もほしいことはほしいのだが、現在のローテ投手の成績の割りに、勝率が伸びてこないのだ。
ピッチャーはおそらく今のままで、あとは二軍にも期待できる者がいる。
やはり打線を補強すれば、Aクラス入りは見えてくるのだ。
もちろん完全に決まったわけではないが、レックスの一位指名はおおよそ二人に絞られている。
西郷か、高卒の白富東のメンバー悟である。
実績では間違いなくこの両者に期待の目が向けられており、特に西郷は大学野球でその実績は証明されている。
大学野球もまた、高校と違って木製バットを使っているからだ。
ほとんどのスカウトは、来年のドラフトに直史が出てくることを望んでいる。
だが鉄也に限って言えば、樋口がほしい。もしくは今年のドラフトで竹中を獲得出来るか。
ただどちらにしろ、キャッチャーの大成は本当に、やってみるまで分からないのだ。
夏が過ぎて行く。
あの頃は、長く、そして熱かった夏。
今はもうただ暑いだけで、何も感じない夏である。
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