第145話 閑話 今年も甲子園へいこう
※ 第四部Aの140話を先に読むことをお勧めします。
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直史にとって一番、野球の監督として有能と感じたのは、ワールドカップの木下でもなく、WBCの島野でもなく、そして実はセイバーでもない。
セイバーは確かに理論と統計、分析や確率の点では優れた学者と言えたが、指揮官ではなかった。有能な分野が違ったのだ。
そう、野球の指揮官として一番直史が有能だと思ったのは、秦野である。
その秦野が今年の夏で白富東を離れると聞いて、甲子園に出発する前には、少し手伝いに訪れたこともあった。
甲子園の抽選ではよりにもよって、初日の試合。
だが思い出してみれば自分たちも、最初の夏は初日の試合のトーナメントに入ったものだ。
そして対戦相手がセンバツの準優勝チームというのだから、自分たちよりも運が悪い。もっとも自分たちの時は相手が桜島だったので、何が起こるか分からない怖さは青森明星以上とも言えた。
春のセンバツも優勝した明倫館と当たって惜敗しているのだから、白富東はクジ運が悪いとは言える。
ただ明倫館とは、白富東も同じスコアで惜敗している。だからほぼ互角と言ってもいいのではとは思わないでもない。
さすがに一回戦からは球場に行かずテレビで見たのだが、監督の采配が当たった試合だと思った。
悟は甲子園通算九号ホームランを打って、これで歴代四位タイである。
あと一本打てば三位タイとなるのだが、悟は直史から見てもいいバッターだなとは思う。勝負したらかなり厄介なバッターになったなと感じる。
あの冬、ちょっと対戦しただけであるが、中学生だった悟は、甲子園優勝投手のボールを打ったのだ。
もちろん総合的に見ればボロ負けであったが、それでも打ったことは打った。
直史は手加減はしていたが、手抜きはしていなかった。
これで充分と思った配球を、軽く上回ってヒット性の当たりとした。
あの時もアベレージヒッターとしては優れていたが、今は完全にスラッガーとなっている。
おそらくバッティングのセンスとしては、この高校三年生の中では総合的に見て一番だろう。
代打起用からの劇的なサヨナラで、白富東は初戦を突破した。
そして直史は、瑞希と武史に話す。正確には瑞希はもう決まっているのだが。
「応援に行くか?」
「俺、金がない」
「まあその程度は出してやってもいいけど」
「ん~、どうしよっかな~」
武史にとっては後輩の応援よりも、デートの方が大切なのである。
長い夏休み、一軍に帯同しなかった武史は、それなりに時間が作れる。
そもそも兄たちカップルについて、自分一人で何をしろと言うのか。
それこそ武史が三年の時の一年が、最後の夏を迎えようとしているのだから、いくらでも激励の言葉をかけたり、バッティングピッチャーとして投げてやればいいだろうに。
結局、後輩よりも女を取る、薄情な人間が武史である。
もっとも直史だって、瑞希が一緒に行かないのなら、わざわざ応援になど行かなかっただろうが。
ただ、秦野の最後の采配は現地で見ておきたい。
選手としてはもう、直史はどこか、行き詰ったものを感じている。
それは自分の限界と言うよりは、どんな想定をしていけば、どんな相手にも勝てるのか分からないという、かなり異質な感覚である。
それと今までは上だけを見てきたが、下から追いついてこようという者はいないのか。
つまり来年大学に入ってくるような選手の中で、直史の脅威になるような者はいないのか。
直史にとっては、もう上には恐るべき選手は存在しない。
上杉との投げ合いにでもなれば、話は別かもしれないが。
下から上がってくる、未知の存在には期待している。
そんな存在がおそらくはいないであろうことは、常識的に見ても察しているのだが。
しかし高校時代は環境や、あるいは怪我によって花開かずに、大学で覚醒するという選手もいるはずなのだ。
あるいは今も、まだレギュラーとして出てきていないだけで、実は素晴らしい素質を持った選手はいるのかもしれない。
ただそれと対決する機会など、ほとんどないとは理解もしている。
直史にはもう、大学において強者と戦う機会が、ほとんど残されていない。
下手をすれば部内の紅白戦で、西郷と対戦している方が面白いぐらいだ。
だが西郷と直史が対戦する場合、タイプ的にその対戦が重なれば重なるほど、直史が有利になっていく。
直史は相手の情報を得るとそれを元にしてピッチングを行うタイプなので。
瑞希と話し合った結果、観戦は三回戦の大会11日目からとした。
二回戦の相手の瑞雲とは、チーム力でかなりの差があると判断したからだ。あとは純粋に、それまでは試合の間隔が開いているため、観光をするにしても白富東が負ければ、そこでもう帰京することになるのだ。
しかしそんな戦力差があって、それでも逆転があるのが、夏の甲子園なのだが。
三回戦からなら、決勝までそれほど暇もない。
準々決勝と準決勝、準決勝と決勝の間には、休養日が一日ある。ただ三回戦と準々決勝の間には、間隔がないのが痛いところだ。
もっとも白富東は、かなりピッチャーに恵まれているチームではある。
その試合と試合の合間の日に何をするかは、その時に決めればいい。
もし三回戦で敗退してしまったりしたら、そこから京都観光にでも目的を変更してしまおうなどとも話し合う。
母校が負けてしまったあとでも、楽しむべきは楽しむのだ。
観戦と応援とか言いながら、同時に婚前旅行にもなってしまっているが、それはもう今さらの話である。
ただ瑞希はガチで、観戦の記録をつけるかもしれないが。
ノンフィクションライターとして、瑞希には間違いなく才能がある。
そして本人もそれを自覚してきているようであった。
そんな予定は組んだものの、ぼちぼちと野球部の練習に参加し、練習試合にも時々出ては、虐殺を繰り返す直史である。
パーフェクトよりもむしろ、球数の少ない完封を、ひたすら求め続ける。
なぜならばそれが可能になれば、神宮や全日本の試合を、自分の連投で全て決めることが出来るからだ。
もちろん武史や淳、村上の出番を奪う意図ではないが、何かがあった時にはすぐに投げられる体勢でいたい。
自分が投げれば打たれないというのは、直史の傲慢な考えではある。
だがこの場合は、現実であるのも確かなのだ。
もしも将来、セイバーの紹介してくれたクラブチームに入った場合。
連戦で連投できれば、それは確実にチームにとって有利になる。
そんなことを直史が考えている間にも時間は過ぎて、甲子園における白富東の二回戦が終わった。
一回戦の接戦とは違い、中盤で勝負を決める試合であった。
大逆転が多いように思える甲子園であるが、実際のところは大量点差が開けば、もうそこから脱出出来ない場合の方が多い。
大量点差からの大逆転は、あくまでもそれが目立つから印象に残っているだけなのだ。普通ならば点差が開いたところで、選手たちは諦めてしまう。
諦めさせない名将もいるが、だからと言って逆転出来るとまでは言わない。
しっかりとホテルを予約して、甲子園へと向かう直史と瑞希。
ちなみにそれぞれ自分の料金は自分で払っているのだが、無償奨学金を得た直史よりも、実は瑞希の方が金持ちであり。
著作物の印税があるので。
『白い軌跡』は直史と大介が活躍すれば活躍するほど、増刷されて売れ続ける。
そこまでのロングセラーではないが『春の嵐』もベストセラーにはなった。
WBCのノンフィクションについても、既に関係者へのインタビューは済ませてある。
この夏休みの間に、初稿は上げる予定である。
三年の秋からは、法科大学院に進むため、準備をしなければいけない。
そうなるとさすがに時間が取れないのだ。
まあおおよその情報を知っている直史が傍にいるので、校正はかなり楽なのだが。
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