第146話 こんな場所で

 白富東が二回戦を突破し、三回戦に駒を進めた。

 事前のトーナメント抽選から分かっている対戦はここまでである。

 準々決勝は三チームの中から一つが、またもクジを引いて決められる。


 その三つのチームというのが、これまたまだ分かっておらず、九日目の試合までに勝ち残った、帝都一、仙台育成、桜島、名徳、福岡城山、横浜学一の中から三チームが勝ちあがってくるわけだ。

 どこもかしこも強豪チームで、一応総合力では帝都一と横浜学一が強いと言われているが、センバツを制したのはそれよりもやや評価の劣る明倫館だったのだ。

 直史と瑞希は野球部に差し入れもするために、大会九日目に兵庫に到着した。

 そして試合前日の大会十日目に、野球部の練習場に顔を出す。


 練習用に借りた普通のグラウンドなのに、甲子園の風を感じる。

 あの熱風としか思えない、体力を削っていく風だ。

 黒土の匂いが、ツンと鼻に来る。

 もちろん選手たちのユニフォームに、そんな匂いはついていないのだが。


 途中で買ってきた飲み物を、差し入れする。

 万が一にも腹を壊さないように、キンキンに冷やしてなどいない。

 練習と言うよりは調整ののような感じなので、小休止には選手たちもベンチの日陰に飛び込むが、風がないのでかえって辛いかもしれない。

「あれ? あのマネの子一年ですよね?」

「ああ、宮武の妹で遠慮なくこき使えるから、優先的に連れて来たんだ」

 同じようにユーキの妹のサラもいるが、それに差配しているのは三年の女子マネで、記録員としてベンチに入るのは彼女である。

 高野連から金が出るのは、記録員一名までで、だいたい女子マネ一人がそれに選ばれる。

 甲子園の宿舎滞在期間は、色々と野郎共の面倒を見るので、異性に幻想を抱く下級生にはさせられない。

 そして何より、幻想を捨てても野郎共をほっとけない、オカン気質の人間でないといけない。




 そんな休憩をしている間にも、持っているスマホには甲子園の状況が逐一伝わってくる。

「え、明倫館負けてる」

 直史の言葉に、選手たちは群がる。

「マジすか!」

「相手どこだっけ?」

「天凜だよ天凜」

「天凜、奈良? 和歌山?」

「奈良だな。ちなみにこいつとタケがノーヒットノーラン達成した相手でもある」

 秦野の説明に、ああ~と頷く一同。


 よりにもよって甲子園でノーヒットノーランを、兄弟共に達成される。

 非常にレアな体験をしたわけである。

 直史としては自分が完全に抑えこんだ四番が、普通にプロに進んだのは驚きであった。

 ただそれほど見ているわけでもないプロ野球だが、少なくとも直史の知る限りでは試合では見ていない。


 一つ年上で、今年はつまりプロ四年目。

 あるいは去年あたりで首を切られているかもしれない。

 プロの球団におけるクビを切る速さは、対象によっても球団によってもマチマチである。

 だが確かあれはライガースに入ったのではなかったか。

 ならば大介に聞けばわかるだろうが、知ってるだけの人間であっても、仕事をクビになったかなどとは聞きたくはない。


 そんなことを考えていたのが悪かったのだろうか。

「あれ? ナオも来てたのか」

 小休止の終わりごろに現れたのは、この時期は遠征の多いはずの大介であった。用事は直史と同じらしく、車で差し入れの配達である。

 二人の間の時間は消滅し、ごく普通の会話が成り立つ。

「今の時期って遠征続きじゃないのか?」

「ああ、今日は大阪ドームだから、もう少ししたら出ないといけないんだけどさ」


 ライガースの本拠地は甲子園球場であり、夏場は高校野球が優先される。

 なおレックスも神宮を本拠地としており、大学野球の方が優先される。

 ただ大学野球のリーグ戦は、そうそうずっと続けられるものではないし、試合数もそれほどは多くない。

 だが甲子園はずっと毎日四試合が行われるため、試合が長くならなくても、試合前にプロが練習する時間を取れない。


 かつてのライガースはこの時期、デス・ロードと言われるほどに遠征が続き、それまでの調子を落とすことが多かった。

 現在では大阪ドームのお世話になって、ややアウェイの連続は減ったものだが、実際にはそこそこ負ける割合の方が多い。

 自分のチームのホームゲームを、普通に全部自分のチームの球場で行えるのは、幸福なことなのである。




 直史と大介の共通言語は、二つある。

 一つはもちろん野球であり、そしてもう一つがツインズである。

「あいつら迷惑かけてないか?」

「今さらだろ。迷惑ごと俺は引き受けたわけだし」

 男前な発言をする大介であるが、かなり強がりが混じっているのは確かである。


 おおよそ男というものは、女に振り回されるのだ。

 特にツインズなどは、周囲を振り回すことが日常なので。

 とにかく影響力が大きいので、大介ぐらいにタフでないと、普通に潰れる。


 そんな中、秦野の頭の上で、ピコンと豆電球が光る。

「ナオ、お前ちょっとバッピしてくんないか?」

 直史のスライダーが進化しているのは、秦野も知っている。

 あそこまでコンビネーションを駆使しているのに、空振りが取れるパワーをそれぞれの球種に与える理由。

 それは相手に粘られた時、球数を増やさないためなのだ。


 直史は端末で、前橋実業のピッチャーの映像を見る。

「ああ、これなら再現出来るかな」

 とてつもなく贅沢なバッティングピッチャーの再来である。

 前にも白富東に来て投げていたので、意外と母校に愛着はあるのだろう。

 中学に関してはあまりないようであるが。

 

「何? ナオ投げんの?」

 大介はそろそろ戻る時間なのだが、これを見ては黙っていられない。

 後輩たちの力になってやりたいのは同じであるが、大介の場合はプロによる指導になってしまうので、それは不可能なのである。

 だが、こういった形ならばどうにかなる。

「俺が右打席でナオと対決するか、それを見て参考にしたらいいだろ」

 いや、まずいだろう。


 しっかりとマスコミも来ていて、練習の様子は見ているのだ。

 直史と大介だけなら、特に問題もないのだが。

 と言うか絶対に大介は、直史と勝負したいだけだと思う。


 直史としても、首を傾げるばかりである。

「左打席ならともかく、右打席で俺のボールが打てると思ってるのか?」

 別に侮辱されたとは感じないが、純粋に疑問なのである。

 確かに球種をストレートとスライダーだけに限定するなら、不可能というわけでもないのかもしれないが。


 右打席縛りと球種縛り。

 確かに面白い対戦ではある。

「あ~……よし、じゃあ俺がキャッチャーをして、国立先生が監督。それでいこう。お前らは高野連に叱られないように、グラウンドには入らないこと」

 そしてマスコミに対しても、あえて呼びかける。

「休憩中にナオと白石が対決するんで、記事にしたらどうです? もちろん白富東としては、場所を提供するだけですけど」

 プロが高校生を指導するのは明確に禁止されている。

 不思議なもので大学生相手には練習試合をしたりもするし、シニアレベルでは指導もあるのが現在の体制だ。

 だがドラフトに直結している高校生は禁止なのだ。それならば大学野球でも、ドラフトにはつながるだろうに。


 前例とか建前とか、色々とおかしなところはある。

 それでも以前に比べれば、元プロが高校生を指導するのは可能になってきているし、この場合はプロと大学生の対戦になるわけだ。

 そしてこの両者の間に、高校野球の選手は一人も入れない。

 守備陣も一人もいない、秦野と国立がキャッチャーと主審である。

「マジでやるのか? まあどっちも完全じゃないなら、お遊びにしかならないだろうけど」

 元々そのつもりであった直史はともかく、大介などはアロハシャツにビーチサンダル。

 確かに夏ではあるが、スーパースターの格好ではない。

 スパイクを借りて、バットも自前ではない金属バット。

 直史はそんなことはしないが、シーズン中にこんなことをしていて怒られないのだろうか。




 シャツとスラックスに、他人のスパイクとグラブを借りた直史は、完全な投球は出来ないな、と思う。

 だが大介はあの特注品のバットを使ってはいないし、右打席である。

 変化球の種類は、スライダーとカットボール。

 ぶっちゃけると速いスライダーと遅いスライダー。

 これだけで大介と対決するのは、かなり難しい。


 ただ直史としては、他にも不安な要素はある。

「監督、俺のボール捕れるんですか? こんな感じでも150km近くは出ますよ」

「ユーキのMAXよりは遅いからな。プロテクターもあるし、大丈夫だろ」

 球質の問題なので、肩を作るためにいくつか投げてみる。

 普段と違う服装に、普段と違うスパイクなので、あまり数は投げたくない。

 だがおおよそはアジャスト出来た。


 共に能力を限定した状態で、直史と大介のどちらが上か。

 この状態での勝敗はあっさりとついた。大介の完勝である。


 直史がどんなスライダーを投げようと、まさか大介に当てるわけにはいかない。

 その意識がある上に、下手に全力で投げて、変なクセがつくわけにはいかない。

 純粋に切れ味の鋭いスライダーを投げても、それだけでは大介は抑えられない。


 そしてそれを見学と言うよりは、見物していている白富東。

 角度的にスライダーの軌道などは判別しにくいのだが、かなり変化しているようには見える。

 だが右打者がどうして、それを簡単に打ってしまえるのか。


 20球ぐらいを投げて、半分ぐらいはネットを直撃した。

 小さめのグラウンドとはいえ、ホームラン級の当たりである。

 直史も大介も、これで勝ったとか負けたとかの気分にはならない。

「やっぱこんだけ限定してると、さすがに楽勝だな」

「そりゃあアマチュアの球を打てないプロはまずいだろ」

 直史が皮肉げに言うが、そのアマチュアの球を打てなかったプロのバッターが、日本のみならず世界でどれだけいることか。


「なら本気でやってみるか?」

 大介が左打席に入る。

「変化球全部解禁しても、まだ八割程度だぞ」

「分かってる」

 直史はスパイクを替える時なども、一ヶ月は交互に使って足を慣らす。

 そういった配慮もない他人のスパイクでは、全力が出せるわけがない。

 大介はバットが軽くて反発力の強い金属バット。

 ただ全長が短いのだ。




 差し入れに来て、あとはバッピでもしてやるかと軽く考えていた直史であるが、どうしてこうなった。

 だがこのギラギラと輝く太陽の下だと、野球をしているなと感じてしまう。


 甲子園の匂いがする。

 それは大介の発する体臭なのかもしれないし、状況が記憶野を刺激しているのかもしれない。

 マスコミはいるものの、応援団もいない、観客もいないこの場所で、金になる映像が誕生している。

 幸運にも業務用のカメラを持ってきていたマスコミは、当然ながらこれを記録する。


 どう考えてもあとで問題になるものだが、直史は別に構わなかった。

 自分の場合はせいぜい停部ぐらいに話は終わるだろうし、それ以上になっても退部以上のことにはならない。

 金銭的な余裕が出てきた今は、野球部関連の援助がなくても平気なのである。

 その点でもWBCというのは、ありがたいものであった。

 やはりこの世を生きていく上で、重要なのは金である。


 振りかぶらずに、いつものセットポジションから、足をあまり高く上げないタイミングで。

 大介相手にはやはり、全力を尽くしても勝てるとは限らない。

 ただ普段と違うバットを使っているというのはハンデだ。

 実際には金属バットを使うなど、高校二年の夏以来の大介なのだが。


 そしてこの勝負も、あっさりと大介が勝った。

 厳密に何打席と決めたわけではないが、明らかにストライクを三つ取る間に、ネットに届く打球を放たれる。

「キャッチャーが悪い!」

 珍しくムキにならざるをえない直史であるが、あとは金属バットの恩恵もあるだろう。

 平凡な外野フライであっても、反発力でもっと遠くまで飛ばしてしまうのだ。




 何かがすっきりするかと思ったが、何もすっきりしなかった。

 二度とない対決だと思っていた壮行試合ほどには、直史が仕上がっていない。

 大介にしても、この直史は、あの時の直史とは全く違うのが分かるのだ。


 分かたれた道が、一瞬だけ交差しただけであった。

 そしてやはり、あれは一度きりのものだったのだと確認するだけである。

 直史がこの先、クラブチームなどで野球を楽しむとしても、関西のプロ球団とのオープン戦などは行わないだろう。

 試合形式で投げるのと、練習の中で投げるのとでは、直史のピッチングは全く精度が違う。

 それに使う道具も慣れていないものなのだから、全力は出せなくて当たり前なのだ。


 勝った大介は、寂しげな顔をしていた。

 今日も試合があるので、もう戻らないといけないのだという。

 忙しいシーズン戦の合間を縫って、後輩の練習を見に来た。

 そこには直史がいたのだが、大介の期待する直史ではなかった。


 直史はそれから、後輩たちに向けてバッピを始めた。

 スライダーに限った変化球とストレートの組み合わせで、どんどんと投げていく。

 直史は動画を見て、おおよそは再現したつもりである。

 その直史のスライダーに、確かに右バッターはかなり苦戦した。

 だがこういったものは慣れであるので、やがてはいい当たりが出だす。


 200球以上をこの炎天下の中、休憩を挟みながらとはいえ投げる。

 呆れるほどの体力というかスタミナを、直史は持っているのか。

 本人としてはあまり力を入れて投げてはいないので、ひたすら暑いだけなのだが。




「今日は助かった」

 秦野は心から直史に感謝する。

 主にバッピは平野が投げていたのだが、やはり球速も変化量も、本職のピッチャーには及ばなかったのだ。

「けれど、もう本当にいいのか?」

「いいのかとは?」

 直史は逆に問い返すが、秦野としても口にしない方がいいのかもしれないと思う。

「もう白石とは対戦しないんじゃないのか?」

 それがどういうことなのか、直史は特に何も思わない。

「まあガチでやるなら、あいつが自主トレの期間中にでもやりあえばいいことですしね」

「そうか」


 プロの舞台に行けば、今の本当の大介と戦える。

 壮行試合の時でさえ、まだ大介はシーズン前だったのだ。

 WBCに向けて早めの調整だったとはいえ、四打席を抑えたことで、直史はもう満足しているのか。


 秦野はこの世が野球を中心に回っているとは思わない。

 だが直史が野球の世界を動かせる人間だとは思っている。

 いつかまた対決することがあるのだろうか。

 そしてその対決を、世界の人々は見ることがあるのだろうか。


 未来にはもう、直史と大介が野球で交わる光景が思い浮かばない。

 だがそれは、秦野もまた見たい対決であるのだ。


×××


 ※ 今回は第四部A141話と密接な時間軸になっています

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