第108話 災厄の前哨戦
東京に全国の大学から、強打者、好投手、名手が集まってくる。
三日間の合宿を行ったうえで、同じく集まっていたプロの選抜チームと二試合を行う。
そう、二試合なのである。
集まっている人数に対してピッチャーの割合が多いのは、MLBからしてピッチャーに負担をかけないようにとの考えからである。
だが大学選抜側は、それほど多くのピッチャーを必要としない。なぜなら二試合しか試合をしないから。
せっかくの集まりであるから野手20人と八人のピッチャーが集まって、簡単に練習をしてから、試合形式で戦うことになる。
野球人は練習より試合の方が好きなのだから仕方がない。
そして樋口が直史と組まないと、組める人間は限られてくる。
「……あのさ、この無茶苦茶なサイン、使わないといけないのかな?」
慶応の竹中が、三人のキャッチャーの中の一人に選ばれている。
そして少しでも知っている方がマシだろうということで、竹中が直史と組むわけだ。
当然ながら、サインの煩雑さに絶望する。
そりゃ、こんだけサインが必要なピッチャー相手じゃ、勝てないわなと納得するしかない。
「いくつか封印しましょうか」
「……そうだな。角度とか変化量とか……」
よくもまあこんなサインを作って、しかもその通りに投げられるものだ。
ただ、そこは竹中も大学ナンバーワンキャッチャーの座を樋口と争うだけのことはある。
直史のボールに大概は、二球目からは確実にキャッチしてくる。
スルーだけはさすがに何度か後逸したが。
それでも少なくとも、ほぼ確実に前に落とすことは出来るようになった。
(この人もやっぱり凄いな)
直史は二年の春と夏、竹中が正捕手の大阪光陰と戦っているのだ。
そして春には負けたし、夏もなかなか大介が打てなかったのは、この人のリードがあったからだと思える。
少し練習の合間に、直史は尋ねてみる。
「竹中さんもプロには行かないんでしたよね」
「ああ、親父の会社を継がないといけないから」
地元では有名な、不動産屋と建築会社、そして木材加工などの業態を、いくつかの会社に分けている。
本物の巨大なグループ会社というわけではないが、それでも従業員は500人を超えるのだ。
これを継ぐために勉強して、慶応に入ったのは立派なものだと思う。
「それなのに、もったいないとか言われませんか?」
「言われるな」
ただ竹中の場合は、背負うものが直史とは違う。
直史の背負っている物は、過去である。
遡っていけば一番古い先祖は、万世一系に当たるという過去。
これが正しいかどうかは関係なく、田舎の名士の長男として、相応しい基準を求められる。
竹中の場合は、現在と未来だ。
従業員たちの生活と、その従業員たち、そしてその子供たちの未来。
そういう現実を、竹中は背負っているのだ。
「竹中さんは他に継ぐ人はいなかったんですか?」
「一応弟がいるけど、生まれた時からなんとなく、期待されてるものがあったからな。お前は?」
「そうですね。俺も最後には、田舎の墓に骨を埋めるつもりですし」
直史にも、未来はある。
それはつなげていくこと。
もうこの世にはいない人々であっても、その想いが紡いできたこの家を、自分の代で絶やすことなど考えられない。
武史は長男として育てられていない。
だから、武史には無理だろう。自分がやるしかない。
世の中はけっこう、そんな感じで回っているのだ。
基本的に早稲谷の選手は、直史とは逆のチームに入れられた。
実際のプロの日本代表と戦う時は、さすがに樋口を組ませる予定だ。
しかし直史が、樋口という外付け鬼畜仕様書なしで、どんなピッチングを見せるのかには興味があった。
打撃に期待されているキャッチャーとしては、駒乃沢大学から立花が入っている。
ただ立花では無理だろうなとは、辺見も考えている。
紅組は先発が、東北環境大の延沢。
神宮大会で戦ってから、どれだけ成長したのか。
だが直史には関係のないことである。
三者凡退であろうが、得点が入ろうが、関係ない。
少なくとも一本ヒットを打たれるまでは、交代はないと言われている。
対する紅組としては、とにかく直史の弱点を攻めるしかない。
そんなものがあればだが。
「そんな都合のいいものないですよ」
樋口は判決を言い渡した。
別に同じリーグの選手がいるから、もったいつけているわけではない。
事実樋口が打席に入って直史と対決しても、10打席に一つぐらいは、ヒット性の当たりが打てるかというところである。
同じ質問は弟である武史にもされたが、技術的、能力的な点では弱点はない。
「あれで意外と負けず嫌いなところかなあ」
だがその負けず嫌いな部分を、チームの勝利へと結びつけるのだから、下手にバッター相手への勝負には拘らない。
もっとも世間では強打者と思われている選手でも、特に危険とは思わないのが、直史のピッチングである。
ただ、樋口には一つだけ、弱点とまではいかないが、気になっていることがある。
直史は基本的に、その試合になんらかの課題をもって投げることが多い。
ストレートを活かすための組み立てだとか、変化球主体の組み立てだとか。
もちろんそれを途中で変更してしまうこともあるのだが、竹中と本格的に組むのは初めてだ。
日米野球の時も、樋口と組んでいたので。
その日のテーマを決めてピッチングを考える。
球種の多いピッチャーなどは、日によって変化球に違いが出るため、主体で使うボールを変えたりする。
そこを判断していけば、少しは勝率が出てくるだろう。
先攻の紅組に対して、直史はまずスプリットを投げてきた。
新型ではなく、真っ直ぐに落ちるタイプのやつだ。
それからカーブを使って、最後にはツーシームで内野ゴロ。
まるでその日の調子を確かめているように見えるが、実際にその通りなのが笑えない。
カーブの後にスプリット。
そしてストレートで三振を取る。
三番バッターは立政に進んだ初柴。
高校時代の直史とは、既に異次元の存在だとは分かっていた。
だが明らかに、球速が上がっている。
ストレートをアウトローいっぱいに入れられたが、おそらく150km近くは出ている。
そして次に投げたのがチェンジアップ。
落ちた球に、初柴はついていけない。だがこれはボール球になった。
そこからはストレートを二球続けられて、空振り三振。
「おい、なんだかストレートが二種類ないか?」
「ファーストギアとセカンドギアと、俺たちは呼んでますね。八分の力で伸ばしてくるのと、10割で伸ばすタイプがあります」
なんだそれは、かっこいいではないか。
「なお他のストレートと比較するとチェンジアップになる、ニュートラルというのもあります」
「スピンなのか?」
「あとはリリースポイントの、微妙な変化なんですけどね」
日米野球の時は、基本的に樋口と組むだけだったので、ここまで詳しいことは知らなかった。
だが説明されればされるほど、頼もしさよりは絶望感が漂う。
狙い球が絞れない。
なのでおそらく今日も直史が持っている、テーマ性に期待したいのだが。
一回の裏は白組も三者凡退に終わった。
さすがは延沢も、プロから注目されているピッチャーなだけはある。
そして紅組の四番は、直史のチームメイトである西郷だ。
この調子なら、六大学のリーグ戦ホームラン記録を塗り替えるのではないかと言われている西郷。
それに対しても直史は、ボール球から入ったりはしない。
まず初球はスピードのあるタイプのカーブから入ってきた。
ゾーンの中を角度をつけて横切っていくボールに、西郷は手を出さない。
二球目はスプリットで、空振り。
ゾーンからゾーンへ落ちていくが、しかし空振りは取れるだけの落差がある。
沈む球を二球続けたのだから、今度はストレートが来るか。
そう思っていたところにシンカーを投げられて、内野ゴロにしとめられる。
五番の立花に対しても、似たようなものだ。
ストレートを、使うような場面で使わない。
だからといって変化球に絞っても、必ず打てるというものだはないのだが。
敵となってみれば、そして味方にしていても、恐ろしいピッチャーだ。
特に東京六大学出身の選手は、明らかに秋よりもパワーアップしていると感じる。
「まあ大学に入ってからは、このオフシーズンが一番仕上げてきてたからなあ」
樋口が言う通り、直史は一年目のオフは、ここまで研ぎ澄ませてはこなかった。
辺見は後悔している。
直史のお願いなど、聞くべきではなかったのだ。
今からでも他のピッチャーを使いたいぐらいだが、おそらくもう手遅れだ。
いつも慣れている早稲谷と六大の人間以外のバッターは、心が折れてしまっている。
「相変わらずえげつないな」
帝都から来ている堀は、元大阪光陰で、ワールドカップでもチームメイトだった。
球数制限のされていたあの大会で、直史は圧巻のピッチングを見せ付けた。
今日も変わらない。いや、あの時よりも確実に進化しているし、秋のリーグ戦と比べても成長している。
直史はその言葉に対しても、首を傾げるだけである。
「当たり前のことを、当たり前にしてるだけですけど?」
「お前はそういうやつだよな」
そして堀はバッターボックスに入り、しっかりとヒットを打ってくれる。
直史の好投は続く。
いや、これを好投の言葉で表現してもいいのだろうか。
ランナーを一人も出さないこの試合。神ってるとでも言うしかないのか。
紅組はピッチャーを代えている。
だが白組は代わらない。
あくまれも練習試合の紅白戦であるが、純粋に辺見は、直史が打たれるところを見てみたい。
もちろん今までもちゃんとヒットは打たれているのだが、それとは少し意味合いが違う。
辺見の目から見ても、直史の今日の精度は異常だ。
それも相棒のキャッチャーは、慣れている樋口とは違うのだ。
竹中はあの黄金世代、大阪光陰の正捕手であったが、ワールドカップには出場していない。
なので直史とも、日米野球で軽く練習で組んだだけなのだが。
当然のように、三者凡退が続く。
辺見は溜め息をつく。
幸せが逃げていくと言われるかもしれないが、マウンド上に立つ直史を見ていると、何か見てはいけない深淵を覗き込んでいる気分になる。
そしてそれは竹中も同じだ。
直史は、ピッチャーではない。
その性格や思考は、むしろキャッチャーのものだ。
たとえば大阪光陰時代にリードしたピッチャーだけに限っても、ピッチャーというのは守備の役割であるのに、攻撃的な人間が多いのだ。
加藤や福島や真田に豊田など、程度は違うが誰もが攻撃的な選手である。
直史にはそれがない。
ロジックで組み立てられたその性格。
だからこそバッターは、簡単にタイミングを外される。
ピッチャー的な意地を張ることがない。
というか、意地を張らなくても普通に打ち取れるのだ。
直史に関しては新聞や雑誌、あるいはネットなどでも、様々な言われ方をしている。
先発で出てくると、既にそれだけでオワタの雰囲気になる。
リリーフで出てきた時には、大魔王降臨などと言われたリもする。
これだけの実績を残しているが、旧来の野球界的には問題児として思われる。
竹中が知る限りでは、とにかく自分のペースでしか、練習をしないのだという。
実際にこの集まりや日米野球の練習でも、監督の指示にはあまり従わない。
ノックを受けることなどは熱心だが、走りこみは自分のペースでしかしないし、ストレッチや柔軟には長い時間をかける。
その結果が、これか。
紅組のピッチャーも、継投してしっかりと投げてきていた。
いくらなんでも直史に投げさせすぎじゃないかと考えていた竹中なのだが、よく思い出してみれば球数が圧倒的に少ない。
スコアを見てみれば、八回が終わったところで74球。
もし全員を三球三振に取っていたとしたら、72球となる計算だ。
だがこのピッチングでは、打ち取るためのピッチングと、三振を取るためのピッチングを、バランスよくこなしている。
本日の直史のテーマは、竹中に直史のピッチングに慣れてもらうこと。
万一樋口が怪我でもしたら、捕ってもらうしかないからだ。
だから全ての球種と、コンビネーションを試してみた。
ついでにパーフェクトまでしてしまうところが、ピッチャー的だとかろうじて言えるのかもしれない。
この練習試合に、マスコミは入っているが、カメラを回してはいない。
それでも直史のピッチングの部分だけは、撮影している者はいたが。
それでもテレビや定点カメラのような、満足のいく撮影ではなかった。
厳密には関係者とは言えないかもしれないが、見学に来ているプロの球団スカウトもいる。
ドラフトで獲得すべき選手が、どの程度のものなのかを見る機会は、多ければ多いほどいい。
そしてそのスカウトのほとんどは、顎が外れるほど驚いていた。
不甲斐ない打線であったとは思わない。
大学のリーグ戦では、いい成績を残している選手も多い。
ただそれでも、これはないだろうと言わざるをえない。
「151kmか……」
「球速は関係ないやろ。三振19個やで?」
「それでまあ、当然のようにフォアボールはなしと」
こいつは本当にプロに来ないのか?
今はさすがに禁止されているが、かつての逆指名時代などは、大卒の有力選手を取るためには、契約金の二倍や三倍の金が動くことは珍しくなかった。
もしもあれがまだ存在していたとしたら。
はたまたプロ志望届がなく、強行指名が許されていたなら。
球団はスカウトのみならず、フロントが総出で直史の獲得に動いていただろう。
どうやったらこれを取れる?
何をしてでも、これを取りたい。いや、NPB全体として、取るべきだ。
甲子園、ワールドカップ、大学野球、日米野球と、全てのステージで結果を残してきた。
中学時代までは全くの無名だったというのだから、世間は驚きに満ち溢れている。
紅白戦は終わった。
スコアは2-0で白組の勝利。
白組は九回の裏の攻撃もいらなかった。
普段は同じチームである西郷でさえ、直史は打てなかった。
この大学選抜のレベルを考えると、それほどプロの若手中心とは変わらないのではないかとも思える。
WBC前の壮行試合で、こんなやつを出してしまってもいいのだろうか。
辺見は溜め息をつく。
珍しくも直史側からの志願であったが、なんとか拒否するべきであったろうか。
これだけ相手のバッターに絶望感を覚えさせるピッチャーなど、元プロの辺見でさえ知らない。
今年のWBC、もしも日本チームのバッターが調子を崩したりしていたら、それは直史のせいであろう。
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