第187話 お天気次第
直史は忙しいので、たとえ第三戦があったとしても参加することは出来ない。
月曜日は普通に学校があるのである。
大学は学問をするところなのに、それよりも優先して球遊びをするというのは、随分と恵まれているのだが、と内心もうちょっと自分もその球遊びをしたい直史である。
実際のところ慶応は初回の三点以外に、失点をすることがなかった。
武史が中一日で、しかも12回を完投したので、さすがに辺見は武史を先発では使わないだろうと思っていた。
もし何か言われたら指先でも切って降板しろとも。
別に直史としては、武史がどんな道を選ぼうと人倫にもとらない限りは応援する立場だが、愚かな指揮官に壊されるのは許容しない。
そのあたりのことを樋口にも言っておいたのだが、月曜日の第三戦は、慶応の策がことごとくハマらなかったらしい。
淳を先発させて、六回までを無失点。
その間に早稲谷は、樋口が頑張ることもなく先制点と追加点。
そして七回からは村上がリリーフして、淳のアンダースローとの球速差を上手く活用。
これによって無失点継投によって、第三戦を勝利したのだとか。
何か知らされてもどうにも出来ない直史は、完全に連絡を切っておいた。
月曜日であるが早慶戦なので、随分と応援や観客は多かったらしい。
ただ慶応のチームが機能不全を起こしていたのは不思議なところであった。
理由は後から知らされた。
「村田がいなかったんだ」
樋口としては試合中にも気になっていたが、試合後に向こうの桂に聞いたらしい。
なるほどな、と全てそれだけで納得した。
頭のいい人間というのは、普通の人間がどうしても分かる失敗をしてしまうことに、ストレスを感じるらしい。
そのストレスのあまり、人を殺してしまったのが、双子の妹である。
村田も本来なら、野球などもうやっている暇はないのだ。
「いや、村田は普通に授業があるから、月曜日は休めなかったんだけどな」
違ったらしい。
とにかく村田がベンチにいないことにより、作戦の微修正が出来なかった。
それが慶応の敗因の最大のものであろう。
まあよほどの作戦家と言っても、野球のような状況による取捨選択の多いスポーツは、最適解を求めるのは難しい、
村田がもしも全ての状況を想定していても、どの選択をすればいいのか分からなかっただろう。
そこが現場にいた樋口との差である。
ともあれこれで、春のリーグ戦は終了した。
そしてリーグ優勝した早稲谷は、全日本に出場するわけだ。
「けれどお前は無理なんだよな?」
「分からないけど最初から数には入れておかない方がいいな」
こんな会話をしている間も、ずっと勉強をしている直史である。
いまだに勘違いして文句を言う人間が、部の内外にいる。
直史は野球推薦ではないし、野球特待生でもない。
返済不要の奨学金を利用している、一般入学なのだ。もちろん忖度はあっただろうが。
なので公式戦以外への参加は、実は練習に参加する義務すらない。
ただ奨学金の理由がスポーツ振興のための努力となっているため、結果を出すためには練習にも参加する必要があっただけで。
WBCのおかげで、金銭的にはもう余裕がある。
ここから半年分の奨学金を切られても、あと一年とその後の大学院分は、充分に貯金してあるのだ。
ただ奨学金を切ってしまうと、もう大学側は直史を完全に使えない。
直史としても、四年の秋、週末であれば多少の気分転換は出来るだろうという考えだ。
野球に絶対的な価値観など持っておらず、プロ野球選手が夢でもなかった樋口には、直史に共感出来る。
だがそのピッチャーとしての非凡な資質は、間違いのないものだ。
本人は才能などさほどもないとは言うが、黙々とコントロールの調整が出来るその精神構造が、育まれた過程もあるとはいえ才能ではあろう。
しかし樋口は直史の選択を尊重する。
そもそもこんなピッチャーが相手チームにいたらたまらない、
同じチームに入ってくるならともかく、その確率は12分の1。
ならば最初から入ってきて欲しくない。
プロ志望を決めた樋口が第一志望にするのは、神奈川グローリースターズである。
上杉がいるからというのもあるが、スターズは若返りtがそこそこ上手くいっており、何よりレジェンドクラスのキャッチャーである尾田が、もう数年で引退するだろうと言われている。
一年もプロで鍛えたら、充分に適応できるだろうと、全く希望的な観測では判断しない樋口が思っている。
最悪コンバートしても、内野をかなり守れる樋口だ。
あとはまあ、レックス入りを表明している武史のことを考えると、レックスに入るのも悪くはない。
武史は精神構造が本来、野球向きではないのだ。
それをコントロールするキャッチャーなりコーチなりが必要だろう。
レックスのキャッチャー丸川は、打てるキャッチャーではあるが、明らかにピッチャーのコントロールには長けていない。
むしろ代打なりで使った方が、いい結果を残せるだろう。
あと他にもキャッチャーが足りていないチームは多い。
今年はタイタンズが壮絶な正捕手争いをしているが、あの中でも別に結果は残せるだろうなとは思う。
つまり関東ならだいたいどこでもいい。
直史をピッチャーで使うとしたら、日曜日の決勝戦であろう。
それ以外にはそもそも予定が空かない。いや、一日ぐらいは休んでもいいのだろうが。
武史を軸に、他の投手陣を上手く継投して、相手を封じていかなければいけない。
その中で樋口などは、星に期待している。
少なくとも二番手以下で、一番安定しているのは間違いない。
もっともさすがに無失点で完投出来るようなピッチャーではないので、ベンチからの采配はかなり必要になるだろう。
完投能力が高いのは武史で、スタミナもかなりあるし、回復も早い。
四回勝てばいいわけで、直史が使えるのは日曜日か、あるいは土曜日か。
二年連続で、早稲谷は全日本を制している。これは大学史上初めてのことだ。
そして三年連続で優勝したチームは、六大学の代表だけではなく、全てを通じても一つもない。
二連覇ならば、六大学の代表も含め、数度はあるのだが。
予備日が一日あるが、武史を二試合投げさせるなら、初戦と決勝に投げさせても中三日。
これが直史であれば、球数を少なくして余裕のピッチングが出来るだろう。
武史も球数はそうそう多くなるピッチャーではないが、それでも直史ほどではない。
ただ直史の場合は肉体のスタミナより、集中力が重要になってくるが。
直史が試合に出られる日は、日曜日だけ。
これがもし雨で順延にでもなると、もっと困ったことになる。
平日に直史に投げてもらうのは無理だ。
降水確率はやや高く、神宮球場で行われる試合は延期になってもおかしくない。
天候次第では、ピッチャーの運用を変えなければいけないかもしれない。
それがめんどくさいと考える樋口である。
現時点での直史の予定である。
日曜日は特に予定はないが、何もなければ勉強をする。
土曜日は予定はあるが、延期なり一回休みでも問題はない。
そして天候は、決勝戦には雨が降る可能性が高い。
これらを総合的に判断すると、直史を使う日は限られてくる。
「土曜日だな」
辺見はそう判断し、樋口も頷く。
ただ考慮しておかなければいけないこともある。
「あいつはもうクローザーは出来ない状態ですよ」
高校から大学にかけて、直史は一度もリリーフに失敗したことはない。
ワールドカップや、なんだかんだ言って先発ではさほど投げなかった甲子園も含め、重要な試合だけ先発で投げる。
そして大学に入ってからは、他のピッチャーを試す時に、クローザーで入ることが多かった。
しかし今の直史は、調整力が落ちている。
そして修正にはある程度の時間がかかる。
先発で投げたら、長いピッチングの中で、徐々に肉体のコンディションを整えていく。
純粋に成績だけを見れば、直史の能力が最高に高まっていたのは、二年の春から三年の秋までと分かる。
それは同時に、早稲谷の栄光の時代である。
一人のピッチャーが、ここまで支配的であった時代は他にはない。
監督の起用方法が間違わなければ、さらに栄光は偉大なものとなったであろう。
大学野球が続く限り、これは消えることのない記録。
不敗神話が、完成するのか。
リーグ戦後にすぐに開催される全日本であるが、それに向けて練習する選手の中に、直史の姿はない。
ただ、それに対して悪感情を抱く者はもういない。
実績が、全てを覆い尽くす。
たった一人のピッチャーの、これほどの存在感。
辺見にしろ、また本来は同志であった近藤にしろ、直史の存在は大きすぎると思えるものになった。
チームが勝つので、バッターにも機会が多く与えられる。
だが一点あれば大丈夫という、おかしな意識まで出てきている。
そこは辺見の調整で、直史や武史ほどではない、普通のすばらしい投手が使われる。
直史の現役時代だけを考えるならばともかく、その引退後を考えるのであれば、おそらくは長期的に見て、失敗したように見えるこの投手起用は間違っていない。
上位打線にはことごとく、プロ球団からの調査書が届いている。
何度も言われているのに、直史にも送られてきている、
直史はもちろん、それに返答しない。
どうせプロ志望届も出さないのだから、ここで返信する意味もないのだ。
次に多いのは、やはりここにきて存在感を増してきた樋口であろう。
打てるキャッチャーというのは、やはり貴重だ。
それに高校時代と大学時代、多くのとんでもないピッチャーの球を受けている。
高校と大学だけではなく、ワールドカップの日本代表と、日米大学野球の日本代表、そしてWBCの日本代表。
WBCは直史のオプションのような存在であったかもしれないが、それでもキャッチャーをやるからには、他のピッチャーの球も受けておかなければいけない。
当然ながら上杉の、170kmオーバーも受けているわけだ。
変化球を自由自在にキャッチして、アンダースローもサウスポーも上手くリードして、肩も強くバッティングで勝負強い。
樋口としては単純に少し本気を出しただけなのだが、三年目からこちら、彼の評価は上昇を続けている。
大学野球で様々なピッチャーを受けて、その対応力は知られている。
キャッチャーの一位指名は、それなりに珍しいのだが、樋口ならばありうるだろう。
外れ一位とは言え、去年の竹中よりも、さらにスペックは上なのだから。
六月。夏の前。
全日本大学野球選手権が開幕する。
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