第57話 閑話 ドラフトの裏で

「え? 正気ですか?」

 歯に衣着せぬ大田鉄也の物言いに、さすがに室内の空気が凍る。

「正気とは、どういうことかね」

 スカウト部長の言葉にも圧力があり、鉄也もさすがに言いすぎたことに気付く。

 だが、それだけ彼の中ではありえないことだったのだ。

「いえ、それでは勝機を失うと思いまして……」

 苦しい言い訳である。


 大京レックスの今年のドラフトの目的は、打撃力強化である。

 二年前の吉村は今年も小さい故障で短期間の離脱はあったが、ほぼローテを守って勝ち星を増やしたし、一年目はまだ使えないだろうと思われて金原と豊田が、共に五勝以上を上げた。

 高卒投手の二年連続の当たり年と言ってもいいだろうが、吉村はともかく、去年の大卒一位のピッチャーは、まだ二軍でうだうだとしている。

 猛烈にプッシュしたのは鉄也ではない。


 豊田は千葉のシニア時代から目をつけていて、そして金原は東京での治療において鉄也が手を貸し、それによって選んだピッチャーだ。

 吉村はともかく豊田と金原は、完全に鉄也の手柄である。特に金原を獲得した手段は、美しいほどに汚かった。

 関東地区の第二スカウトという役割を果たしている彼は、もちろん東北方面も見ながら、関東にも目をやっている。

 そして一位指名候補として選ばれようとしているのが、大卒野手である。


 鉄也は一軍はもちろん二軍にも目をやって、どの選手がどれだけ伸びそうかを判別している。

 そう考えると今年も、ピッチャーがいる。

 吉村は今年もまた細かい故障があったので、本当ならもっと休ませたかった。高卒左腕を即戦力などとして使ってほしくなかった。

 金原にしてもまだ、体の方を鍛えて、肘の状態を一年は調整して欲しかった。

 吉村は肘痛でローテを二回飛ばしただけだが、金原はそれなりに大きな炎症で、終盤からはまた二軍に落ちてきた。

 まだ使うなと、鉄也はあれだけ言っていたのに。


 選手を見る目があっても、その選手をプレゼンでアピールできなければ、スカウトの仕事としては失格である。

 また思い通りの選手を取ってこれても、コーチが無能で壊してしまうということはある。

 鉄也に言わせると二年前のドラフトは、高卒選手において言えば、ワールドカップの優勝で評価にブーストがかかっていた。

 ワールドカップ組から高卒即戦力で伸び代も多いなどという選手をばんばん一位指名したわけだが、実際にはどうであったか。


 玉縄、福島、吉村、織田はまあ新人賞レベルの活躍であったと言っていい。

 それに当時のレックスは先発の左腕がどうしてもいなかったので、一年ごとの契約である外国人ではなく、日本国内から探したのだ。

 しかし大学でも社会人でもおらず、吉村を指名したわけだ。ここまでは確かにいい。

 だが鉄也としてはあの時、大卒から野手を取っておけばと思っている。

 吉村を取ったあの年、確かにレックスは最下位から四位に上がった。

 だが今年は五位に落ちている。まあライガースが一人勝ちで戦力を上げたからだが。

 どうせ落ちるなら、もっと先を見据えた指名をするべきだった。

 

 それに吉村も金原も、一年はまだ二軍中心で使った方がいい選手なのだ。

 両者共に一度は故障しているので、下手に投げさせ続けて故障を繰り返すと、完治しないままに投げ続けて、無意識に庇った投げ方になるかもしれない。

 そしてそんな投げ方からでは、他の部分にも故障の可能性が出てくる。自分のように。

 選手寿命の短い選手が揃うと、スカウトの手間が大変になる。

 あとは編成の方で、外国人を取るかどうか。


 だがそれは別の話であり、今年の指名についてが問題なのだ。

 打力重視で取ると言っているが、それにも限度があるだろう。

 関西の大学リーグのこの選手よりも、まずはもっと先を見ないといけない。

「五年以内に優勝目指すなら、真田を取らないといけないでしょう」

「真田に上杉や白石のような価値があると?」

「ないですよ。ただ重要なのは、白石を抑えられる数少ないピッチャーだということです」

 それは、確かにそうなのだ。




 21世紀最大の核弾頭と言われた上杉は、万年Bクラスのチームをルーキーの年に優勝させた。

 あれには他にもからくりがあるのだが、それに続いて大介が爆発した。

 老いさらばえたライガースの投打が、一気に若返っていった。


 今季、大介を抑えたと確実に言えるピッチャーは、一人もいなかった。

 上杉でさえ、単純にレギュラーシーズンの数字を見た場合、抑えたとは言い切れない。むしろ打たれている方である。

 ただクライマックスシリーズでは見事であった。上杉の完勝と言っていい。


 高校時代の対戦成績を見ると、場外ホームランを打たれたとはいえ、真田は大介を抑えているのだ。

 あのホームランの印象ばかりが強いが、対戦成績を見れば、真田は大介の天敵と言うか、大介以外にも数々のプロ注を撃破してきたのだ。

 特に左打者では、今年の目玉のアレクをも、ほとんどの打席で封じている。

 ピッチャーとして優れていることも間違いないが、それ以上に左殺しであるのだ。


 その真田を取らない。

 確かに大阪の真田は、鉄也のプレゼンする選手ではない。

 しかし真田を選ばずに、野手を選ぶというのはどうなのか。

 一位指名に押されている選手は、関西の大学リーグでは活躍しているし、求められている長打力は持っている。

 それに真田には他の球団も群がりそうというのは確かなのだ。




 編成会議を終えて、鉄也は待ち合わせの場所に向かう。

 路地裏に一歩入ったところの、ビルの一回に入ったテナントは、木材の古さがニスで輝く喫茶店。

 雰囲気は素晴らしくいいのだが、メニューがクソのように高いため、普段の鉄也が利用する店ではない。

 ただし彼女は常連だ。


 チャイムの音がしても、こちらを見ようともしないマスターが軽く会釈する。

 鉄也は待ち合わせていたセイバーと早乙女のテーブルに対面して座った。

 持っていたファイルの中から、数枚の紙だけをテーブルの上に広げる。

「あまり上手くいかなかった」

 セイバーはそれに対しても、軽く頷くだけであった。


 今年のレックスのドラフト指名の最終順位と、他球団の指名予想である。

 他球団については、在京球団と東日本以外には、近畿までが限界か。

 金原の時のように上手くはいかない。

「真田君を取れませんでしたか」

「まあどのみち競合になっただろうけどな」

 レックスを強くするためには、正確にはチームで優勝を狙うためには、真田は必要なピースの一つであった。

 ただ競合になると、どうせ取れるかどうかは運になる。


 下位指名には鉄也が探してきた、他の球団ではもっと下になるであろう選手と、育成で無名の選手をピックアップしてある。

「なかなかのお仕事っぷりですね」

「即戦力も将来性のある選手も両方欲しいって、ふざけた話だ」

「伸び代がある即戦力級を取れればいいんですけどね」

 そんなのは数年に一人しかいない。もっとも実際に取ってみれば、初年度から活躍した選手というのはいるのだが。


 鉄也が取ろうとする選手はだいたい、即戦力で一年目から働けるのに低く取れそうな選手か、三年を目途に主力を務められる選手だ。

 だが編成とと現場の意見が違うと、育成方法が間違って行われたりする。

「佐竹君が五位ですか。かなりお買い得ですねえ」

「夏の水戸学舎は結局、準々決勝で負けたからな」

 やはり甲子園に出ていないと、高卒選手の評価は落ちやすい。

 ただ素質的に見ると、上位二位ぐらいでもおかしくないと思うのだ。


 他に鉄也が回ったのは、クラブチームが多かった。

 社会人野球が縮小している中、クラブチームは増加の傾向にある。

 そして変化の途上にある高校や大学のチーム環境から外れた人間は、野球を続けるとなるとクラブチームという選択肢が出てくる。

 セイバーが接触を多くし、そして色々と考えているのがクラブチームと独立リーグだ。

 まだまだ認知されていないクラブチームは、とにかく高校や大学のチームからドロップアウトした、本気で野球をやる人間だけが揃っている。

 なおその将来において野球を利用してどうこうではなく、単純に好きだからやっている者もいる。


 日本の野球は特に、高校と大学において、才能をスポイルしてしまう環境が整っている。

 厳しい環境で育つ選手ばかりが増え、温室栽培でないと育たない選手を、そもそも育てようとしない。

 そんなやつはメンタル的に、どうせ上では通用しないなどと言って。

 だがそういった指導者は勘違いしている。

 野球の練習のきつさに耐えられる人間でも、野球に関係のない理不尽さには耐えられえないという者はいるのだ。

 好きなもののためにはいくらでも我慢出来るが、そうでないものにまでどうして耐えなければいけないのか。

 あくまでも合理的な判断だ。




 鉄也はその、合理的でない環境でプレイし、そして選手生命を失った。

 だからこそ成功体験でしか指導の出来ない人間を、蛇蝎の如く嫌っている。

 日本のプロ球団でも、外国人監督が増えるなどして、上の方からは変化していっている。

 だが安易な猛練習などはいまだに多い。


 セイバーは、経済の達人である。

 単に金を動かすだけなら、いくらでもその才能を活かすことが出来る。

 単純に投資と相場だけでも、世界に与える影響は大きい。

 ただし彼女は、ただ金の数字を動かすだけの虚しさも知っている。


 セイバーは実はレックスの鉄也以外にも、スカウトやそれ以上の地位にいる人間に、接触を行っている。

 この日本の野球界を使って、世界を変えるために。

 その気になれば相場を使って戦争を起こすことさえ出来る女は、健全で平和なスポーツの世界を遊び場に決めた。

 金持ちの大人の本気の遊びというのは、それはもうとんでもないものである。

 しかもそれで利益を出そうというのだから性質が悪い。


 それにしても、とセイバーは考える。

「スター選手一人の登場で、大きく変わるものなんですねえ」

「いや、上杉と白石みたいな例は、そうそうないけどな」

 あれぐらい周囲に影響を与える選手など、プロ野球の歴史を見てもそうはいないだろう。

 間違いなく、歴史に残るのではなく、歴史を作っていくプレイヤーだ。

「けれどそうなると、パの方とのバランスが悪いですね」

「パでは北海道にしか食い込めてないんだったか?」

「ええ。東北や福岡に加えて、神戸も埼玉も厳しくて」

「千葉は?」

「あそこのチームとは、ちょっと間接的に遺恨がありました」

 セイバーは気にしないのだが、向こうはそんなわけにもいかないだろう。


 ともあれ、これであとはドラフトの当日を待つだけ。

 セイバーは表に出せない、分厚い封筒を渡す。

「何か必要なものがあれば、また連絡を」

「レックスとしては助っ人がほしいんだがな」

「う~ん、貴方がもうちょっと出世してからの方がいいのでは?」

「出世よりも選手に近いところにいたいんだよ。せいぜいスカウト部長までかな」


 鉄也は球団職員であり、サラリーマンである。

 だがスカウトという職業はその特性上、普通のサラリーマンのような決まった勤務体系はない。

「最近のレックスは、外国人に外れが多いですからねえ」

「俺の手が届かない範囲だしな」

 とにかくチームを強くするのに、育成能力が足りていない。


 育成か、とセイバーは考える。

「埼玉の方の施設は、利用している人は?」

「いないな。今年からはぼちぼち出るように、俺も伝えていくが」

 セイバーの作ったスポーツ用のトレーニング施設は、野球の技術と言うよりは、肉体のポテンシャルをアップさせるためのものだ。

 もちろんその成立の過程から、野球に必要な部分が多くなっているが。


 まあ、それはまた、ドラフトが終わってからの話にすればいい。

「今年はもう会うことはないかもしれませんね」

「日本を離れるのか?」

「ええ、家族でハワイにでも行こうかと」

「なるほどね」

「それじゃあ、よいお年を」




 去っていった二人を見送り、分厚い封筒を無造作に鞄に突っ込む鉄也である。

 彼がこれから動くのは、ドラフト指名から契約に至るまでの仕事だ。

 あとは新入団の選手たちのフォローをしていく。

 忙しい日々が待っている。


 だがあの女は、バカンスの間にも、さぞ恐ろしいことを動かしていくのだろう。

 野球界再編の前兆の中で、鉄也も己の未来を考えるのであった。

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