第56話 閑話 チェック
直史は常にコントロールという言葉を使うが、その次ぐらいに使うのはバランスという言葉である。
何のバランスかというと、バランスとアンバランスの度合いと答える。
肉体は完全に、バランスよく使わなければいけない。
配球から考えつくリードは、アンバランスである。
ストレートは標準的なものであるほど、より打ちやすい。
バランスのおかしなストレートを投げることが、野球においてはよいストレートである。
12月に入るが大学は高校と違って、対外試合禁止期間などはない。
しかしこんな時期に投げたら、どこかを壊す可能性はかなり高い。
それでもオープン戦の練習試合、直史の姿はマウンドの上にあった。
社会人野球チームとの試合であり、あちらは都市対抗にも出る強豪だ。
NPBからは声がかからなかったが、それでも社会人としてでも野球がしたいという者は、社会人野球に進む。
ただ、大卒で社会人に進むと二年間はプロからもドラフト指名が出来なくなるので、年齢的に見てもこれがほぼラストチャンスとなる。
もちろん中にはプロへの希望を捨てて、社会人チームの中で働きながら野球をするという、部活に似た環境で満足する者もいる。
直史の将来の選択肢の中には、社会人野球はない。
セイバーに紹介されたのは、千葉のクラブチームであった。
社会人野球は企業の方でも仕事をしているが、野球部としても手当てが出る。
残業の代わりに野球をして金を貰っているようなものなのかもしれないが、企業の広告塔としては、野球部は重要なものである。
ただし近年は景気の悪化により、企業チームではなくクラブチームが多くなっている。
企業チームとクラブチームの違いは、簡単に言うと企業チームは、その会社の社員で構成される。
クラブチームも企業の支援を受けていたりはするが、基本的には企業とは別個のものであり、企業の業績が傾けば社会人野球の野球部と同じく廃止されるか支援がなくなる。
だいたいにおいてクラブチームでも、独立採算式と支援式があり、独立採算式でも完全に無支援ではなかったりする。
そんな減少しつつある社会人野球のチームというのは、それだけ選手も厳選されている。
まあ減少前からいる選手などは、ごく自然と選手としては通用しなくなるが、一般社員になるか、外部に出るかを選択する。
昔はこのルートから、高校野球のコーチや監督などになる者も多かったらしい。
日本のドラフト制度において、社会人からプロに進む選手は、本当に即戦力として期待されている。
獲る方だけではなく獲られる方も、ただでさえプロとして活動出来る、ピークの期間は短いからだ。
それだけに早く結果を出し、年俸も上げなければいけない。
ただ大卒で社会人まで進んで結果を出す選手は、確かにそれだけの期待に応えられる場合が多い。
それに既に成長期は完全に終わっているため、体つきは確かに高校生などとは比較にならない。
直史は体重を増やしたが、それでもまだ野球選手としては痩せ気味だ。
特に150kmを投げるのであれば、まだまだ筋肉が足りないと言われるだろう。
だが直史は試合で確実に勝つためにピッチングをみがいているのであって、150kmなどというのは手段の一つであるのだ。
さて、今回の直史の登板は、珍しく本人志願である。
こんな時期に投げたいピッチャーはいない。高校の対外試合禁止期間は、そんな効果は狙っていなかったのかもしれないが、ピッチャーの寿命の延命に効果的かもしれない。
そんな時期に直史が投げるのは、適当な力で投げて、どれだけ抑えられるかの検証である。
悪夢のような日であった、と旭日生命野球部のその男性は語った。
甲子園での活躍はテレビでも見たし、大学野球というマイナーなカテゴリーにおいても、何かをやるたびにニュースになっている選手であった。
東京六大学というのは、彼にとっては大学野球の頂点であった。一つを除いて。
そこにおいて数々の記録を残し、春秋とベストナインに選ばれているのでから、大学レベルではなく、日本最高レベルに近いことは間違いない。
それと対戦するのは、わざわざ社会人にまでなって野球をして、その沼から出られない者にとっては、貴重な経験となるはずであったのだ。
しかし現実は想像を絶する。
変化球とストレートを交えてコーナーを突き、落差の大きなチェンジアップが、ストレートと全く区別がつかない。
くるくるくるくる、高校時代には大袈裟なほどにバッターを回すピッチャーだと思っていたが、実際に対戦してみれば同じことをしている。
そんな圧倒される試合でありながらも、まだ期待しているものがある。
魔球だ。
伸びるくせに落ちるという純正ライフル回転のボールを、まだ投げていない。
芸術的な奪三振は、六回まで投げて14個。
ピッチャーゴロとピッチャーフライが一つずつに、キャッチャーフライが二つ。
バッテリーとファースト以外、守備の必要がない。
まさかとは思うが、ここまで全て計算の上なのか。
もちろんそんなはずはない。
今日のキャッチャーは樋口ではないのだ。
ブルペンで直史の球を受けることが多い小柳川。
サインについてはまず小柳川が出し、それに対して直史は頷くか自分からサインを出し、また小柳川がサインを出して決まる。
基本的にワンバンするような変化球はあまり使わず、高めの打てそうな球を振らせる。
小柳川としては、球種とコースまでしか指定できないので、直史の配球では打たれるのではないかとも思う。
だが、同じカーブでも、ゆっくり大きく動いたり、速く小さく動いたりと、軌道は千差万別だ。
こんな組み立てをやっているのか、と樋口の頭脳に改めて驚かされる。
ただ、樋口としても、自分の能力を全力で開放できるのは、直史が初めてではないか。
ここまで自由自在にボールを操れる人間がいるなど、小柳川はいまだに信じられないのだ。
そしてコントロールの難しいスルーは、小柳川ではまだ捕れない。
直史のピッチングは、それが曲線を描く時、死神の鎌のようにさえ思える。
対戦する相手の、プロへの自信を切り裂く刃。
逆に言うとこれでもプロを目指せるのなら、そいつは単純に、実力以外の部分でプロに向いている。
キャッチャーの後逸でパーフェクトはなくなってしまったが、キャッチャーではなく直史の方が、手で「悪い」と謝っていた。
想定以上の変化をしてしまったからである。
直史にとってピッチングとは、キャッチャーに捕ってもらうものではない。
キャッチャーのミットの中へ、投げたボールを放り込むものだ。
小柳川はこの直史のピッチングが、まだまだ余裕を残していることが分かっている。
ただそれでも、バッターはこのピッチャーを打てないのか。
小柳川も高校時代には甲子園を経験したが、白富東とは対戦しなかった。
もっとも白富東は、直史以外にもドラフトにかかるレベルのピッチャーがいたため、案外試合を通じて直史が投げた例は少ない。
直史が打者一人一人に対して、何か課題を持って投げているのは分かる。
しかしその内容は分からない。
ランナーが出た時は、意識的に三振を狙ってきたのは分かった。
だがツーアウトからなら、普通にゴロも打たせる。
当事者となってみて初めて分かるが、直史は完全に省エネピッチングをしている。
ただ旭日生命の打者がそれなりに鍛えられているため、上手く打たせて取ることが難しいのだ。
直史の球速は、試合においてはMAXを出さない。
150kmぐらいならば打てるだろう社会人野球の強者が、ことごとく三振を奪われていく。
圧倒的という以外に、言葉はない。
4-0で完勝した早稲谷であるが、意外と点は取れなかった。
あちらのピッチャーもドラフト候補だ。年齢的に考えても、プロ入りを本格的に目指せるのは今年が最後だろう。
ただピッチング技術の極みを見て、まだ自分のピッチングに対して自信を保てているか。
そこまでは直史の知ったことではない。
ミーティングも終わり、今年はもう練習しかない。
「クリスマスが楽しみだ」
なんか普通の人間のようなことを直史が言っている。
「クリスマスねえ。まあ適当に女は確保したけど」
樋口はあっさりとまた、グルーピー的なところから、性欲処理の相手を見つけたらしい。
ただ、直史は思うのだ。
樋口は性欲が強いというのも確かなのかもしれないが、それを女で解消しようとするあたり、女性に対するコンプレックスのようなものを感じる。
言動も行動も、明らかに樋口は女性に対して支配的だ。
直史も独占欲は強い方だが、どうでもいい女とセックスしたいとは全く思わない。むしろ他の女にはいっさい興味がない。
女としてではなく人間としてなら、それなりに付き合いはあるのであるが。
冬休みは直史の周囲の人間は、大方が帰省するらしい。
元々地元の近藤たちなどは、普通に実家に戻るだけであるが。
樋口などはシーズンオフは、上杉たちとトレーニングをするそうな。
どうやら上杉も地方の名士らしく、盆と正月は忙しいようだ。
考えてみれば、色々とあった一年間であった。
しかし高校時代と比べると、大学時代は主体的に動いていた気がする。
高校という空間に縛られ、地元という縁に縛られていた高校生時代とは、明らかに時間の使い方が違う。
とりあえず、本日はクリスマスである。
豪華なディナーに高級ホテルなどというのは、瑞希が望まない。
自分でちょっとした料理を作って、そして日本で一番、セックスが多く致される時間帯に突入である。
高校時代と比べると、明らかに回数が増えた。
瑞希が防音のしっかりした部屋で、一人暮らしを始めたからである。
それとどうしても忙しかった高校時代と比べると、勉強、セックス、寝る、セックス、食事といったように、泊まっていればいくらでも時間を有効利用できる。
「高校時代に比べると、敏感になってるよな?」
そんなことを言うと顔を赤らめて、そんな様すら愛おしい。
処女をここまで開発し、好みの性癖をある程度与えて調教し、自分以外の男では満足しないようにしていく。
直史は、そういったところまで独占欲が強い。
そんな独占欲の強さを、最近は瑞希もかなり面白がっている様子さえある。
次の日の朝がゆっくり出来るなら、平日の夜でも泊まっていったりする。
直史の私物が瑞希の部屋に、徐々に溜まっていく。
お互いの生活が、混じり合っていくのだ。
直史は寮なので瑞希を泊めることは難しいし、基本的に男女で分かれている。
なので瑞希の部屋が、二人の愛の巣となるのである。
瑞希の体を散々に柔らかくした後で、直史はその敏感なままの体を撫でていく。
こういった知識も、瑞希は少しずつ知っていくので、直史の性欲における、変わった部分に気付いてくる。
確かに直史はサディストだ。
そういった器具で瑞希を拘束することを好むし、一方的に瑞希を快楽に溺れさせる。
しかし瑞希に、何かをさせるということが本当にない。
直史は、奉仕する王様である。
ひたすら恋人を快楽の中で絶頂に導き、それから自分の欲望を解放する。
瑞希が満足しても、彼が満足するまでは、瑞希に快楽を与え続ける。
自分も何かした方がいいのかと思ったこともある瑞希だが、それは直史に強く拒否された。
直史は瑞希を使って快楽を得ることはしても、瑞希が能動的に快楽を与えようとするのは好まない。むしろ嫌悪する。
自分は瑞希の体を一方的に開発するのに、瑞希には何もさせないのだ。それが少し不満でもある。
ただ、これは別に直史が異常なわけではない。
これも立派な性癖の一つであり、日常生活では奉仕されても問題ないが、性欲の中で奉仕されるのを、嫌いな人間はいるのである。
他人に奉仕しないと、自分の性欲を解消するのが難しいのだ。
幸いなことに瑞希も、どちらかというと受身のマゾ気質なので、この二人は上手くいっているのである。
まどろみの中で、二人は会話する。
「瑞希、もう結婚しようか……」
だいたいこういうことを言う時、直史は本気である。
「……税制上の優遇措置を考えると、働いていない私たちに結婚するメリットはないの……」
妙に冷静な瑞希の意見である。直史も分かっているのだ。
「予備試験から合格したとして、やっぱり司法修習があるしな……」
「でも直史君が先に司法修習になったら、結婚しても……だけど意味ないか」
この二人は今どき珍しいのかもしれないが、さっさと結婚してしまいたいカップルである。
ただ学生結婚というのも、将来的なことを考えると、あまりいいこととも思えない。
理想主義的なところがあったり、妙に頑固なところもあるが、最終的には現実的なところに帰結する二人である。
大学生にとって冬は、基本的に暇な季節である。
私立などは特に、受験生を色々な形で迎えることが多く、この長い休みをどう使うかが、将来の鍵となる。
野球部は正月明けから練習は開始だが、直史は自分のペースで調整するだけだ。
春のリーグ戦に向けて、肉体の機能を一段階引き上げたい。
瑞希はこれ以上直史が体力を増やすと、夜の営みが激しくなりすぎて、自分ではついていけないかもしれないと考える。
「私も何かスポーツしようかな……」
「じゃあ俺と一緒にプール行こう。俺の視界内にいてくれたら安心だし」
「う、プールかあ……」
瑞希は特別なコンプレックスとまでは言わないが、胸が平均より小さいのは悩みである。
ただ直史は完全に、胸が小さいほうが好みなのである。
そのあたりも、この二人は相性がいいと言えるのだろうが。
大学一年目の冬、間もなく年が変わるという日の夜であった。
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本日2.5に群雄伝12 大介対策 を投下しています。
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