第55話 新キャプテン

 秋のリーグ戦が終わったということは、四年生が引退するということである。

 当然ながら新キャプテンが選出されるということであるが、辺見はこれについて、変わったやり方をするようだ。

 最終的な決定権は監督である辺見にあるが、無記名による部員の投票を行うということである。

 名前は書かなくていいが、学年と、キャプテンになってほしい人物を書くそうだ。

 あくまで参考にするもので、心のままに書いてくれればいいとのことだが、これを引退する四年生にも書かせるのだ。


 確かに参考にする程度なのかもしれないが、これはかなり重要なことではないのか、と樋口は考える。

 直史はどちらかと言うと職人気質なところがある。

 自分の環境を整えて、その中で自分が最高のプレイをするこが重要であり、自分がチームを引っ張るとかいう意識は全くない。

 そんなことをしなくても、とりあえず直史に投げさせておけば負けないので、やはり影響力は大きいのだが。

 樋口にしても自分は、高校時代にキャプテンを正也に譲ったように、まとめるよりも考えることが専門の人間だと思っている。


 その樋口が、これは街頭アンケートに近いものだと判断する。

 それもその場ですぐに書かせるものではなく、一週間以内にクラブハウスに設置された投票箱に入れるというものだ。

「どう思う?」

 学食でカロリー補充をしていた樋口は、偶然に出会った星たちと話す。

 ガチ野球勢ではなく、野球部在籍をステータスとして使う者が多い。

「誰に投票するかってこと?」

「違う。この情報量を考えてみろ」

 樋口としては、誰がキャプテンになろうと、おそらく問題はないだろうと思っている。

 ただ近藤たちによると、清河、そしてその下っ端の芹沢が、また野球部の雰囲気を悪くすると思っているようだ。


 投票用紙に書き込む情報は、学年と投票する対象の名前だけ。

 これをもってどう思うかと訊かれても、困る一年生である。

 樋口は表面は冷然と保っているが、内面では「こいつらもう少し考えたらどうだ」と軽蔑している。

 樋口の欠点の一つは、頭がいいだけに、愚かな人間をナチュラルに見下すところだ。

「学年ごとの支持率は分かるんだけど……」

 ちゃんとした進学校出身の星は、この程度のことは分かっている。

「引退する人からも投票してもらうのが、よく分からない」

「上に対する顔と、下に対する顔の差を考えているのかもな」

 西は割りと、人のいい星に比べると辛辣な面がある。




 現在の早稲谷の三年は、簡単に言うと清河派と非清河派に分かれている。

 ただ非清河派であるだけで、反清河派というわけではない。

 清河はその調整能力によって、野球部員の支持はそれなりに得ていた。

 ただキャプテンという立場だとしたら、清河派以外の三年は、北村を選ぶのだ。

 この春まではそれなりにいた伏見派は、来年の正捕手であるはずの伏見が、樋口に完全にポジションを取られそうなので、勢力としては落ちている。

 ただ実直な人柄なので、北村以外なら伏見、という者は多い。

 何より北村は、美人の彼女がいるという、とてつもないマイナス点を持っている。これは許されるものではない。


 四年生から見ると、清河は先輩の意を汲み取ることが出来る、使えるやつという評価になる。

 ただある程度の見る目のある人間からすると、計算高すぎて胡散臭く思える。

 清河は自分と自分の勢力の利益を最大化しようとするが、それはフォアザチームではないと思うのだ。

 野球部全体ではなく、野球部内の自勢力の利益を優先する。

 それでも四年生全体としては、清河への支持が多い。

 ただそれは支持はしても、次代の早稲谷を率いていけるのかという、信頼感はない。

 後輩としてはそつなくこなす男であるが、自分が先頭に立って戦えるのか。

 四年生の意見は分かれることになる。


 二年生は、とにかく西郷である。

 もういっそのことこいつをキャプテンにしちゃえばいんじゃね、というほどの人格的な吸引力が西郷にはある。

 そして四番打者として、一年からホームランを量産。実力的にも間違いはない。

 西郷の意見が二年の意見として通ることは当然の帰結だ。

 ただ色々と細かい上下関係での融通を利かせてくれる、芹沢の仲間も少数はいる。


 一年生は完全に、非清河で統一されている。

 付属から上がってきた近藤を中心に、大半が反芹沢となっていて、その芹沢を手駒にしている清河も忌避しているのだ。

 そして直史と樋口の、一年生最強の実力者二人は、北村支持を表明しているわけではないが、明らかに北村と仲がいい。

「甲子園に連れていけなかったからな。神宮であの人が打つなら、絶対に抑えないといけないし」

 この程度のことは直史も言うので、北村支持にまとまるわけだ。




 誰が次のキャプテンとなるか。

 大学生活を快適にするために、直史も多少は考える。

 そして北村に提案したのは、樋口も頷く盤外戦術であった。


 北村の彼女の篠塚の縁から、女子大生との合コンをセッティングし、三年の中でも仲がいいものだけでなく、清河派かと見られていた者も誘ったのである。

 野球部の男というのは、頭の中に、野球と飯と女しかないため、これは強烈に有効な作戦であった。

 さらに評判が良かったため、今度は二年生たちも連れて行おうかとの発言が広まる。

 趨勢は決した。

「計算通り」

 むしろ退屈そうな顔で、げんなりと直史は言ったものである。


「佐藤君がこういうことするのは、ちょっと意外だったわね」

 篠塚は実家が瑞希の家と近く、中学の先輩と後輩に当たる。

 野球部の記録の執筆の上で、直史入学以前の野球部事情を聞くため、生徒会長であった篠塚とも、かなり面識があった。

 当時はまだ瑞希と付き合っていなかった直史であるが、その縁で篠塚ともかなり話はしていた。


 篠塚の直史に対する印象は、意外なことに「コツコツと続ける努力家」というものである。

 まあグラウンドを見に来るたびに、ブルペンでひたすら投げていた直史の姿を見れば、そうも思うのだろう。

「高校までと違って大学だと、組織がまるで社会に出る前の経験みたいになるんですよね」

 カップル同士で食事などをすると、直史は野球部内の事情をそう話すのだ。

「しんちゃん、本当にキャプテンなんてやっていいの?」

「まあ実務は清河と伏見にかなり任せることになるだろうな」

 そう、そうなのである。


 伏見は実直な人柄で、ブルペンでも投手陣の信頼が厚い。

 そして清河は、頼ればそれに応えられる能力と発想を持っている。

 今後の人生の中で、早稲谷の野球部のキャプテンを行ったという肩書きは、確かに大きく影響するだろう。

 だがここで、自分の印象を悪くさせてまで、狙うポジションではない。そういう打算が清河なら働くと思っている。




 投票は終わった。

 四年生は過半数が清河で、三年生以下はほとんどが北村。たまに清河と伏見。

 辺見たちが分かったのは、清河派すらも、多くが北村をキャプテンと選んだことである。

 ソツなく調整能力を発揮して、全体を掌握する清河か、人柄的には信頼させる北村か。どちらもそれなりだと思っていたのだ。

 しかし清河と仲のいい人間も、北村に多数投票したことが分かる。


 辺見としても、北村の方がいいのではないかとは思っていた。

 清河も確かに悪くはないのだが、肝心のところで馬力を発揮していくようなタイプではない。

 それに投票で、卒業する四年以外の意見が、ここまで合っているのもありがたかった。

 かくして辺見は遠慮なく、北村を次の代のキャプテンに選んだのである。




 卒業生と下級生による引退試合。

 これにはここまで試合に出られなかった四年生も、ある程度の出番がある。

 下級生側もある程度上級生に打たれるように、様々なピッチャーが出てくる。


 直史はもちろん投げない。

 さすがにここで凡退を続けさせるほど、辺見も鬼ではない。

 苦しかった三年間と、かなり楽になった一年間を思い出して、四年生たちは試合を楽しむ。

 おそらく大学入学以来、初めて純粋に野球を楽しめた試合であろう。

 ぽこぽこと打たれる下級生はご愛嬌である。


 直史はこの日、普通に瑞希とデートなどをしてから、試験勉強などをする。

 レポートを提出する授業などもあり、出席だけで取れる単位は、一般教養の部分である。

 また二人は法曹コースを最短五年で卒業するための手続きもしている。

 三年生までに四年分の単位を取っていることが条件だ。


 基本的に試験もレポートも、対策をしていれば問題はない。

 授業内試験という形で、期末に行われるものもあり、法学部は前年の試験問題などを見れば、傾向は変わっていないことが分かる。

 もっとも一年生の間は第二外国語などがあり、そちらはめんどくさい。

 それでも真面目に授業に出席しているか、ノートを取っていれば、問題のないレベルだ。専門性は高いが、大学受験の方がよほど難しい。

 そのノートも毎年変わらない内容で、何年も前の先輩のノートのコピーが、普通に出回っていたりする。


 こんな勉強でいいのか、と思う者もいるであろうが、こんな勉強しかしないからこそ、自分でする勉強が重要になるのである。

 与えられれた課題だけを解いていくのが得意な人間は、ここでつまづく者も多いらしい。

 直史と瑞希の場合は、目的がしっかりしているので、そこまでを緩まずに行うだけである。




 11月にもオープン戦という練習試合はあるし、遠征もある。

 だが直史は東京に残って、勉強とトレーニングである。

 遠征に連れて行ってもらえなかったメンバーと混じって、体の基礎的なところから鍛え直す。

 まずはパワーのアップも重要だが、それに加えてフォームに改造の余地がないかを考える。


 ネットで見てみると色々と教材は存在するのだが、これを取捨選択して行うのが大変である。

 しかし昔はこんな情報の発信手段もなく、無能な指導者が己の体験だけで指導していたのだ。

 今更ながら、恐ろしい時代だったのだな、と感じる直史である。

 ちなみに今でも恐ろしいままの環境は、いくらでも存在する。


 直史は自分の現在の体格から、投げられる球速の限界というのを測定してもらっている。

 身長の伸びが止まっているので、156kmが最高だという。

 骨格や筋肉の質までも含めて、それが直史というピッチャーの限界だ。

 充分に化け物レベルだと言われるだろうが、MLBにいけば普通の球速だ。


 だが実際は、それよりももっと手前に限界を置いておかなければいけない。

 限界というのは本当の限界であって、これを続けて投げていけば、簡単に体のどこかが壊れる。

 ちなみに今の直史のフォームからだと、壊れるのは肘だろうと言われている。

 それが壊れていないのは、全力を出していないからだ。


 テイクバックで肘から上に上げていくと、腕をしなるように使えて、ボールにも威力が伝わりやすいように感じる。

 それは間違ってはいないのであるが、現代の主流はもっと体全体を使ったテコの運動だ。

 当たり前のことだが、特定の部位だけに運動量が集まると、そこに負担が出来る。

 樋口が遠征でいないので、主に一年にもキャッチャーをしてもらう。

 また実戦での不安を払拭するため、バッティンピッチャーも務めている。


 今の段階でも、ストレートが140km台の半ばは平均して出るし、それよりも真骨頂なのは変化球である。

 やはり種々のカーブを投げ分ければ、カーブ一種類でもいくらでも空振りが取れる。

 最近の直史のお気に入りは、ツーシームとカットの投げ分けである。

 フライボール革命はムービングファストボールへの対策の一つとして生まれたのであるが、その時代にあえてムービングを鍛えてみる。

 このあたり直史が、ピッチングは趣味と言ってしまう理由であろう。




 フライボール革命でホームランと三振が多くなった結果、ピッチャーのピッチング内容も変わってきている。

 高めのストレートで空振りかポップフライを奪うことと、変化量の大きいブレーキングの変化球の復権である。

 この流れに適応して数字を重ねていくか、それともあえて自分の武器を磨いてスタイルを洗練させていくかは、ピッチャーの性質次第であろう。


 直史の場合は過程ではなく結果が問題であるので、当然前者を選択する。

 それなのにムービング系を使うのは、やはり球数を減らしたいからである。

 あくまでも仮定の話であるが、直史は自分がプロになったとしたら、やってみたいことがある。

 クオリティスタートを80球以内でずっと続け、中三日と中四日で疲れないように投げるのだ。


 さすがにプロ相手には、80球の完封など出来ないだろうと考える直史である。

 打たせて取るということをしていれば、どうしても打球は内野の間を抜くし、頭の上を越えていくものだ。

 だが六回三失点までのクオリティスタートなら、出来なくもないかと考える。

 そもそも球数を増やさないことの一番の戦法は、ランナーを出さないことであるのだが。

 より確実な完封を狙っていくと、ノーヒットノーランやパーフェクトになる。

 それが直史の考えであり、野球部の一年の仲間などには、呆れられる思考なのだ。


 大切なのはコントロールだ。

 コースのコントロールやスピードのコントロールといったものではなく、試合全体のコントロール。

 それは試合展開を早くしたり、逆に遅くしたりすることも含まれる。

 観客の反応まで含めてコントロールできれば、試合には負けない。

 野球に絶対はないと言うが、その絶対を求めるのが、スポーツの醍醐味ではないのか。


 そこまで考えるのはお前ぐらいだ、とおそらくいずれ樋口あたりが言うだろう。

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