五章 大学一年 シーズンオフ

第54話 閑話 ドラフト会議

 神宮大会を経験することなく、四年生たちは引退した。

 別に気の毒だとも思わない直史であるが、とりあえず卒業した四年生からは一人のプロ野球選手が誕生した。

 直史が入学するまでは早稲谷のエースで、リーグ戦通算25勝した梶原である。

 あの程度でプロで通用するのかな、というのが直史の冷静な評価である。

 ただ直史にとっても後輩たちが指名されるであろうということで、寮内のロビーでぼけっとテレビを見ていた。

 他の野球部員の大半は、クラブハウスで見守っているのだろう。


 珍しく完全に弛緩した様子の直史に付き合い、樋口や星たちもテレビを見る。

 ロビーは出入り自由なので、瑞希もまたここへやってきている。

 五人も集まっていれば自然と、他の顔見知りも集まってくる。

「プロ野球かあ。知り合いでもいるの?」

「つーかこいつの後輩が二人、かなりの有力候補。そんで弟もプロに行くと言ってたら間違いなく指名されてた」

「へ~、弟君すごいじゃん」

「いや、こいつの方がはるかに凄いんだけどな」

 直史が凄いことは、さすがに野球に疎い人間でも、だいたい寮内では周知されている。


 直史の何がすごいかと言うと、負けないということである。

 途中で投手を替えて負けた試合はあるが、それは敗戦投手は直史ではない。

 一年目の今年、直史のリーグ戦での成績は、12登板6勝0敗である。もしセーブがあったとしたら、ここに5セーブが加わる。

 春と秋は当然ながら共に最優秀防御率を獲得し、ベストナインに選ばれている。

 登板回数と先発で投げたのが少ないため、最多勝と最多奪三振は取れていないが、普通に先発で使っていたら、引き分けにならない限りは全勝していただろう。


 全日本では三試合に投げて負けなし。投げなかった決勝ではチームが負けている。

 直史が投げないとチームが負けるのではというジンクスは、帝都大相手に投げて後のピッチャーが打たれて負けたため、途切れてしまった。

 だが直史の無失点記録はどこまで続くのか。

 リーグ戦だけでも65イニング、全日本を入れれば79イニング、無失点のままである。

 なお、実はこの一年の時点でも、直史はいくつかのリーグ記録を更新している。


 完全試合二回達成は、リーグ創立以来初めてあるし、当然ながらノーノーも合わせて三回というのは初めてである。

 連続無失点イニング記録も更新して、これは継続中である。

 まあ奪三振や最多勝は、時代が違うので過去の記録は超えられないと思うが、防御率や無失点記録はいくらでも超えそうだ。

 地味に奪三振も、最多とまではいかないが、歴代には残りそうなペースで量産している。

 最多連続無四球は直史なら普通に更新するかと思われたが、あの大乱調があった。

 あれでリーグの一試合の最多四死球を更新してしまったのは、直史としては珍しいことである。

 それでノーヒットノーランになるのがおかしいところなのだが。




「なんでプロに行かなかったの?」

 もう何度も言わされた質問であるので、直史はおざなりに答えるしかない。

「職業にするほど野球に関わりたくなかったんだよ」

 スポーツ選手の中でも野球の投手は、ほんのわずかな怪我で選手生命が失われてしまうポジションだろう。

 一年のうちの半分は週休一日で働いて、キャンプという名の拘束もある。

 そしてたいがい、30代の半ばには引退して、その後の生活の保証もない。

「そんなアホな一攫千金の職業に、なんで就かないといけないんだ」

 直史がげんなりとしているのは、もう何十回も同じ質問をされているからだ。100回を超えているかもしれない。


 そんなことを話している間に、ドラフト会議が始まりそうである。

 今年は大卒にも一位指名の有力選手がいる。もっとも全日本であっさり直史が抑えたりしているが。

 直史に抑えられたせいで評価を落とした、六大学リーグの野手は多いであろう。

「高校からの一位指名は、真田と水野、あと後藤もか?」

「それとお前のところのアレックスだろ? そのあたりが競合するんじゃないか?」

「水野は競合までするかな? 在京以外なら進学するって言ってたし」

「現役時代地味に、大阪光陰の明石嫌いだったわ。ああいうバッターをプロも取るべきだと思う」

「真田は肩の調子どうなんだ?」

「ワールドカップで投げてたし、それは問題ないだろ」


 直史が気にしているのは後輩のアレクと鬼塚、そして敵ながら真田のことである。

 なんだかんだ言って打たれてはいるが、それでもかなり大介を抑えていた真田の特徴を、ちゃんとプロの球団は把握しているのか。

 セ・リーグの球団なら、必ず真田が欲しいはずである。

 ただ良い選手から売れていくだけではなく、編成の関係もあって、将来性と即戦力を考えて指名していかなければいけない。

 これを現場の判断無しで獲得したり、現場の意見だけに左右されると、ひどいことになるのである。


 直史は千葉出身だが、別段千葉を応援しているわけではない。

 樋口は一応バッテリーを組んだ上杉兄弟のいる、スターズとジャガースを応援している。

「フェニックスとマリンズは、両方二年連続で最下位だからなあ」

「両方とも得点力不足だから、アレックス行くんじゃないか? あいつトリプルスリーのタイプだろ」

「でもマリンズは織田さんいるだろ。まあアレクにレフトとかライト守らせてもいいけど」

「フェニックスは後藤獲りに行くんじゃないか? あいつプロにも対応出来そうだし」

「後藤か。もう対戦しなくていいと思うと、いいバッターだとは思うな。ポジションも空いてるしフェニックスが獲りにいくんじゃないか?」


 好き放題に言ってみれば、ドラフトも楽しい娯楽である。

 そして公開される、各球団の一位指名。

 納得するものもあれば、どうしてそうなるのかというものもある。

「真田、セで獲りにいったのライガースだけ? なんで?」

「白石封じのデータはあるはずなんだけど、それよりは打線の補強を優先したのか」

「いやいや、真田なら即戦力左腕だろ。なんでセは大介対策しないの」


 真田を一位指名したのは、大阪、福岡、神戸の三球団である。

 直史としては味方としての大介の恐ろしさと、敵としての真田の厄介さを知っているだけに、大介と対戦するセの球団が真田を指名しない意味が分からない。

 特に神奈川などは、左のピッチャーを獲ってもいいだろうに。

「神奈川は上杉さんの同期が、今年からけっこう回復して投げてたし、チーム打率が低いわけだから、アレックスに行ってもいいだろ」

「まあそれはそうか。そんで埼玉ってのは、ああ、アレクは最初からメジャー志望口にしてるしな」

 アレクは神奈川と埼玉の二球団が競合した。

「水野は千葉が一本釣りか」

「まあ千葉はとにかく、安定感のあるピッチャーが欲しいだろうしな」

「水野は安定感あるけど、一年目からは無理だろ。大卒の投手狙っていくべきじゃないのか? まだ来年も最下位で我慢出来るのか?」

 地味に地元の千葉を心配している直史である。

「確かに水野は、数年かけて育成するべきだとは思うけどな。それで後藤が中京と北海道か」

「これはまあ、中軸候補として期待してるんだろうな。北海道はともかく中京は、即戦力獲らないといけないはずだけど」


 高卒を一位指名する球団が八つ出た。

 そして残りの四球団は、広島と大京が大卒野手に、巨神は大卒捕手に、東北はまた違う大卒野手を一位指名した。

 今年の成績だけでは分からないが、球団のファームで順調に育っている選手がいるのか。

 あとはFAなどの含みや、外国人補強など、直史たちには分からない事情があるのだろう。


 真田を大阪と神戸が指名したのも、福岡が指名したのも、ある程度は分かる。

 どの球団だっていい左ピッチャーはほしいし、大阪と神戸は、大阪光陰の真田からすると地元のようなものだ。

 福岡はそれなりにピッチャーを揃えているが、その中ではやや左が弱い。


 とにかく今年は、大卒にも高卒にも社会人にも、一位指名するレベルのピッチャーが少なかったということだろう。

 だいたい武史が進学一本にしてしまったせいである。

 左の160kmが出せる本格派など、五球団以上が一位指名してもおかしくはない。

 しかしまだ、これは一位指名をどうしたかということまでで、どの球団が交渉権を獲得するかは決まっていない。

 

 各球団の代表が、箱の中から封筒を引いてくる。

 アレクは埼玉に決まった。

 本人は在京球団がいいと言っていたので、まず問題はないだろう。

 埼玉は選手がFAで出て行きやすい球団であるので、アレクのMLB志向を知っていても、問題はないと判断したか。

 神奈川は残念。外れ一位指名を選ぶことになる。


 後藤は北海道に決まった。

 あそこも中軸が定まっていないので、確かに後藤には良かっただろう。

「埼玉も北海道も、去年に続いて競合を引いてるな」

 樋口に言われて思い出す。去年は大介がとにかく一位指名を独占したが、外れ一位で競合して、上杉正也と島を獲得したのが、埼玉と北海道だ。

 それにしてもパのクジ運が強すぎる。

 これはでは、残る真田もパのチームとなるのか――。

「え~」

「そう来たか」

 直史も樋口も、これは驚きというわけではない。だが意外ではある。

 甲子園で戦ってきたライバルが、今度は味方となることは、よくあることだ。

「真田、ライガースか……」

 直史でさえ呆れてしまう、運命のイタズラである。




 大介がプロに行った理由としては、上杉をはじめとする、強力な投手と対戦したかったからである。

 それが高校時代には、もっとも手こずったピッチャーが、同じチームに入ってしまう。

 おそらく大介にとっては不本意なことだろう。


 そこからも一位指名が決まっていって、地上波ではここまでが放送である。

 直史はスマホの小さな画面で、中継の続きを見る。

 二巡目までは、それなりにまだ直史が知っている名前が多い。

 中にはあっさりと直史が抑えたバッターなどもいるが、そもそもその名前を直史は忘れている。

 なお梶原は二巡目で千葉に指名された。連続でピッチャーを指名するあたり、千葉はまずピッチャーから立て直すつもりのようだ。

 それにしても今年は、バッターの上位指名が多かった。だが一位指名の競合はピッチャーの真田が一番であり、やはり武史がプロに行かなかったことが影響しているのか。

 160km左腕に比べたら、たいがいのピッチャーは見劣りするだろう。


 そして三巡目。

 千葉が、鬼塚を選んだ。

「そう来たか」

 なるほど地元であれば、鬼塚をここで上位指名するのもありだろう。

 負け続けている千葉にとっては、客寄せパンダとしてもほしいものだったのだろう。


 武史から多少は聞いていたが、鬼塚は三位までならプロに行くと言っていたそうだ。

 確かに三位だ。それに今の千葉はチームがかなりボロボロなので、新人にもチャンスはある。

 外野も内野もやれて、二番も四番も打っていた鬼塚は、どうにか活用できないかという球団にとっては価値があったのか。


 他にこの年のドラフトでちょっと興味を引かれたのは、結局大阪光陰から四人もプロが出たことだ。

 毛利が真田と同じライガースに、そして明石も中京に指名された。

 やはり今年の夏の大阪光陰は、プロのスカウトの目から見ても強かったのだ。

 武史たちは、よく勝てたものである。

 まあ白富東も、武史が志望届を出していれば、三人がプロ入りすることになったのだろうが。


「あの、いいでしょうか」

 瑞希が、さりげなく爆弾発言をする。

「もしも直史君と樋口君がプロに行くなら、どれぐらいの指名になるんでしょうか?」

 テレビに集中していた学生は離れていったが、野球部の四人は残っている。

 それはともかく先輩が指名されたのに、クラブハウスに集まらなくてもいいのだろうか。


 直史と樋口は顔を見合わせる。

「ケントは……キャッチャーが古くなってる五球団一位指名になるぐらいか」

「ナオなら……最低でも八球団ぐらいか?」

 お互いに対する評価の高い、仲のいいバッテリーである。

 もっとも本人たちは、単純に事実を述べているつもりだろう。


 直史は現在、正捕手が高齢化していて、後継者の育っていない球団全てを挙げた。

 樋口は打線が貧困すぎる球団以外の全てを挙げた。

 ただそれを聞いている星と西は、同学年でなければどちらも、10球団ぐらいは獲得しに来るだろうなと思うだけである。

 だいたいの人が気付いていないか、うっかり忘れているのであるが、早稲谷に樋口が入学して以来、彼が先発で最後までマスクを被った試合では、練習試合も含めて一度も負けていない。

 これと、大学入学以来無失点記録を更新し続けるピッチャーがいるのだから、どちらも絶対にほしいはずである。

 三年後のドラフトは、主役のいないドラフト会議とでも言われそうな気がする。


 そんな中、話の流れで樋口も問いかける。

「ホッシーはもし指名されたら、プロに行ってみたいとか思うの?」

「いや、それは絶対に無理だと思うけど」

「無理かな?」

 樋口の視線は星本人ではなく、直史を向いている。

「三年鍛えればいけるんじゃないか?」

 かなり投げやりであるが、可能性は否定しない直史である。


 アベレージバッターに対比して、アベレージピッチャーとでも言えばいいのか。

 おそらく星は統計で見れば、失点はするが大量失点で早々に降板ということのないピッチャーだろう。

 もっともプロの適応力に、アンダースローの優位性がいつまで保てるかにもよるが。

 星はキャッチャー次第でまだ伸びるピッチャーだ。




 なお、後日に行われた練習に、普通に取材に来ていた記者から、直史は質問を受ける。

 先輩の梶原が指名されたことへの、まともな記者によるインタビューである。

「どうって……大変だろうなあとしか」

 直史としては、本当にそう言うしかないのだ。ただ大介の時は、あいつなら大丈夫と言っていたので、対比されることになる。

 なお、岩崎に対しても「大変だろうなあ」で済ませた男である。


 ちなみに樋口にも質問はあった。

「頑張ってほしいですね、もちろん」

 無難に言う樋口であるが、内心では醒めていた。

 梶原は、上杉兄弟よりもかなり下だ。

 大卒であの程度の能力なのだから、将来的にチームのエースとなるのは難しいだろう。


 樋口はワールドカップにおいても、直史以外とは試合では組まなかったが、もちろんブルペンでは受けていた。

 なのでプロに行って活躍出来る選手の水準が分かっている。

 梶原はまあ、通用しないということはない。

 ただチームのエースとしてローテーションをずっと回すのは難しいだろう。

 もちろんそんな正直なことを、そのまま口にしたりはしない。


 直史にも樋口にも、他に大事なことがあったのだ。

 それは次のキャプテンの選出ということである。


×××


 あいつはどのチームに行ったの?という質問にはお答えします。

 全部書いても意味がないし。

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