第53話 敗北者

 佐藤直史はマスコミ嫌いである。

 よってマスコミに対しては塩対応で、ゴミを見るような視線を向けることもある。

 それをもって傲慢だのいけ好かないだのと言う連中は多いのだが、それを直史が全く気にしないのが、連中にとっては余計に腹立たしいらしい。

 正確に言うと直史は、傲慢でいけ好かないマスコミが嫌いなだけで、スポーツライターでも真摯に記事にしてくれる人には、普通に話したりはする。

 スーパースターだって、好き嫌いはある。人間だもの。

 それ以前の問題として、直史は自分をスーパースターとは認めていない。

 

「采配への不満?」

「ええ、結局勝ち投手の権利を失いましたよね」

「帝都との試合ですか。残念とは思いますが、不満ではないですよ」

「六回までパーフェクトピッチをしていたのに?」

「僕自身は自分だけの記録には興味もないですし、監督には監督の思惑があるわけですから、それは仕方のないことだと思いますよ」

「監督の思惑とかは、何か分かりますか?」

「純粋に楽な状況で、ピッチャーに経験を積ませたかったんだと思います。そもそも負けたくて負ける監督なんていないですし」

「邪推ですが、佐藤選手に嫉妬して、ということなども言われてますが」

「どこの誰が言ってるのか知りませんけど、プロで20年近くも投げて、大学の監督をしているような人ですよ? そんなつまらない嫉妬とはもう段階が違うでしょう」


 大学野球であると、高校野球よりはマスコミの遠慮がなくなる。

 一応マトモなマスコミは、ユニフォームや制服以外でのインタビューなどは、してくれるはずもないと分かっているので。

 直史にしても、日常においては完全にマスコミなどは無視する。

 しかしちゃんと大学側からの指示があれば、ある程度は応じないわけにはいかない。

 だが監督などもおらず、単独でインタビューする中で、こんなおかしな質問をしてきていいのか。

 何かおかしいな、とは思うのだ。


「ですが結果的には敗北し、リーグ戦の自力優勝は消えてますよね?」

「それはそうですが、内容は悪くありませんよ。それに試合の結果である監督の采配が良かったかどうかは、結果論から始まるものですから」

 ジンは言っていた。キャッチャーのリードに正解はないと。

 及第点を出すのがリードだ。監督の采配もそれに似ている。

 最善解を求めすぎると、逆に勝利からは遠ざかる。なぜなら最善解というのはオーソドックスなものであり、それだけに読まれやすいものなのだ。

 一番効果的なはずのものが、一番であるがゆえに通用しない。

 不思議なものなのだ。


 直史が感じる限り、この記者はどうも、直史の発言を誘導しようとしているように感じる。

 そもそも監督やコーチなどもいないクラブハウスの中というのが、普段とは違うところだ。

 普通は監督や部長が同席した上で、発言内容を変に誘導されないよう、気をつけてくれるはずなのだが。

(まずいな)

 これまでにも会ったことのあるこの記者は、特に悪質だとは思ったことはないが、だいたいマスコミというのは豹変する。

 過去の名選手の事例を見ても、選手個人の本当の人格などは関係なく、よりセンセーショナルに報道するのがマスコミだ。

 マスコミは真実や事実ではなく、自分たちの都合で情報を変えようとする。

 これ以上は危険だと思っていた時に、クラブハウスに入ってきたのが星だった。


 直史と記者に気付きはしたが、他の用事があったのだろう。ロッカールームへ行こうとする。

 それで向けて直史は、全力で来い来いと手首を振り、星も不思議そうな顔をしながらも、直史の傍に近寄ってくる。

 よし、デコイと証人確保。

「こっちがこの間、リーグ戦で投手デビューした星ですよ。せっかくだから聞いてみることあるんじゃないですか?」

「それは……確かに興味はあるけど、今日は佐藤君の話だから……」

「じゃあホッシー、そこで見てろよ。これからインタビューを受ける機会もあるだろうし」

「え、でも早く練習に戻らないと」

「それは俺からコーチにも監督にも言うから」


 直史の珍しくも強い言葉に、星は頷いた。

 彼は決して察しのいい人間ではないが、直史の行動には意味があることぐらいは気付いている。

 こうして証人になりそうな人間を傍に置き、直史はインタビューを終了させた。




 そしてまた、大々的に報じられるわけである。

『監督の采配は結果が全てだ』

 こんな感じで、言葉は歪められる。

 当然ながら直史は監督たちに呼ばれて詰め寄られるわけだが、荒唐無稽なスポーツ記事に、指導者が踊らされてどうするのか。

「そもそも記者と選手を一対一にさせてしまうのがまずいでしょうに、どうしてあんなことをしたんですか」

 一方的に批難してくるような大学側を相手に、直史は全く顔色も変えずに説明をする。

 一般論を無理矢理、直史の言葉として記事にしている。そんな相手だった。


 直史としては迷惑千万である。

 なんだかんだ言って、早稲谷は直史にとって、居心地のいい場所になった。

 正確には、居心地のいい場所に作り変えたのだが。

 この変化は、明確に野球部内に派閥を作り出した。

 しかし実力者のほとんどが、直史の見方である。

「今度からインタビューには、こちらも録音して対処しないといけないですね」

 直史は法的にどうにか出来ないかなど、伝手を使って現役の弁護士である瑞希の父にも相談したりした。

 しかし実際の音声の記録などが直史側にはない以上、これは結局水掛け論になる。確かに話題にすること自体でも効果はあるだろうが、現実的にはこの記事自体はどうしようもない。


 なぜ一人でインタビューを受けさせたのかという、直史の疑問にしても、元々顔見知りの記者であり、油断があったというところだ。

 油断と言うよりは、あちらを信用していたと言うべきなのか。こうやって直史に疑いの目を向けるのも、直史よりも記者を信じていたということだろうし。

 直史というスターが強大すぎて、スクープを取るために、記者たちも暴走しているのか。

 とにかく直史に対しては、クラブハウスかグラウンドで、指導者と一緒の取材しか受けないことを徹底させる。

 本人はそのつもりだったのに、甘く見た大学側が今回は悪い。

 もちろんボイスレコーダーも常備することを直史は決めた。

「今回のこと、SNSとかに動画で説明の映像を上げましょうかね?」

 それは止めてくれ、と表情を反転させ、必死で頼む大学側であった。




 秋のリーグ戦は、最終戦である早慶戦を前に、優勝は決まった。

 帝都大が全ての対戦から勝ち星を上げる、完全優勝を決定したのだ。

 早稲谷も帝都以外からは勝ち星を上げていたので、直接対決で負けたあの対戦が痛かった。


 春の早慶戦は、自分たちの優勝が既に決まった中での早慶戦であったが、秋は既に、優勝が他のチームに決まっている。

 観客動員数は多いが、どこか熱量には乏しい。

 深まった秋の季節のせいでもあるのだろうか。

 これで神宮大会も、出場は帝都大に決まった。

 直史としては秋の予定が空いて、ありがたいことである。


 慶応との第一戦は、直史が先発である。

 プロ野球のドラフト会議も終わり、四年の中からは梶原が上位指名を受けて、プロの道に進むこととなる。

 他にも何人か、下位や育成での指名を打診されていた者もいたのだが、それは拒否して社会人に進むか、そのまま一般企業に就職することになるようだ。

 早稲谷というのは、下位指名を蹴るようなところが昔からあったのだが、そもそも早稲谷の野球部を経験しているような人間は、一般企業でも大手に決まりやすいのだ。

 リスクの高い下位指名や育成を、小賢しくも回避したというわけだ。

 直史や樋口から見ると、まだ伸び代はあった気もするが。


 そしてドラフトに関する四年生優先の事態も終わったため、辺見は素直に直史を一試合目の先発に使うことが出来た。

 正直なところ直史は、モチベーションが上がっていない。

 この間のインタビューの件で大学に不審感を抱いているということもあるが、ただでさえ優勝は既に決まっているため、この試合に負けても意味はない。

 だからひたすら、完封だけを目指す。

 試合で使いたい選手がいるなら、こういう時にこそ試せばいいのにとは思ったが、まずは自分の仕事をしよう。




 樋口を相棒に、多少は打たれても許容する、球数重視のピッチング。

 割と序盤でヒットを打たれたが、ゲッツーを取って相殺する。

 この試合においては、辺見の采配にもおかしなところはない。

 打線もしっかりと機能して、終始優勢に試合を進める。


 打たれないエースがいるチームというのは、本当に強い。

 打たれるとしても単打までに抑えて、失点にはつなげないのだ。

 それなりの点差はあり、そして直史もヒットを打たれているので、ノーノーの可能性もなく投手の交代はしやすい。

 しかし辺見はここでは動かなかった。


 帝都のリーグ戦優勝は決まっている。

 なのでこの試合では、別に直史を使うどころか、勝つ必要性さえないはずなのだが。

 目の前の一勝にこだわらないところが、監督としては必要な資質であろうに。

「まあ色々言われてるからな」

 樋口はあまり興味はないが、周囲は彼にネットの話を届けてきたりする。


 おおよそは辺見の采配に疑問を呈するものだ。

 あとは直史が虚弱で、使うのが難しいという書き込みまであるそうな。

 佐藤直史を壊したら、辺見は死刑だとかも言われている。

 そういった無責任な意見などは、放っておいても問題ないだろうに。

 かと言って使わなければ使わないで、文句が出てきたりするのだ。


 大学野球は、高校野球ともプロ野球とも違う、一番興行からは遠い場だと思っていた。

 しかし直史の記事が大きく報じられるような、異常な事態まで起こっている大学野球は、高校野球よりもずっと生臭い話が出てくるのだ。

「そのうちお前の女癖の悪さも書かれるんじゃないか?」

「野球で話題になるのは、ピッチャーとスラッガーだけだろ。それより瑞希さんにも気をつけた方がいいぞ」

 直史は学生であるし、瑞希は一般人だ。

 それにお互いに伴侶がいるわけでもなく、別に何も問題のある行動はしていない。

 だがスーパースターの単なる日常を、追い掛け回す下世話なマスコミというのはいるものなのだ。




 早慶戦が終われば、神宮に出ない今年の大学野球は、公式戦は終わりである。

 11月の後半にはまだ、特別戦として遠征があったり、あとはまた春と同じように新人戦も行われる。

 しかしそれらは練習試合であり、そんなものに出ている暇があれば、直史は勉強がしたい。


 それに試合のないシーズンオフには、改めてトレーニングもしたいのだ。

 現在のMAXが151kmなのだから、春のリーグ戦前までには、154kmを目標として鍛えたい。

 もちろん今度は変化球のコントロールを乱さないように、最新の注意を払ってだ。

「まあそれ以前に、この試合を勝たないとな」

 早稲谷の方が確実にチャンスを増やしているが、点数はそれほど開かない。

 アウトを取るか失点を防ぐかで、慶応の判断が優れているからだろう。


 点差が開かないことによって、直史以外のピッチャーを試すことが難しくなっている。

 直史だってちゃんとヒットを打たせて、替えやすい場面を作っているのだが。

 直史でさえ打たれているのだから、という理由で辺見が継投に踏み込めないのは、仕方がないことなのだろうか。


 九回を投げ切って、打者30人に対し、被安打が四の一失策。

 なぜそれで打者30人になるかというと、ゲッツーと盗塁失敗があるからだ。

 落とす変化球を投げさせて、そこからのスローイングで盗塁を失敗させる樋口は、それだけで相手の選択肢を奪っている。

「やっと理想のピッチングに到達したな」

「四本もヒットを打たれてか?」

 樋口としては直史の最高のピッチングは、やはり甲子園の決勝を思い出すのだ。

 15回を投げてパーフェクトピッチングなど、人間技ではない。

 ただ直史にとっては、それよりも今日の方が内容がいい。

「九イニング投げて、80球完封だ」

「なるほど」


 全ての打者を三球三振でしとめたとすると、それでも81球。

 直史は一番確実なパーフェクトよりも、少ない球数でこの試合を投げきったということだ。

 通りでボール球を投げることを渋ったわけだ、と樋口も納得する。

「けどサイン通り投げてたら打たれたヒットも少なくして、81球以内のノーノーは出来たと思うぞ」

 ボール球を振らせるためのリードと、それを可能にするピッチングは、共に芸術であろう。

「点を取られなければ完全試合でも被安打13でも、どっちでもいいからな」

 そんな会話をする二人を、畏怖を持って見つめるベンチの人間たちであった。




 慶応との第二戦も勝った早稲谷は、秋のリーグ戦を八勝二敗の勝ち点四で終える。

 しかしこのリーグで勝ったのは、10勝四敗の帝都大であった。

 早稲谷相手に二連勝をした以外にも、他のチームとの対決でも、全て勝ち点を得たのだ。

 早稲谷と東大以外には、一勝一敗で月曜日までを戦った粘り勝ちであるが、これで神宮への代表権も手に入れた。


 選手起用の失敗で、早稲谷は優勝出来なかった。

 それは確かにそうなのだろう。ただ直史としては、自分に全く責任のないところで試合に負けて、面倒な大会に出なくてよくなったというのはありがたい。

 これでじっくりとシーズンオフにトレーニングをして、さらに自分のピッチングの質を上げることが出来る。

 別にプロに行くわけでもないのに、どうしてそこまでする必要があるのかと、多くの人間は思うだろう。

 そしたら直史は答える。ただの趣味だと。


 ピッチャーとして勝つのは仕事である。

 その中で課題をもって、相手を完全に封じるのは、趣味である。


 秋のリーグ戦、優秀な成績を残しながらも、早稲谷は優勝出来なかった。

 しかしつながりの少ない学友たちから応援されても、直史としては期待を裏切っただの、それ以外でもなんら負の感情をぶつけられる覚えはない。

 勝手に期待して勝手に失望する。世の中はそういったことが多すぎる。

「なあ、下手にパーフェクトなんかしても周囲がうるさいだけだし、次からはヒット一本打たれるのノルマにしないか?」

「お前はいったい何を言ってるんだ?」

 樋口からさえも宇宙人を見る視線を向けられる直史であった。

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