第205話 六大学リーグ全記録

 秋のリーグ戦を、早稲谷が全勝優勝で終えた。

 神宮大会は残っているものの、これで直史の大学野球は、ほぼ終わったようなものである。

 瑞希はどうせいつかは求められるのだろうと思って、直史の成績を計算している。

 そしてその内容も、


 37登板29勝0敗7セーブ。

 正確にはセーブではないのだが、リリーフして最後まで投げきったものはセーブとして計算した。

 登板した試合で負けたのは、途中まで無失点で抑えて、後続が打たれて逆転負けをした一試合のみ。

 もっともその一敗のせいで、リーグ戦優勝は果たせなかったのだが。

 リーグ優勝の回数は八シーズンで七回。

 最多勝は意外なことに二回しか取っていないが、ベストナインには全てのシーズンで選ばれている。

 直史が四戦全勝しても、武史が五戦全勝したら、それは最多勝は取れないのも当たり前である。


 奪三振数は歴代四位の416個。

 だがこれも武史が、三年生のシーズンが終わった時点で既に抜いている。

 三振に関連する数値としては、K/BBが17.33とすさまじい数値であるが、これはあの大乱調で16四死球を記録した一試合を除けば、50.63という異次元の数字になる。

 つまり一度四死球を投げるまでに、50個の三振を取っているということだ。

 おかしいなと思いつつ、何度も計算したので間違いない。

 奪三振関連では、奪三振率もすさまじい。なんと13.66なのだ。

 一試合にどれだけ三振を奪うかというもので、これでグラウンドボールピッチャーなどと言っても乾いた笑みを浮かべられるだけだろう。

 だがやはり奪三振関連では、武史が20近い奪三振率を誇っている。

 ついでに制球関連では、一試合当たりの四死球を投げるBB/9というものもある。

 直史は0.78という、一試合に一度も四球を投げない数値になっているが、これも不思議なことに、特定の一試合を抜くと0.27となる。

 四試合に一度しかフォアボール出塁がないという計算だ。


 おかしな数字は他にもあって、一イニングに平均で、どれだけのランナーを出すかというWHIPという数値がある。

 エラーは除いて、ヒットと四死球でどれだけのランナーを、一イニングに出すかというものだ。

 直史は0.17と六イニングでようやく一人、ランナーが出るか出ないかという数値である。

 しかしこれも、あの大乱調の一試合を除けば、0.11にまで低下する。一試合を丸々投げても、一人のランナーも出さない試合が多くなるわけだ。


 瑞希は他の有力選手などの記録と比べてみる。

 他にも被打率や被出塁率がおかしいのだが、決定的におかしいのはやはりこれだろう。

 防御率0である。

 つまり大学四年間、一度も自責点を取られていなかったのだ。


 プロの世界になると上杉なども、防御率が一を切っている。

 一試合完投したら、普通に完封出来るという数字である。

 だが直史の場合は、純粋に一度も点を取られなかったのだ。

 完全試合11回、ノーヒットノーラン四回。

 完投した試合が23試合なので、そのうちの15回がノーヒットノーラン以上ということになる。

 投げる理不尽などとも言われているが、確かに直史はそうとしか言いようがない。

 瑞希は既に一度直史の物語を、本の中で書いている。

 高校時代の白富東の物語であるが、それに比べると大学時代の話は面白くないな、と思っている。

 部分的に面白いところはあるのだが、とにかく春と秋のリーグ戦が面白くない。

 直史が強すぎるからだ。


 ノンフィクションなのだから、強すぎても面白くなくても、仕方がないのかもしれない。

 ただそれを言うなら高校時代も、最後の一年は完全無敗であった。

 ほとんどがトーナメントで負けたら終わりなので、その意味では無敗であるのが覇権を握るのには必要だったのだが。

 プロの世界に進んだ同級生たちがいるので、瑞希はそのあたりも調べている。

 そしてやはり思ったのは、直史の性格ではプロでは上手く行かないのではないかということだ。


 最強のピッチャーである上杉も、おおよそ年間に何度は敗北している。

 直史という人間は、全ての試合に勝ちたい人間だ。

 強打者との勝負にはこだわらず、第一にはチームの勝利を優先する。

 だが年間に20試合以上の投げて、それを全部勝ちきることなど、さすがに難しいと思う。


 あとは直史一人が頑張っても、チームが優勝出来ないということもあるだろうか。

 ただ直史が本当にチームのために投げていたのは、高校時代まで。

 あとは国際大会では、名誉のために本気で勝利を何より優先していたと思う。

 それが完全試合や完封につながるわけだが。

 割り切って仕事として、ある程度の上手くいかない部分は許容する。

 そう考えるには直史は、純粋に野球が好きすぎたのだろう。




 試合の数字だけではなく、瑞希は直史や樋口、そして武史の話なども、色々と聞いていた。

 それは日記以外の記録として、ちゃんと文章で残してある。

 やがてはこれから、またノンフィクションの物語を紡ぐことがあるのかもしれない。

 ただあまり正直に書きすぎると、自分の存在が直史の生活の中で大きすぎて、客観視するのは難しい。


 ドラフトの時から今さらながら、直史がプロに行かないことに対しては、色々なことが言われている。

 直史はネットで無駄に時間を潰すことはしないが、瑞希はそういった負の意見も、ある程度は目にしている。

 そして思うのは、視野が狭いなあということである。


 野球好きな人は、直史のことを許せないのだそうだ。

 曰く才能を無駄にしていると。

 瑞希はもう、さすがに直史のことを平凡とは言わないが、結局のところはどれだけ効率よく鍛えるかが、上手い人間だとは思っている。

 それに職業選択の自由もある。

 直史が憂さ晴らしに志望届だけを出して、その球団に指名されてもそこには進まないとか、歪んだ報復をしない人間で良かったと思う。

 もっとも直史としては、勉強もして野球もして、ネットのことまで見る暇はなかったという程度なのだろうが。


 今後も直史は、野球自体は続けるつもりである。

 あくまでも趣味であるが、それでも直史の実力からすれば、ある程度のレベルはないとまともな野球にならないだろう。

 大学院の二年目と、ちゃんと司法試験に受かったとしてそこから一年の司法修習、二年間をどう過ごすか。

 さすがに二年も実戦から離れていれば、かなり体は鈍ってくるはずだ。

 瑞希は制度的なことも調べてある。

 直史が入ろうと考えているクラブチームは、扱いは社会人野球と同じになる。

 つまり24歳になった直史には、またドラフトで指名される資格が発生する。

 そしてクラブチームは、志望届を出す必要はなく、球団もそのまま指名出来る。

 二年もまともに投げないピッチャーを、そこから指名するというのは、さすがにどの球団も無理であろう。

 ただ直史の場合、千葉に戻ってまたクラブチームで活動していたら、社会人野球の全日本選手権だの都市対抗だのに出てしまう可能性がある。

 そこで活躍してしまうと、指名を考える球団もあるかもしれない。


 25歳のシーズンに活躍して指名される。

 26歳からプロで活動して、レジェンドになった選手もいないではない。

 それにMLBなどは、それぐらいから急激に成績を伸ばし、マイナーからメジャーに上がる人間もいる。

 オールドルーキーという映画は実話を元にしているのだ。

 だが日本の野球選手の市場は、基本的に若い選手の価値が高い。

 伸び代というものを重視しているからだ。




 正直なところ、瑞希は今回のドラフトに向けて、接触がなかったのを怪しんでいる。

 セイバーからの接触である。

 はっきり言って瑞希は、どんな好条件をセイバーが持ってきても、直史は頷かないと思っていた。

 だが同時に、直史を動かせるとしたらセイバーしかいないとも思っていた。

 大学入学以来、東京にいることもあって、彼女とは何度か会っている。

 その中には瑞希も誘って、球場のVIP席でプロの試合を観戦したこともあったものである。


 しかしセイバーであっても、直史を動かすことは出来なかっただろう。

 大学を卒業して、次のステージはクラブチーム。

 だが直史としては、どんどんと自分のスキルがプロの世界から遠ざかっていくのは感じると思うのだ。

 大学時代の直史は、なんだかんだ言ってそれなりに、野球の練習をしてきた。

 少し錆び付いたと思っても、最後のリーグ戦に向けて、ほぼ万全の体調で戦った。

 瑞希の知る限りでも、直史は全く本質は落ちていなかった。


 来年の大学院の時代には、それなりに気分転換で、野球をしてもいいだろう。

 だがい司法修習の時代は、そんな時間があるとは思えない。

 ちなみに司法修習時代はアルバイトが禁止であったりする。

 直史も瑞希も、世間一般でのアルバイトはしたことがないが。


 直史にとっては、報酬を得るという点では、この大学野球が仕事であった。

 学費や寮費など、ほぼ全てが無料となり、さらに奨学金も出る。

 WBCの優勝で追加報酬があって、まさに野球で食べてきたと言える。

 直史ほどのピッチャーを年間に一千万円も払わずに使えた早稲谷は、間違いなく安くていい買い物をしたと言える。




 リーグ戦は終了したが、神宮大会は残っている。

 直史が出られるのは日曜日。

 早稲谷にとっては初戦となる。


 神宮大会は全日本と比べて、より出場の難しい大会だ。

 六大学は秋のリーグ戦に優勝すれば、そのまま出場の権利がある。

 それだけ自然と、他のリーグよりもレベルが高いとされているからだ。

 実際のところ、確かに六大学の代表は、全日本も神宮大会も、優勝している数は多い。

 ブランドとしては最高で、二部リーグ以上があって、入れ替え戦で争われている東都が、実力では六大学を上回っているとも言われている。


 直史が在籍している間にも、早稲谷が優勝できなかったことはある。

 だがそれは、直史を投げさせなかった時である。

 甲子園よりもさらに短期決戦となる神宮は、三連戦で優勝が決まる。

 いいピッチャーが二人はいないと、さすがに優勝は出来ない。

 そして今の早稲谷には、いいピッチャーは三人以上もいる。


 瑞希は早稲谷の公式戦はもちろん、直史が投げる試合は、代表選抜の試合の成績もちゃんと残してある。

 全日本や神宮の、早稲谷の勝敗。

 そして日米大学野球や、プロとの代表選抜。

 さらには特例として存在した、WBCでの日本代表としての成績。

 直史の成績は神がかっていると言うよりは、悪魔と契約したようなものと言っていい。

 だが悪魔と魂を引き換えにしてこれだけのピッチングが出来るなら、世界全土で悪魔に魂を売るピッチャーは大勢出現するだろう。


 直史の存在は、そしてその残した実績は、人間の成した奇跡と言うよりは、神のきまぐれか悪魔の実在を感じさせるものだ。

 ネットの中では悪魔崇拝者や色々な宗教の原理主義者が、直史のことを人外と言ってしまっている。

 ちなみにその中では、白富東の業績を執筆した瑞希も、秘密組織の一員となっていたりする。

 直史が改造人間であるという説もまた、都市伝説の一つとなっているのだ。

 佐藤直史はプロに行けば、27歳で悲劇的な死を迎えると言われていたりもする。




 単純に有名税と言うのも違うだろう。

 直史の持っている名前の影響は、プロのスポーツ選手の大半よりも、大きなものがある。

 プロの世界に入らず、遠ざかろうとしているのも、瑞希は分からないでもない。

 アマチュアの人間ということで、直史はファンへの対応なども、完全に無視している。

 こういうことが続いていると、下手をすれば野球が嫌いになるかもしれない。


 だからこそ、離れられるのか。

 直史は野球に全てを賭けてきた人間ではない。

 だからプロの選手や、有名な指導者に何かを言われても、全く響くことがないのだ。

 在学中に、それこそ高校生の頃から、プロ球団の人間がこっそりと接触してくることはあった。

 だがその言葉は、直史にとっては空虚なものとしか思えない。

 野球で成功した人間が何を言っても、それは直史の望む世界ではない。

 

 それに比べるとセイバーは、直史が大学を卒業して以降も、そこそこの環境で野球をすることを示してくれた。

 直史が望んでいるのは、野球を楽しむことである。

 楽しむためには、下手に金銭が絡んでいない方がいい。

 大学時代の直史は、高校時代よりもずっと、野球に対する姿勢が無機的なものであった。

 ただ純粋に、ひたすら効率を求めた野球。

 満足できる試合が、どれだけあっただろうか。

 大学への貢献とならない、学生選抜や代表選抜の試合こそ、普通に楽しめたかもしれない。

 もっともそういった試合でも、早稲谷に在学している選手の活躍ということで、ある程度は大学の名前を上げる効果はあったはずだ。


 何をどうすれば、直史がさらに上の段階で、野球をやる気になったか。

 可能性は低いが、それはあの壮行試合にしかなかっただろう。

 完全にあからさまな、大介との対決のための敬遠四球。

 現在のプロにおいて、様々な数字を更新し続ける大介や、あの当時のトッププロとの対決。

 あそこでもう少し歯ごたえがあれば、さらに上のレベルの野球を求める動機にはなったかもしれない。


 直史が望んだわけではない。

 直史に勝てなかったプロの存在が、最後の執着を捨てさせたのだ。

 WBCでは現役のトップレベルではないが、メジャーリーガーもたくさん出ていた。

 それと比較してみても、直史は完璧なピッチングを行い、MVPを取ったのだ。

 まさに世界最高の国際試合でのMVP。

 あれが直史にとっては、一番大きな野球の舞台であった。


 年間に何試合も投げて、そしてある程度は負けるのも当たり前のプロ野球。

 求道者的なことを野球に求めるなら、そうそう負けるようなことを直史は許容出来ない。

 高校野球のトーナメント戦が、直史を成長させた。

 大学に入ってからもさらに進化していったが、それでも敗北が終わりとはならないリーグ戦は、プレッシャーの少ない試合であったと、直史は言っている。


 神宮大会まで数日。

 特に何かを用意するわけでもなく、直史は最後の試合を迎えようとしていた。

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