第237話 閑話 追撃
大介が離脱し、金剛寺の不調が明らかとなり、ライガースの勢いが目に見えて失速してきた。
当然他のチームの成績は良くなるのだが、その中でもレックスはスターズの背中に追いつく。
ついでにスターズもタイタンズの背中に、ライガースがほんの一歩だけリードし、三球団が毎日二位を争う展開になってきた。
二位でクライマックスシリーズに達するならば、三位でもそれほど変わらないかな、と樋口は思っている。
もしも出来るならば、リーグ優勝して一位のチームとしては戦いたい。
単純に二位と三位の違いなら、ホームスタジアムのアドバンテージだけだ。
しかし一位であると、一勝のアドバンテージがある。
ただホームでの戦いとなっても、タイタンズ相手ならば同じ都内のチームである。
スターズも神奈川であるので、それなりに応援は来てくれるだろう。
問題はライガースだ。
本拠地は甲子園で、そしてライガースファンは、日本のプロスポーツ選手の応援団の中で、最も凶悪なことで知られている。
道頓堀川に飛び込むことに、命を賭ける人々。
本当に衛生的にも問題があるので、ライガースファンは蛮族に近いと、樋口はかなり偏見を持っている。
選手層で言うならば、総合的に一番高いのはタイタンズだろう。
しかし実際には、二番目の選手層のライガースに負ける。
もっとも今の、大介のいないライガース相手なら、それほどの脅威もないのかもしれない。
それでも西郷、真田、山田といったあたりの、オールスター級の選手が揃っている。
スターズはとりあえず、上杉だけは要注意である。
上杉は今年、ここまでに20先発して、16勝している。
まだ七月であるというのに16勝など、非常識極まる成績である。
リリーフが捕まって負けた試合も、上杉はほとんど抑えていた。
勝てそうな試合ではそこそこ抜いて投げることもあるため、点自体は取られている。
それでも防御率が余裕で1を下回る。
味方であった時も、そして敵である時も、とにかく厄介すぎる最高戦力だ。
直史とよく言っていた突破力。
それが一番足りていないのが、おそらくレックスである。
今のレックスが急激に勝っているのは、レックスの実力が上がったというのも確かにあるが、これまでとは違ったパターンを使っているからだ。
パターンを読み取り、対処法を考えれば、その勢いを止めることは出来るだろう。
だがレックスも吉村が復帰してきて、確実に使える先発の数が戻る。
それに二軍で育ててきたピッチャーが、ようやく使えるようになってきている。
星の一勝のように、誰かの勝ち星が、たった一つの勝利ではなくなってきている。
レックスは勝つための手段を記録していっている。
このチームとしての成長がどこまで続くかで、今年の成績と来年以降のレックスの強さが決まる。
完全なる混戦となったセ・リーグの首位攻防戦。
地力があり選手層の厚いタイタンズが、わずかに頭半分ほど抜け出すのかと思われた。
だが実際にトップに立ったのは、打力不足が言われるスターズであった。
野球は確率のスポーツで、シーズンの中でもある程度の偏りはある。
だが上杉が絶対的な力で完封を続けていけば、選手たちにも不敗の信念が生まれてくる。
無援護で上杉を敗戦投手にすることを、スターズの打線陣が恐れだした。
それは奮起とも違う、もっと根源的なもの。
神は上杉という形として、スタジアムのマウンドに君臨する。
上杉の登場で、二年連続でスターズは日本一を経験した。
あの体験を、体と魂の奥底で、まだ記憶している者は多い。
大介という巨星が離脱していることにより、上杉の輝きが増しているようであった。
影響力の大きさという点では、毎試合出場出られないはずの上杉の方が、大介よりはるかに上をいっている。
キャプテンシー、さらにはカリスマというものだろうか。
大介はスーパースターでスーパーヒーローかもしれないが、ヒーローは孤独なものだ。
上杉のようなリーダーの資質は持たない。
だが孤独と言ってしまうには、周囲には様々なタレントが揃っていたりするが。
大介の役割は一撃必殺の突破力であり、それをどう使うかは監督などの首脳陣の役目だ。
しかし離脱してしまうと、本当に大きな穴を感じさせる。
現在のライガースは三番に黒田を、四番に西郷を置いて、五番にグラント、六番にまで金剛寺は打順を下げている。
ここはむしろ四番として、大介が戻ってくるまでをどうにか待つべきだったろう。
樋口の行った内角攻めは、かなり周知されていく。
元々金剛寺がいなくても、かなり選手層の厚いチームなのだ。ライガースは。
ただ黒田をセカンドで使ってみたりと、かなりポジションのコンバートの方には苦心が見られる。
そして遂に、金剛寺がスタメンから外れた。
ライガースはここから、勝率が五割を切ることになっていく。
大介が抜けた時よりも、金剛寺の抜けた時の方が、勝敗への影響が多い。
各種の数字を見れば大介の貢献度の方が絶対的に多いのに、こういった結果が出るのは不思議である。
スターズは上杉を中心に、主にスモールベースボールで結果を出している。
タイタンズはその選手層の厚さから、誰かの調子が悪くなっても、すぐに埋める選手がいる。
レックスははっきり言って勢い頼みであるが、その勢いを上手く維持出来ている。
ライガースが、やや一人負けの状態だ。
樋口から見たらライガースの転落の原因は、むしろ打撃よりも投手陣にあるのではないかと思う。
数字はちゃんと出しているし、キャッチャー二人はそれほど悪くない。
だが併用されているということは、正捕手が定まっていないということだ。
正捕手であった島本の選手生活晩年から、あの二人は使われていた。
控えとの差がないと言えばよくも思えるが、つまりどちらかに正捕手を決めることが出来ていないのだ。
それでも三連覇などをしたのは、やはり島本の影響がベンチの中でまだ残っているからか。
大介の骨折は全治二ヶ月と報道され、それが本当なら九月の半ばまでは主砲なしでライガースは戦うことになる。
しかもその間には、甲子園によって本拠地を追い出される、地獄のデスロード期間もある。
なんとか四位以下に落としてしまいたい。もしクライマックスシリーズの短期決戦で大介が爆発すると、あらゆる計算を吹っ飛ばしてしまう可能性がある。
それに樋口は、絶対に大介は二ヶ月もかからずに復帰してくると見ていた。
ワールドカップの時に、肋骨に罅が入っても、二日で治癒していたのを思い出す。
捻挫で欠場したときも、かなり短い期間で復帰している。
世の中には確かに、代謝に優れて治癒力の高い人間はいる。
大介はその中の一人で、しかも飛びきり強力なのだろう。
七月も下旬になると樋口は、Aクラス入りに加えて、その先をも見るようになってくる。
クライマックスシリーズで、どうやって戦っていくかだ。
その中で一番、厄介なのがスターズである。
去年こそファーストステージで負けているが、その前の三年間は、上杉の存在によってほぼ確実に勝ち星が取れていた。
基本的にはリーグ戦で優勝し、アドバンテージの一勝をもらってないと話にならないのだ。
だがさすがに、今年はまだ日本一を目指すのは現実的ではないかもしれない。
優勝を知っているメンバー、勝負強いメンバーがもっと必要だ。
特に打線に一本柱となる選手と、リリーフ陣を二枚ほど。
エース級の左がちゃんといるので、そのあたりはいいだろう。
他にはいったい何が必要なのだろうか。
レックス首脳陣としては、正直今年の成績は素晴らしいと思っている。
もちろん純粋にAクラス争いをしているという点でも嬉しいが、それよりは樋口の存在である。
キャッチャーというポジションは本当に難しく、毎年一人ぐらいは取っていって、10年に一人ものになれば良さそうなものだ。
だが樋口は一年目からいきなり代打として結果を残し、正捕手に固定してからは一気に投手力を改善させている。
キャッチャーというポジションの微妙さを思えば、本当に10年に一人ぐらいの才能であるかもしれない。
過去を見れば分かることだが、トップクラスのキャッチャーというのは、数年間ベストナインを独占することがあるのだ。
今のセ・リーグを見れば、スターズの尾田は衰えて次の正捕手を育成中だ。
まだ誰がものになるかは、はっきりとしていない。
タイタンズは他の球団で二番手だったキャッチャーなどを数人集めているが、まだ誰が正捕手とは固定されていない。
ライガースは二人併用、カップスもまた高年齢化。
若い捕手が成功しているのは、怪我さえなければと散々言われる東と、去年一年目からかなりマスクを被っている竹中のいるフェニックスぐらいである。
優勝するチームにはいいキャッチャーがいると言われるが、確かに上杉を一年目から、完全に能力を発揮させた尾田は、あの当時はナンバーワンキャッチャーだったろう。
そして去年、大卒新人ながら多くのマスクを被った竹中は、控えに東という日本代表級のキャッチャーにバックアップしてもらっている。
そのくせフェニックスは、まだ今年も最下位争いをしている。
いや正確に言うなら、完全に最下位である。
いいキャッチャーがいても、チームの体質が悪ければ仕方がないのか。
フェニックスの内部事情には、それなりの別の問題があるのだろう。
しかし、樋口はいい。
キャッチャーをドラフト一位指名で取ると言うのは、かなり珍しいことである。
育つのに時間がかかるし、ちゃんと育つかの確信を持てる選手が少ない。
なので打てるキャッチャーというのが、そのまま指名されることが多いのだが、単純に打力なら他のポジションでいい選手もいるので、一位にはなりにくいのだ。
だが樋口は六大学リーグで一年の頃から活躍し、多くのタイプのピッチャーに対応し、そして高学年になると首位打者まで取った。
竹中もかなり評価されていたが、競合指名された樋口とは、さすがに違うのである。
頭が良すぎて生意気なキャッチャーは、野球バカであるバカのピッチャーとは、相性が悪い場合も多い。
ただレックスは投手陣の主力がかなり若手に依存していることが、この場合はよかった。
それにマスクで隠れるとは言え、樋口はイケメンである。
グッズ販売の収益も、それなりに大きいのだ。
大学時代からこの神宮を本拠地としていたことも、人気が延長したこととつながるだろう。
今年はAクラスに入れれば、とりあえず成功である。
そして上手くいけば、上杉に近いレベルのピッチャーが、来年は入ってくるのだ。
「佐藤武史は、プロでもつうようするか?」
これは現場ではなくフロントの人間が、同じチームでバッテリーを組んでいた樋口に投げかけた質問である。
既にこの年の春のリーグ戦も、早稲谷は優勝していた。
その中で武史は、平均で20個ほどの三振を奪って、ベストナインや最優秀防御率に選ばれていた。
答えとして、わずかに樋口は考え込む。
「そうですね。まあ大学のリーグ戦とは違うから、年間通して完全なピッチングは出来ないでしょうけど、一年目から12~3勝して、敗北は3つぐらいまでに抑えられると思いますよ」
貯金が10個も増えれば、レックスはリーグ優勝が狙える。
なお樋口のこの発言は、かなり武史の能力を低く見積もってのものである。
ただ気分屋なところはあるし、プロの水に適応出来るかも、微妙なところはある。
しかしスペックだけなら間違いなく、上杉に準ずるぐらいの力がある。
高校時代は真田とライバル視されることが多かったが、あれから四年で球速という分かりやすい判定基準は、168kmまで上がっている。
世界で一番速い球を投げる男と、二番目に速い球を投げる男が、今の日本にはいるのである。
去年のレックスで最多勝利をしたのは、金原の13勝である。
それと同じぐらいの成績は残せると、樋口は言ったのだ。
フロント陣はこれで、ドラフト競合したとしても、一位で武史を指名することを決めたと言ってもいい。
そもそもあちら側からもレックスが第一希望と言っているので、相思相愛ではないか。
もし武史が今年のドラフト候補でないなら、間違いなく打てる野手を取りにいっただろうが。
ちなみに、とフロントのその人物は、やはり樋口でないと分からないことを尋ねた。
「佐藤直史がプロに入ってたら、どういう成績を残していたと思う?」
この質問にも樋口は、短い思考の後に答えることが出来た。
「10勝0敗ぐらいですかね」
「一度も負けないと?」
「はい。そのかわりコンディションを整えるのが難しいでしょうが」
直史は完璧主義者ではないが、より最善を求める性格ではある。
樋口もプロに入って分かったことだが、試合のために移動をするというのは、存外疲れるものなのだ。
直史を先発で使うなら、移動には余裕をもった日程が組まれる。
だがホテルなどの部屋で、ちゃんと直史が細かい感覚を調整出来るのかは疑問がある。
ただ、アメリカ遠征や日米大学野球のピッチング内容も考えた場合、おそらく大丈夫なのだとは思う。
それがシーズン半年を維持出来るかが、唯一の不安要素だが。
まだ、夢を見ている人がいるのか。
「ナオがプロで投げるの、そんなに見たかったですか?」
「それは野球人であれば、誰だってそうだったと思うよ。樋口君は違うのかね?」
「そうですね……見たいと言うか、あいつと組んだら俺は――」
樋口の脳裏に浮かぶのは、東京ドームや甲子園、またその他の多くの球場に、神宮球場で投げる直史。
当然ながらそれと組むのは自分である。
どこかのチームと当たっても、打たれるというビジョンが見えない。
もっとも交流戦の相手は、ちょっとちがうかもしれない。
「確かプロ初先発でパーフェクトっていうのは、誰もやったことがないんですよね」
樋口のその呟くような問いは、明白な回答であった。
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