第223話 おまわりさん、こっちです
都市対抗野球大会、東京地区一次予選決勝戦。
実はもう一つ枠はあって、そちらはそちらで争われている。
二次予選からは企業チームとの対戦となるため、そこを勝ち抜いていくのは非常に厳しい。
敗者復活戦があるとは言え、一回戦で二度負けたらそれで終わり。
面倒なトーナメント戦に見えるが、敗者復活戦を多く作ることにより、実力のあるチームはちょっとミスをしても、確実に残れるようなシステムにもなっている。
その二次予選に進むための決勝戦の相手が、警視庁公式野球部である。
なお公式というのは硬式というのをかけた洒落のようなもので、実際は公認されていないのだとか。
「なんかすごい……」
改めて球場で見ると、その体格が分かる。
「基本的に機動隊の人みたいすからね」
「きどうたい……」
思わず呟く直史は、さすがにこれまでの自分の人生とは、接点のなかった存在だと思うのである。
警視庁の野球部があるのは機動隊であり、希望者がいて機動隊の訓練についていけるようならば、その警官を配属させる。
そんな警察官の集まりである野球部であるわけだから、体格がゴリラになるのは当然のことかもしれない。
前提として野球がある程度上手いことも条件になるので、フィジカルエリートが集まっているわけである。
機動隊の訓練というのは、重たい盾を持って走ったりと、まあとにかく第一には走る訓練がある。
そして当然ながら武術訓練もあり、クソ重たい装備のままで動き回ったりもするわけだ。
マッスルソウルズも筋肉のムキムキの選手が多いが、それでも機動隊の現役隊員に比べれば、細いものである。
「普段から訓練ばっかしてる人らだから、体がムキムキになるのは当然なんだ。さすがに野球用の肉体じゃないけど」
誠二も呆れる通り、機動隊の隊員は、パワーが持久力向きにもなっている。
瞬発力だけしか鍛えていないような直史とは、根本的に体の作り方が違うのだ。
直史も野球選手として平均的な身長はしているはずだが、機動隊の人間はおおよそ185cmは超えている選手ばかりである。
そして体の厚みは、確実に直史を二回りは上回る。
(でもまあ、野球はフィジカルでやるもんじゃないしな)
決勝戦はコールドはないが、去年も当たった警視庁は、実はかなり強い。
元高校球児の体力バカで、野球部であるから上下関係に慣れていて、そして体力バカなだけでなく、頭の方もバカである。
そんな人間がいたら、警察学校に放り込めば、一人の警察官が出来上がるというわけである。
もっとも本格的なバカであれば、さすがに警察学校にも入れないが。
警察官は筋肉で勉強をするので、バカでも意外となんとかなるらしい。
クラブチームの中でも、特にガチで野球をやっているのは、それなりに少ない。
そしてマッスルソウルズと警視庁は、そのガチでやっている集団だ。
野球は楽しむと言うよりも、訓練の一環で行っているので。
警視庁からの特別の申し出により、試合はまたも府中市民球場に移された。
そしてネットでの中継なども行われない。
機動隊員の警察官特定を恐れてのものらしい。
機動隊と言っても警備部のものなので、あくまでも最低限の予防といったところか。
それでも普通に試合自体は行われる。
今は誰もがカメラマンになれる時代なのだから、制限しても無駄だと思うのだが。
ただまともな映像が出回らないと知って、企業チームの偵察たちはやって来た。
また偵察だけではなく、スカウトの姿もその中にはある。
実は警視庁チームの警官の中には、前身がプロ野球選手だったという者もいるのだ。
高卒からパッとせず、数年で戦力外。
これまで野球しかしてこなかった野球バカは、実はけっこう警察に向いていると言われる。
まず体力には自信があるだろうし、とにかく体力がある。
何はなくても体力だけはあるので、警察官には向いているのだ。
ブラックな体制にも耐性があれば、さらにそれは向いている。
警察というのは、情理の通じない犯罪を相手にするだけに、理不尽を飲み込む強さがいるのだ。
そんなガチムチ機動隊員は、普段よりもずっと多い、相手の応援に驚いていた。
家族や同期など、警視庁は応援をする者は少なくない。
だがマッスルソウルズはほとんど、たった一人の選手の人気だけで人を集めている。
「高校時代に佐藤と戦ったんでしたっけ?」
「おう。結局全然かなわなくて、警察学校に進んだんだけどな」
大学では自分にとって雲の上のプレイヤーが、やはり全く敵わなかった。
卒業後は大学でも社会人野球などでもなく、一番まっとうでヤクザな仕事である、警察官になったというわけだ。
チームの中でも一番のバッティングセンスを誇る選手ではあるが、それがそこまで言うのだから、どれほどのものだと他の選手も気になる。
事前の説明では、なかなか上手く説明できなかったし、説明を理解出来る者も少なかった。
バカの多い警察の中では、機動隊というのは一番、脳よりも筋肉の方が重要であるからだ。
警察学校や機動隊の訓練など、野球部の練習に比べればたいしたことではない。
そんなことを言ってしまうチームメイトが、とにかく問答無用の存在として挙げるのである。
「まあそんなことはなくても、普通に前にも負けてるけどな」
「マッスルソウルズ、ほとんどノンプロに近いだろ」
ノンプロというのは、社会人野球の企業チームのことである。
確かにマッスルソウルズは、その背景からしても、企業チームに近い。
それでも去年は二次予選で、一勝も出来ずに本戦出場はかなわなかった。
メンバー表を確認すると、やはり今日も先発では出てこない。
高校大学と通じて絶対的なエースであったが、国際試合ではむしろ、クローザーとして知られている。
大学でも他のピッチャーを育てるため、先発としてではなく抑えとして投げたことがあった。
「さっさと引きずりださないとな」
などと言ったところで、能登を攻略することさえ難しいのだが。
ベンチの奥で直史は、相手チームの様子をじっくりと見ていた。
マッスルソウルズの弱点があるとすれば、それは分析能力になる。
選手を育てるためには、様々な機材を使って鍛えるマッスルソウルズであるが、あくまでもそれはその先に、選手の能力の向上というものがある。
チームの勝利というのは実力を向上させて果たすもので、相手のチームの情報分析は、そこまで熱心には行っていない。
そもそもそれは、自己を鍛えるというマッスルソウルズの趣旨に反するのである。
さらに言うならマッスルソウルセンターには、企業チームの選手なども、トレーニングに来たりしているのだ。
相手の情報を集め分析し、対策を練った上で試合に臨む。
その過程がほとんどないことは、直史にとっては中学以来のことである。
いや中学の時でも、最低限の噂話や、時間があれば偵察などはしていたが。
つまりこの試合、またもクローザーを任されている直史は、その自分の出番までに、相手の分析を自分だけで行わなければいけない。
ただ雑談程度には、監督の中富や馬場と一緒に、相手の分析はする。
「元プロとか元甲子園組、元神宮組とか、それなりにいるからねえ」
それに警察というのは、実は誠二も進路の一つとして考えたことがあるのだ。
警察官は警察学校に入ってから、様々な教育を受けて警察官になるわけだが、給料自体は警察学校に入った時点で発生している。
これは自衛隊の防衛大学でも、同じようなものである。
プロへの夢を捨てきれないなら、やはり社会人野球という選択が最良であったのだ。
誠二の場合は話が急だったので、そちらの方に話が通せず、今ではこうしてマッスルソウルズで働きながら野球をしているわけである。
直接プロのスカウトに目をつけられなくても、社会人野球からの引抜があればいい。
勝つためではなく、育てるために野球をしている。
それがマッスルソウルズの、根本的な理念である。
勝たなくてもいい野球。
ある意味それは、悟りの境地のようにも思える。
勝利への執着、それは中学時代の敗北の連続から身に付いたものだ。
そして大学時代は、それが義務であった。
今はただ、野球が上手くなることだけを考える。
それがつまり、野球を楽しむということだ。
しかしそれだけではさすがに済まず、選手たちの将来というものもある。
プロをまだ諦めない者たちのためには、勝ち進んでプロのスカウトの目に止まる必要がある。
そのためには少なくとも、二次予選には進む必要がある。
二次予選の相手は企業チームとなる。
そこでどれだけのパフォーマンスを見せるかが、誠二や能登にとっては重要なことになる。
そのためにも、この試合には必ず勝たなければいけないのだが。
これまでの二戦と違い、警視庁との戦いは緊迫したものになった。
能登の球を打ってくるし、ピッチャーの球威も段違いであり、守備は体に当ててでもどうにかボールを逸らさない。
野球部の練習に比べれば、機動隊の訓練でも楽なものだ、と考える元高校球児もいる。
だが打撲や捻挫などの多さは、さすがに機動隊の訓練の方が上だ。
肋骨が折れてもテーピングをして、そのまま他の訓練に移行する。
骨が折れても被疑者は確保と、警察の威信が怪我の痛みを上回る。
フィジカルの中でも、特に耐久力を言うならば、警視庁はマッスルソウルズ以上である。
だが野球に必要なフィジカルと言うには、肉体が重過ぎる。
機動隊の訓練には、盾を持ったまま踏ん張るというものがある。
野球は動くスポーツなので、基本的にはそういった動きに必要な筋力は、無駄であることが多い。
それでもやはり、警視庁は強かった。
決勝戦ではコールドはないのだが、そもそもコールドの点差にまで至らない。
4-2というスコアで、七回を迎える。
そしてここで、直史に交代である。
二点差で、まだ100球に到達していない先発を交代させる。
ただマッスルソウルズはこれまで、コールドで勝った試合でもそうやってきた。
直史が出てくると、球場の雰囲気が変わる。
観客たちの期待するものが何か、直史は知っている。
別にそれを満足させるつもりはない。粛々と投げて試合を終わらせるだけである。
七回の警視庁の攻撃は、あっさりと終わった。
気が付いたら試合が終わっていた、というのはよく使われる表現であるが、甲子園初出場のチームなどに多い。
ここは大観衆の甲子園でもないが、直史のピッチングは相手打線を封じてしまう。
(とにかくパワーだけはあるらしいからな)
だがそのパワーは、どれだけ瞬発的に出せるものなのか。
カーブを打たせて内野フライ二つに、ファールフライ一つ。
とりあえず試合の中で見ていた、相手バッターの弱そうなところを攻略してみた。
弱点と言うよりは、明らかにこの体型やスイングであれば、苦手であろうと思われるコースや球種。
逆に打てそうなところに投げた、遅いカーブ。
これらを全て打ち損じたわけだが、外野にまで飛ばされたのは驚いた。
やはり事前の情報がなく、手探りで探っていけばこうなるのか。
八球でイニングを終わらせた直史に対して、能登はハイタッチを求める。
軽く掌を合わせた直史であるが、どうして外野まで運ばれたのかを考える。
考えるのが楽しい。
「誠二、なんであのカーブ、外野まで運ばれたんだと思う?」
「まあアッパースイングだったし、あとはパワーじゃないかな」
そんなわけはない。
飛ばすために必要なのは、単純なパワーではないと、直史は知っているのだ。
「次の回から、高めのストレートを多めに要求してくれないか」
「高めのストレートって」
指にかかってしっかり投げれば、確かに伸びのある球になるのだろう。
だが打たれたときのことばかりを考えては、リードが窮屈なものになる。
直史の要求どおり、誠二は考えながらも、インハイなどの際どい球や、少し多めに外したストレートを要求した。
タイミング的にジャストミートしそうなストレートでも、空振りやファールになる球が多い。
そしてこのストレートを主軸に、変化球を使えば打たれない。
ストレートは、おそらく150kmを出していない。
だがインハイに投げるそれで、ちゃんと空振りが取っていける。
誠二としては魔法のようであるが、ストレートを上手く使うというのはこういうことなのか。
いや、直史のストレートだからということもあるのかもしれないが。
まるで魔法だとは、対戦相手の警視庁が思ったことである。
基本的にはゾーンでしか勝負しないのだが、時々逃げていく変化球は、ほとんど振ってしまう。
スライダーやカーブに加えて、シンカー系のボールまで投げてくる。
これだけ球種があって、何が決め球なのか。
あるいは全てが決め球なのだというべきかもしれない。
少しでも、打てると思う方が間違いだったのか。
だが七回も八回も、ちゃんとバットには当たっていたのだ。
交代した七回には、三振を取られることもなかった。
だがその投球内容は、イニングが進むごとに、絶望的なものになっていく。
「まあなんというか……いい経験になったよな」
「考えてみれば世界最高峰レベルだもんな」
プロ球どころか、おそらくはMLB級。
しかもそのMLBの中でも、上位の数人に入るのではないか。
そんなピッチャーが今さら、どうしてこんな舞台にいるのか。
別にお巡りさんだけではなく対戦した全ての選手。
それどころか味方でさえ、いまだに思うことはあるのだ。
恐竜の中にゴジラが混じっているという違和感。
極端な言い方であるが、これをどう例えていいのか、語彙力が崩壊する。
「MLBにでも行ってくれれれば、将来の話の肴になるんだけどなあ」
だが行かないのが、直史クオリティである。
判決は下された。
バッター九人を相手に、奪三振四つのパーフェクトリリーフ。
特に最終回は、下に伸びるジャイロボールを見せられて、バッターが戦意喪失していた。
お巡りさんはどんな時でも、諦められないのが因果な職業だが、どうしようもないことはこの世にいくらでもあるのだ。
追加点も加えて、6-2でマッスルソウルズは勝利。
都市対抗野球大会、二次予選へと歩みを進めるのであった。
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