第234話 閑話 被害者

 ※ 今回も時系列が前後しています。


×××


 レックスの猛追が始まった。

 元々負け越していたので、普通に勝っていくだけで、前との差は縮まっていく。

 三強三弱と言われていたセ・リーグの中で、レックスが上位の三チームから、どんどんと勝ち星を上げていく。

 もちろん下位のチームからも、容赦なく勝ち星は得ていく。

(つーかプロのくせにピッチャー使うの下手すぎだろ)

 樋口は傲慢になると言うよりは、弱小チームに呆れていた。


 ライガース相手に三連勝出来たのは、かなり樋口のリードによるところが大きい。

 どうして大介相手にあんなリードが出来るのかと、尋ねた者もいる。

「骨折が二日で治るような化け物なんですよ? ぶつける時は本気でぶつけるぐらいの気持ちを持たないと」

 樋口はスポーツマンシップを持たない。

 外道とも非情とも言える物言いであるが、案外これで引かれたり、軽蔑されたりはしなかった。


 現時点でレックスはリーグ四位であり、けっこう先に三位スターズの背中が見える。

 まだ遠いが、追いつかないほどではないだろう。

 それに今年はライガースも、四月の成績は悪かったものだ。

 クライマックスシリーズ進出はおろか、リーグ優勝の可能性さえも、まだある程度は残っている。

 いやそもそも、日本シリーズ進出を狙うなら、リーグ優勝は必須だ。

 上杉勝也のことを最も評価している選手の中の一人である樋口は、短期決戦におけるあの最終兵器の、恐ろしさも分かっているのだ。


 その上杉との、リーグ戦での対戦がやってきた。

 対するレックスが出したのは、今年の大卒ルーキー。

 一軍登録されたばかりの星が、マウンドに立っている。




 大学時代にも、慣れたというほどには立っていなかった神宮のマウンド。

 そこでプロを相手に、先発で投げるということ。

 ローテ陣が故障者リスト入りした時、リリーフを動かしたくなかった。

 ならば二軍から一人上げようかという時に、そこそこ打たれるくせに、防御率がいいのが星だったのだ。


 ドラフト八位というのは、それほど期待されている順位ではない。

 レックスが投手陣は豊富ということは、見れば分かるのだ。

 ただ今年のドラフトでは、上位から中位までに、野手を多く指名出来た。

 バランスの関係もあって、下位指名ではちょっといないタイプのピッチャーを指名したかった。

 なのでアンダースローを取ったのである。


 大学時代に多くはないが、星とバッテリーを組んできた樋口である。

 その樋口が断言するが、星はメンタルの化け物である。

 直史の場合は実力を順当に発揮して、計算したかのように相手を封じる。

 だが星は打たれるかもしれない意外性のあるリードに、頷いて全力で投げてくる。

 ホームランを打たれても、それで緊張が途切れるわけではない。

 どうせ上杉には勝てないのなら、ちょっと上がってきたピッチャーを使いたいといったところである。


 樋口にはわずかだが勝算がある。

 一つにはルーキーで球が遅い星に、スターズ打線が油断するかもしれないということ。

 あとは純粋に星のピッチングが、ヒットは打たれても点には結びつかないということだ。

 一イニングあたりに何人のランナーを出すかという指標、WHIPならば、星の数字はひどいものだ。

 だが防御率にすると、かなり優秀であったのだ。


 つまりランナーは出すが、それを得点には結びつかせないピッチャー。

 一言で言うと軟投派なのだが、単純に軟投派なわけでもない。

「相手の先発は上杉さんが来るだろうと分かってたから、とにかく試合を成立させるピッチャーに投げさせたかっただけなんだ」

 樋口は大学のチームメイトに対しても、純粋にずけずけと言う。

「だけどお前が勝てるピッチャーだってことは、ちゃんと分かってるからな」

 まあ上杉相手には勝てないだろう。


 星としてはプロの世界に来た以上、投げるしかない。

 何年通用するかは分からない。あるいは今年一年、一試合だけで、限界を感じるかもしれない。

 だが挑戦する気持ちはあるのだ。

「全部任せるから」

 星の言葉に、どんと胸を叩く樋口である。




 スターズがいくら貧打のチームと言っても、一試合に二点以上は平均で取れるものだ。

 だから星のこのピッチングは、かなり意外なものである。

 初回にいきなり失点したものの、その後は毎回ランナーを出しながら、七回まで1-0というスコア。

 わずか一点差であるため、上杉はマウンドをリリーフに任せることが出来ない。


(う~ん)

 プロ初先発初勝利という栄誉を、星に贈りたい樋口である。

 わずかに一点差であれば、上杉の力の抜きようによっては、どうにかなる点数だ。

 しかし一点差の場面で、上杉が力を抜くはずもない。

 もっとも抜いて投げても、まともに打てないのは確かだろうが。

 なにせここまで、フォアボールが一つにエラーが一つ。

 つまりノーヒットノーランをしているのである。


 九回の裏、あと一人出れば、最後に樋口に四打席目が回ってくる。

 たださすがにそれは難しいかなと思っていたところで、サードがゴロをトンネル。

 エラーでランナーが出て、ツーアウト一塁。

 まだノーヒットピッチングが続いているところで、樋口に打順が回ってきた。


 なんということだろう。

(神様、この展開はめんどすぎます)

 樋口はWBCの折、上杉のボールも受けている。

 高校時代に既に化け物であったが、プロ入り後にはそれが完成した。

 170kmオーバーのストレートなど、マトモに打てるバッターがいるわけない。一人を除いて。


 それでも樋口ならなんとかしてくれる、とでも思っているのだろうか。

 確かにホームランを打てば、サヨナラという場面ではある。

 だが樋口は自分に、そんな主人公補正はかかっていないと思う。

 ノーヒットノーランを防ぐだけなら、なんとか出来るかもしれないが。


 樋口もこの試合は、勝つならば上杉が降りた後だと思っていた。

 スターズのクローザーは、上杉と同期入団の峠であり、今年も既に20セーブもしている。

 だがそれでも峠や、そこに至るまでのリリーフ陣の方が、上杉よりは楽なはずであったのだ。

 つまるところ、星が良すぎたのが悪い。

 どのみちノーヒットを続いていた状態では、交代などは考えられなかったかもしれないが。


 上杉はルーキーの年に二度のノーヒットノーランをし、その後一度パーフェクトをしている。

 プロの水に慣れるにつれて、徐々に力の抜き方を学んできた。

 だが樋口の守るレックス相手に、久しぶりに血が騒いでいるのか。

 WBCの壮行試合とは、比べ物にならない。

 闘気が圧縮されて、殺気よりももっと暴虐に近い気配となっている。


 上杉もまた飢えている。

 この世界において上杉が本気で投げる価値のあるバッターなど、ほんの少ししかいない。

(その一人に、お前もなってくれるか?)

 自分のためのキャッチャーとして、わざわざ勧誘に行った。

 そして夏には四番の座を、渡しただけのバッティングセンス。

 樋口のバッティングセンスは、上杉も認めているのだ。

 大介のように人間離れしてはいないが、読みと技術が高いレベルで融合した、高度なバッティングを行う。




 上杉のボールをどうやったら打てるか。

 樋口は基本的に、それは考えない。

 プロの世界では単純に、上杉以外から勝てばいいからだ。


 さすがの上杉であっても、プロの世界で一年間完全に投げ切るのは難しい。

 シーズン優勝をして、アドバンテージがある状態でスターズと戦う。

 結果的にライガースが三年間やってきたことが、スターズに勝てる手段であるのだ。


 上杉には勝てない。

 それは人間に、素手で熊や虎と戦えと言っているようなものだ。

 幸いにもバットという凶器は持っているが、熊に挑むにしろ虎に挑むにしろ、せめて金属製であってほしかった。

 棍棒でゴリラと対決する。

 しかもこのゴリラは、争いを避ける優しいゴリラではない。


 バッターボックスに入った樋口に対して、上杉は初球ストレートから入る。

 ほぼど真ん中のボールであったが、樋口はスイングもしていない。

 173kmのストレートは本日のMAXである。

(どうやったら白石は、これをある程度打てるんだ?)

 かつてバッテリーを組んだ樋口にしても、納得出来ない蹂躙するボールなのだ。


 上杉はムービング系のボールを使うし、高速チェンジアップという緩急をつける球も持っている。

 だから二球目はチェンジアップを使ってくるかと思ったのだが、二球目は内角に食い込んでくるツーシームであった。

 打てると思ってバットを出したら、そのバットが折れてボールはミットに収まった。

 完全に破壊の権化たるそのツーシームは、単なる樋口のミスショットである。


 新しいバットを求めてベンチに戻れば、星と視線が合ってしまう。

 プロ初先発で七回一失点というのは、完全なハイクオリティスタート。

 ピッチャーが負けるとしたら、それはバッターの怠慢である。

 ただ上杉相手であると、力の抜けたところを打っていくしか、点を取る手段など無いのだが。




 打たなければいけないとは思う。

 ピッチャーと組むキャッチャーとしては、なんとか援護をしてやりたい。

 上杉との勝負は捨てるというのは、確かに戦略の一つではある。

 だがプレイオフにでもなれば、どうしても勝っておきたい一戦というのが出てくるだろう。


 ここでもしホームランなどを打てれば、それは確かに超一流の打者の証明である。

 だが樋口は自分のことを、あくまでもキャッチャーだと思っている。

 本能的に、バッターではなくキャッチャーなのだ。

 ただそれでも、打線に組み込まれている以上は、打たなければいけない時はある。


 ツーストライクに追い込まれていた。

 上杉はおそらく、ここから遊び球など使ってこない。

 ならばキャッチャーの尾田はどうなのか。

 普通ならばキャッチャーは色々と考えるのだろうが、上杉と組む場合のキャッチャーは、とにかくパスボールさえしなければいいという風潮さえある。

(配球を読んで打つにしても、ここから投げてくるボールなんて、ストレートしかないだろう)

 そのストレートで、今の樋口を測ってくる。

 少しでも注意をさせる存在で、ありたいのは確かな樋口だ。


 ゾーン内のどこか適当なところに、ストレートが来る。

 タイミングだけを考えて、あとは振ればいい。

 そう思っていたところへ来たストレートは、内角を狙ったもの。

 樋口のバットはそれを捉えた。


 球威に押されはしたが、ミートは出来た。

 だがそのライナー性の打球は、ショートのグラブに収まっていた。

 スリーアウトでゲームセット。

 そして上杉は自身三度目のノーヒットノーラン達成なのである。




 ノーヒットノーランは偉大な記録であるが、された方はたまったものではない。

 せっかくここのところいい調子であったのに、寮のメンバーは帰還の車の中、ほとんどお通夜の雰囲気である。

 樋口と星は車を持っていないため、緒方の車に同乗しているのだ。

 最後のバッターとなった樋口は、別にこの先を悲観してはいなかった。

 上杉は超人だ。普通に戦ったら負けるのは当たり前なのだ。


 同じく寮組の星も、とりあえず自分のピッチングが良かったので、それほど不機嫌ではない。

 ただ緒方はプロ入りしてようやく水が合ってきただけに、より上杉の恐ろしさを感じている。


 上杉は明らかに、現在の人間の野球選手の中で、頭一つ大きな才能を持っている。

 いや、頭一つどころではなく、全く種が違うようにさえ思えるが。

「上杉さんの弱点って、高校時代は何かあったんですか?」

 緒方は高校時代は、上杉と戦う機会がなかった。

 プロに入ってからは圧倒されているが、高校時代の上杉はどうであったのか。

 おそらく樋口ほど知っている人間は、そうそういないだろう。

「弱点か。まあ今でも色々とあるけどな」

 まずフィールディングがあまり上手くない。

 投げた姿勢のままでいるため、打球への反応が遅い。

 あとはクイックもあまり上手くはない。これはプロ入りしてからだいぶ改善されたが、高校時代はかなり遅かった。


 ただ全ての欠点は、そもそもランナーがほとんど出ないし、それ以前にバットに球が当たらないという、超越した性能でどうにでもなっていたが。

「樋口さんでもダメですか」

「いや、条件が整えば、普通に勝てることは勝てる」

 緒方のハンドル捌きが、思わず揺れてしまったが。

「勝てるんですか?」

「そりゃあまあ、高校時代には甲子園で優勝できてないし、プロに入ってからでも何度か負けてるし」

 ただしそれは、打線での援護があまりないという点は共通である。


 上杉を相手にしても、ちゃんと準備をすれば勝てる。

 今日の試合で樋口は、その確信を得た。

「まあ今日の試合でだいたい分かったし、もう一回ぐらい確認してからかな。それでも確実に勝てるとは言えないけど」

 緒方からすれば、そこまで断言出来る樋口が、まさに魔法使いであるのだが。


 上杉から点を取る方法はある。

 だが問題は、スターズから点を取られないことだ。

 今日は一点だけであったが、普通にスターズも三点ぐらいは得点してくるチームなのだ。

 レックスよりもさらに得点力は低いが、それでも無援護敗戦などは、そうそうない。


 レックスの方の問題を解決してから、スターズ打線への対策を考える。

 上杉攻略というのはその先の話だ。

「まあプレイオフとかそういう場面で使いたいから、あんまり喋らないでくれよ」

「分かりました」

 緒方と星に共通するのは、比較的口が堅いこと。

 樋口から受けたその可能性で、緒方は翌日以降も優れたプレイをしていく。


 もちろん根本的な攻略法などはない。

 ただ今よりはマシというだけであり、それにとりあえずは、今のチームの士気を高めることが大切だ。

(怪物退治は、そこそこ慣れてるからなあ)

 樋口としてはもっと戦略的に、リーグ優勝を考える方が楽であった。

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