第233話 ふたたび、解説の佐藤さん
※ 今回も時系列は前後します。先にプロ編230話を読むことをオススメします。
×××
直史は基本的に、プロ野球には興味がない。
だが試合を全く見ないというわけでもない。
意外と野球というスポーツは、テレビでの観戦には向いているのだ。
攻撃と守備の交代の時間に、色々とすることが出来るので。
これが分析のためであると、一瞬も目を離せない。
たいがいの注意すべきことは、プレイとプレイの間の、何気ない行動の中にある。
高校と大学においては、特にキャッチャーがそれをしてくれていた。
ただ完全に勝たなくてもいい野球をやり始めた直史が、それでも見ようと思った試合がこれだ。
その日にやるべきことは全てやって、早めに風呂に入ってソファに座り込む。
その隣にぽすんと瑞希も座るが、こんな時にもメモ帳とペンを持っている。
カードは大阪ライガース対大京レックス。
最近交流戦の前当たりから、樋口がスタメンでマスクを被ることが多くなった。
そして正捕手の丸岡が怪我をして、二ヶ月ほどの離脱。
樋口がスタメンのマスクを被って、初めての大介との――いや、ライガースとの対決だ。
レックスは調子を上げてきている。
シーズンを通して見てみれば、上杉がプロ入りした初年は最下位。
その後も四位、五位、四位、五位、五位と一度もAクラスに入っていない。
監督も交代したが、まだ去年は実績が出なかった。
しかし直史の目から見ても、もうちょっと上にいける戦力は揃っていると思うのだ。
リードオフマンの西片は毎年、三割30盗塁はキープしている。
また二年前に大阪光陰から入った緒方は、完全に野手に専念して、一年目に新人王を取った。
高卒の野手が新人王を取るというのは、しかもそれが一年目というのは、本当はかなり珍しいことなのだ。
もっともこの数年は両リーグ合わせて、織田、大介、アレク、緒方と、高卒野手が大活躍しているが。
新人王は取れなかったが、井口と後藤も初年から二桁本塁打と、かなりの活躍をしている。
この数年は高卒の野手が豊作と言えるだろう。しかも素質型ではなく即戦力だ。
中でも一番おかしい大介に、樋口はどう対処するのか。
「どちらが勝つと思う?」
瑞希の問いに、わずかだが直史は考える。
「大介はホームランを打つかもしれないけど、試合はレックスが勝つんじゃないかな」
それを聞いて瑞希も少し考えた。
「試合の勝敗に対する貢献度が、キャッチャーの方が高いから?」
「まあそうだな。敬遠を使うならさらに勝てる可能性は上がると思うけど」
ピッチングはコンビネーションだ。
もちろんある程度以上の球威が、大介相手ともなれば必要になる。
本日のレックスの先発は吉村であり、だいたい毎年少し怪我をするが、二桁前後は勝って貯金を作る。
高校時代のことを考えても、弱い相手でないことは確かだ。
それでも吉村のピッチングの幅で、大介に対抗出来るのか。
最初の対決は、大介が外野フライで倒れた。
そしてその次の打席がホームラン。
そこから二打席、両方とも打っていって、外野フライでアウトである。
「もしかして、風を利用したの?」
「それもあるな」
大介の打球は、この試合は全てライト方向であった。
特大のファールボールもライト方向で、とにかく樋口は内角攻めを徹底していた。
もちろん内角攻めを活かすための、外角への誘い球も多かったが。
吉村の持ち球の中で、一番強力なのがスプリットだ。
そしてこの試合では、ホームランになったのがそのスプリットである。
他の三打席は、ストレートを上げてしまっていた。
悪い打球ではなかったのだが、大介は本来もっと、ライナー性の打球を打つのだ。
試合の終わった後も、直史は考える。
今日の試合は大介は、四打数の一安打であった。
打率で考えると大介にしては低いが、ホームランを打っているので帳消しといったところか。
だがソロホームランである。
他の三打席は、ランナーがいるところでの勝負であった。
「お風呂もらうね~」
試合を再生して腕組みをしながら、うんうんと唸る直史を、瑞希はそっとしておく。
自分の試合でもないのに、これだけ考えるのは珍しいことだ。
高校や大学時代に、対戦相手の分析をしていたのとは違うのだ。
スプリットを、あえて打たせたのか。
大介と四打席勝負して、打点が一なら悪い結果ではない。
そして吉村の後のピッチャーも、サウスポーで似たようなことが出来たのだろうか。
自分のピッチングのコンビネーションの幅なら、かなりの確率で大介を封じることは出来る。
だが吉村の変化球の数を考えると、なかなか難しいはずだ。
吉村が普段はカウントを取るか、決め球として使っているスプリットを、あえて撒き餌とした。
そして伸びのあるストレートで、打ち損じを狙ったといったところか。
まあ二打席目にスプリットを打たれて、そこから考え方を変えたのかもしれないが。
「上がったよ~」
直史は既に風呂に入っていたのだが、そんなことも忘れてもう一度風呂に入りながらも、色々と考える。
だが自分のコンビネーションで大介を抑えるのはともかく、吉村のコンビネーションで抑えるのは難しい。
浴槽で茹で上がる直前まで考えて、瑞希が心配して見に来たりもした。
「えっち」
「心配しただけでしょ」
そしてある程度は整理がつく。
ライガースとレックスの三連戦は、はるか西の甲子園球場で行われている。
樋口もまた高校の三年間、ずっと甲子園に出場してはいた。
神宮球場でならどうすれば勝てるかを考えていたように、甲子園でどうすれば勝てるかを、考えていてもおかしくはない。
樋口は外角のボールを、ライトスタンドで叩き込んだことがある。
それを大介の場合に当てはめたのだろうか。
右打者が流し打ちにして、しかもちゃんと弾道を描くホームランを打つ。
金属バットでなくなった今の樋口には不可能だろう。
そして大介は特注の重いバットで、今日はフライを上げてしまった。
ただ出来れば樋口は、内野フライを打たせたかっただろう。
そんな組み立てでも外野までは運んでしまうのは、さすが大介と言うべきだろうか。
そして三連戦のうちの、残りの二戦も見た。
大介はかなり運の悪い、野手の守備範囲の外野フライを打ってしまったが、本来の大介ならあれをホームランに出来るのだ。
わずかにスイングにアッパースイングの要素が加わり、スタンドまでには届かなかった。
樋口がどこまで計算していたのかは知らないが、全てが計算づくでもおかしくはない。
コンビネーションの幅が広い直史には必要ないから、思いつかない。
だが樋口は他のピッチャーでも、大介を封じる手段を考えなくてはいけないわけか。
「というわけで今度、神宮に観戦に行こうか」
「別にいいけど、今ってそんな簡単にチケット取れるの?」
スターズとライガースほどではないが、ライガース戦は今、どの球団でもドル箱のはずなのだ。
「セイバーさんに話してみたら、今度一緒にって言われた」
「じゃあ行くけど、あんまりのめりこみすぎないでね」
「……分かった」
瑞希に言われてやっと、直史は自分が随分と、大介と樋口の対決に、思考のリソースを割いていることに気付いた。
プロ野球において一番のプラチナチケットは、上杉の登板するライガースとスターズの試合である。
直史はさすがに、このカードはけっこう見ることが多い。
だが上杉の登板がライガースに当たる確率は、計算するまでもなく少ない。
だが樋口がレックスの正捕手となったことで、レックスバッテリーと大介の、あるいはライガース打線との対決は、見ていても楽しめるものになっている。
直史は優先順位を忘れる人間ではない。
ずっと勉強漬けであるのに比べれば、少しぐらいの気分転換は必要だと、瑞希も思う。
ただそれが、少しだけにならない可能性があるのも確かだ。
レックスとライガースの試合。
その試合におけるアクシデントを、もちろん予知することなど出来ない二人であった。
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