第155話 遠く近い昔

※ 試合の具体的内容は続・白い軌跡にて。

  150話まではあちらを先行して読むことをお勧めします。


×××


 何か足りないな、と直史は思う。

 それは近くて遠い、夏の記憶。

 同じ甲子園で、もちろん選手と観客との違いはあるが、何かが違う。

 なんだろうと思っていたが、蝦夷農産の攻撃の時に分かった。

 蝦夷農産はブラバンの応援がないのだ。


「うん、運動部しかないんだって」

 事前に調査済みだった瑞希は、直史の問いに即座に答えてくれる。なんでも部活は体育会系しかないのだそうな。

 もっとも完全に演奏がないわけではなく、有志一同やOBなどの演奏は少しある。

 あと他の特徴としては、農業系の学校のため、男子の数が圧倒的に多い。

 野郎の野太い応援の声は、それなりに迫力がある。

 あとは少数の女子が、チアなどをしてくれていたりもするわけだ。


 北海道から甲子園まで、実は移動はむしろ楽であるという説もある。

 電車などでは遠すぎるため、飛行機を利用する者が多いからだ。

 もっとも全ての応援人員が、飛行機を利用可能なわけもない。金銭的にそもそもあまりにも金がかかるのは、飛行機でも電車でも同じことだ。

 ただ一度こちらに来れば、コネクションを使って、近隣の農業用施設で寝泊りすることが可能なのだとか。

 宿泊費がほとんどかからないのなら、その分を移動用の費用に回せるわけだ。


 そこまでして応援に来るものなのだな、と直史は感心する。

 大介などは開会式の前に少し来たのであるが、プロのシーズン真っ盛りであったため、この日も遠征で東京に行っている。

 当然ながらツインズはそちらの方を見に行っているため、白富東を応援するはずもない。

 イリヤは東京で直史の試合をよく見にきてはいるのだが、あまり話すこともない。

 彼女が卒業してからは白富東も、新たな曲を応援曲に加えることはない。あるとしたら既に楽譜が存在するもののみだ。80年代の力はもう、そこにはない。

 そういった意味でもあの時代の白富東は、数々の才能の輝きに彩られていたのだと言える。

 その時代の最後の一人が、まさに秦野というわけだ。




 自分のやっていたことは、野球であることは間違いないが、それでもずっと特別なものであったのだ。

 まだ21歳であるのに、直史は自分の人生で最も輝いていた季節が終わったと感じる。

 ワールドカップとWBCを経験してなお、直史が最も全ての力を出せたのは、夏の甲子園だと感じている。

 大介は違う。

 甲子園とワールドカップでスーパースターになった大介は、今年は完全にホームラン記録を塗り替えるペースで打ちまくっている。怪我で離脱していた期間があったのにだ。

 プロの世界で大介は輝いている。

 その大介を押しのけて、ワールドカップMVPになったのが直史であるが、もうあれで燃え尽きた感じもする。

 俗物的だがWBCの参加は、優勝すれば勲章がもらえると聞いたからである。春の授与には間に合わなかったが、秋にはもらえることになっている。

 もちろん本物の世界のトップクラスのバッターと、闘ってみたいという気持ちもあったのだが。

 

 高校時代の方が、どうしてあれだけ世界は輝いて見えたのだろう。

 野球についやする時間にしても、別に高校時代の方が長かったわけではない。

 大学入学以降は、時間と空間の制約は少なくなったが、それなりに野球の技術は伸ばしてきた。

 やはり高校野球というものが、日本においては特別すぎる。

 神宮や国体も全国大会ではあるのに、甲子園が特別であるのだ。


 この灼熱の甲子園球場の中で、観戦する方でさえ下手をしなくても、熱中症で倒れる者がいる。

 むしろ攻撃の間はベンチの中の日陰にいられる自分たちの方が、ずっと応援してくれている人々よりも楽なのではないかと思ったこともある。

 もちろん実際はピッチャーの場合、投げるのと暑さとで、体力をどんどん消耗させられたものだが。

 つい三年前の話なのに、どうしてあそこまでの暑さに耐えられたのか。

 高校生というのは、随分と頑丈なものだと思う直史である。

 

 飴ちゃんをもらって観戦する直史と瑞希であるが、なんともお互いに殴りあう展開だな、と思わざるをえない。

 ただ白富東の方は、ちゃんと文哲がコントロールして投げているため、連打の大量点とはならない。

 先制点こそやったものの、その裏に一気に三点を奪って、やはり白富東は打撃好調である。

 青森明星と早大付属との試合は、ピッチャーが良かったのでロースコアになったが、現在の白富東は、むしろこういった打撃戦の方が得意なのかもしれない。


 見ている方もポコポコと点が入る方が、面白いものなのだろう。

 だが監督などからしたら、絶対に胃に悪い。




 スマホで見られる相手のベンチの様子などは、監督が選手たちに積極的に声をかけている。

 対する白富東は、秦野の動きは小さい。

 無理に士気を上げることなく、試合の流れを読んでいるようにも見える。


 直史はこの試合、終盤まで白富東がリードしていけるかどうかが、勝負の肝であると思う。

 奪三振率の高いユーキは、おそらくこの蝦夷農産の強力打線も、少ない点で抑えることが出来るだろう。

 なのでおおよそ七回までに、三点差をつけていれば勝てる。

 そんなことをいっても七回で三点差がついていれば、そもそも勝てる可能性は高いだろう。


 二回、三回と、蝦夷農産は一点ずつを返していった。

 これまでの試合を見ると、ビッグイニングを作って一気に試合を決めることが多かったのだが、本質的に攻撃力が最初から高いのだ。

 悟や宇垣ほどの傑出したバッターはいないが、とにかく打線の平均値が高い。

 それでもやはり、竹園と北野の二人が、重点的に注意するべきバッターか。

 そんなことを考えていたら、六番バッターからソロホームランが出てきたりする。


 これは投げるほうは大変だな、と直史は思う。

 同時にそのピッチャーのメンタルをケアするのも。

 ただ三回の表に追いつかれてすぐに、またリードを奪うところはかなり流れがいい。


 さらに次の表で、初めて無失点のイニングが作れた。

 その裏にはピッチャー文哲に代打を送る。

 四回三失点は、直史的にはあまりよくはない。

 だが打撃戦であればこれぐらいは覚悟しておくべきだろう。


 直史は練習に参加して手伝っている間に、おおよそ他のピッチャーの性格もつかんでいる。

 だから打たれても折れずに投げられるピッチャーは、文哲が一番だとも知っている。

 その一番安定感のある文哲をここで降ろすのは、まだ早いのではないかとも思う。

 サウスポーの山村を準備させているが、典型的な俺様性格の山村は、能力がないわけではないが、その能力に見合ったメンタルの持ち主ではない。

 それなりに打たれたら、集中力を失ってしまうタイプだ。

 秦野には何か作戦があるのかとも思うが、二イニング投げてユーキにつなげば、なんとか勝てるとも思っているのだろうか。




 直史の想像を外れたことを、秦野はしてきた。

 まさかここで、甲子園での登板のない、花沢を投げさせてくるとは。

 代打で出た大井はそのままセカンドで、花沢がアンダースローで投げる。

 それなりにヒットは打たれたが、一イニングをまずは一失点で抑えた。

 この調子ならもう一イニングぐらいは投げられるだろうか。


 蝦夷農産の方もピッチャーを二番手の金子に代えてきた。

 二年生であるが、ストレートとカーブのコンビネーションで、それなりに三振を奪えるピッチャーだ。

 だが甲子園で完投するほどの能力を持ってはいない。

 少なくとも直史の見る限りでは、他の強豪校のエースほどではない。

 それを言うなら白富東もそうであるのだが。


 絶対的なエース一人では足りず、数人のピッチャーの継投で勝つ。

 プロでも分業制が一般的になっているので、高校野球の最高峰である甲子園でも、それは無理はない。

 まして夏は体力の消耗が激しく、そのくせ限界を超えてしまうことがあるのだ。

 ピッチャーを壊さないためには、球数制限よりも、二番手ピッチャーの育成が重要だろう。


 五回が終わってグラウンド整備の間に、両チームでは作戦が立てられているのだろう。

 当然ながら優位なのは、点差でリードしている白富東だ。

 ピッチャーにしても150kmオーバーを投げるユーキを、ここまで温存している。

 準決勝までも無理な使い方をしていないので、終盤まで温存出来たら、おそらくそれで勝てる。


 もう一イニングは投げさせるかなと直史が思っていた花沢が、六回の表はセカンドに戻る。

 そして三番手のピッチャーとして、ブルペンで投げていた山村がマウンドの登る。

 考えてみれば肩を作らせていたのだから、ここで登板してもおかしくはないわけか。

「ここからどうするの?」

 瑞希の問いに、直史も考える。

「ユーキを残り二イニングまで温存出来たら、それで白富東の勝ちだとは思うんだけど」

 ただし白富東が、打線でもどう追加点を取ってくるかが問題だ。

 現在の点差は8-4となっている。

 直史や武史、岩崎などであれば、もう勝ったも同然と言える点差だ。


 以前蝦夷農産と戦った試合では、相性がいいだろうと思っていた淳が、それなりに点を取られたものである。

 だがそれでも蝦夷農産相手には、本格派以外のピッチャーが本来は相性がいい。

 ただコーナーを攻めるコントロールを持つ文哲がそれなりに点を取られていたので、油断は出来ない。

 花沢からも一イニングで一点を取っているので、下手に軟投派であっても、攻略に手間取ってくれるとも限らない。


 左ピッチャーに対しても、蝦夷農産は苦手意識がないようであった。

 元々右打者が多いので、左対左という図式はあまり出てこない。

 山村のカーブにしても、左打者に比べると、普通に打ってくる。


 そしてまたも一点。

 四回の表を除いては、蝦夷農産は毎回一点ずつを取ってきている。

 このままなら九回までで、8-8の同点のスコアとなってもおかしくはない。

 二番手ピッチャーの金子をどれだけ打てるかで、勝負は決まると言っていいだろう。

「う~ん……」

 直史のようなピッチャーからすると、ピッチャーが不甲斐ない試合に思える。

 ただどちらのチームも抑えのピッチャーを、最後まで温存している。

 蝦夷農産などはこれだけの点を取られているのだから、もっと早くに交代してくるべきだと思うのだ。


 四回の裏の三点。あれが痛すぎるだろうに。

 だが蝦夷農産にとっては、三点はワンチャンスなのだろう。

 準決勝の仙台育成との試合も、エースから一気に取った点で試合を決めた。

 直史は六点はリードがないと、セーフティリードとは思わない精神構造をしている。

 だがあの試合は、一イニングに七点を取ったのだ。


 白富東がそこまでの爆発力を出したのは、それこそ桜島との試合ぐらいであろうか。

 直史は二年の夏、西郷率いる桜島との、頭のおかしなホームラン合戦をはっきりと憶えている。

「少なくともあと一点はほしいところだけどな」

 だがこの六回の裏は、白富東は一番からの好打順であったにもかかわらず、あっさりとツーアウトを取られてしまう。

 直史が再現した相手ピッチャーの金子だが、あまり似ていなかったのか。


 いや、そういうことでもないだろう。

 この試合白富東は、点も多く取っているが、残塁もそれなりに多い。

 六回の裏の攻撃だというのに、既に四打席目なのだ。

 つまり前の三打席までで、先発の和田のピッチングの印象が強く残っている。

 なのでさほどピッチャーとしての特徴も変わらない金子でも、あまり打てなかったといことか。


 そんな状態なのかな、と直史が想像した矢先に、ツーアウトから悟が強振。

 ライトフェンスへの直撃弾は、バウンドが変わってスリーベースヒットまでになった。

 そして四番の宇垣だが、こいつも今日は当たっている。

 もちろん直史ならば勝負するが、ツーアウトで三塁にランナーがいるのだ。

 いっそのこと五番の上山まで歩かせて、満塁で六番の塩崎と勝負した方がいいのではないか。

 もちろんそこで打たれてしまえば、ツーアウトなので普通のヒットでも、二点取られることは考えないといけないが。

「直史君だったらどうするの?」

 そう問われた直史は、首を傾げるばかりである。

 自分だったらそもそもこんな状況にはしていないが、ここでリリーフに出たと考えるなら。

「俺なら普通に打ち取るだけだけどな」

 自分が秦野だったら、あるいは相手チームの監督だったら。

 基準となる能力が自分であるため、あまり参考にならない。


 瑞希は色々と書いているが、果たして素人ながら多くの試合を見てきた彼女としてはどうなのか。

「瑞希だったらどうするんだ?」

 記録することはあっても、試合の展開は予想しないのが瑞希である。

 ただ、それでも分かることはある。

「蝦夷農産なら、勝負じゃないかなあ」

 蝦夷農産ならば、か。


 どのみち試合はまだ六回。

 既に8-5とハイスコアのゲームとなっているが、まだまだ終わりまでは長い。

 汗を指で拭う直史は、沈黙をもって回答とした。

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