第154話 強者の視点
直史は野球をするのは好きであるが、やらされるのは嫌いである。
なのでせっかくまともなチームメイトが揃ったとしても、私立の強豪校などに行っていたら、あっさりとやめてしまった可能性は高い。長男として責任感は強いが、同時に我儘でもあるのだ。
その後はそれこそ草野球でもやるか、あるいはクラブチームに入ったりもしたかもしれない。
だが草野球はまだしも、クラブチームに入ってまで野球を続けただろうか。
そこまで野球に金をかけて続けたかどうかは怪しいし、まして大学で続けることは絶対なかっただろう。
だからこの歴史において直史の選んだ道は、一見すると道のようには見えていないが、実際はただ一本の正解の道だったのである。
運命が彼をそこへ運んだ。
全ての出会いが、まるでタイミングを測ったかのように、目の前に現れた。
それはおそらく大介にとっても同じであったかもしれないが、大介は普通の強豪私立に行っても、自然と目立つようにはなったかもしれない。
機会さえあれば着実にものにするだけの、器量を持っていた。
直史にとっては、本気でやっているつもりはない大学野球である。
言うなればこれはアルバイトのようなもので、だからこそ多少の我慢はしてでも、趣味で身につけた技術を披露していくのだ。
(なんだかなあ)
直史の身につけた、チェンジアップの一種であるストレート。
その詳細を聞きながら、瑞希はまた記録を取っている。
これまでに書いた文章と違いこれは、ほとんど日記のようなものだ。主に大学進学後の直史と自分の間にあった出来事である。
なので私的なことも多く書いてあり、特に夜のことは、かなりの部分を削除しなければ、自分が恥ずかしい。
今日の直史は、かなりご機嫌である。
だいたい直史がご機嫌な時は、何か新しい知見を野球で身につけた時だ。
そしてその内容も瑞希には話す。
彼女は秘密を守るし、こちらの話も理解出来るほどの所見を持っている。
球速と回転数。
これはおおよそ関連している。
前に押し出す力と、その際に最後に球を弾く力。
これはある程度どのピッチャーも比例しているのだ。
球速はあるが回転数は少ないというボールが、簡単にいうとスプリットである。
今回の直史が投げたのも、チェンジアップというほどのボールでもない。
MLBにおいてあるピッチャーが、球速のわりに随分と打たれないことを分析した時、理由は球の回転数だったということがある。
「これ、ひょっとして普通のいいピッチャーの棒球じゃない?」
瑞希の指摘は正しい。
「棒球の正反対というか、球速の割りに打たれないストレートの、一つの形ではあるかな」
直史はこれまでに、球速の割りに打たれないストレートを持っていた。
変化球に分類されているが、ジャイロボールであるスルーがそれだ。
あれはライフル回転することによって、初速と終速の差が少なく、そのくせに落ちるボールであった。
今度は速度の割りに、落ちないボール。
普通に球質のいいストレートなのだ。
だがそれをMAXの球速で投げないところに、このボールの意味がある。
これまではそうそうなかったが、本来直史のストレート程度なら、普通に打てるバッターはいくらでもいるのだ。
それが打たれないのは、コンビネーションが優れているからだ。
そしてこの落ちないチェンジアップは、直史のピッチングに新しい幅を与えてくれる。さらにコンビネーションに幅が出るのだ。
中学時代にはカーブを磨き、高校時代にはスルーを身につけ、大学に入ってからはストレートも通用するようになった。
試合期間が一番少ない大学では、スライダーやスプリットまで、新しい段階にレベルアップさせた。
高校入学時点の直史は、その時点で既にすごくいいピッチャーであったが、全国レベルで見ればそうたいしたピッチャーではなかった。
そこから一気に技術の研鑽によって、高校最高のピッチャーとまで呼ばれるようになった。
甲子園で二度のパーフェクト。
おそらく二度と現れない記録である。
次は何をしようか。
直史の体格と骨格からいって、ストレートは絶対に160kmに到達しないと言われている。
正確にはそこまで投げようとすると、他の部分で削らなければいけないものが多すぎるのだ。
やはりコンビネーションを磨くべきだろう。
この落ちないチェンジアップは、その中の一つとして使える。
球速のない球は、必ずなんらかの変化がかかっていると見られるだろう。
単なるスローボールなら、普通に山なりになる。
だがこのボールは、落ちないのだ。
フライを打たせるには絶好のボールと言える。
もっともフライを打つのがいいと言われている昨今の風潮では、本当に使いどころが難しいのだが。
直史は秋のリーグ戦も、抑えに回るつもりである。というか春の段階から、辺見はそう起用しようとしていた。
村上に武史、そして淳と、先発で投げられるピッチャーは多くいる。
もちろん先発で投げられないわけではないが、戦力の順当な継承を考えれば、早稲谷は直史に期待しすぎるといけない。
直史は先発で完投する上に、連投も可能なピッチャーだ。
コンビネーションで勝負するため、全力を出すボールなど少なくてもいい。
なので球数が嵩んでも、肩や肘への負担は少ない。
明日の決勝戦、果たして結果はどうなるのか。
全体的には白富東の方が強いとは思うが、蝦夷農産の爆発力は侮れない。
投げるのが自分であれば、導火線に火をつけることもなく、簡単に封じてしまう自信があるのだが。
この日、二人は珍しくも肉体言語をかわすことなく、おとなしく眠りについたのであった。
正午を過ぎて太陽の一番暑い14時、甲子園の決勝戦が開始される。
バックネット裏に座った二人は、白富東側のスタンドも見た。
そこに懐かしい顔を見た直史は、挨拶に行く。
「お久しぶりです、キャプテン」
「おう、お前も見に来てたのか」
夏休みと言えども仕事はある北村であるが、今日は有給を取ってでも見に来たのだ。
「お前はずっと見に来てたのか?」
「いえ、二回戦までは間隔が空きますから」
「そりゃそうか。しかし今年の決勝もすごいな」
蝦夷農産は北海道のチームだというのに、しっかりと全校応援でスタンドを埋めている。
父系やOB、OGも多いらしい。
対する白富東は、学校の中でも一二年はたくさん応援に来ているが、マイペースに我関せずという者も多い。
「公立同士の決勝は久しぶりかな」
「いや、うちと春日山があったから」
「あれかあ」
北村は苦笑いするが、九回の裏までは勝っていた試合であった。
あれ以来直史は、樋口を意識するようになっていた。
高校最高バッテリーなどと、上杉正也と樋口は呼ばれていたものだ。
確かに白富東は、ピッチャーを多数そろえていたので、そう呼ばれにくいという事情はあった。
「どうする、どっか座るか?」
「いや、バックネット裏を確保してあるんで」
「他にも誰か来てるのか?」
「瑞希と一緒です」
「なるほどな。仲がいいことでけっこう」
「そちら、篠塚さんは一緒じゃないんですか?」
「有給が取れなくてな。あ、そういやまだ先だけど、来年結婚するんだ。お前来れるか?」
「時期によりますけど、キャプテンの結婚式なら行きますよ」
直史は法事以外にも、結婚式や葬式など、身内の式に呼ばれることには慣れている。
田舎の長男の仕事というのは、つまるところ冠婚葬祭なのだ。
直史の現役時代にも見かけた、野球部やそれ以外のOBの顔もある。
おそらくこの年を逃したら、しばらく甲子園で全国制覇をする機会はない。
誰かがそう言っているわけではないのだが、少なくとも直史はそう考えている。
そしてそれは瑞希も同じであるのだ。
白富東のピッチャーは、三年にそこそこ使える左右のピッチャーがいて、二年に本格派がいる。
だが打線は完全に、三年生が強いのだ。
悟と宇垣、そして上山も加えて三人としても、これほどに飛ばせるバッターが二年にはいない。
甲子園でも出場機会のあった二年は、代打などの後の守備固めに限定されている。
ピッチャーもユーキ以外には、文哲や山村に届くぐらいの者はいない。
左のサイドスローは面白かったが、あれは仕上げるのには、一年はかかるだろう。
瑞希の隣に戻ってきた直史は、試合の開始を待つ。
「北村さん、来年結婚するんだって」
「百合子ちゃんと?」
「元生徒会長と」
まああの二人は幼馴染で、中学生の頃から付き合っていたので、既定路線ではあるだろう。
晩婚化が叫ばれる現在、両親の手助けも得られる、早いうちに結婚、出産などを考えるのはいいことだ。
瑞希にとっても二人は、中学時代からの先輩である。
ふと考えてしまった。
自分たちはどうするのだろうかと。
直史以外の人間が自分の隣にいることは、どうにも考えられない瑞希である。
このまま順調に経歴を重ねていったらどうなるのか。
司法試験に合格してから、司法修習がある。
その後に二回試験を終えたら、もう24歳だ。
平均よりは早いが、まあおかしくはない年齢である。
(結婚かあ)
漠然と、日常の中に潜んでいる言葉であるが、見知った人間からその言葉を聞くと、急に現実味を帯びてくる。
直史の家に嫁入りすることは決まったようなものだが、あの大きな家で自分も住むことになるのか。
直史の母親とは、案外瑞希は上手く行きそうな感じはしている。
こんな難しい息子でごめんなさい、とでも言いたそうな態度を取ってくるのだ。
それに父親、またすぐ近くに住む祖父母とも、だいたいいい関係を築けていると思う。
ただ正直なところ、最初の何年かぐらいは、二人きりで過ごしたい、
今も半同棲に近いようなものだが、やはり夫婦の関係は、そういったものとは違うだろう。
いやいや、24時間耐久セックスなどは、学生の間でしか出来ないものか。
(何を考えてるの)
ピンク色になった脳裏を、ぱたぱたと叩く瑞希である。
自分はもうだいたい、田舎の長男の嫁になるということの覚悟はしているのだが、社会人になってからのことを考えると、子供はどうしようか、などということも考えなくてはいけない。
この点に関しては、瑞希はかなり直史の家に期待している。
直史が四人兄妹ということもあるが、その父親も三人兄妹であるのだ。
自分が外に働きに出て、子供の世話を任せる。
(先のこと考えすぎ)
ただ直史も寝物語に、子供は三人ぐらいはほしいとは言っていたのだ。
また今日も、周辺の席には似たようなおっちゃんやおばちゃん。
飴ちゃんをもらった直史は、試合の予想をしていく。
「それなりに点を取り合う乱打戦……そこまでじゃないかな。でもロースコアでは終わらないと思います」
その分析は瑞希と同じである。
この試合の焦点はいくつかあるが、どれだけ文哲を引っ張れるかということが一つ。
その間はある程度、点が両者に入ることは間違いないだろう。
流れをどうつかむか。
双方の指揮官の采配が問題となるのだが、その点では明らかに白富東が上であろう。
蝦夷農産の監督は経験者ではあるが、特別に巧妙な采配をすることはない。
純粋に力と力の勝負に持ちこんで勝つ。
それが蝦夷農産の野球なのだ。
だからといって白富東が、上手くかわしていく野球をするのだろうか。
文哲のコントロールを含めた技術は、確かに優れている。
だがその技術をぶっ飛ばすほどのパワーと勢いを、蝦夷農産は持っているのだ。
ここまで蝦夷農産が戦ってきた対戦相手を見てみると、高校生らしい力と力のぶつかり合いを好む監督が率いるチームが多かった。
だが仙台育成のような名門の持つ経験を、吹き飛ばして勝ってしまうだけの勢いはあった。
試される大地の民の人間には、何かそういう大自然の力でもあるのだろうか。
もちろんこれまでに優勝していないのだから、そんな変な力はないはずであるのだが。
試合が始まる。
先攻は蝦夷農産だ。普段は先攻を取りたがる白富東だが、この試合に限って言えば、後攻の方がいいかもしれない。
なにせ爆発的な得点力が裏に炸裂すれば、そのままサヨナラなどもあるわけであるし。
数値的には白富東が上なので、試合展開も考えると、先制点を取ることにそこまでこだわらなくてもいいだろう。
だが、いきなり先頭打者が出てしまった。
「低めにコントロールされてたと思うんだけどな」
スマホの画面で今のボールが再現されているが、いい感じのところにコントロールされていた。
それをまるで狙い打ちしたような。
相手の苦手なはずのコースを、一発でヒットにした。
これはおそらく、狙い打ちである。
苦手なコースでもそこだけに注意をしていれば、打てることは打てるのだ。
先制点を奪われることは、それほど重要なことではない。
ただし中盤までにそこそこの点差がついていると、そこからは難しくなるだろう。
「勝てるかな?」
「勝つつもりではあるだろうけどな」
選手の力以上に、蝦夷農産には何か、良く分からない一気に爆発する得点力がある。
それをそうにか封じるのは、選手ではなく、秦野の采配次第となるだろう。
夏の日の最後の戦いは、まだその行方がはっきりとはしないまま、太陽はその舞台をぎらぎらと照らしていくのであった。
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