第156話 閑話 視点
夏の甲子園の決勝も、結末が近付きつつある。
北村は母校の選手が躍動する姿を見て、どうしても羨ましく思えてしまう。
あの三年の夏、今はもうプロで活躍する吉村から、打点を上げたのは自分だけであった。
もっとも大介が明らかに、歩かせることを前提の勝負をされていたからであるが。
甲子園というのは遠い存在であった。
それを一気に身近なものにしてくれた、あの一年生たち。
何度もテレビでその活躍を見ているが、北村のイメージの中の直史や大介は、あの一年生の時のままだ。
もっとも大学で一緒にプレイした直史だけは、成長した姿で上書きされているが。
あの試合で敗北し、甲子園に進めなかったことは、北村の中では当たり前のことになっている。
高校三年間、それなりに鍛えてはいたが、どうやったら効率よく短い時間で強くなれるか、そういった方向で考えていたのだ。
生徒会とのグラウンドの争奪戦も、仕方のないものだと思っていた。
春の大会で夏のシードを取ること。
当時の戦力を考えれば、それは絶対に不可能なことに思えたのだ。
だがいいピッチャーが二人と、それをリード出来るキャッチャーが一人。
そしてたった一人の個の力で点を取ってしまえるバッターが入ってきて、夢ではないところまで辿り着いた。
かつては自分も着ていた、あの素っ気無い無地のユニフォーム。
それが甲子園の決勝のグラウンドで見られるのは、なんとも不思議なものである。
上杉の時代と言われていた、絶対強者に対して上杉という個人が立ち向かった甲子園。
ルールに負けた上杉が去った後、甲子園の主役になったのは、その上杉をチーム力で戴冠を阻んだ大阪光陰と、北村の母校である白富東であった。
秋季大会で関東大会の決勝まで進んだ時、北村はたいしたものだと思ったのだ。
正直これまでの実績からして、センバツは21世紀枠で出場できないかと思っていたのだ。
古くから続く文武両道の進学校。
夏には決勝まで進んだ、確実に実力もあるチーム。
それが秋には関東大会の決勝まで進んだため、自力で甲子園への切符をつかんだ。
SS世代の在学中に、一度ぐらいはいけるだろうかと思っていたが、そんな甘いものではなかった。
大阪光陰を相手にセンバツでは敗れたが、その夏は新たな戦力を加えて、数々の名門校を相手に勝ち進んだ。
そして準決勝で、北村は奇跡を見た。
相手は大阪光陰だったのだ。
得点力では他にも優れたチームはあったかもしれないが、大阪光陰はちょっとしたミスや隙も見逃さない、まさに完成されたチームであった。
それを本当に、個の力で粉砕したのだ。
決勝では敗北したが、あれは準決勝で力を使い果たした直史が理由だとも言われた。
実際のところはマメを潰して投げられなかったのだが。
それから白富東の覇権が続き、帝都一、大阪光陰、明倫館と連覇をするチームはなかった。
この決勝にしても白富東が夏は五年連続の決勝進出となっているが、蝦夷農産のこれまでの試合を見る限り、負けてしまってもおかしくはない。
北村は試合の中の秦野を知らないし、白富東の栄光の時代の雰囲気も知らない。教育実習の期間に少し接した限りだ。
だが母校がここまで勝ち残っているという、そのことが単純に嬉しい。
一緒に来たかったな、と恋人のことを思い出すが、あの三年の最後の夏は、本当に甲子園に手が届きそうな、夢のような夏であった。
夏はどこか、幻めいたものを感じさせる。
熱気の中で両チームの選手が動く。
投げる。打つ。走る。
一つ一つの動きの中で、スタンドは一喜一憂する。
絶対に、ここには来よう。
選手としては無理だったが、監督として。
あるいはあっさりと、鶴橋が県大会を勝ち抜いて、甲子園にまで来てしまうかもしれないが。
それはそれで面白い。いや、どんな役割であっても、甲子園には来たいものなのだ。
勉強するべきことはまだまだある。
セイバーの教えたこと、大学で学んだこと、そして直史のような人間の存在。
あの二人がいたのに甲子園に出られなかったというのは、今から思えば不思議なものである。
だからこそジンは、あれは自分が悪かったと、北村にとってはよく分からないぐらいに後悔していたのか。
(暑いな……)
そしてそれ以上に熱い、灼熱の中のグラウンド。
北村は王者の誕生の瞬間を、ただひたすらに待ち続ける。
こういう決勝は困るのだ。
大京レックスのスカウトである鉄也は、東北地方が主担当で、関東の第二担当でもある。
北海道も一応は担当がいて、そちらまでは鉄也も見てはいない。
だが東北地方のチームとの練習試合があったりしたため、ある程度の情報は持っている。
蝦夷農産のバッターの中で、この夏に一気に評価を高めたのは、竹園と北野か。
確かにホームランも打っているし、パワーで長打を量産するタイプだ。
そのくせボール球を振って三振というのが少ないのだから、チェックする対象ではある。
北野は進学予定であり、野球推薦ではなく通常の推薦で、北海道の農業大学を志望している。
こちらはかなり意思も強く、跡継ぎということもあってなかなか引っ張ってくるのは難しいだろう。
それに対して竹園も、高校卒業後は実家の農家の後を継ぐのだ。
ただ竹園は下に弟がいるし、まだ両親もしっかりとしている。
プロの世界を経験してみることも、悪いことではないと思う。
北野と比べると竹園の方は、一家経営の農家であるので、ドラフトに指名されて入団すれば、その契約金などがかなり魅力的になるのではないか。
性格的にもおそらく、勝負強くてプロには向いている。
将来的には家業を継ぐにしても、プロである程度成功したら、それを元に設備の拡充などが出来るのではないか。
一応は他の球団のスカウトも、目をつけているはずなのだ。
監督にも挨拶はしてみたが、あまりプロの世界に乗り気な様子はなかった。
地に足を着けている農家にとって、プロ野球などは虚業に映るのかもしれない。
だからこちらが提案できるのは、金だけである。
契約金と年俸、竹園であればそれなりの金額になる。
最高の一億などはさすがに無理だが、実家の経営状況次第では、契約金はかなり魅力的なのではないか。
どちらにしろ、それは鉄也のスカウト範囲ではない。
鉄也はまず東北地方の選手をピックアップしなければいけないのだが、青森明星の選手をどう判断すべきか。
四番の柿谷にピッチャーの福永と、どちらも複数球団から目は付けられている。
だがその両者も、性格に難ありとは思う。
もちろんプロ野球の中では、あの程度の問題児はいくらでもいるのだが。
(まあ調査書を出すだけは出さないとな。それに関東の方でも色々と選手は多いんだし)
今年の注目選手は、主に二人の野手である。
早稲谷大学の西郷と、白富東の水上。
西郷は本物のスラッガーであり、大学のリーグの木製バットでも、ホームランを量産している。
悟はやはり長打力はあるが、それよりも打率と走塁、守備などの総合力が優れている。
だが鉄也が一番狙っているのは、慶応大の竹中なのだ。
キャッチャーの一位指名はなかなかないことだ。
だが当初は卒業後父親の経営する会社に入るはずだった竹中が、プロ志望に気持ちを変えてきた。
新たな正捕手を求めている鉄也としては、竹中を手に入れたい。
だが球団のフロントの意向は、それよりもさらにピッチャーを取ってくることなのだ。
蝦夷農産のピッチャーは、プロでは通用するレベルではない。少なくとも、今の段階では。
だが下位指名で将来性を期待して取るとしたら?
それでも鉄也には、和田と関口の将来が、プロで通じるまで成長した姿には見えないのだ。
(ピッチャー……ピッチャーかあ……)
スカウトの間でも、プレゼンテーションをしっかりと行って、他の球団の指名も考慮した上で、かなりぎりぎりまで調整を行う。
そして実際のドラフト会議でも、予定の選手が取られてしまうと、他の選手に変えていかないといけない。
あるいはピッチャーが多く取れたら、下位指名を変更することもある。
ドラフトというのは、様々な要因で成り立っているものなのだ。
だからこそこうやって、最後の甲子園で決勝まで活躍する選手は、評価が難しい。
本当は地区大会の時点でおおよそは決まっているのだが、甲子園の大舞台で一気に覚醒する選手もいるのだ。
高校野球の面白さであり、難しさでもある。
悟については、その入学前から目をつけていた直史である。
優れたバッターに対した時に感じたものと、同じものを感じたのだ。
織田や西郷、実城や、何よりも大介。
これまでの成績を考えれば、複数球団競合のドラフト一位指名の可能性は高い。
勉強の方が出来ないので、本人もプロ一本に絞っているそうな。
ここまでに打った甲子園での通算ホームラン数は、11本。歴代単独三位であるが、これは強いチームにいて、しかも一年の時から活躍しないと、達成出来ない数字である。
一年の夏にはこれなかった大介が、30本以上打っているのはおかしい。
この選手とも戦えないのかな、と直史は思う。
だがプロ一年目の二軍であれば、在京球団であれば早稲谷との対決はあるかもしれない。
上を見れば少なくとも日本の中には、もう見るべき選手はいない。大介以上のバッターがいないのだ。
しかし下を見れば、また面白そうな選手が出てくるではないか。
大学を卒業して司法試験に合格すれば、またクラブチームでプレイしたい。
高校野球でも、大学野球でも開花しなかったが、それでもまだその先を求めて、クラブチームや独立リーグに来る選手はいるのだ。
そういう野生馬のような選手の中に、直史を満足させる選手はいるだろうか。
(もう一回、高校野球やってみたかったな)
未知なる敵との、わずかなデータでの対決。
高校野球は、甲子園は、本当に面白いものだったのだ。
全力を出して戦ったが、全力を出して楽しみつくしたかというと、そうとは言えないような気もする。
瑞希は自分が卒業した後の、野球部の記録を読んでみた。
ほとんど日記に近いもので、ノンフィクションの記録としては、かなりの加筆が必要なものであった。
それに補足するための取材なども。
今の自分には、あまりそんなことをしている余裕はない。
ただ珠美に加えて、秦野も東京の方にやってくるのだ。
知っている人間は多いため、瑞希の技量であれば、正確な描写に書き換えることは可能だろう。
それでもどのみち、白い軌跡の続きは、ここで終わりだろう。
マネージャーの記録としては代々続いていくかもしれないが、瑞希が直史と一緒に監修しなければ、衆目の観賞に耐えるものにはならないと思う。
だが、それでいいのだろう。
白富東の野球部の歴史は、秦野の離任と共に、一度終わりにした方が分かりやすい。瑞希が出会った白富東の中で、彼女が在学中に知り合った白富東の関係者は、もう秦野だけなのだ。
もちろんそこからまた、新しい選手たちへと、世代は続いていく。
だがそれはまた違う物語になる。
そこからはまた、新しいチームの記録が続いていくのだ。
それを白い軌跡と呼ぶのかは自由だが、もう瑞希の手を離れたものになることだけは間違いない。
点の取り合いの激しい、白富東としては珍しい決勝戦。
最後の決着は、もうすぐそこにまで迫っている。
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