第22話 いつか見た情景
全日本大学野球選手権大会決勝戦。
その日はほどよく曇った暑い日であった。
考えてみれば、と直史はふと思う。
(今日投げたら四連投か)
高校時代は地方大会でも甲子園でも、四連投はなかった。
だがワールドカップは短期間で連投があった。しかしあれは完全にクローザーの役割であった。
一試合を完封した後の次の日、果たして体調がどうなっているか。
正直、あまり変わらないとしか言いようがない。
だいたい投げた球数であれば、甲子園の引き分け再試合の方が多いのだ。
(けど不思議なもんだよな)
高校時代、甲子園はお祭りであった。
直史にしても明らかに、あれは何かが違った。
観客動員数も、全国中継もあったが、あれはいったいどうして、あそこまで特別なものだったのか。
この大会も予選とも言えるリーグ戦があり、そこから全国大会というべき大会が行われているというのは、高校野球も似たようなものではないのか。
単純に注目度は確かに違うが、なぜかどうしても勝たなければいけないという気にはならない。
正直に言ってしまえば、自分の関係のないところでチームが負けるなら、こういった大会に出る必要もないため、むしろありがたい。
やはり注目度か。
それに甲子園や、地方大会でも試合は、応援されているという感じが強かった。
大学の野球にはそれを感じない。
大学の野球というか、大学自体に親しみを感じないと言った方がいいだろうか。
高校の選択と、大学の選択では、自分の意思がどうであったかにもよる。
直史のやっているこれは、確かに高いレベルで楽しめる野球だが、何か他人行儀な雰囲気を感じる。
おそらく一つには、この大学という機関の大きさがある。
高校時代には教師の高峰が部長をし、一つの棟にチーム全員が存在していた。
大学は広い。敷地も広ければ、キャンパスも離れている。
そしてその交友関係も、高校までとは比べ物にならない。
高校があくまでも大学への進学の過程とすると、大学は広い社会への過程だ。
既に専門分野が違い、主義や主張を語る人間が出てくる。
既に社会人との付き合いもあり、学生でありながら起業している人間もいたりするのだ。
春のリーグ戦もそうであったが、この大会においても直史は、あまりやる気が出ない。
リーグ戦はまだしも、最後の早慶戦はMHKで全国放送があったものだが、この大会はネット配信しかないのだ。
地元の応援もない。マスコミやNPBなどの注目は高いが、そういった玄人の視線は嫌いな直史である。
高校時代にも散々、直史は低く評価されていた。
初めての甲子園となったセンバツも、初戦でノーヒットノーランを達成したものの、大阪光陰には敗北して、小手先の変化球だのと言われたものだ。
さすがに夏のパーフェクトとワールドカップ以降は、そういった意見を言っても「じゃあ他に誰が出来るの?」の一言で黙らされるようになったが。
かつて甲子園で優勝したスーパースターも、やはり大学六大学野球でスーパースターになったりもしたが、直史の人気はそれに比べると確実に低い。
今更王子などと言われたところで、マスコミに対する不信は消えない。
それでも圧倒的な数字を残していけば、マスコミの印象操作を吹き飛ばしてしまうのが、今の世界である。
しかし目の前の試合を見ていて、つくづく直史は思うのだ。
野球というのはたった一人の絶対的なピッチャーを、どう運用するかが肝心の競技であると。
この試合の先発は、梶原であった。
初回に二点を奪われ、二回にも一点を追加されるという、あまりよくない立ち上がりである。
それでも三回以降は立ち直ったように見えたのだが、五回にまたノーアウトでランナーを出す。
ここで辺見はピッチャーを葛西に交代した。
細田じゃないのかと思わないでもないが、細田は二日前に七回を投げている。
それでも葛西よりは細田だと思うのだが、辺見の中の基準では、細田ではなく葛西らしい。
「どういうつもりだと思う?」
直史としては、既に三点差で負けている時点で、自分を投入してこれ以上の失点を防ぐしかないと思う。
「まあ最善というか、それしかないとは思うんだけどな、采配だけなら」
樋口はこの試合を、政治的に考えているらしい。
また葛西は、結局このイニングに一点の追加点を許した。
辺見はこの春のリーグ戦を、全勝優勝という歴史にわずかしか残らない形で制した。
しかしその中身を見ると、一年生のピッチャーに頼りすぎである。
33イニングも投げて二人しかランナーを出していないピッチャーがいれば、それは勝てるだろうというものだ。
辺見の采配が当たっていたとは言えない。
おそらくではあるが辺見は、直史なしでも優勝出来ると証明したかったのではないか。
あとは直史を三連投させた上に、昨日の試合ではそこそこヒットを打たれたのも理由だろう。
四連投もさせて直史が壊れたらどうなるのか。
辺見はそこで批判されるのを恐れているのではないか。
リードした展開で、最終回までもつれこんでいたら、直史を使ったかもしれない。
だがこの試合には、直史を使わない理由が出来てしまっている。
つまり先制されて、一点を守るために直史を使わなくてもいい状況だ。
ここで直史を使って結局追いつけないよりは、普通に戦って負けて、直史の連投を避けたという体裁にした方が、言い訳にはなる。
「ブルペンでキャッチボールでもしてこようか」
「やめとけって。下手に目立つのもうめんどくさいだろ」
そう言ってる間に、西郷のソロホームランが飛び出した。
試合に勝つなら、ここで直史を投入するしかない。
まだ三点も差があるが、逆に言えば三点差なら満塁ホームランで逆転出来る。
だがここで投入するのが細田である。
「終わったな」
樋口はそう口にする以外にはない。
監督が勝とうと思っていないチームは、やはり勝てないのだ。
まあセイバーのように、勝つこと自体ではなく、勝つための理由をデータとして収集する監督もいたが。
試合は終息に向かいつつある。
細田も一点を取られて、スコアは5-1となった。
これが白富東なら、満塁で大介に回せばという期待が持てる。
しかし早稲谷にも西郷がいるのだ。
もっと早くに動いて、なんとしてでも西郷の前にランナーを溜めて勝負させるべきであった。
だが、もう遅い。
今から投げても無理だな、と思うこの感覚。
いつかあった。いつだったろうか。
記憶を辿っていくと、古い記憶に当たる。
高校一年の春だ。
県大会の準々決勝、トーチバとの試合。
先発も打たれてリリーフも打たれて、直史が投げることとなった。
完全に敗戦処理のあの試合だ。
負けた試合ならば他にもあるが、もうどうしようもない試合というのは、あれが最後であった。
「あ~、負けたな」
樋口が呻く。最後の一人が凡退し、試合は終わった。
早稲谷大学は準優勝に終わった。
直史にとって自分のチームが最後まで勝てなかったというのは、随分と久しぶりのことであった。
勝利者にもであるが、敗者にもインタビューというのはなされる。
辺見監督は威厳を保ちながらも、ちゃんと質問には答えていく。
その中では直史を使わなかった理由というのもあった。
「確かに選択肢の中にはありましたが、もし投げるとしたら四連投です。しかも昨日は完投をしていたのですから」
辺見はピッチャーであるがゆえに、ピッチャーの気持ちを分かっている。
「もちろん本人は行けますと言っていましたが、昨日の内容はあまりよくなかった。本人がどう言っていようと、使うか使わないかは監督が判断するものです」
言い訳なのか、それとも本心なのかは分からないが、少なくとも辺見は責任転嫁はしなかった。
「まだ一年生のピッチャーです。今思えば昨日もクローザーとして使い、数字が良ければ今日も使ったかもしれません。ただ昨日は九回も投げた上に、これまでほとんどなかったヒットも打たれていた」
それは事実であるが、球数の少なさもちゃんと見てほしい。
直史はこれまでは壊れなかった。
だが今後も壊れないという保障はない。
「一年生のピッチャーに無理をさせることは出来ませんでした。強いて言うならやはり昨日の先発としては使わず、他のピッチャーで継投して勝つべきだったかとは思います」
最後に勝っている状況だったら使っていたか、という質問も出た。
「使ったでしょうね。それは勝つための信頼性が高いですから。しかし追っかけている試合で、使うという選択肢はありませんでした」
なんだかんだ言って、直史のことを見当違いな方向からではあるが、心配はしていたのだ。
直史には投げさせなかったものの、他のピッチャーは使っていった。
これは辺見が直史を心配したと言うよりも、己の保身に走ったからという意地悪な見方もある。
大会で優勝できないことと、直史を壊してしまうこと、どちらが監督である自分の、大きな責任になるか。
リードした終盤ならば使っていた。それが本気かどうかは分からない。
だが最後まで、勝つつもりではいたのだ。
ちなみにこの大会においては、最高殊勲選手賞などの表彰もある。
MVPはさすがに優勝した東亜大から選ばれたが、直史は最優秀投手賞に選ばれた。
それはもう、三試合に登板して無失点、クローザーとしては一人のランナーも許さなかったということが大きいのだろう。
一試合を丸々投げて、四球を一つも出さずに勝ったというのも、ピッチャーの成績としては素晴らしい。
プロで言うなら三試合で一勝二セーブで防御率はゼロ。確かに最優秀投手に選ばれるには充分な実績だろう。
優勝した東亜のピッチャーは、それなりに点も取られていたので。
なお他に敢闘賞などというものもあって、西郷がこれに選ばれた。
一大会で三本もホームランを打っていれば、それも当然であろう。
ともあれこれで、春のリーグ戦から続いた春のシーズンは終わった。
次は秋からであるが、それまでには球速アップにチャレンジしたい。
「いや、お前のキャッチフレーズって球が遅いけどすごいってとこだろ? それを消しちゃってどうすんの?」
樋口などはそんなことを言ってきたりもした。
それはキャッチフレーズかもしれないが、別にセールスポイントではない。
実はこの大会の前には、一二年生を対象とした新人戦というのも行われている。
近藤たちはそちらの方に出場している。ベンチ入りしている直史たちには関係ないが。
あと来週末には二軍が、早大付属との練習試合を予定している。
このあたりも一軍には関係のないことである。
全日本の後はさすがに、一週間のオフとなった。
ようやく学問に励むことの出来る直史であるが、それでも毎日投げ込みをかかさないのは、もはや習慣である。
確かに投げすぎて壊れるなら、ある程度は休み必要がある。
だが直史はどうやら、投げていないと調子が保てないタイプらしい。
たとえば日本においては平気で球数を投げていたピッチャーが、MLBに行ったら故障することがある。
これは日本時代の疲労がアメリカで限界を迎えた、あるいは選手としての限界が来たと考える者もいるが、そうとは限らないのではないか。
簡単に言えば、ゴムは適度に動かし続けないと硬くなってしまう。
傍から見れば投げすぎと見えようと、それで問題なく投げ続けられるなら、それがそのピッチャーにとっては正しい調整法なのだ。
人体がそれぞれ違うように、最適な調整法は個々で試していくしかない。
もちろんある程度の統計的な数字は出てくるだろうが、それを杓子定規に使うのは、本当の本当に初歩の段階だけであろう。
大会の結果は惜しくも準優勝ということになった。
リーグ戦で全勝優勝し、今年の早稲谷は強いと思われたところに、この結果である。
敗北した原因、逆にここまで勝ち残れてきた原因は、大きく二つに分けられるだろう。
結果論から導き出される要因と、数字から導き出される要因だ。
クラブハウスから解放された直史と樋口は、寮への道を歩きながら話す。
結果論としては、監督の采配。
スタメンの選考から、また試合中の戦術などである。
準決勝を直史一人に投げさせるのではなく、他の誰かを先発として使い、直史は最後までリリーフとして起用すべきだったか。
「まあそれはないか。辺見監督も古い人だし」
「古い?」
樋口の言いように、直史は首を傾げる。確かに辺見は年配である。
「あの人、プロでは先発が主だっただろ? だからいいピッチャーを一試合は先発で使いたかったんだろ。点差が小さかったこともあるけど、お前以上のピッチャーがいないから継投が出来なかった」
いまいち納得できる理由ではない。
「つまりあの人は、大学レベルならピッチャーは完投しろって考えなんだよ」
「馬鹿な」
一笑に付すといった直史に対して、樋口は溜め息をつきつつも本音である。
白富東の直史には分からないだろう。
偶然とわずかな必然によって、ピッチャーの枚数を用意出来た白富東は、継投が普通に作戦として考えられる。
だが他のチームは、春日山でも上杉勝也の時代は上杉だけが、そして正也が入ってからはわずかに正也が投げた。
「二番手以下のピッチャーを使って、エースを温存するリスクを背負えないんだよ」
これも直史は首を傾げるところである。
「完投能力とエースにこだわる点で、お前を準決勝に投げさせた。途中で自分でもまずいとか思ったんじゃないかな。数字だけを見ればヒットは打たれてるし」
「芯を食った当たりはなかったんだけどな」
それで直史を、決勝には投げさせたくなくなったということか。
あるいはもっと点差がつけば、誰かに継投させるつもりだったのかもしれない。
しかし二点差で直史を交代させるのは不安だった。
よって最後まで投げさ、決勝の登板を不安視したということか。
そしてそれを結果論とすれば、あとは数字から導き出される要因。つまりはチーム力。
リーグの差や対戦相手の違いを考えても、早稲谷は東亜に勝てるだけの戦力は揃っていた。
だが実際の試合では、ランナーを出してもそれを進めることが出来ず、先取点を取られても攻略の糸口を見出せなかった。
「もっと早いところから代打をだすなりして、そこで投手をつないでいったら良かったんだと思うぞ」
「確かにそういうタイミングとかは、あんまり勘が鋭いとは言えないよな」
完全な采配批判を、別に怒るでもなく淡々と続ける二人である。
だがそれとは別の話題も出てくる。
「日米野球、お前は選ばれるかもしれないな」
樋口の言葉に、ああと思い出す直史である。
毎年ではないが、特に問題がない限りは行われる日米大学野球選手権大会は、全日本での成績を加味してメンバーが選出される。
一年生ではあるが、14イニング無失点、リーグ戦を合わせれば47イニング無失点の直史が、選ばれる可能性はかなり高い。
過去にも一年生で選ばれた者はいる。
だがそれこそ、辺見の選手起用が問題となる。
直史は全日本で三試合に登板した。そして数字上は、一試合を投げきった試合が一番悪かった。
決勝で投げなかったことと合わせても、疲労などを理由に辞退することは簡単である。
それに直史にとっては大学での試合以外に、わざわざ参加するメリットなどはない。
本人はそう思っているし、ある程度はそれで正しいのだろう。
だが傍で見ている樋口には、強い相手を見せられれば、直史は案外乗ってくるのではないかという思いもある。
もっともそれは、とりあえず先の話だ。
今日は二人とも、荷物を置いたらそれぞれ、大会期間中の禁欲を、大いに発散するつもりであるのであった。
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