第23話 日米大学野球選手権大会

 紆余曲折を経て、基本的に最近は毎年行われているのが、日米大学野球選手権大会である。

 簡潔に言ってしまえば、日本とアメリカの大学の選抜選手による対抗戦だ。

 選手の選抜は直前に行われた全日本に出場したチームのメンバーからと、それ以外にも各リーグの選手を何人かセレクションで選び、24人でアメリカの選抜チームと戦うものである。

 試合は五戦制で行われ、先にどちらかが三連勝した場合でも最後まで行われる。

 ピッチャーは八人選ばれることが多く、大会参加選手以外に、特に六大や東都の大会未出場大学からは、我こそはと手を挙げる者が多い。


 そんな中で、直史は声こそかかったものの、肩が痛いと言って辞退した。

 辺見監督はほっとしただろう。

 直史としては、わざわざアメリカまで行って野球をしたくはないというのが本音だ。

 まだ日本であれば、考慮の余地はあったのだが。


 全日本の決勝以来、ひそかにネットやSNSでは、辺見監督の采配への疑問が色々と噴出していたのだ。

 決勝でなぜ佐藤直史を投げさせなかったのか、という意見である。

 もっとはっきり言ってしまえば采配批判だ。

 まあ当の本人である直史も、別に決勝の連投は出来ただろうし、連投すれば勝てた可能性は高いと思っていた。

 だがそれだけに辺見の体面を考えて、故障というほどではないが投げるのは差支えがあるということにしておくと、辺見があそこで使わなかったのには理由があったのだ、という言い訳になる。

 これでまた辺見は、直史に助けられたことになる。


 故障でないなら大会までには間に合うのではないかと言われても、それだと調整不足になると言えば済む。

 そんなわけで直史は正々堂々と練習を休み、法学サークルの飲み会などに参加などしていた。

 さすがに法学部で未成年飲酒はやばいので、そこはソフトドリンクなどもある。

 実家では盆や正月に普通に飲酒する直史であるが、彼は自分の商品的価値を知っている。


 いつどこで、誰に見られているか分からない。

 佐藤直史という野球選手の存在は、そういうものなのだ。

「佐藤君飲まないの~?」

 同級生であるが酔っ払って絡んでくる者もいるが、直史はそれを冷然と撥ね退けるのみである。

「奨学金を貰ってる身としては、飲酒して取り消されたら困るんでね」

 大学に入ってから、直史はなんだかモテている。


 高校時代ももちろんモテていたのだが、どこか遠くから見つめるだけであったり、ただのファンだったりしたものだ。

 だが大学まで来ると、普通に有名人が大学のキャンパスを歩いていたりする。

 あとは色々な有名人を講師として招いたりして、社会とのつながりをはっきりと感じるようになるのだ。


 そんな直史にアプローチしてくるのは、それがもう現実的な恋愛対象になってくるからだ。

 プロ野球選手のみならず、六大の野球部はそれだけである程度モテたりする。

 もちろん、さすがにレギュラークラスと普通の部員では、落とせる女の質も違うが。

「佐藤君はなんでプロ野球選手にならなかったの? スカウトとか来てたんでしょ?」

 肉食系の女子は、直史の冷たい視線にもめげたりはしない。

 ……ちょっと離れた距離の座席では、瑞希が珍しくも座った目でこちらを見てきているが。


 東京は怖いな、と直史は思う。

 地元にいた頃はスーパースターとはなっても、気軽に話しかける昔からの知り合いがいた。

 東京では知ったばかりの人間が、気軽に声をかけてくる。

 知らない相手が勝手にこちらの価値を類推する。おそらくは単に知名度のみをもって。




 早稲谷は大学という教育機関であり、研究機関でもある。

 その中でもスポーツなどの活動においては、かなり有名人を輩出している。

 それもこれも、早稲谷というブランドに価値があるからだ。

 法学部もまた、ある程度ブランド価値を持っている。

 同じ大学の学生でありながら、その目的は様々なものである。

 学問のために、社会人としての技能のために、あるいはブランドを手に入れるためになど、千差万別であろう。


 直史としては学問と言うよりは、己の人生設計のために必要だった。

 自分の野球選手としての技能を提供し、大学はその対価を払う。

 それに直史は司法試験やその後の司法修習なども考えて、早稲谷を選んだのだ。


 基本的に頭脳明晰な人間しか入れない大学であるが、スポーツ推薦などといったものもあり、言ってしまえば場違いな人間も存在する。

 法学部にいて、法律サークルに入っていても、司法試験を受けて法曹資格まで得ようとする人間は少ないだろう。

 現実的に見れば、現在の日本社会では、法曹の中でも弁護士の需要はともかく、供給が増えすぎている。

 そして検事や裁判官という公務員は、急激に増えるものではない。


 将来のエリートとなる男を捕まえる。それも女子の目的の一つにあるだろう。

 そのエリートというのは当然だが文化系のエリートであり、野球選手などは虚業に近い。

 だがその中で大活躍し、マスコミなどから注目されている者となれば、興味の対象にはなる。


 直史としてはこの自分の名前は、現在も将来も、それなりの役に立つとは思っている。

 知名度のある人間というのは、それだけにある程度の社会的な信用を得ることが出来るのだ。

「プロ野球選手の寿命は短いからね」

 直史は保守的で、石橋を叩いて渡るタイプだ。

 もっともリスクとリターンの計算も、ちゃんと出来るタイプであるが。

「野球選手のプロでの平均的な引退年齢は29歳。そこまで高卒でプレイしたとして、どれだけの年俸が入るか。はっきり言ってスポーツ選手は実働期間が短いから、年俸の半分は税金や諸経費に消えると考えていい。そして引退後の保障は全くない」

 これは今までも散々、直史が主張してきたことである。

「もちろん一発逆転で年収が一億を超える人間もいるけど、金がある間は豪遊して、引退後に税金の支払いに困るような選手も多いしね。コーチとか監督とかになるにしても、先のことが全く分からないんだ」

 そして出した結論は一つ。

「他にもいい選択肢があるなら、そちらを選んだほうが危険は少ない」

 直史は正直者なのだ。




 二次会にまで参加する中に、直史と瑞希の姿はない。

 春のリーグ戦から全日本まで、はっきり言って直史は忙しかった。

 決勝戦後には、控えがちだったスキンシップを、ほとんど毎日行っている。


 睦言がわりに、瑞希が言った。

「そういえばあの本、出版社が正式な本にしないかって話が来てるんだけど」

 白い軌跡の話である。

「あれって数量限定で、関係者にしか配ってないはずだろ?」

 直史からすれば寝耳に水である。

 自分が登場することもあったから読んだのだが、読みやすくて情報の取捨選択もしっかりしており、簡単に言えば面白い本だった。


 あの本をこの時期に、出版社から出すという理由も分からないではない。

 大介と自分の、新しいステージでの実績。特に大介だ。

 高卒新人ながら四月の月間MVPに選ばれ、左ではなく右で打っていたとも聞く。

 プロ野球界は新しいスーパースターを手に入れたのだ。

 大介の高校時代の一次資料として、あれは貴重なものなのは間違いない。


 実際の本にする時も、話が聞ける人には聞いたし、聞くことの出来ない対戦相手などは、純粋に事実だけを記入した。

 白富東だけではなく、ワールドカップに出場した選手についても話してある。本になることも了承済みだ。

 別にこんな事態になるとは思っていなかったが、正式な出版物と同じように、著作権や肖像権にも配慮してある。

 そのあたりは法律とは言っても、あまり詳しくはない分野だったのだが、詳しい人間に調べてもらい確認もしてもらった。


 だから問題は、追記するべき部分があるかどうかだ。

 あの本は大学合格後に校正し、春に製本したものだ。

 現在の状況について書くかどうかの問題はある。

「四月の時点での成績ぐらいは追記していいんじゃないか? 実質大介が主人公になるけど」

「うん……やっぱりそうかな……」

 話しながらも瑞希はまどろみかけている。


 大学で野球はやめ、あとは草野球に専念する直史と違い、大介は今後も野球において記録を作っていくだろう。

 大介だけではなく、岩崎などの記録や、当時の白富東においてセイバーの行った資本力による最先端トレーニングは、いくらでも読み物として面白いものであろう。

 あれでもだいぶ、専門性の高すぎる部分は減らしたのだ。

 着地時の足の使い方など、かなり重要なはずなのだが、日本の裸足文化的に、理解されるとは思えない部分もあった。

 そもそも体の使い方の基本などが、受ける要素とは思えなかったので、かなり省略してある。


 あの本の記録は基本的に全て瑞希が調べたか、公的な記録を書き写したもので、著作権は完全に瑞希のものである。

 技術的な部分は主に直史が監修し、疑問があったところはジンや秦野にも尋ねたものだ。

「そんでどこの出版社?」

 直史は訊いたが、既に瑞希は穏やかな寝息を立てているのであった。




 日米大学野球選手権大会が終了した。

 結果はアメリカの三勝二敗。アウェイということもあったが、日本は負け越した。

 だいたいこの日米戦は、圧勝して全勝などをあまり考えていないので、三勝したら少し手を抜く場合が多い。

 日本もアメリカも、選手たちがアピールする意味をあまり感じないのだろう。

 日本はNPB、アメリカはMLBと、もちろんそれなりの参考にはなるのかもしれないが、それよりも国内での試合の方を重視する。


 ここまではアメリカの方がかなり勝ち越しているが、相手はアメリカといっても、本当にアメリカだけであって、メジャーのような多国籍軍ではない。

 アメリカの方が良い成績を残す原因と見られるものは、一応はある。

 日本と違ってアメリカでは、高卒からプロに進むのが比較的少ないのだ。

 なぜかと言うとこれもまた両国の制度の違いであるのだが、富裕な家庭で育ったスポーツエリートは、自分のキャリアに安全マージンを取る。

 そもそも日本と違って、18歳ではまだ体が出来ていないと考える場合があり、それはある程度事実であろう。


 キャリアの安全マージンとは何かと言えば、学歴である。

 大学に入って在学中にMLBからの指名を受けて、マイナーで選手としてプレイしながらも、また大学に通って卒業したりするのだ。

 選手として引退した後のセカンドキャリアを考えた上で、大学でプレイする。

 日本のように高卒で入ったら、もうずっとプロ野球の世界というわけではない。


 つまり高卒でプロ入りするような能力がある選手は、日本の場合は既にプロに行っていることが多い。

 アメリカの場合は大学を卒業してから考えてもいいという選手が多いため、大学のレベルではアメリカの方が優位という意見である。

 実際のところは分からない。確かに日本は負け越しているが、かなり長い間、日本はホームでしか勝ち越せなかったのだ。

 内弁慶であったとでも言えばいいのか。


 早稲谷からは梶原と西郷が選ばれて、梶原は二試合六イニングを投げて二失点。

 西郷は三試合にでて二ホームランと、西郷の方はそれなりの存在感を示した。

 ただMLBにおいても選手に求めるフィジカル的な要素は、年々高いものとなってきている。

 OPS導入から筋肉増強剤の時代、ボールの規格の変更などもあり、とにかくまずバッターは打てることが求められる。

 その点では西郷は、ストレートにも変化球にもついていったが、足が遅いことによる守備範囲の狭さがどう評価されるか微妙である。

 日本からMLBに挑戦し、野手でも成功した選手は出てきたが、日本出身でスラッガーと呼べるような選手は、まだ出てきていない。




 季節は七月となり、もう完全に夏である。

 直史と瑞希はこの夏に、自動車免許を取る予定をしている。

 さすがに直史は野球部とサークルの方に精一杯で、アルバイトまでをしている余裕はない。

 瑞希の方は学力を活かして、家庭教師などをする予定だ。


 直史としては何気に、大学在学中に一度ぐらいはアルバイトを経験したいな、とは思わないでもない。

 ただ自分の時間を安売りしない男なので、普通のアルバイトはやってられない。

 傲慢な男である。

 家庭教師は確かに時給換算すればいいアルバイトなのかもしれないが、直史は学業に関しては、自分の教え下手を自覚している。


 それに秋のリーグ戦までには、直史は球速のアップを行う予定である。

 それとまた、フォームの改造にも手をつけたい。


 現在の直史のフォームでも、高校や大学のレベルなら問題はない。

 だがそれでも、さらに体に負担の少ないフォームには興味がある。

 そこへ声がかかった。

「今はずっと日本で?」

「主には。けれどもアメリカやキューバにはよく行きますし、日本でも国内はあちこちに行きますね」

 セイバーが直史にアルバイトとして紹介したのは、野球のピッチングにおける動作解析などのモニターである。


 直史の現在のピッチングには、実は改善点がある。

 ただしそこは、ストロングポイントでもあるのだ。

 問題は肘の使い方である。


 現在の直史の投球は、セットポジションからのクラッチ式ではあるが、これは実はそこそこ肘に負担がかかる。

 もっとも球の出所を見難くするという利点もあり、タイミングを捉えにくいのは現在のフォームなのだ。

 ただこのフォームは、しならせて腕を使うために、肘にどうしても負荷がかかるのだ。

 現在のMLBはまた主流が変わってきていて、多少打たれることを考えても、選手寿命を延ばすことに主眼が置かれていたりもする。


 直史の場合は全身の柔軟性が、肘の負担を吸収している。

 しかし前提としてピッチャーの故障のことを考えれば、新しいフォームにすればいいのだ。

 そして実はこのフォームは、昔のフォームの復活でもある。

 現在の主流は、鞭のように右腕の関節を加速させること。

 しかし復活しているフォームは、右腕と左腕を連動させ、肩から背中の筋肉で投げる。

 肘という小さな部分よりも、肩や背中の筋肉も使った投げ方の方が、負荷が分散されるのは間違いがない。


 ニコニコと笑うセイバーであるが、直史の各種数値が、以前よりも上昇しているのには驚く。

 全ての数値が、ほんの少しずつ上がっている。

 地力をそのまま上げるということで、かなり難しいことのはずなのだが。

 しかし直史は二年の夏から三年の夏までに、球速の上限を7kmも上げていた。

 勤勉な子だと思うのと同時に、自分の計画には必要だとも思うセイバーであった。

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