第147話 閑話 直史の読み

 ※ 今回の話は続の142話の方が時系列はやや先です


×××


 甲子園大会の11日目、直史と瑞希が手に入れたのは、白富東を応援するための一塁側スタンドではなく、バックネット裏の特等席である。

 と言ってもこれらの手配は金がかかっている。

「お金って、ほんと大事」

 一時的に完全に直史より金持ちになっている瑞希である。


 身近で金を稼いでいる人間を、直史は何人も見ている。

 一番最初はセイバーであった。あの人は練習中であるのに、選手ではなく相場を見ていたりした。

 見ていてもいいのかどうか分からないから、後でデータで判断すると言っていた。

 直史はセイバーのことはすごいとは思うが、あのあたりはやはり、チームの指揮官として取るべき態度ではない。

 もっとも本人にそれを言っても、元々自分でも分かっていただろうが。


 次に出会ったのがイリヤで、既に富豪であった。

 自分の才能だけで経済を回すという能力では、彼女は最も生産的である。

 無から有を生み出す。

 そのあたり完全に、芸術家肌であった。


 そして双子の妹が芸能人としてデビューして、自分の学費は自分で出せると言った。

 それでも直史も長男の意地で、自分の学費は自分で稼げるぐらいにはなったが。


 だがそれでも一番大きく感じたのは、大介がプロ入りして高額年俸の選手になったことと、それ以上に瑞希の書いた文章が、全国の書店に並ぶ本になったことだろう。

 スポーツ選手の寿命というのは短い。

 かなり甘めに見ても、40代の半ばで、その選手としての価値はなくなる。

 その肉体のピークがそこにあるのだから仕方がないが、対してイリヤや瑞希のような存在は、年齢が上がっても生産的な存在である。

 大介がこのままの成績を残し続ければ、たとえ選手としては引退しても、その人間としての価値が存在する。

 野球をやめても肩書きと実績で、いくらでも金を稼ぐだろう。

 だがそれが大介にとっての幸福かは、直史は違うと思うのだ。


 大介は野球大好き人間であるが、やはりやるのが好きなのだ。

 自分が衰えて引退し、そこから平均寿命で30年以上。

 40代となれば男にとっては働き盛りとも言える。

 そこから逆にスポーツ選手は、己の第二の人生をたどらなければいけないわけだ。




 青春の盛りである高校野球を見ていても、直史はそんなことを考える。

 昨日の大介との対決、なんとなく打たれるような気はしていた。そして事実、打たれた。

 準備が全く出来ていなかったというのもあるし、守備陣もいないただのバッティング練習。

 だから気分が盛り上がらなかったというわけでもない。


 佐藤直史の野球人生は、WBCのMVPで完成した。

 あとは蛇足がないように「ずっと幸せに暮らしました」でいいではないか。

 春のリーグ戦を見ても、監督の辺見は直史を、先発の戦力としてはあまり考えていない。

 むしろ他のピッチャーに機会をやって、万が一の時のリリーフエースと位置づけている。

 確かに直史の世代が抜けたら、早稲谷は一気に主力がいなくなる。

 この先もチームの力を維持するためには、後輩たちに機会を与えて鍛えるべきだろう。

 特に武史と淳の二人の弟が投げているので、直史はその尻を拭いてやるぐらいでちょうどいい。


「直史君、この試合どうなると思う?」

 どこか寂しささえ感じながらも、直史は冷静に言う。

「常識的な範囲で考えれば、白富東の楽勝だな」

 スライダー打ちの練習によって、相手のエース岩松の決め球は、白富東にとってそれほどの脅威ではなくなっている。

 ただ直史はそれを別にしても、白富東の方が強いと思う。


 試合の始まる前から、勝負の行く末が分かる。

 こんな状態になったのは、明らかにWBC以降だ。

 それでも自分が投げている時はそうでもないのだが、他のピッチャーが投げていれば、いつが自分のリリーフのタイミングか、それすらも分かってくるのだ。

「一回の表、多分一人か二人が出塁している状態で、三番の水上に回る。そこで敬遠されなければ、ホームランを打つと思う」

 瑞希が不思議そうな顔を向けてくる。

「そこまで分かるの?」

「分かる? いや、なんとなくそんな感じかなった思うだけなんだけど」

 問われて気付いた。

 試合の展開が見える。




 直史の言ったとおり、悟の甲子園通算10号ホームランが出た。

 これで歴代三位タイなのだから、たいしたものである。

「びっくりした。本当に当たったね」

「俺もびっくりした」

 そうは言いつつも、答え合わせをしている感覚の直史である。

「じゃあこれからどうなるかも分かる?」

「エースを降ろさないなら、9-1かな」

 あくまでも勘であるが、直史の場合は様々な要因を経験則に基づいて答えを出しているので、あながちデタラメとも言えない。


「兄ちゃん、それならエースを降ろしたらどうなるんや?」

 周りのおっちゃんおばちゃんが絡んでくるのが、関西人のノリである。

 いや甲子園のノリと言うべきか。

 しかし伊達めがねで変装しているとはいえ、直史と気付かれていないのか。

 気付いても分からないフリをしてくれると考えるには、大阪のおっちゃんやおばちゃんのノリはそうではない。

 馴れ馴れしさが存在するのだが、直史としては少し考える。

「5-1か5-2だけど、これも白富東側が、ピッチャーを継投するかどうか、代えるとしたらその立ち上がりをどう攻めるかで決まると思います」

 直史は前橋実業の二番手ピッチャーについては、ほとんど情報を持っていない。

 逆に言えば秦野はそれほどの脅威を感じていなかったということだ。

 だから一点か二点は取るだろうが、それ以上の大量点を取る策はないだろう。


 そして直史の読みは当たった。

 エースを降ろした前橋実業から、白富東は追加点を取ったが、大量点には結びつかない。

 そして継投したユーキがその立ち上がりを無失点に抑えると、残りの二回も無失点。

 結局は5-1という予想通りのスコアに終わったわけだ。


「よう当てたな、兄ちゃん!」

「ほんまよう当たったなあ。飴ちゃん食べ」

 出た! 大阪名物、謎の飴ちゃん食べおばちゃん!

 素直に受け取った直史は、その後の試合の予想までしていくことになる。

 白富東の試合は終わったのだから、ここで離脱してもいいのだが。

 しかし明日の準々決勝で戦う相手が、これから目の前で試合を行うのである。

 あまり期待はしないが、弱点などを発見したら、教えてやることが出来る。




 第二試合は優勝候補の帝都一と、仙台育成の戦い。

 全体的な力はやはり、帝都一の方が上だと思う。

「ただ仙台育成もエースはドラフト上位候補らしいし、その出来次第かな。ロースコアゲームに持ち込んで、帝都一に細かいミスがあれば、そこがチャンスになると思う」

 これも完全に予想は当たった。

 

 エラーがきっかけで出たランナーを送り、手堅く一点を先制した仙台育成。

 まだランナーが残っている場面で、下位打線が引っ張った打球が、ライン際を抜いていった。

 打球の方向が、仙台育成の方に運を向けていた。

 あと数cm横であったらファールで、タイムリーにはならなかっただろうに。


 エラーから始まった仙台育成の幸運な得点であったが、松平は伝令を飛ばして修正する。

「まだランナーおるけど」

「松平監督ならどうにか修正してくると思いますよ」

 その通り、この回の攻撃は二点まで。

 だが仙台育成としては大きな二点の先制点である。

「よう当たるなあ。飴ちゃん食べ」

「いただきます」

「そんでこれからはどうなると思う?」

「ん~……松平監督の手腕と帝都一の打力からすると、二点はワンチャンスだと思いますね。ロースコアゲームにするにしても、どうにかあと一点、どこかで取りたいですね」


 チャンスに乗じて一気に攻めてくるか。

 それとも二点差は充分に逆転可能と見て、少しずつ圧力をかけてくるか。

 松平ならばその両方を同時にやってきてもおかしくはない。


 事実そんなチャンスはあったのだが、仙台育成のエースと守備陣によって、チャンスが潰される。

 これは案外、二点で充分かとも思った直史であるが、中盤に入って一点をまず取り返された。

「ここから一気に逆転されるか?」

 直史も仙台育成の情報は、それほど多くは持っていない。

 だが準々決勝で白富東の対戦相手になるかもしれないということで、それなりに秦野からは聞いている。

「ここで追いつかれなかったら、かなり勝利に近付くかな」

 ダブルプレイで帝都一の攻撃は途切れ、結局は一点までとなった。


 直史のこれまでの予想通りなら、これで仙台育成の勝率は大きく上がったと言っていい。

 だが感覚的なものだが、まだ勝負は決まっていないなと思う。

「帝都一はどこかで必ず、もう一点は取ってくる」

 その予想は正しく、粘って塁に出た下位打線。

 代走を使って二塁にまで進ませる。

 ここから進塁打と内野ゴロで、同点に追いつく帝都一。


 直史の予想はことごとく当たっている。

「するとこのまま帝都一の逆転か?」

「それは分からないけど、仙台育成もエースが粘ってるし、次の一点を取った方が勝つと思いますね」

 追いついた展開なので、本来なら帝都一が有利。

 だが野球の神様はこの試合、明らかに天秤を仙台育成の有利にしていた。


 打球がベースに当たって跳ね返り、仙台育成はランナーを二塁まで進める。

 そこから進塁打と、そしてスクイズで一点を勝ち越し。

 だがまだ勝敗の行方は、決まってはいない。

「追いついたら帝都一の勝ち、追いつかれなかったら仙台育成の勝ちかな」


 やや球威は落ちてきたエースが、低めにボールを集めてきて、それを帝都一は上手くミートできない。

 たまにいい打球がいっても、野手の正面であったりする。

 運の要素が強い。

 これで負けたら帝都一もたまらないとは思いつつ、そこまで意外な展開でもないとも思う。


 九回の裏にもランナーを出して帝都一だが、ぎりぎりで仙台育成が逃げ切った。

 大番狂わせと言うほどではない戦力差だが、これで優勝候補が消えた。

 センバツ王者の明倫館も消えていて、大阪光陰も出場していないとなると、残る有力校はどうなるのか。

「よう当たるなあ。飴ちゃん食べ」

「いただきます」

「次はどっちが勝つと思うんや?」

「桜島と名徳……。桜島は本当に、予想の難しいチームですからね」

 古くから打撃を重視した、鹿児島の強豪。

 優勝候補を食うこともあれば、無名校にあっさり負けることもある。


 一ついえるのは、桜島を打撃戦で制するのは難しく、ロースコアゲームに持ち込むのが一般的な攻略法だ。

 白富東の最初の夏は、桜島以上の打撃力と、その打線を封じるほどの投手力で勝った。

 名徳は総合的に優れたチームではあるが、桜島を抑えるほどのエースがいただろうか。

 ここは直史も、ロースコアなら名徳、五点以上なら桜島と、そのままの予想が正しいと思う。

 ただこの試合の前に、白富東の次の試合の対戦相手が、この試合の勝者になるとネットで発表される。

 端末からそれを知った直史は、特に桜島の方に、自分のピッチャーとしての目を向ける。


 名徳が勝ったなら、秦野はその対策を、きっちりと行ってくるだろう。

 だが桜島が相手とすると、もっと細かい部分や、大雑把な部分が見えてくるはずだ。

 対戦相手としてはどちらも強力であるが、予想外の爆発は、はやり桜島の方が危険なのだ。


 そしてその通りの試合展開で、桜島が勝った。

 集中打で勝負を決める桜島は、なかなか冷静にピッチャーが投げることも難しい。

 ただしそれなりに失点もする。




 第四試合まで、結局は直史と瑞希は見ることになった。

 周囲のおっちゃんやおばちゃんが、その予想を聞きたがる。

 直史は福岡城山の情報は、あまり入れてなかった。

 ここは理聖舎が勝つと思っていたのが、正直な予想である。


 やはりここも、横浜学一は優勝候補だ。

 素直に見れば横浜学一が、勝ち上がってくるのが打倒だろう。 

 ただし今年の福岡城山は強打を誇っているらしいので、乱打戦に持ち込めば勝敗は分からない。


 この試合は横浜学一が先制し、福岡城山が追いかける展開となった。

 どちらのチームもピッチャーや打線が隙なく強い。

 だがやや横浜学一の方が、ピッチャーの性能の方が上そうである。

(俺たちの代の白富東なら、どこと当たっても確実に勝てたな)

 そう考えている直史の前で、5-3で横浜学一が勝利した。


「君ら準々決勝も見に来るんか?」

「そのつもりです」

「よっしゃ、じゃあまた勝敗予想楽しみにしてるで。ちなみに今のところの優勝はどこやと思う?」

 そう問われても、直史としては白富東を贔屓する気持ちが潜在的にあるのだ。

 事前の分析であると、残った中なら横浜学一が一番なのだろうが、桜島と当たれば食われる可能性もある。

 もっとも爆発力ならば、蝦夷農産もかなりのものである。

 桜島と白富東が当たるが、ここを勝てたら相手次第だが、優勝まで到達してもおかしくはない。


 どのチームにも、決定的な差というものはない。

 帝都一が優勝するかなと内心では思っていたのだが、甲子園にはやはりマモノが棲んでいたらしい。

 エラーから点を取っていったあの流れは、試合中に起これば止めるのは難しい。

「予想はともかく、白富東は応援してますけどね」

 結局のところ、おっちゃんもおばちゃんも、直史には気付かなかったようである。




「本当のところはどこが優勝すると思うの?」

 瑞希の問いにも首を振る直史である。

「本当に分からないけど、逆にどこが勝ってもおかしくはないと思う」

 正直なところ、帝都一かなと思っていたのだが。


 序盤の崩れが、最後に響いた。

 ただ仙台育成も、エースがかなり消耗した状態で明日の試合である。

 こういうとき特定のエースを持っていない桜島は、想定的に有利になってくる。

 厄介な桜島ではあるが、白富東はこれに対して、投手の体力は温存出来ている。


 どこが勝つかは分からない。

 だが応援すると共に、試合の行方は楽しみにもなる大会である。

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