第102話 技巧派VS支配派

 二回の表、四番の西郷の打球は、強烈ながらのショート正面のゴロ。

 ピッチトンネルが同じで、手元でほんの少し曲がる。

 それでいてアッパースイングにも対応した変化があったため、西郷の初打席は凡退である。

 元々ピッチャーというのは、初打席では有利なのだ。

 なのに初回から点が入るピッチャーは、俗に立ち上がりが悪いと言われる。

 武史のようなピッチャーのことである。


 五番の北村も内野ゴロに倒れた。今度はピッチャーゴロである。

 ヤンはフィールティングも上手く、足元を抜けそうな打球を拾い上げた。

 そこからファーストへの送球もストライクで、まさにザ・コントロールである。


 六番の近藤は、春から打席に立つことが多くなってきた。

 高校時代はピッチャーをやっていて、しかも140km台後半を投げていたが、本職はサードである。

 今はライトを守っているのは、その強肩を買われてのことだ。


 高校時代から近藤は、四番を打ってはいたが、華麗なホームランバッターではない。

 長打力もあったが、基本的には粘り強く相手の失投を待ち、そして打点を確実につけるタイプであった。

 この打席もそれを心がけているつもりだったのだが、甘い球につい力んでしまった。

 しかもその甘い球が小さく変化しては、それは打ちにくいというものである。


 三者凡退。

 しかもこの回も、三人とも内野ゴロである。

 完全なグラウンドボールピッチャーだ。




「ああいうピッチャーだったなあ」

 直史は呟いて、ゆっくりとベンチを出る。

 ヤンはまだ、本気にはなっていない。

 ストレートを見せ球にしか使ってないのだ。

 おそらく三巡目あたりからは、スタイルを変えてくるだろう。

 ただ、かなり確率に頼ったピッチングだ。


 内野ゴロを打たせて取るピッチャーは、球数も少なくなって効率がいい。

 そんなことを言われるが、実際のところヤンはこの回も、13球を投げている。

 おそらくは七回あたりで捕まる。


 優れたピッチャーは狙ったところに内野ゴロを打たせることが出来るなどと、かつては信じられていた時代もあった。

 だが実際はそれは思い込みであり、宗教である。

 内野ゴロが内野を抜けていくかどうかは、単純にグラウンドのどこへ飛んで行くかの確率の問題なのだという。

(まあ明日は休みだしな)

 直史は本気になった。


 スローカーブを背中の方から落として、次は逆にツーシームで胸元を攻める。

 最後にはスルーを使った。

 続くバッターもカーブで泳がせてスプリットを空振りさせた後、ストレートを高めに投げて振らせた。

 そしてスライダーとツーシームでボール球をファールにさせてストライクを稼ぐ。

 最後はスルーを使って、三者連続三球三振である。


 ただの三者連続ではない。

 三人の打者を相手に、九球でこの回を終わらせたのだ。

 単に力を誇示するわけではない。

 彼我の実力差を思い知らせることで、ヤンのコントロールを乱しにかかる。

 これぞまさに、ピッチングによる攻撃である。




 直史のメッセージは対戦相手に、はっきりと伝わった。

 投手戦になる。だがそちらの投手は、どこまでついてこられる?

 だがヤンはグラブを持つと、三回のマウンドに登る。


 こういう勝負がしたかったのだ。

 精密な機械的作業による、アウトの奪い合い。

 相手のバッティングを封じて、そしてピッチャーが試合の流れを支配する。

「まあとりあえずパーフェクトは消しておくか」

 ワンナウトから打席に立ったのが樋口である。


 リードを考えて八番に入ってはいるが、実際はクリーンナップを打ってもおかしくない。

 だがとりあえずすることは、まずヒットを打つということ。

 内野ゴロばかりを打たせるというのは、野手にとって適度な緊張感を与える。

 それを適度ではなくするために、まずはヒットを打つ。


 ピッチャーとバッターは、初打席はピッチャー有利だ。

 ピッチャーの球筋を、まだバッターが把握していないということもあるが、序盤のピッチャーは体力がまだ満ちている状態だからだ。

 ヤンはペース配分も考えて投げているわけだが、それを思い通りにはいかせない。

 樋口はヤンのピッチングのコンビネーションに惑わされず、力を入れずにボールをカットしていく。


 際どいところの出し入れが上手いが、そういうのを読むのは樋口にとって一番得意なことだ。

 フルカウントからの際どい球を平然と見逃す。それはわずかに変化したためボール球になっていた。

 フォアボールながら、有言実行の男である。 

 それに今の打席も、12球も投げさせた。


 ワンナウトからランナー一塁で、バッターは直史である。

 この場合一番まずいのはゲッツーで、進塁打が及第点だ。

 その進塁のためには、送りバントも有効であろう。

 だが辺見はまず、違うサインを出した。

 そして一塁から樋口も、直史にサインを送る。

 ここからピッチングを読んで、狙い球を絞ってもらうのだ。


 またも監督の采配無視であるが、もう諦めている辺見である。

 ヤンの投げた初球、樋口がスタートを切る。

 スチールではない。直史も打ちにいった。

 カーブかスライダーと、投球パターンは読んでいた。ならばこの場合はどちらか。

 球速があり、落ちずに捕れるスライダー。


 樋口の動きによって空いた守備の穴に、直史は打球を叩きつけた。

 内野の間を抜いて、ボールが外野まで転がる。

 ラストバッターによる、ファーストヒットであった。




 ワンナウトランナー一三塁。

 相手のピッチャーがいいだけに、ここはスクイズという選択肢もある。

 先頭打者に戻ってきて、土方の打席である。

 ベンチからの指示は、スクイズか。

 まあ直史が投げているのだから、一点あれば勝てるというのも分かる。


(なんだか基準がおかしくなってきたな)

 土方はそう思いながらも、一点を取るための選択をする。

 相手の北九州大も、おそらくスクイズは選択の中に入れているだろう。

 ただ土方は打率の高い打者なので、普通にバント練習はしていない。

 なお近藤はものすごくバントが下手である。こういうのは山口が上手いのだ。


 初球からバットを寝かせてみれば、ファーストとサードのチャージが激しい。

 両者共に、スクイズ警戒はしている。

 またボールも威力のある高めと、スクイズで一点は仕方ないとは思っていない。

 土方はベンチからの指示を確認したが、やはり指示は変わらない。


 あとは何球目でするかを、ベンチで判断するだけだ。

 初球がインハイのストライクだったので、あれでもやれることはやれたのだが。

 三塁ランナーの樋口は、言ってはなんだがキャッチャーのくせに足が速い。

 高校時代の土方もそうであったが。

 簡単に言ってしまうと、身体能力が高くて運動神経がいいのである。


 ここから二球目も、インハイの力のある球だった。

 これをバント失敗してファール。追い込まれてしまった。

 辺見は溜め息をガマンして、サインを変える。


 打っていけ。

 ただし、ダブルプレイだけはなし。

 土方はそれなりに長打も打てるので、タッチアップが打てれば最高である。

(まあ内野ゴロが安定か)

 叩きつけるように打つ。

 ダブルプレイも取られるのではと思った打球だが、セカンドはショートへと送球。そして一塁へ投げたが、そちらはセーフ。

 ダブルプレイ崩れの間に、まずは一点を取れた。




 ヤンがこんな感じで失点を許すとは、さすが六大の王者は違う。

 そう思いながらも、後続の得点は許さない北九州大。

 だがその裏、守備に就く早稲谷の野手陣の顔つきが違う。

 完全に、守備に集中した顔になっている。


 一点を先制したことで、これを守るという意識が強くなったのか。

 そう北九州大の選手は思ったが、それは半分ほどしか正解ではない。

 もうこれで、エラーでも重ならない限りは勝ったと思ったのである。

 なのじ自分の守備範囲の土を均して、エラーになるイレギュラーの可能性を潰す。


 その三回の裏、北九州大の攻撃は、最初に二者連続で三振し、ラストバッターのヤン。

 これは打ち上げてしまい、ピッチャーフライでアウト。

 三回まではパーフェクトピッチングである。




 四回の表からは、早稲谷は攻撃が雑になった。

 それまでと違って粘るのではなく、長打狙いのスイングが多い。

 三番打者から始まる好打順であったのに、三振と外野フライで、呆気なく攻守交替である。

 ヤンとしては球数が少なくなってきそうで、都合はいいのだが。


 こちらも一番からであるし、どうにか出塁しようとはしている。

 だが先頭打者を三振、二番打者を三振、三番打者を内野フライと、またこの回もパーフェクトに抑えている。

 四回で、中盤に入ったばかり。

 だが絶望は、ひそひそと、北九州大の背後に忍び寄っている。


 五回の表は、早稲谷の六番からの打線も、あっさりと封じられる。

 特に第一打席は粘った樋口が、あっさりと内野ゴロを打った。

 ここまでヤンの取ったアウトは、ほとんどが内野ゴロである。

 三振も三つとっているが、だいたいいつもと同じような試合展開だ。


 だがいつもは、攻めているのに点が入らないという状況に、相手が焦れてきて自滅するパターンが多い。

 今日は先取点を取られているので、そこは確かに違うのだろう。だがあまりにも、試合運びが淡々としている。

 ネット配信などで見られている早稲谷の試合。

 画面越しと直接対決とでは、これほど違うのか。

 だがいつもの早稲谷は、もっと攻撃力がある。

 それこそヤンを攻略出来ていないということなのかもしれないが、一点だけなのにあせりがない。


 一点あれば大丈夫。

 早稲谷の応援団が歌っている。

 いくらなんでも大学野球の平均レベルが高くなった試合で、一点も取られないというのはおかしい。

 だが直史の成績は、全国の大学野球選手が知っている。


 入学以来、公式戦における自責点は0。

 ヤンも完封は多いが、防御率はさすがに一点台はある。

 しかし、直史は明らかに、ワールドカップの頃よりも進化している。




 五回の裏も三振二つと内野ゴロ。

 六回の裏は三振三つ。

 150km台のストレートも投げないのに、確実に三振を奪っていく。


 普通ピッチャーというのは、初対決が一番バッター相手には有利と言われている。

 立ち上がりが悪い者もいるが、一番体力が充実しているからだ。

 しかし直史の場合は違う。

 打席が重なるにつれて、何を狙えばいいのか分からなくなり、スイングが弱くなっていく。


 スピードボールではないので、コンパクトに振ればそれなりに当たることは当たる。

 だがヒットになるほどの当たりではない。

 そして当てられるはずの遅いボールを、三振してしまう。


 六大の中でも、一番直史を良く知っているジンの属する帝都は、次の春のリーグ戦からは、ピッチャー前へのバントを多くしていこうと思っている。

 どうにかしてピッチャーの体力を削らないと、どうにもならない。

 ピッチャー前へのバントで足腰のスタミナを奪い、どうにか球威を落とす。そしてコントロールを乱す。

 そんなことを考えているが、北九州大のチームはそんな戦略は立てれてないし、まず当たらないのでどうしよもない。


 これほどのものか、とヤンは戦慄する。

 ワールドカップの時も、確かに素晴らしいピッチングではあった。

 だがあの時はクローザーとして短いイニングを投げていたのだ。

 大学に入ってからの先発としてのピッチングも見ていたが、見るのと体験するのとでは印象が全く違う。


 ヤンのピッチングもまた、打たせて取る技巧派である。

 時折三振も奪っていく、見事なものである。

 だが直史のピッチングは、そのさらに上をいくものだ。

 掌の上で遊ばれているような。

 自分のボールで相手がどう凡退するのかは、確かめているようなピッチング。


 八回まで、パーフェクトピッチが続いた。

 そしてさすがに、この状態ではヤンの精神的な消耗が激しすぎた。

 九回の表もツーアウトまでは持ち込んだのだが、そこで近藤にホームランが出た。

 さすがに球威が落ちていたのと、わずかだがコースが甘かった。

 続く樋口もクリーンヒットを打ったが、直史が全く手を出さず、スリーアウトでチェンジ。




 九回の裏。

 もはや北九州大は、どうにかパーフェクトの阻止を目論んでいる。

 だがバントヒットとか、そういうことで阻止しても、あまりお話にならないだろう。

 そもそもバントヒットも一度企んでみて、失敗しているのだ。


 代打を送っていいものか、それすらも迷う。

 これまでの二打席、完全に抑えられてしまって、スタメンは自信を喪失している。

 だからといってあのピッチャーから、初見でヒットが打てるものか。

 まあこんなものか、と直史は最後のイニング、実験を開始する。

 ストレートだけで、まず三振を奪った。


 次の打者はストレートで追い込んでから、チェンジアップで内野フライを打たせる。

 最後のバッターはヤン。

 ヤンもまた、打てるタイプのピッチャーではある。

 だがこのコンビネーションは、打てる気がしない。

 スライダーを外角いっぱいに投げた次に、ツーシームを胸元に投げていく。

 最後は、あの球がくるのか。

 来た。

(ジャイロ!)

 振ったボールがピッチャー前に転がった。

 そのままあっさりと捌いて、スリーアウト。

 やっぱり打者は一人も出ずに、パーフェクト達成となった。




 九回27人に投げ、91球、20奪三振。

 またパーフェクトである。

 おおよそ本人も満足の内容である。内野ゴロに強い当たりのものが一つもないのが良かった。


 整列時に、ヤンから声がかかった。

「最高のものを見せてもらったよ。少しでも近付きたいと思う」

「まあ、また全日本で会おう」

 直史はリップサービスのつもりだったが、ヤンの実力なら不可能ではないだろう。


 まずは、一つ。

 あと二つ勝てば優勝なのだから、楽な大会だと直史は思う。

 その認識は明らかにおかしいのだが。

「帝都一の水野に似たタイプだったな」

 直史はそう言うが、ヤンが一番近いのは、白富東の文哲である。

 変化球にコントロール、そしてコンビネーション。

 もっとも完成度には格段の差があったが。

 これをさらに極めて、魔球を混ぜると直史になる。

 あと左投げとかも混ぜないといけないが。


 相変わらず頭のおかしい記録を達成して、直史は勝った。

 早稲谷ではなく、直史が勝ったのであった。

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