九章 大学二年 神宮
第101話 二度目の神宮大会
さて、秋のリーグ戦で優勝した早稲谷大学は、当然ながら神宮大会に出場するわけである。
普段からここで試合をしている、六大学の人間にとっては、特に感慨深いものでもない。
ただ、ここで一発勝負のトーナメント戦を行うというのは、高校時代を思い出す。
ある意味、甲子園に出場するより、神宮大会に出場するのは難しい。
高校においては、直史は二年の秋にしか出場できていない。一年の秋には関東大会の決勝で敗れていたので。
しかも一年の秋と二年の秋にしかないので、チャンスはわずか二回なのだ。
そのうちの一回で出場を決め、優勝までしたのだから、ある意味運もいいのだ。
「それに比べると、秋のリーグ戦を優勝するだけでいいなんて、六大と東都は楽だよな」
「確かに」
直史と樋口の基準がおかしい会話にも、いい加減に慣れてきた周囲である。
シードの早稲谷は開会式に出ただけで、あとはまた大学に戻るだけである。
そしてネット配信で他のチームの試合を見ていくのだが、直史は他の出場校の選手などをチェックしていく。
「樋口、こいつ」
「ん? ああ。そういえば日本の大学に来るとか言ってたか」
北九州国際大学の選手の中に、ワールドカップでも対戦した台湾のヤンがいた。
何気にワールドカップでは無敗であった、台湾の精密機械でる。
北九州国際大学はリーグ内で優勝したあと、その地区の他のリーグの優勝校とも戦って、それで神宮大会の出場権を得なければいけない。
そこから勝ち上がってきたのだから、その困難さとしぶとさは、想像を絶するものがある。
「一回戦……じゃなくて、勝ちあがってきたら二回戦で当たるのか」
「三回勝てば優勝なんだから、楽なもんだよな」
そのぶん相手は厳選されているのだが、なんといっても早稲谷や東都の代表には、ホームコートアドバンテージがある。
神宮大会は午前中に高校生の試合をやって、午後に大学生の試合をする。
淳たちも引退した今、直史と同じ試合に出ていた世代はもう選手の中には存在しない。
「そういや、今年は高校はどこが強いんだ?」
全く興味をなくしている直史は、母校が出場していないことだけしか知らない。
「夏に優勝した大阪光陰が、府大会であっさり負けたからなあ」
樋口としてはその程度しか興味がない。
だが、下から上がってくる者か。
今まではずっと、上を向いていれば良かった。
まあ一つ下の真田のような例外もあったが、基本的には年齢が上がればステージも上がっていった。
しかし大学に入って確信した。
アマチュアにはもう、対抗するような存在はいない。
直史も淳から色々と聞いてはいる。
淳もまた早稲谷に来るのだ。一応は国体を制したので、全国大会優勝投手として。
武史はともかく淳にとっても、大学は通過点にしなければいけない。
プロで勝つためには、大学のリーグ戦の情報の中で、結果を残していかなければいけないのだ。
下から来る者と聞いて、直史はテレビで見ていた甲子園を思い出す。
淳から先頭打者ホームランを打って、ピッチャーとしても一年で150kmを投げる。
そんな数字だけだと、武史を思わせるが、おそらくあれは適正ポジションは外野だ。
アレクのようなタイプだ。アレクと違って、ホームランを外野フライにしてしまったが。
結果論から言えば、今年の白富東は、あの一年生に負けた。
もっともあれは、大学に来るとしても直史が卒業した後だ。
身体能力からいって、そのままプロの世界に進むだろう。
はっきり言って素材だけなら、メジャー級と言っていい。
北九州国際大学が、勝ち残った。
終盤に出てきたヤンが投げて、リードを守ったまま勝ったのだ。
なかなかやるなあとは思った直史であるが、ヤンは逃げ気味ではあったが、大介相手にも失点してないのだ。
「さて、じゃあ明日の先発だが」
辺見の言葉に対して、直史が手を上げた。
何か無茶なオーダーをされても、淡々と投げるのが直史であった。
しかしあのピッチャー相手なら、一点が重くなる。
「あのピッチャーは、ワールドカップでも対戦しました。球数制限で途中で交代しましたけど、それまで日本チームは一点も取れませんでした」
「何」
辺見としてもそこまでは把握していない。
もちろんあの年のワールドカップが盛り上がったのは確かだが、基本的には大介がホームランを打ちまくったからだ。
ヤンについては留学生ということで、情報が上手く隠れていた。
本人は別に隠すつもりもなかったかもしれないが。
明日は既に試合だというのに、分析が始まる。
もっとも直史と樋口は、とにかくバッターの分析だけをすればいい。
そう、明日の先発は直史だ。
試合で対決したとは言っても、先発とクローザー。
チーム力の差もあったし、役割が違った。
だが、どちらも失点しなかった。
ワールドカップに参加した西郷を中心に、今日の試合を中心に、ワールドカップの映像まで参考にする。
とりあえずバッターの分析は終わったので、直史は樋口と一緒にヤンの分析に回る。
早稲谷の分析はたいがいの高校のチームよりは上なので、出てきた数字から読み取れることは多い。
球速のMAXは148km。
ワールドカップの頃はどうだったか憶えていないが、おそらく速くなってはいるのだろう。
だが大学野球にならば、普通にいる程度だ。
「思い出してきた」
大きく変化する球もあれば、小さく変化する球もある。
厄介なのはピッチトンネルの同じ、スライダーとスプリット。
そのうちのスライダーは、カット気味のと普通のスライダーに分かれる。
ムービング系のボールは使わない。スプリットは空振りが取れる。
他にはカーブとシンカーも投げてくる。
確かに球種が多い。
何か必殺の球種があるわけではなく、コンビネーションでアウトにしていくピッチャー。
傾向としては確かに、直史に近い。
だが手数も球威も、直史の方が上である。
ワールドカップでは西郷は、変化球を多投するピッチャーには弱いということで、スタメンには入っていなかった。
だが結局は散発の四安打で、ヤンの投げている間は点が入らなかった。
一人のバッターを封じるのも、チームの攻撃全体を封じるのも、上手いピッチャーだった。
ただ、今の早稲谷を封じられるかどうかは、かなり怪しい。
はっきり言ってしまえばヤンの上位互換である直史が、自分の練習の一環として、バッピをしているからだ。
西郷の変化球が苦手なのも、ほぼ克服してある。
早稲谷打線を相手に、現在の情報から分析しても、おおよそは対応出来ると思うのだ。
ただ、直史と樋口は楽観しない。
直史がバッピをするのは、あくまでも自分の調子を確認するためと、バッターの苦手なボールの克服のため。
バッピをやっている時に、本気でバッターを抑えようなどとは思わないからだ。
神宮大会二日目。早稲野の初戦。
これに勝てば明日は休みであるが、四日目と五日目は連戦で優勝が決まる。
なんとも忙しいトーナメントであるが、高校時代と違い大学ともなれば、使えるピッチャーの枚数は増える。
それでもエースと控えの差はあるために、どういったピッチャーの運用をするかが、トーナメントを勝ち上がるためのポイントだ。
辺見は初戦に直史を使うことにした。
珍しく先発を希望してきたということもあるが、北九州国際大のヤンを調べるに、台湾ではミスターゼロなどと呼ばれる脅威の防御率を誇っていたことなどが理由だ。
先攻は早稲谷であり、スタメンは以下の通りである。
1 (中) 土方 (二年)
2 (二) 山口 (二年)
3 (遊) 清河 (四年)
4 (一) 西郷 (三年)
5 (三) 北村 (四年)
6 (右) 近藤 (二年)
7 (左) 安積 (四年)
8 (捕) 樋口 (二年)
9 (投) 佐藤 (二年)
早稲谷の黄金時代は、他の大学にとっての暗黒時代であるが、早稲谷内部にも格差が発生している。
スタメンを見れば分かることだが、圧倒的に二年生が多いのだ。
付属から上がってきたメンバーに加え、二年生の特待生も軒並ベンチ入りしている。
これは、直史と違うチームに行ってしまうと、全く勝てないのではないかと、実力者が早稲谷を選んだ理由でもある。
だいたいその判断は正しい。直史が入学以来早稲谷は、四回中三回のリーグ戦を制していて、そのうちの二回が全勝優勝だ。
隙があったとはいえ、帝都が一回優勝しているのが凄い。
それにこの春の後の全日本では、優勝もしている。
リーグ戦のホームラン記録を塗り替えそうな西郷が四年になる、来年が一番強いのかもしれない。
マウンド上のヤンは、早稲谷の全てのデータを頭の中に入れてある。
早稲谷にも、弱点はあるのだ。
それは注目されるリーグの強豪だけに、データも集まりやすいこと。
そのデータ分析通りに投げる力が、ヤンにはある。
ただ二年生が多いというのは、その点では逆に痛かった。
まだリーグ戦におけるデータが少ないからである。
それでもネット配信されている分だけでも、試合の映像は集まる。
また注目度が多いということは、それだけ素人分析も多くなる。
素人分析でも数値を集めたりしていれば、それなりの成果は出るというものだ。
早稲谷のこのスタメンの中で、土方、西郷、近藤、樋口の四人は、高卒でプロ志望届を出していれば、間違いなくどこかの球団に指名されていただろう。
もちろん直史は言うまでもない。
実質NPBレベルと言ってもいいし、特に西郷の打力はリーグ戦の記録を塗り替えるかもしれない、圧倒的なものだ。
だが、敵もさるもの。
一回の表は曲者の山口も含めて、三者凡退に倒れたのである。
ベンチに戻ったヤンは、まずは一安心である。
分析によるデータと、マウンドで感じたものは、もちろん異なる。
台湾人であるヤンは、日本の高校野球とプロ野球には詳しかったが、大学に関してはあまり知識がなかった。
実際に入学して、留学生ということもあり、少し他の部員とは違う扱いを受けた。
なんと言ってもワールドカップの先発部門では最優秀選手に選ばれたのだ。
あの年の日本のピッチャーには、本多、玉縄、吉村、加藤、福島といった、既にプロでも活躍している選手が含まれていたのだ。
それに、大介とある程度まともに対戦して、ホームランを打たれていないということが大きかった。
北九州国際大学の所属するリーグは、日本国内でも強豪とは言われていないリーグである。
それでも大学でまで野球をするという選手は、ヤンの目から見ても優れた選手が多かった。
この秋から完全にエースとして投げているヤンは、ようやくその本領を発揮していた。
防御率が0に近い。
点を取られない技巧派と言えば、日本では佐藤直史なのであるが、最近はもう技巧派とかそういうレベルではないのではないかという声が大きい。
一人でとにかく大学野球の数字を塗り替えまくっているので、注目度が断然に違うのだ。
「それでプロには行かないってなんなんだ」
「まあ大学でベストナインとっても、まともに活躍しなかったピッチャーはいるけどな」
「あいつ、二年の春にセンバツに出てきた時からえぐかったで」
中には直史との対決経験がある者もいる。
大学でまで野球をする者は、高校時代もそれなりにやっていた者がいるのだ。
そう、直史が甲子園にデビューしたのは二年の春。
そこでいきなりノーヒットノーランをして、注目を集めたのだ。
大介がセンバツ甲子園のホームラン記録を塗り替えたのも、まだ伝説の過去の時代とするにはあたらしい。
16歳の少年二人が、千葉の全く知られていなかったチームで初出場し、そして記録を残した。
大阪光陰との対決に破れはしたが、あそこから伝説は始まったのだ。
「その当て馬になったんが俺らやったんやけどな」
「天凜やったっけ?」
「そやねん。そんで卒業してからは、弟の方にもノーノーやられてるからなあ」
ヤンはそんな会話を聞きながらも、一回の裏の直史のピッチングを見ていた。
凄まじく進化し、そして成長している。
ワールドカップの頃は変化球、特にジャイロボールを効果的に使って、当たり損ないの内野ゴロを打たせて、時々伸びのある速球を入れてきていた。
台湾だけではなくどのチームも打てなかった。
幻惑的な投球というのだろう。
だが今は、無造作に投げてきている。
いや、無造作に見えるだけと言うべきか。
あの魔球を使う割合は減っているが、カーブやシンカーといった大きな変化をするボールに、ゾーンギリギリで変化する球を投げている。
ストレートが純粋に速くなっており、緩急差が大きい。
何より変化したのは、三球以内に勝負を決めにくるということか。
リーグ戦などで成績を見れば、ほとんどのイニングを10球前後で終わらしている。
これはひょっとしたら、パーフェクトや無安打記録よりも、よほど難しいことではないのか。
少なくともヤンは、パーフェクトが単体で記録されたことよりも、安定したピッチングがずっと続いていることに驚く。
ピッチャーには必ず、調子が悪い時はある。
ヤンでさえそれは変わらないのだ。
それなのにその調子が悪い時でも、相手を少ない球数で完封することが出来たら。
それこそまさに、ピッチングの芸術だとヤンは思うのだ。
一回の表、ヤンが投げたのは14球で、裏に直史が投げたのは10球。
ヤンは内野ゴロ三つで、直史は三振一つに内野ゴロ一つ、内野フライ一つ。
打たせて取るという意味では、ヤンの方が分かりやすいのに、投げた球数は多い。
(僕は彼と勝負したかったんだ)
直史が聞いても、チームメイトに差がありすぎるだろうと、淡々と返したかもしれない。
だが直史は逆の立場でも、自分のピッチングスタイルを変えなかったであろう。
投手戦になるな。
直史もヤンも、同じ予感を覚えていた。
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