第125話 兄ほどではない最強の弟

 WBCの準々決勝が終わり、日本は危なげなくベスト4に進出した。

 台湾の守備が堅く、さすがに第一ラウンドのような大楽勝ではなかったものの、確実に勝てる試合展開であった。

 だがその後、夜にナイターで行われた、準々決勝のもう一試合。

 韓国とキューバの試合は、これまで楽勝に慣れてきてしまった日本代表の、頭を冷やす効果はあった。


 スコアは5-4でかろうじて韓国に勝った印象になるが、実際は確実に一点を守る勝利であった。

 先発のサウスポーピッチャーは50球までを投げて韓国打線を封じた。

 続くピッチャーはそこそこの点を取られたものの、打線がそれ以上に取る。

 そして鬼のようなクローザー。よく見た感じのピッチャーである。


 どちらの選手もストレート主体ということで、先発の方は武史に似ている。

 そしてクローザーのほうは上杉か。

「つーわけでお前、バッピしろ。タダで」

 直史から要請という名の命令である。そう、武史に似ているのだ。

「バイト料出ねえの?」

「出したらまずいんだよ」

 キューバのサウスポーがほとんど武史と同じ球速ということで、駆り出されることになったのである。


 まあアメリカに来て、本場のNBAも生で見れた。それだけでも満足はしている。

「ただ彼女と一緒に来たかった!」

「来ればよかったじゃないか。神崎さんはお金持ちのお嬢さんなんだろ?」

「え、でも旅行となると、ほら、一緒に泊まったりするとさ、ほら、夜がさ」

 もじもじする186cmの男子はキモすぎる。


 そして直史は別の部分で戦慄していた。

「お前、まだやってなかったのか」

 そういう直史もかなりの時間をかけたものだが、武史のそれはとにかく遅すぎる。

 もう大学生なんだしと、別にこういうことは年齢とは関係なくやってもいいだろうとは思っている。

 だが武史は寮であるし、恵美理は実家だ。お互いのホームでは難しいのだろう。

「ラブホ行くぐらいの金はどうにかなるだろ?」

「でもデートするにもそれなりの金がかかるしさ」

「お前ひょっとして相手に合わせて、お高いデートコース選んでないか?」

 その通りなのである。


 直史は別に百戦錬磨ではないが、男女が健全に長続きするためには、見栄を張りすぎていてはもたないとは思っている。

 高嶺の花のお嬢さんであっても、庶民に合わせてもらう必要があるのだ。

 そもそも男女交際の果てにある結婚というものは、お互いの価値観のすり合わせが必要なのだ。

 好きな者同士の関係であっても、そこに差がありすぎれば、どちらかが無理をせざるをえなくなる。


 ただこれは直史も知らなかったのだが、恵美理は名声を持つ父の一人娘であり、祖父から受け継いできた資産というのはあるが、たとえば水沢瑠璃のように、ホテル王の娘というほどの金持ちではない。

 どちらかというとその、育った文化の違いの方が大きいだろう。恵美理のスタンダードはヨーロッパの色が強い。

 そして本人は中高一貫して日本の学校の寮にいたので、いわゆる庶民文化にはしっかりと慣れているのだ。

 一番の親友である明日美もまた、完全に庶民の家の出身であったので。


 直史としても武史の気持ちは、分からないでもない。

 自分自身はそういうことにはこだわらなかったが、初体験というのを神聖視するのは、女性だけではなく乙女心を持つ男も同じであるのだ。

 武史の場合は単なるヘタレが入っていることもあるのだが。

「タケ、お前、今年の夏までに童貞を捨てられなかったら、今後一切そんな機会はないぐらいのつもりでいけ」

 直史としても兄として、弟が一生を拗らせた独身として過ごすのは見ていられない。

 結婚なんかしなくてもいいとか、子供がいなくてもいいとか、そういう所謂新しい考え方は、彼の常識の外にある。


 人間はよほどのことがない限りは結婚し、二人以上の子供を持つべきである。

 少子化だのなんだのということ以上に、人間が意外と死ぬものだと直史は知っている。

 人の死別の痛みに耐えるため、それを分かち合って乗り越えるため、兄弟はいた方がいいのだ。

 古いと言われようがなんと言われようが、それが直史の考えである。

 ちなみに直史自身は、三人ほどはほしいかなと思っている。

 フェミニストに喧嘩を売っていくスタイルである。



 

 そんなノリで武史にバッティングピッチャーをやらせつつ、直史は調整をしている。

 さすがに上杉にバッピをしてもらうわけにいはいかなかったので、これはありがたい。

 しかしながら打撃陣は、こいつもプロに来るのかと、未来を思えば暗澹たる気分になる。

 ピッチャーであっても、複雑な気分になってしまう。


 壮行試合の時は、なんだかんだ言って短いイニングしか投げなかった。

 だがバッピをやっていると投げれば投げるほど、球威が上がっていく。

 スロースターターだったのだ。

 そんな武史の立ち上がりを、日本代表は打てなかった。

 ピッチャーは確かに史上最強レベルなのかもしれないが、バッターは果たしてしっかり集めたと言えるのか。

 三冠王を選んでまだ足りないと言うなら、それはもう仕方がないが。


 ピッチャーはDH制があるため、バッティングの練習は必要ない。

 なので直史はもう自分の調整はついたので、同じくこちらにやってきているツインズとの会合を持った。

「妹たちに初体験の先を越された、情けない兄についてどう思う?」

「なんでお兄ちゃんそれ知ってるの」

「大介君は言わないよね」

 お前の妹二人ともやったんだ、などとは絶対に言いそうにない大介である。


 それはまあ、生まれた時から見ていた見てきた二人なので、なんとなく分かるものなのだ。

 三人の間の距離感を見ていても、ああ、こいつらやったな、と分かってしまうのだ。

 直史は基本的にあまり空気を読みたくない人間であるが、単純に鈍感というわけではないのだ。

 むしろ察しているからこそ、それを無視するタイプである。


 異性の兄妹と性に関する話をするのは、かなり気持ち悪いものがある。

 だが恋愛の後押しぐらいはやってやりたい。

「エミリーか~」

「タケにはもったいないよね~」

 二人にとっては、友人である明日美の友人、もしくは友人であるイリヤの知り合いとなる。

 

 武史とくっつくのなら、別にそれはそれでいい。

 ただ二人が見る限りにおいては、イリヤの武史に対する関心は、恋愛に似ているものではないのか。

 それでもあの二人の関係は、卑俗なものにはならないような気がするが。

 もっともイリヤの存在は、女性的な好みで言うなら、あまり武史には当てはまらない。

 基本的に武史は外見で恋愛対象を決める男であり、化粧で武装しないスッピンのイリヤは、攻撃力が充分でないのだ。


 メンクイなやつだと直史は思うが、直史も瑞希のことは所作を含む外見で選んだので、あまり人のことは言えない。

 ただこの兄弟に共通していることは、性格もいい美人という、世界的に見ても貴重な存在を、当たり前のように手に入れたことか。

 武史の場合はかなり時間がかかったが。


 春休みの間にはどうにかしろとも思うが、ここまでの亀の歩みのような進展の遅さを考えたら、周囲がお膳立てしないとどうにもならないような気もする。

 どうにも進展しなかったら、夏休みにでも二人を誘って、仲間内で海にでも行こうか。

 もっとも大介はもちろん無理だし、夏も野球漬けなどという人間も多いのだろうが。

 WBCという世界の大舞台においても、むしろ弟の未来を心配する長男であった。




 プロの世界というのは、別に憧れでもない武史である。

 だが一般庶民の出身である武史が一攫千金を夢見るなら、その選択肢も候補に入れておくべきた。

 プロの中でもトップの、球団から厳選された一行であるが、武史の球はそうそうは打てない。

 最初は打てていたものの、肩が暖まってきたらこれである。

 ただそれからさらに打席を重ねていくと、今度はまた打ち出した。


 本当にプロというのはすさまじいものなのだなと考える武史であるが、そこに変化球を混ぜていくと、やはりまた打てなくなる。

 身近に直史や大介がいるので、どうしても信じられなかった。

 だが本当に、自分はプロでも通用するピッチャーなのではないだろうか。


 高低や内外に投げ分けてほしいと言われると、それもまた可能である。

 武史のコースへのコントロールは、直史とは比較にならないが、それでもかなり厳しいものである。

 上杉もそうだが球速がとんでもないくせに、コントロールにも優れたピッチャーが最近の主流である。

 それにしても、こいつはどういう体の仕組みをしているのかと、バッティングをしている方が呆れる。

 全力を出してもなかなか打ち取れないのを面白がった武史は、もっと全力を出していく。


 100球を超えて、普通なら球威が弱ってくるあたりから、さらに球威が増してきた。

 一応は手持ちのスピードガンを持っている者が、それを計測してみる。

 165kmを突破している。

 想定しているキューバの先発よりも、武史の方が速い。

 そして大学のリーグ戦で投げたものよりも速い。


 手持ちのタイプのスピードガンは、正確に測れないものである。

 だが過小に数字が出ることはあっても、過大に数字が出ることはあまりない。

「なんやねん、これ……」

 日本代表のコーチの布陣は、別にライガースのみから集めたものではない。

 もしそんな集め方をしたら、ライガースのキャンプがスカスカの体制で行わなければいけなくなるからだ。

 だから他の球団とつながりが深いコーチも集まっていて、この数値が他にも知られることは間違いない。


 今さらか、とも思う。

 大学入学直後のリーグ戦から、奪三振記録を出してしまうような、そんなピッチャーなのだ。

 二年後のドラフトにおいては、多くの球団が競合して一位指名してくるだろう。

 思えばあの真田に投げ勝っているのだから、化け物っぷりは分からないでもない。

「なんかあいつ、また速くなってるな」

 弟の様子を見に来た直史に、大介が語りかける。

「165km出てるってさ」

「まああいつは調子に乗った時の方が、球威は増すけどな」

 単純に能力だけを言うならば、これでもまだ未完成だ。


 大学入学後の試合は、平均的に20個前後の三振を奪う。

 タイタンズの二軍との試合では、二本のヒットを打たれたものの、17個の三振を奪っていた。

 おそらく層の厚さでは、日本で最高のプロ球団の二軍である。

 この直球主体の中に、チェンジアップとナックルカーブを投げてくるのだから、対戦する打者としてはどうしようもない、

 



 ちょっと問題になってきている。

 せっかくのバッティングピッチャーだというのに、それが打てないのではむしろ逆効果だ。

 ちなみに練習場に備え付けられているトラックマンは使われていない。

 もし計測していたなら、その回転数がぐんぐんと上がっていったことに、目を疑ったかもしれないが。

「あんまり抑えられすぎても困るからな」

 嬉しそうに笑って、大介が打席を交代する。


 うわあ、という顔をする武史である。

 高校時代には速球対策として、散々に相手をさせられた。

 直史のような変化球投手は、特定のボールを重ねて投げるから、むしろ打ってくれないと困るわけだが、武史のようなストレートで勝負するピッチャーは、ストレートを打たれることがイコール、勝負に負けることにつながるのだ。

「チェンジアップとムービング混ぜて、適当にストレート主体で投げてくれ」

 打つ気満々である。


 今日の調子はいい。特にMLB標準のボールが、最後まで指にしっかりとかかる。

 球速はわざわざ聞いていないが、少なくとも手応えは充分だ。

 ただそれでも、大介には打たれる気がする。

 だが、本当に全力を出しても打たれるのか。

(空振りを取るぞ!)

 そう思って投げたボールを大介は叩き、打球は場外へと消えていった。

 こんなところで無駄に飛ばしてどうするのか。

 そこに打つべきボールがあれば、打ってしまうのがバッターの本能である。


 なお、その後にも数人のバッターには投げたが、それはほぼ抑えることが出来た。




「監督」

「言わんでいい」

「あいつ連れて来てたら、もっと楽に勝てたんとちゃいます?」

「だから言わんでいいってのに」

 島野は当然ながら頭を抱えて、ああいうのはもうさっさと高卒で入ってくれと思うのである。

 ただもしそうだったら、真田を指名していたかどうかは分からない。


 そもそも真田を連れて来ていても、やはりもっと楽に勝てたと思うのだ。

 ここまでの試合、全てスコア的には、楽に勝っているのは間違いないのだが。

「なんかもう、最近になって若い連中のレベルが一気に上がりすぎやん」

 それは祝うべきことなのではと、思わないでもないのだが。


 なおその日、大介に対して投げたボールの球速は、なぜかきちんと測れていなかった。

 ただほとんどの者は、最速と言われた166kmよりも、さらに速かっただろうと感じていた。

「ちなみにこれは勧誘でもなんでもないんやけど、プロに行くんやったら志望球団ってあるんか?」

 島野の問いは他のコーチや選手も見ているところで行われた、別にやましくもなんともないものである。

「レックス以外なら就職します」

「え……もう一つに決めてるんか?」

 ここまで断言するというのは、さすがに珍しいと思うのだが。

「付き合ってる彼女が東京住まいなんで、まあ他にも色々とあるんですけど、他なら普通に就職しますから」

 このあまりにもあまりな断言により、レックスは逆恨みとも思える視線を向けられることになったりする。

 仕方がないのだ。だって武史なのだから。

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