第124話 閑話 NBAを見に来ました

 特に野球を好きなわけではないのに、その頂点に立ってしまったという点で、佐藤武史は上杉勝也や兄の直史よりも、才能はあるのではないかと言われたりする。

 真面目にコツコツとやるという点では、努力の才能も武史にはちゃんとある。

 だが夢中になってそれに没頭するというぐらいまでは、野球に対する才能がない。


 そんな武史であるがしっかりと、兄の試合の応援には行く予定である。

 なにしろ場所がロサンゼルスであるので。

 さて、ロサンゼルスには何がある?

 ハリウッドがある? うんうんそれはあるね。

 MLBの球団も二つほどあるね。カリフォルニア州内であればもっとあるが。


 いや、武史にとってはそのあたりはどうでもいい。

 三月も下旬に入ろうというこの時、見るべきものは決まっている。

 NBAのシーズンが終盤に入り、プレイオフを見据えて各チームの最後のレギュラーシーズンでの争いが行われているのだ!

 別にWBCなんか見なくたって、直史と大介に加えて、今回は上杉までがいるのだが、負けるはずがないのである。

 つまり武史は、本場のNBAを見るついでに、兄の応援に行ったわけである。ひどい!


 そんな武史は一度日本代表の練習を見学に行った折、アルバイトをやらないかと言われたりもした。

 バッティングピッチャーのアルバイトであり、確かに壮行試合の二戦目でも、プロ相手に無失点の投球を見せていた。

 もちろん完全にアウトなのでそれは通らなかったが、小遣いがほしかったのは本当である。

「お前、金持ってないの?」

 大介から不思議そうに問われる武史だが、武史は直史ほどには、特別扱いはされていないのである。

 早稲谷OBの野球ファンから、現金のプレゼントなどということはない。

 いや、もちろんそんなことは直史もない。当たり前のことである。

「チケット代でかなり高い席取っちゃったんですよね」

 これがプレイオフになると、さらに高騰するのだ。

「お前、セイバーさんから声かけられてるんだろ? 相談してみたか?」

「え、そんなんありなんですか?」

「俺はライガースだから限られてるけど、お前は密約してんだろ? そこそこ無理も聞いてもらえると思うぞ」

 そして電話をすれば、その日の夜のチケットが取れたりするのである。


 


 二階席の最前列で、試合を観戦する。

 フロントコートの最前列の方が熱気はすごいが、試合全体を見るのはこちらの方が適している。

「相変わらず野球よりもバスケットボールの方が好きですか」

 隣に座っているのはセイバーなのだが、ついでにイリヤもいたりする。

 思えば高校卒業以来、ほんの少し会ったりはしたが、この組み合わせというのはない。

「いや、好きなのは好きなんですけど、バスケと言うよりはNBAが好きだったのかな、って最近は思います」

 これは正直な感想で、大学に入ってからは、バスケサークルに入ったりもした。

 だが高校時代はお遊び程度でしかバスケなどしていなかった自分が、かなりパワーアップしていたのは分かった。

 フィジカルで大きな相手も圧倒できたのである。


 ピッチャーのトレーニングの中で、ダッシュは何度もしてきた。

 ほんの15mほどの短距離ダッシュだが、実戦ではよく使われる距離だ。

 もっともバスケはサッカー以上に、体を左右に動かすことが激しい。

 ポジションにもよるは、武史がやるポジションはそんな感じなのである。


 セイバーとしては少し不思議な気もする。

「もしもNBAでプレイ出来る可能性があったら、チャレンジしてみたいですか?」

「それはないです。この年齢までにしておかないといけない鍛え方をしてこなかったことは、自分でも分かります」

 セイバーは少し意外であった。武史は野球には執着していないのだ。

 だがバスケットボールにも、もうそれほどの心残りはないのか。


 武史は才能と言うか、素質においては確かに直史以上なのだ。

 直史のあの能力は、素質と言うよりは集中力に近い。

 それこそ執念深く身につけたものだ。


 セイバーの知る限りでは、MLBにおいてもやはり、執着心と言うか、ハングリー精神のある人間が、成功している割合は多いと思う。

 ハングリー精神というのは、飢えである。渇望である。求める力である。

 より高みを目指す心がなければ、現状に満足すれば、そこからはむしろ下り坂だ。

 ただ中には本当に才能だけでやっている人間もいるのだ。

 それとショービジネスのスポーツで成功することと、人生で成功することはまた違う。

 武史に関してはそのあたり、危険な匂いがする。

 信頼できて優秀なマネージャーがいないと、おそらく失敗するだろう。

 ただその役割を果たせそうな女性を、パートナーに選んでいることは運がいい。

 イリヤであれば無理である。


 才能は人をひきつける。

 その人のために何かをしてやりたいとも思うし、逆にその人を利用してやろうとも思う。

 セイバーは武史の可能性の中で、一番一般的には成功と言えるルートを用意するつもりだが、それが本当に本人のためになるかは、かなり後にまでならないと分からない。

 人の幸福はそれぞれだと、セイバーはよく知っている。

 だがお金がたくさんあることと、お金を無駄に使わないことが、不幸になりにくい人生を送る上では大切なのだ。


 ハリウッドのスターや、ニューヨークのミュージシャンのように、金を使ってパーティーを開くセレブはいる。

 だがスポーツ選手はそれを真似しない方がいい。

 俳優や音楽家は、年齢を重ねてもそれを出力することが出来る。表現する方法があるのだ。

 しかしアスリートには肉体の限界が必ずある。それもおおよそは、30代の前半が最盛期か限界だ。




 頭脳労働は経験や知識の蓄積が、肉体労働より重要な要素となる。

 スポーツ選手の場合、まだしも野球は競技者人生が長い者が多い。

 50歳まで投げ続けたような鉄人は別にしても、40代で主戦力として活躍する選手はそれなりにいる。

 野球は他のスポーツに比べ、スタミナをそれほど必要としないため、選手生命は長いように思われる。

 だが実際はMLBの選手の平均引退年齢は27歳とも言われる。少し前は30歳と言われていたのだが。

 セイバー・メトリクスは選手の正しい評価を引き出すのと同時に、選手が最も価値のあるプレイを出来る年齢までも、しっかりと示してしまった。

 MLBにおいてはデビューがおおよそ24歳とNPBと比べて遅めに思えるし、そこから引退するまでは三年と考えれば、かなり短期間でその価値を示さないと、長くリーグでプレイすることは難しくなる。

 MLB、つまり野球はまだしも、選手が多いので生き残りやすさが少し高い。

 特にピッチャーは、個人差がかなり大きいのだ。


 スポーツ選手としての最高の上がり方。

 それはおそらくスポンサーとの生涯契約である。

 だがそんな頂点に至る者は、スーパースターを超えたスーパースターだ。

 実質的に成功と言うか、安定して選手としての引退後の、人生を送れる人間は、それほど多くない。

「武史君はプロになったとして、引退後のことは考えていますか?」

「なってもないうちには、引退後のことなんて考えてないですねえ」

 試合観戦に集中し、おざなりな返事になる武史である。


 直史ほどの己の人生プランを立てろとは言わない。そういう人間は大学生の段階でも、それなりにいる。

 特に日本の場合はそうなのだと、セイバーも聞いている。アメリカでは大学生ともなれば、既にライフプランをしっかりと決めている学生も多いのだが。

 セイバーが自分の資産を増やしだしたのも、大学在学中からである。


 MLBの選手の八割が引退から五年後には破産しているという記事が、以前にはあった。

 最近はMLBの機構が講習などをしており、この傾向には歯止めがかかっている。

 ちなみに目下試合を観戦しているNBAやNFLの選手も、五年以内に半分以上が破産という状況は続いている。


 確かに一流選手はその生涯で、100億円を超える年俸を獲得することも、アメリカでは全く珍しいことではない。

 だがセイバー自身は大学を卒業した頃には、既に一年でそれだけの金額を手にしていた。

 どんどんと資金を回転させるため、手元に残っていた現金こそ少なかったが、それでも軽く10億円ぐらいはすぐに動かせた。


 セイバーの知る限りではスポーツ選手の上がりは、属していたスポーツや、他の競技の株式を買って、オーナーの権利を持つことが多い。

 経営にタッチすることで、企業人としての道を歩み始めるのだ。

 あとは確実に動かさないだけの貯蓄や、金やプラチナといった貴金属を保持することも、リスクヘッジの一つの手段だ。

 武史の場合は、まあ自分がいるし他にも信用出来る者はいるのだが……資産管理を適当にするスポーツ選手というのは、そういう人間からさえ食い物にされてしまう。

(早く結婚して、財布の管理が上手い奥さんをもらうといいんだけど)

 ……なお武史は40代になっても平気で一線で活躍する選手になるのだが、それはまだ遠い未来過ぎて別の話である。




 NBAの試合を生で見てご機嫌の武史であったが、その耳元でセイバーは悪魔のように囁く。

「MLB選手として活躍すれば、NBAも見放題ですよねえ」

「セイバーさん、日本のプロ野球の方に力入れてるんじゃなかったんですか?」

「それは確かにそうですが、そのためにもまず、日本人選手の活躍で、別にMLBのレベルなんか高くないと証明してほしいんですよね」

 この人の視線は、自分のような凡人とは全く違うんだな、と感心する武史である。お前も凡人じゃないからな?


 この日はごく自然に試合を楽しんで見ていたイリヤは、セイバーの用意したロールスロイスの中で、五線譜に色々と記号をつけている。

 直史の影響でほんの少しだけ楽譜が読める武史であるが、なんだかすごく速そうな曲だな、と思うだけである。

「そういやどうしてレックスなんですか?」

 武史には、行くならレックスにしろと言っていたセイバーであるが、その細かい理由までは聞いていなかった武史である。

 こいつはさすがにもう少し、深い思考をするべきではなかろうか。別に頭が悪いわけではないのだが。


 セイバーとしては単純に、自分の考えと武史の好みが合致しただけである。

「在京球団以外には行く気はなかったんでしょう? 私のコネクションが太いのは、レックスの他には神奈川と広島、あとは福岡ぐらいでしたから」

「へ~、千葉とか巨神はダメなんですか?」

「千葉はフロントの人間と私の仲がすこぶる悪いんですよ。巨神は悪いわけではないですが、関わる余地がないんですね。埼玉も出来れば関わっていきたいんですか」

 神奈川でも良かったのだ。セイバーとしては。

 あそこは一軍と二軍の距離感が近いのと、球団自体の雰囲気が若いので、実はかなりお勧めだったのだ。

 ただそれをすると、球界内のチーム力のバランスが悪くなる。


 ある程度は仕方のないことなのだが、やはり金を持っている球団というのは、補強が念入りに出来るだけに強いのだ。

 他にもセとパではパの方が強いなどとも言われるが、それが事実であるかどうかは確定しづらい。

 セイバーが思うには、戦力の均衡を考えるなら、サラリーキャップや贅沢税の導入を考えるべきなのだ。

 しかしそれをやってしまうと、今度は選手の移動が多くなりすぎて、球団からファンが離れてしまうことも考えられる。


 現在の日本のプロ野球の場合は、選手の獲得に使うか選手の育成に使うかの違いはあるが、やはり金をかけたチームが強い。

 ただ本当にそれだけで優勝してしまうのでは、面白みに欠ける。

 スタープレーヤーを簡単に放出してしまうチームなど、あまり見たくもないのだ。

 そのためにセイバーが考えているのが、独立リーグの連繋構想だったりする。


 出来ることならもっと、日本の潜在能力を活かした、ショービジネスのコンテンツなどを拡大させたいのだ。

 野球だけではなく、さらにはスポーツだけではなく、エンターテインメントの拡大。

 それによって経済を活性化させ、投資している資金を回収し、さらに金を動かしていく。

 経済と経営、そして金融の知識のある彼女にとっては、大介や武史は大きな、代えのききにくい駒なのだ。それだけに大事にする。

 直史を動かすことには、完全に取っ掛かりさえ見えていないが。

 せめて瑞希をこちら側に引き込みたいのだが、引き込めそうもない人間だからこそ、直史は彼女を選んだのだ。




 武史をホテルに運んだ後、セイバーはロスにある自分のマンションへと向かう。

 彼女の拠点はアメリカ国内でもニューヨークとロサンゼルスの二ヶ所、あと日本では東京などにもある。

 そこで不動産に対してもそこそこ投資しているのだが、ロスとニューヨーク、そして東京はかなり自分の家という感覚がある。

 イリヤの本拠地はニューヨークであり、ロスに滞在するときは、友人の家にお邪魔することが多い。

 そのほとんどが有名な俳優などであったりするのが、イリヤがイリヤである所以だが。


 その車中にて、二人だけになったイリヤが、珍しく彼女から問いかけてきた。

「武史を使って何を考えているの?」

 面白いことを考えているなら、自分も混ぜろという言い草である。

「最初の予定とはかなりずれてしまってるのよね……」

 セイバーも色々とステップを考えて、どう駒に動いてもらうかを考える。

 だがその駒が同じ人間である以上、勝手に動くのを止めることは出来ない。

 特に直史は、思ったように動いてくれない。

 それに動きすぎるのはイリヤである。


 あのワールドカップ。

 確かに面白いことにはなったが、面白くなりすぎた。

 おかげで想像以上にMLBの注意を引いてしまったし、大介はやりすぎた。

 おそらく日本で思われている以上に、大介のエンターテインメント性は、アメリカでは高くなる。

 ただその大介を、どうやってMLBに連れてくるか。

 それもまた悩みの種ではある。一応伏線は張ってあるのだが、そういうものはいくつもあっても、一つも使わずに終わることもある。

「面白く考えましょう。人生は長いようで短いんだから」

 おそらく早死にするだろうなと思われているイリヤは、だが全く早死にするつもりはないのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る