第126話 閑話 日本の観戦者

 ※ 今回はこちらが時系列的に後になります。WBC編11話を先にお読みください


×××


 WBCを現地に応援しに行っている者もいれば、さすがにそんなことはしていられないという者もいる。

 期間が春休み中であるので、学生は金銭的な余裕があれば、ロスまで応援に向かっている。

 もっとも学生であっても仕事があって、出かけられない者もいる。

「あ~あ、あたしもアメリカ行きたかったなあ」

 ぐて~んとソファに寝転がる明日美の隣で、恵美理は苦笑しながら大画面の中の試合を見ている。

 時差があるのであちらは昼間だが、日本では深夜である。夜更かし観戦だ。

「明日美さんにはお仕事の話はなかったの?」

「学生の間は国内の仕事にしなさいって言われたから。せっかくお仕事はあったのに」

 やはりあったらしい。


 明日美は芸能人であるが、どのジャンルに使われるかは、けっこう微妙な存在なのである。

 アイドル的に扱うには、もっと低年齢からの露出が必要であった。

 しかし彼女のスター性は、誰もが認めるものだ。

 現在では経験を活かして野球関係のバラエティや、スチールモデル、MVのダンサーなど、けっこう雑食な仕事の仕方をしている。

 CMのオファーが来たというのは驚きであるが、一番驚いたのはドラマの出演オファーであろう。

 恵美理もそれほど、そちらの方面の芸能界には詳しくないが、明日美は自分から仕事を取りにいくのではなく、向こうから仕事がやってくるらしい。

 そんな芸能人は、ほとんどいないはずなのだ。


 今一番、明日美にとって魅力的なものは、ドラマ出演だ。

 童顔な彼女だからこそありえたし、彼女以外の芸能人では、経歴のある女優でも嘘っぽくなると思われるもの。

 あの『白い軌跡』のドラマ化である。

 ヒロインである椎名美雪の役であるが、本人にやってもればいいのではと思うが、学生野球憲章のためにそれは不可能なのだ。

 オーディションではなくあちらからのオファーだというのは、本気で野球のシーンをやるというからだろう。

 それにいくら明日美が童顔であっても、年齢的に今がぎりぎりだという見極めもある。

 ちなみに直史は自分の名前が使われるのが嫌なので、人物名が変更されている。


 きっかけになったのは、CMであったという。

 エナジードリンクのCMであったが、それを飲む前の10秒ほどの時間で映される、明日美の肉体の動き。

 演技経験などはなかったわけであるが、肉体能力の説得力が、他の全てを上回ったのだ。

 そういう意味では彼女も、天才以外の何者でもない。




 そういう意味では自分も天才ではないな、と恵美理は思う。

 もちろんある程度の素質や、才能の欠片はあるのだろう。

 どれだけ努力しても、その方面の才能が開花しない人間はいる。

 また体質的に、運動に向かない者もいる。

 だが佐藤直史は絶対に天才だと思う。

 凡人が極めた努力をいくつもやっているという点で、それはもう凡人ではない。

 才能は弟の方があるというのは、確かに正しいのかもしれないが。

 ちなみに恵美理のキャッチャーとしての危険感知は、ジンや樋口でも持ってないほどの、圧倒的な才能である。


 だが武史の才能は、一つの分野に突出しており、他の部分ではややバランスが悪かったりする。

 対して直史は、欠点がない。

 球速こそ及ばず、またプロの世界になら普通にいる程度のMAXであるが、それ以外の全てにおいて、おそらく人類の限界に到達している。

 肉体の耐久力がどうなるかだけは分からないが、球数をあれだけ減らして投げることが出来れば、それだけでも壊れにくいし、疲れも溜まらない。


 武史の最大の欠点は、フィジカルでもテクニックでもメンタルでもない。

 一応はメンタルの部類に入るのかもしれないが、特に野球を好きなわけではないというのが、真性の欠点である。他の全ては欠点と言うよりは、特徴である。

 この世界の野球好きの中で、どれだけが才能や素質の差を思い知らされて、プロへの道を諦めたことか。

 天才と呼ばれる人間のどれだけが、練習やトレーニングを積んでいることか。

 それを武史は、別に野球が好きなわけでもなく、まあこれぐらいはやらないといけないだろうな、という程度の感覚で練習やトレーニングをして、その領域に達している。

 基本的に練習嫌いなのだ、武史は。


「武史君が出場してたら、やっぱり応援に行ってた?」

「まあ、それは多分」

 選手の家族などを招待するなど、WBCの主催は、なるべく選手が快適に過ごせるように、気と金を使っている。

 それでもメジャーリーガーの一線級ならば、はした金の部類だ。

「あたしも行きたかったなあ」

「上杉さんに会いに?」

「う……」

 頬が朱に染まる明日美である。


 正直なところ、恵美理は意外であったのだ。

 明日美は女の子のアイドルが好きで、その歌の振り付けを真似などして、再現するところがあった。

 可愛いものが好きという、分からないでもない感覚である。

 だがそれと上杉勝也では、ギャップがありすぎる。

 可愛いものではなく、あれはかっこいいものだろう。

 男性的な魅力というか、人間的な魅力というなら、確かに分かるのだ。

 少しでも野球をかじったなら、上杉のプロ野球選手としてのパフォーマンスは、誰だって憧れるものである。

 ただそれが恋愛的な感情に変化するというのは、恵美理でも不思議であったが。




 今日のキューバ戦は、これまでにない接戦であった。

 初回に一点を取られて、日本の反撃がなかなか出ない。

 これまでには初回から爆発していた日本打線を、キューバの先発は抑えている。

「あ~、どうしよどうしよ」

 おろおろと明日美は分かりやすくうろたえているが、恵美理はそれほど心配はしていない。

 

 テレビの解説を聞く限りでは、このピッチャーは現役の主力級メジャーリーガーであり、決勝トーナメントから入れ替えで入ってきた選手だ。

 他のキューバの選手も悪くはないのだが、このピッチャーは傑出している。

 だがそれでも、大介はホームランを打ってしまった。

 これで試合は振り出しに戻る。

『これで日本は圧倒的に有利になりましたね』

 解説の通りに、球数制限でメンデスが降板してから、試合は少し点の取り合いとなった。

 3-3と点差が変わって、八回の裏。

 ノーアウトでランナー一二塁と、絶好のチャンスで大介に回ってくる。


 キューバもここで出し惜しみはなしと、最強クローザーデスパイネを投入する。

 最速166kmという、そうそういないストレートを持っているデスパイネは、メジャーでも有数のクローザーだという。

「うわ、どうなるかな。ねえねえ、どうなるかな」

 明日美は隣で拳を握り締めて興奮しているが、画面越しから恵美理はその意思を感じる。

「大丈夫。白石さんが勝つから」

 恵美理の直感は、間違いなく当たる。

 正確に言うと、ピッチャーの投げようとしている意思と、バッターの打とうとしている意思が、そこで絡まるかなのだが。


 大介にストレートで勝負してはいけない。

 変化球で勝負してもいけないのだが、どうして世の中のバッテリーは、あの人と勝負してしまうのだろう。

 恵美理が思うに、大介が打てないピッチャーは上杉だけであるし、大介に打たせないピッチャーは直史だけである。

 彼女の目線の贔屓目で見ても、武史でさえ大介とまともに勝負してはいけない。

 それだけ傑出した存在だ。




 インローへのストレートを、ライトフェンス直撃の打球として弾き返した。

 これで一塁からもランナーは長躯ホームベースへ帰還し、日本はやっとこの試合初めて、キューバに勝ち越す。

 なかなか難しい展開であったが、これで決まりだ。

 一点でもリードして九回を迎えれば、上杉が一イニング投げればそれで終わる。

 プロ一年目にはシーズン終盤にクローザーとしてマウンドに立ち、全ての場面で一点も取られなかった、絶対的な存在。

 普段から先発で普通に完封するピッチャーが、クローザーとして投げればどうなるか。

 もちろん先発とクローザーには向き不向きがあるが、上杉はどちらをやらせても圧倒的である。


 170kmを超えるストレートと、チェンジアップで二者連続三振。

 相手が現役メジャーリーガーであろうと、全く問題にしないピッチングである。

 これだけ安心感を与えてくれるピッチャーというのも、そうそうにはいないだろう。


 だが追い詰めた最後の一球。

 打ったバットが折れてボールが転がり、その折れたバットが上杉に向かって飛んだ。

 その頭を直撃するかと思ったバットを、上杉はしっかりと右手でキャッチした。

 一瞬息が止まったが、見事なフィールディングと言うべきか。

 反射神経も上杉は、常人の域ではない。


 そしてキャッチしたボールを一塁へ投げてスリーアウト。

 日本は決勝進出を決めた。

 ただ、テレビで見ていた二人は、その光景に安心してはいなかった。

 明日美も恵美理も、感覚派の人間だ。

 最後の上杉の一塁へのスローに、違和感があった。


「上杉さん、右手でキャッチしたよね」

「投げたからには、そんなまずいことにはなってないと思うけど……」

 ここですぐに確認出来るようなルートを、二人は持っていない。


 恵美理から武史へ、武史から直史へというのが、一番早いルートだろうか。

 それでも直史が、チーム内の事情を話すかどうかは微妙であるが。

 ただはっきりしたのは、試合後の記者会見で、上杉が姿を見せなかったということ。

 監督としてもそれははっきりと、念のために病院に行かせたと言っていた。


 上杉は間違いなく、日本の柱である。

 ピッチャーとしても最強の存在であるが、それ以上に精神的な柱だ。

 もしもそれが、決勝には投げられないとしたら。

 他の選手が動揺なく、ゲームに集中出来るとは思えない。




 あちらからの連絡は、明日美のスマホに直接来た。

『権藤さんで間違いないかな?』

「はい、そうです!」

 かけてきたのは直史であった。

『これから話すことは、もちろんオフレコで』

「はい、分かってます!」

 その元気すぎる言葉に、電話の向こうで直史は苦笑してしまうが。


 上杉には全く問題がなかった。

 それは選手生命としての問題であって、日本にとっては大問題だ。

 ほんのわずかな指先の怪我だが、ピッチャーとしては投げられない。

 いや上杉なら普通に投げてしまいそうな気もするのだが、いくらなんでも島野監督が使わないだろう。

 ただ本当に指先を怪我しただけなので、日本のシーズンにも間に合うであろうということ。


 直史も高校時代、二年の夏には無茶なことをしたことがある。

 指先に血マメを作りながらも、準決勝を最後まで投げきった。

 おそらく上杉も、やろうと思えば本当に投げられる。

 ただそれを、監督としては許可できないということだ。

 WBCは日本代表として出ている世界大会だが、少しでも怪我した選手を使うのは、他の球団の選手を預かる身としてはありえないのだ。


 上杉なしで勝てるのか。

 これは明日美だけではなく、恵美理も心配していたことだ。

『これが準々決勝なら少しまずかったかもしれないけど』

 電話の向こうで直史は断言する。

『残っているのが決勝だけなら、どうにでもなるよ』

 詳しいことは話せない。

 ただ上杉が間違いなく軽傷ということだけは教えてもらえた。


 上杉が無事なのはいいことだった。

 だが日本チームとしては、絶対的なエースを失ったことになる。

 指先の怪我の具合がどうかにもよるが、折れたバットを受け止めた右手全体も、ある程度は内出血などを起こしているのではないだろうか。

 もしそうならば、やはり決勝には絶対に間に合わない。

「今からアメリカ行ってくる!」

「いや、間に合わないし、行っても何も出来ないでしょう」

 恵美理が止めるぐらいに、明日美は行く気になっていた。

『いや、来てもどうせ会えないからね』

 直史としては事実をそのまま告げるしかない。


 上杉が投げられるかどうかというのは、日本にとって絶対に洩らせない極秘情報だ。

 直史は明日美を信用して、それを教えてくれたのである。

 その直史の立場が悪くなるようなことは、恵美理も明日美も避けなければいけない。

『なんなら上杉さんから、電話してもらおうか? 番号教えいいかな?』

 これは最大限の厚意である。誰にも平等に不親切な直史としては、かなり珍しいことなのだ。


 上杉に電話番号を教える。

 それはつまり、明日美も上杉の電話番号を知れるということだ。

『まあ時差もあるし、ゆっくり待っていて。いいタイミングで電話かけてもらえるかどうか、話してみるから』

 なんとも珍しい、直史の親切である。おそらくは明日美ではなく、恵美理への厚意というものが大きいだろう。

 お兄ちゃんとして弟への好感度は、少しでも稼いでおいてやりたいのだ。


 それにしても、決勝はまず無理だという。

 だが残っているのが決勝だけなら、どうにかなるとも言った。

 恵美理には分かる。

 佐藤直史なら、不可能を可能にしてくれる。

(あの人が未来のお兄さんになるのかも……)

 随分と気が早いのは、恵美理も武史と似たようなものであった。

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