第152話 閑話 玄人から見た彼

 夏の甲子園は高校球児にとって最大の祭典である。

 そしてある意味NPBの日本シリーズよりも、国民にとっては恒例の年中行事だ。

 注目しているのはただの野球ファンだけではなく、玄人たちも同じである。

 たとえばNPBのスカウトなど。


 実際のところ来春卒業の高校三年生の評価など、ほぼ地方大会の段階で決まっている。

 良い選手であってもめぐり合わせや運などにより、甲子園を逃すということはたくさんある。

 なのでスカウトにとっては、甲子園というのは高卒選手の、最終確認の場所となる。

 だが中にはこの最後の夏に、一気にスカウトの評価を伸ばす選手もいる。


 この夏、当然ながら勝ち進んだチームの選手の方が、露出は多くなる。

 その中で白富東は、悟に加えて宇垣が、同じ三本塁打を放っている。

 また上山も一本打っているので、このクリーンナップは強力だ。

 ただ上山はバッティングはともかく、キャッチャーなのでドラフトの指名順位の予定はかなり後だ。

 ある時はずっと年上のピッチャーもリードしなければいけないキャッチャーは、長い経験がいる。

 なので高卒のキャッチャーを取るのは、かなり長い目で見なければいけない。


 大学野球も秋のリーグがあるので、そちらで最後の活躍をする者もいる。

 リーグ戦の序盤でいきなり成長した成績を残し、ドラフトを直前でかき回す存在もいるのだ。

「水上、おたくはいくの?」

「うちはまあ、ショートはぼちぼち。いくらなんでも白石二世みたいな感じでは打てないだろうし」

「ショートか。でもあの緒方、ピッチャーはなくて野手で取ったのは当たりだったね」

「ピッチャーとしては球威が足りないと思ってたからなあ」

 この数年のドラフトで、上位指名で成功しているのは、もちろんトップはライガースである。

 大介に続いて真田と、二年連続で大当たりを引いた上、その大介と真田の同期も、何人も一軍で活躍している。


 それに比べるとなんだが、レックスは二位以降の指名で成功しているイメージが大きい。

 金原、佐竹の投手陣に加えて、新人の緒方がショートを守っているということが、かなり異例のことなのだ。

 やや小柄ではあるが、甲子園でもホームランを打っていた緒方。

 真田の控えとしてピッチャーでなく、ショートを守っていたことを考えれば、そのイメージを大切にすれば良かったのだ。

「レックスさんはもう、再来年の一位が決まっていて羨ましいことで」

 そんな嫌味を言われるが、鉄也としてもあれは、完全に自分のあずかり知らぬことである。

 佐藤武史、レックス逆指名事件だ。


 早稲谷の二年生、アマチュアナンバーワン左腕と言われる武史が、レックス以外に指名されたら普通に就職すると、インタビューの中で広言したのだ。

 かつてはタイタンズに行きたいとかライガースに行きたいとか言っていた選手もいたものであるが、昨今は球団間の格差というものや、球団の差異が明らかになり、あまりここまで思い切ったことは言わないようになってきている。

 だが武史はレックスを、まさに逆指名したのだ。

 東京六大学リーグにおいて、おそらくは奪三振記録を打ち立てる、日本で二番目のストレートが投げられるピッチャー。

 なぜそこまでレックスをと、マスコミも質問したものである。

「いや、元々プロにはあまり興味がないんで、それでも行っていいかなと思ったのが、レックスかスターズなんですよね。それであとはどちらの方が出場機会が多いかなと思ったわけで」

 あっけらかんと言ったもので、タイタンズは決まりごとが多いから絶対に行きたくないとも言った。

 そこまで言われたらタイタンズは指名しないだろう。あの球団はそういう体質だ。


 パの球団、たとえば出身地である千葉などはどうなのかとも問われたが、回答が正直すぎた。

「千葉なんて二軍は埼玉でしょ? それに遠征も多いし、やっぱりセの在京球団でしょ」

 本当に心の底からそうとしか思っていないようで、完全拒否された他の球団ももちろんだが、むしろ逆指名されたレックスさえ戸惑ったものだ。




 勘違いしている人間が多いが、プロ野球選手になるというのは、プロ野球という会社に入社するようなものだ。

 どこの球団に入るかというのは、入社した後にどこの部署に配属されるかが決まるようなもので、社員が決められるようなものではない。

 しかしここまで明確に言ってしまうと、話は別である。

 それに武史は高校の頃から、プロには全く興味を示していなかった。

 兄の直史も完全に、プロ野球には進まないと宣言しているが、この兄弟をプロの世界で使わないのは、球界にとって間違いなく損失である。

 よって二年後のレックスの一位指名は、もう決まっているのだ。


 そんなことを言われる鉄也ではあるが、武史は素質はともかく、性格はプロ向けではないのではないかとも思うのだ。

 次男っぽさが悪い意味で出ていて、ぎりぎりのところで誰かに頼るところがある。

 ただそれでも、甲子園の優勝投手になったり、ノーノーを達成したりなど、とにかく素材としては飛びぬけている。


 セイバーからの接触により、武史は進路を決めた。

 だが完全にタンパリングである。セイバーが現在は、レックスのフロントなどには入っていないので、一応は無関係なことになっているが。

 鉄也は自分の息子に、武史をどうやって制御したらいいのか、助言を求めている。

「そんな心配しなくても、誰か教育係でも置いておけば大丈夫だと思うけどな」

 大学において完全に自由に過ごしているが、別に無駄に反抗的なわけではないし、納得したらちゃんと練習も行う男である。

 もちろん今の段階では、直史がいるからというのは大きいだろうが。

「彼女の前ではいいところを見せようとか思うタイプだし、一年目から15勝5敗ぐらいの成績は残すと思うよ」

 武史は長いイニングを投げるタイプのピッチャーだ。

 今はリリーフをしているが、先発ローテに回したいと思っているピッチャーが多いレックスとしては、完投能力のあるピッチャーはぜひほしいのだ。


 まあそれは再来年のことで、今重要なのは今年のドラフトの指名者の変遷である。

 春のセンバツで準優勝だった青森明星が一回戦で消えた。

 これでやや評価を落とすかと思ったが、勝った相手である白富東が、準決勝まで残っている。

(うちの育成環境を考えると、あんまりクセの強い選手は扱いが難しいんだよなあ)

 ただキャッチャーの岸和田は、かなりほしいなとは思っている。

 キャッチャーは育てるのが大変とはいうが、既にキャプテンとして、あの扱いづらい青森明星の四番とエースを、しっかり手綱を握っていたからだ。

 打撃もいいことだし、三位あたりで指名してくる球団もあるかもしれない。


 ただ鉄也としては、今年のドラフトでほしいなと思うの捕手は、慶応大の竹中である。

 当初から卒業後は父親の会社で働くと明言していたのだが、ここにきてその方針を変えてきている。

 かなり大きな会社であるらしく、竹中もそれを継ぐために、経営系の勉強をしていたはずだ。

 だがよりこれまでにはなかったコネクションを作るために、プロに進むことを決めたという。


 打率と出塁率が高く、長打もそれなりに打てて、何よりキャッチャーとしての技術が高い。

 自力で慶応に入ったのだから、理論武装も上手いだろう。

 キャッチャーの力でピッチャーをあと少し底上げ出来れば、レックスはかなり強くなるはずだ。

 だがフロントはもっと分かりやすい、打線陣の強化を目指している。

 西片を獲得して、リードオフマンを手に入れた以上、さらに打てる選手を取りたいのも、分からないではない。

 だが元ピッチャーの鉄也や、キャッチャーをやっている息子のジンからしても、丸川よりもいいキャッチャーはほしいと思っているのだ。

(昔はいい選手だったんだけどなあ)

 技術は高く能力もあったが、向上心に欠けていたと言うべきか。

 それゆえにバージョンアップが年々進む現在の野球では、かなり判断が古いものになっている。


 それにレックスは、移籍の問題も抱えている。

 現在のエースである東条は、来年でFA権を取得する。

 だが今年のシーズン終了後に、ポスティングでMLBに行きたいと言っているのだ。

 FAで出て行くよりは、それよし今の段階で、ポスティングにかけた方が高く売れて球団は助かる。

 もちろんFAを行使せずに引き止められるのが、球団としては一番ありがたいだろう。

 だが東条もいい加減に、援護がなくてクオリティスタートでも負けるという状況には、嫌気が差しているはずだ。


 東条が抜けたら、確かに痛いのだ。

 武史が入ってくるとしても、おそらく東条ほどの確実性はない。

 それに四番を打つような大砲は、今のワトソンでそこそこいけるはずだ。

 緒方は巧打のタイプの三番であるが、長打も打てないわけではない。

 今必要なのは、外国人では補強が難しく、FA市場でもなかなか出てこない、強いキャッチャーなのだ。




 準決勝の第一試合が始まる。

 なかなかの実力伯仲の展開である。

「テツの見る感じ、お買い得そうな選手は誰だ?」

「まあ白富東の宇垣だったんですけど、この大会でかなり評価は上がっちゃいましたからね」

 元々潜在能力は高いと思われていたのだが、この夏は悟と並んで、白富東の中軸を作っている。

「水上は?」

「あれはもう競合でしょ。緒方がいるうちには必要ないというか、まあコンバートすれば使えますけど」

 打てるショートという稀有な存在を、そうそうコンバート出来るはずもない。


 宇垣にしてもファーストだけでなく、サードも守れると知っているから、哲也は自分のピックアップした選手として残しているのだ。

 守れるのがファーストだけだと、他の即戦力を取っていった方がいいだろう。


 そんなことを話していると、他の球団のスカウトがトイレから戻ってきた。

「佐藤直史がいましたよ」

 その名前だけで、色々な表情がスカウトたちの間に広がる。

「早稲谷は今頃合宿じゃないのか?」

「女連れでしたよ。まあもう、あのチームは佐藤が監督よりも偉いんでしょうね」

「あ~、それは分かる」

「選手の方が監督より強いと、なかなか上手くうかないもんな」

「合宿をサボってるのか?」

「そういうやつですよ。高校時代も他が宿舎に泊まる中、自分は家に戻って県大会には出てましたから」


 鉄也はもちろん、直史の高校時代を知っている。

 ノンフィクションとして貴重な『白い軌跡』にさえ書かれていない、当事者の声を息子から聞いているからだ。

「あれ、どうにかプロに引きずりこめないんですかねえ。それこそ色々と手段を使って」

「無理だな。あいつに影響を与えられる、親戚筋や指導者はいない」

 かつてドラフトに志望届がなかった時代などは、大学進学予定の高校生を強行指名して、実弾という名の金を周囲に撒き散らし、説得させて入団させるということなどもあった。

 また逆指名の時代には、10億を超える裏金が、一位指名の大学生に動くこともあった。

 今はかなりクリーンになっているが、武史のように一つの球団を指名してしまうと、何か裏があうのだな、と勘繰ってしまう。




 目の前の試合よりも、スカウトたちの話題を集めてしまう。

 直史の存在感というか、選手としての価値はそれほどのものだ。

 おそらく上杉や大介並の、バランスブレーカーとなる。

 同時に上杉と共に、大介のストッパーとしても機能してほしいところだが。


 甲子園で15回をパーフェクトに抑えて、引き分け再試合でも完封にする。

 ワールドカップでは12イニングをパーフェクト。WBCでも無失点と、その制圧力は凄まじい。

 まだコンディションの調整が済んでいなかったとはいえ、壮行試合でNPBの選抜メンバーをノーノーに、実際はパーフェクトに抑えたのは、まさに上杉にも不可能なことだったのではないかと思う。

 選手としての実力は間違いなく、それ以上に性格が異質。

 それが佐藤直史である。


「日米野球にも選ばれていたはずだよな?」

「めんどくさがって行かなかったんだと」

「いくらなんでも天狗になりすぎだろ」

「WBCで実力は証明しているし、今さら大学レベルには相手はいないんだろ」

「もったいないな、あれほどの才能」


 あれは才能ではない。

 確かに肉体的な素質はあるが、それ以上に頭脳と精神が、他から傑出しているのだ。

 才能などと名付ける煌びやかなものではなく、何かもっと、他の人間を完全に砕いてしまう、容赦ない力の塊だ。


 直史が大学に入学以降、どれだけのノーヒットノーランや完全試合がなされてきたか。

 いくらなんでも三年の春のリーグを終えた時点で、自責点が0というのが異常すぎる。

 ドーピングしてどうにかなるようなタイプのピッチャーではない。

 だが何か、悪魔と取引でもしたかものような、そんな奥底の知れないところはある。


 卒業後は大学院に行き、そしてクラブチームへの参加を考えているそうな。

 つまり社会人野球の舞台では、その姿を見ることがある。

 プロではなく大学に行ったことで、大学野球の中でも六大学野球は、大きなコンテンツとなった。

 クラブチームや社会人野球が、また注目を浴びるのかもしれない。


「実際にプロに入ったらどうなると思う?」

「さすがに上杉の一年目は抜けないだろう」

「いきなりクローザーに抜擢されるとかは?」

「それは外国人との契約更改が上手く行かなかったらチームによってはあるだろうな」

「中六日の日程で投げていくとして、どれだけ勝てるか」

「まあ打線の援護がないと、勝てない試合ってのはあるからなあ」


 スカウトたちはもう、直史に夢中である。

 単なる剛速球投手などではなく、既に完成された技巧派。

 それでいてまだ、その限界は見えていない。

 本人は無視しても、周囲が放っておかない。

 そういう存在が、この世界にはいるのである。

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