第241話 異世界人

 ドラフトが終わり、契約をかわした選手たちの入団記者会見が行われる。

 東京の人気のない方などと、まさにその通りのことを言われてしまうレックスであるが、今年はチームも中盤から終盤まで優勝の可能性があり、特に樋口が露出したあたりから女性ファンが騒ぎ出した。

 ツラはいいのである。腹の中は真っ黒だが。

 そして四球団競合だった樋口の次に、六球団競合だった武史を引き当てた運の良さ。

 セ・リーグは最近、競合した一位指名を獲得した球団が、優勝するという謎のジンクスが流行している。

 ジンクスではなく、最近は確かに多かったのだ。


 10球団競合の上杉は、一年目からチームを日本一へ導いた。

 11球団競合の大介が、一年目からその上杉を倒してチームに日本一をもたらした。

 その後も真田が三球団競合の末にライガースへ入り、このジンクスは正しいかのように思えた。

 だが西郷の入った年、ライガースはリーグ優勝と日本シリーズ進出こそ果たしたが、日本一には届かなかった。

 樋口にしても飛躍的に成績を引き上げたが、優勝という果実には届いていない。


 六球団競合という指名であったが、事前の意に反する球団から指名されても行かないという、最近となっては珍しい宣言がなければ、さらに競合する球団は増えただろう。

 この年のレックスの注目の新人は、完全に武史一人と言ってよかった。

 もちろんそれぞれの経歴は知られていて、中には八位指名の山中が、直史のクラブチームでのチームメイトということまで知っている者もいたが。

 大学野球史上最強のピッチャーが直史であったことは、さすがに誰もが認めることである。

 しかし大学野球史上、最も三振を多く奪ったのは武史なのである。

 それ以前のあらゆる投手と比べても、圧倒的に多い奪三振の数。

 これもまた上杉や大介のような、野球の歴史を変えてしまう選手かもしれないのだ。


 そんな武史に対して、当然ながらマスコミは一番多くの質問を用意していた。

 もちろん露骨に武史だけに、いきなり多くの質問があるわけではないが、一般的な質問は他の選手にもなされて、そして武史には個別の質問があるという感じである。

 まずは全員に対して、抱負というものが何かを尋ねられた。

『考えてなかったです』

 そして一位指名の武史がこんなことを言って、その場の者たちの多くがずっこけた。

『プロに入って……まあ今年指名された選手の中で、一番金を稼げる選手になりたいとは思いますけど』

 それは新人の一年目の抱負ではなく、野球人生を通じての目標であろう。それに俗物的すぎる。

『一年目の抱負、目標ですか……』

 本気で全然考えてなかっただけに、少し悩む武史である。

 だが格好のモデルが、頭の中にはあった。

『10先発5勝、もしくは20試合登板ぐらいですね』

 インセンティブの発生する条件である。


 マスコミは拍子抜けした。

 だが慣れているマスコミもいないわけではない。

 佐藤武史はこういう人間なのだ。どこか天然が入っている。

 直史という兄、大介という先輩を持ち、大学でも樋口に散々教育されたため、武史の自己評価は極めて謙虚なものである。


 一位の武史は謙虚であるが、その下の二位以下が謙虚であるとも限らない。

 新人王だの、一軍スタメンだの、一日でも早く一軍に定着するだの、そこそこのビッグマウスもいれば、普通に目標を述べる者もいる。

 とりあえず武史は、他人の話しているときは、事前に言われていた通り、ニコニコと笑っていた。

「レックスの印象はどうですか」

『同じ神宮を使っているので、なんとなく親しみはあります』

 ここは無難な回答をした。

「目標とする選手などは?」

『え、う~ん……カリーとかレブロンもいますけど、やっぱりジョーダンですかね。クラッチシューターとしては最強だと思います』

 それはMLBですらなく、NBAの選手であった。


 これが一種のユーモアなのか、本当の天然なのか、判断のしにくいところがある。

 だが判断のしにくい回答を平然としてくるというのは、まさに天然なのだ。

「事前に球団を希望していましたが、それはいつからの希望ですか?」

『えっと……将来をどうするか、就職活動を始めるあたりのことでしたかね。プロに行けばいいのか行かないほうがいいのか、高校時代の監督に相談したんです。ならレックスかスターズがいいって。それで他の球団に指名されたら就職先を探してやるからって。だからはっきりと憶えてないんですけど、三年の春ぐらいだったかな?』

「すると、特に昔からレックスに行きたいと思っていたわけではないと?」

『これ、何度か話したことあると思うんですけど、中学時代まではずっとバスケの選手になりたかったんですよ。大学で野球を続けたのも、特待生で進めたから続けただけで。ずっと将来は普通の会社に就職すると思ってましたから』

 異質すぎる。


 上杉は風格を持っていたし、大介は覇気に満ちていた。

 真田は野心、アレクは俗物に金目当て。他にも色々と野球選手はいるが、これだけ野球に対する執着のない選手というのは、おそらく初めてである。

 このまま続けていいの、とマスコミも球団関係者も、一緒にドラフト指名された新人たちも、戦慄しながら武史の言葉を聞いていた。


 これはまずい、とマスコミの方が逆に思った。

 ビッグマウスならばいいが、これはまずいと、スポーツマスコミ各社が思った。

 新人の失言なども一つのネタではあるが、これはそういう系統の失言にはならないだろう。

「将来はどんなピッチャーになりたいですか?」

 さすがにこれは無難だろうと、周囲の質問者が安心する問いが出た。

『考えてません。同じチームにケントさんがいるから、サイン通りに投げてたら勝たせてくれるでしょうから』

 やめて! もう周囲の関係者のHPは0よ!


 これはもう、野球以外のことを聞くしかないと、マスコミが、直史がよくマスゴミと揶揄するスポーツマスコミが、思ってしまった。

 武史はこの入団会見にて、マスコミに気を遣われる存在になったのだ。

 ある意味上杉や大介より恐ろしい男である。

「趣味はなんですか?」

『普通だと思いますよ。マンガ読んだりゲームしたり。あ、妹たちが芸能人やってるんで、その関係でけっこうマイナーだけどすごい歌手とか紹介されます』

 そうなのである。

 武史の妹であるツインズの事務所は、業界最大手。

 そしてアメリカのカルチャーともつながっているので、武史を下手に叩くのはまずいのである。

 まさにこれも、コネの一つではある。


「好きな女性タレントはいますか?」

 この質問は、今までとは逆方向にまずかった。

『彼女がほとんどの女優より美人なんで、特に目がいくことはありませんね』

 うわあ、とこの場の全員が思った。

 佐藤武史はすごすぎると。




 佐藤武史はすごい。色々な意味ですごい。

 これがこの年のドラフトの総括である。

 八位指名された選手には、社会人のクラブチームで、直史と同じチームでプレイした山中がいた。

 山中は常々、才能だけなら弟の方がずっと上だと、直史から何度も聞かされていた。

 確かに球速は上だろうが、明らかに直史の方が、その他の才能で上だと思っていたのだ。


 だが、この入団会見で分かった。

 佐藤武史は異質である。

 よくふわっとした天然を宇宙人などと言うが、武史の特徴はそれとも違う。

 まるで異世界人だと、山中は認識した。価値観が違いすぎる。

 直史が連れてきて、そのストレートを打たせてもらう機会があった。

 肩が出来ていないので、160kmしか出ていないと本人は言ったが、その程度の面識しかなかったのだ。

(これは大変になるぞ)

 この年、レックスは野手を多めに取って、育成は取らずの八人ドラフト。

 他の七人全員が、武史に対しては同じような感想を抱いた。


 武史の入団は、一応大田鉄也の案件である。

 だがあちらから話を通してきたのであって、鉄也としてはそれをそのまま上に持っていっただけだ。

 スペックだけを言うなら、今年の新人の中では最高なのは間違いない。

 だがそもそも、根本的にプロの世界に向いているのか。


 大学での素行などを調査すると、やることはちゃんとやっていた。

 ただ上の言うことはまず聞かない。

 監督のことも無視して、直史や樋口、その前であったら西郷の言葉しか聞かないのだ。

 あの体面にこだわる逸見が、直史に泣きついてどうにかしてくれと言ったのも知っている。

 そして直史は、どうにかした。

(ちゃんと話を聞く樋口もいるから、そうそうひどいことにはならないと思うんだけどな)

 複数球団競合でありながら、ろくな結果を残せなかった早稲谷のピッチャー……う、頭が!




 今年のレックスのドラフトは、当然ながら打力重視であった。

 武史が取れてしまったことと、さらに先発陣はそろっているため、ピッチャーはもうリリーフ実績のある選手を下位で取れればいいか、という話である。

 そして高卒野手よりは、大卒野手を選んでいく。

 高卒のバッターにはロマンがあるが、基本的には数年を見る必要があるのだ。

 大卒社会人は、基本的に即戦力を求められる。

 二位指名では残っていた中から、一番良さそうな大卒野手を取った。

 

 最終的にはピッチャーは大卒二名、野手が高卒二名、大卒三名、社会人一名となったのである。

 今年の成績から見て、樋口の二年目はかなり期待出来る。

 また10個は貯金を作ってくれそうなピッチャーが一人入った。

 社会人ではクラブチームから一名取ったりと、将来性と即戦力の両方を期待して取ってある。


 ドラフトというのは先にどのポジションが取れたかで、次以降の選手の優先順位が変わってくる。

 一位でナンバーワンピッチャーを取ったので、そこから大卒の野手を。

 高卒野手を一人とって、リリーフで使えそうな者を。

 そして最後にロマン枠でもある社会人を取った。


 自分が一番年上か、と山中は思った。

 そして面識があるだけに、普通に武史は話しかけてくる。

 大卒の野手にしても、武史とは顔見知りの者がそこそこいる。

 日米大学野球の選抜などで顔を合わせたり、神宮や全日本で戦っているからだ。

 もちろん同じ六大リーグからなら、それ以上に知っている仲である。


 武史の精神性に、実はプロでは通用しないのではないか、と疑問を抱く専門家はそれなりにいる。

 プロの世界というのは、高校はもちろん大学から見ても、化け物ぞろいの選手ばかりなのだ。

 なにしろ大学から、さらに選抜された選手たちなのだ。

 ただドラフトで選ばれた中で、武史を少しでも知っている者がいたら、こいつがプロで通用しないわけがない、とも思うのだ。


 実は直史も、そこは少し心配していた。

 だがレックスには樋口がいる。だから心配は消えた。

 なんだかんだ武史は、周囲の助言に従ったほうが、いい結果が出る人間なのだ。

 頓珍漢な助言をするような者は、樋口が排除してくれるだろう。

 レックスという球団の体質的に、そこそこ風通しがいいのもいい。


 全ての人間は、自分の人生の主人公である。

 だが自分は脇役だな、と感じさせるのが武史のような人間だ。

 なお武史自身は、主人公だの脇役だの、どうでもいいと考えている。もしくは考えたことすらない。

 美人の配偶者、快適な生活、社会的な名声など、普通にそれらを求める俗物だ。

 本質的に負けず嫌いなところは他の人間と同じだが、突出しているわけでもない。




 合同記者会見の記事を見た直史は頭を抱えたが、瑞希としては面白いなあと思っただけである。

 善悪の二元論で言うなら、武史という人間は間違いなく善性の持ち主だ。

 ただ彼自身の認識と、世間の認識がずれているだろうな、とは感じている。

 直史がかなり特殊な精神性を持っていただけに、それを基準としている節がある。

 同時に、自分では直史に勝てないとも思っているようだが。


 来年、弟がどういうシーズンを送るのか、確かに直史は心配している。

 だが自分の方が重要である。いよいよ司法試験なのだ。

 毎年行われる司法試験であるが、逆に言えば一年に一度しかない。

 事前の例題などを解いていて、ほぼ確実に通るだろうとは言われているが、何が起こるか分からないのが試験である。

 一発勝負な分、プロ野球の試合などよりもよほど恐ろしい。

 大学入試においては、もっとずっと余裕があったのだが。


 来年の五月。だがそれが終わっても、発表がすぐになされるわけではない。

 今年の場合は九月に発表されるので、念のためにそれまでもずっと勉強をしなければいけない。

 もっとも司法修習も、ほぼ一年間がずっと、勉強と雑用である。

 雑用という言い方が悪ければ、事務処理の勉強である。

 

 楽な人生なんて、ないもんだよな、とふと直史は思った。

 プロ野球選手の世界は過酷であるし、引退後どうするかはさらに過酷だ。

 弁護士にしても一生勉強を続けて、問題に対応し続けなければいけない。

 比較的安定して、業務内容が簡単な仕事の人間もいるだろう。

 だが結婚して子供が出来たりすると、それは普通のことであっても大変なことである。


 楽な人生はない。

 人生を楽しめるか楽しめないか、それだけが幸福と不幸の差である。

 もっともある程度の生活水準を保つためには、それだけの手間が必要になるだろうが。

 世間を見れば時流に乗って、億万長者になったように見える人間もいる。

 だが実際のところはそういった人間も、そこから落ちないように、不安を抱えているのではないか。


 色々と考えるが、まずは司法試験である。

 ここで落ちるとなると、一年間足踏み状態となる。さすがにそれは避けたい。

 法科大学院を卒業してから、司法試験を受けられるまでには、年数が限られている。

 東京でこのまま勉強してあと一年というのは、さすがの直史でもきつすぎるのだ。


 予備試験に合格していたなら、もう少し自信を持てたかもしれない。

 なおその予備試験に合格したツインズの片割れも、今年の試験を受験する。

 去年受験しても、あの二人なら合格しただろう。

 さすがに芸能活動と学業の両立は厳しかったのか。

 だがそれが厳しいなら、そもそも予備試験に受かっていない。


 甲子園で勝って、それ以降の大学四年間では、当然のように勝ってきた直史。

 そんな彼であっても、不安と戦いながら、その時を迎えるのを待つのであった。

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