第92話 軽々と
この時代、早稲谷以外の六大学だけではなく、早稲谷内部においても、不幸な存在がいた。
ピッチャーとキャッチャーである。
まずピッチャーは、直史が投げればほぼ確実に完投してしまう。
球数が少ないので、辺見も交代の必要を認めない。
前に他のピッチャーを試した時、そこから逆転されたので懲りているのだ。
なので直史が投げる時は、基本的に全てバッテリーに任せている。
そして直史が投げない日は、武史か細田がいる。
武史はごく稀にコントロールが効かないことがあるが、そう言うときはど真ん中に投げて三振にしてしまう。
球数が多くなってくれば細田にチェンジだ。
あるいは先発を細田が投げ、武史をクローザーとして使う場合もある。
だが武史はそもそもクローザーには向いていないので、やはり武史を先発で使うことが多い。
傑出したピッチャーがいるため、二年の村上なども優れたサウスポーなのだが、完全に三番手以下になっている。
サウスポーで150km近くが出るというのが売りだったが、160kmを出してしまうサウスポーの方が価値は高い。
それに武史のストレートは、肩が暖まってくると魔球化する。
俗に言う、ホップする球。
これとムービング系の速球を使い、チェンジアップとナックルカーブで、直史をも上回る三振率を叩きだす。
勝つのは当たり前で、どうやって勝つかを課題とするレベル。
そしてこれをリードするキャッチャーが樋口だ。
そう、まだしも交代するピッチャーに比べると、キャッチャーはさらに悲惨だ。
細田の場合は高校からの相棒である伏見に多少の出番があるが、他のピッチャー相手には樋口一人がいればいい。
樋口も怪我をしないタイプのキャッチャーだ。身体能力が高く、身が軽い。
樋口のいない時は同学年の小柳川が、直史や武史のボールを、体で止めながら捕っている。
あと一年生のキャッチャーも一人、武史のボールを捕る練習はしている。
ブルペンではこれだけ頑張っていても、樋口がいる限りは試合でマスクを被ることはない。
キャッチャーとして、またバッターとして、そして守備シフトなどを考える頭脳として、樋口が優秀すぎるのだ。
その樋口が一年のピッチャーなどの球を受ける時は、直史は小柳川は武史に譲り、三年の芹沢に頼んでいたりする。
芹沢は問題はあるが、キャッチングの技術ならば伏見と同じぐらいだ。
手加減した状態の直史のボールなら、なんとかしっかり捕球出来る。
直史はとにかく、アウトを積み重ねることを考える。
140kmしか投げなくても充分な相手であれば、150kmなど投げたりはしない。
ストレートで押せるところでも、変化球で打ち損じを狙ったりする。
このあたりの阿吽の呼吸も、直史と樋口のバッテリーが一番優れている。
黄金時代と呼ぶべきだろう。
全く故障しそうにない球数で完封するエースがいて、二番手以下のピッチャーも傑出している。
それをリードするキャッチャーも判断力に優れ、バッターとの読み合いに強い。
そして打線は、六大リーグの記録に迫る勢いでホームランを打つ西郷を中心に、プロ注のバッターが揃っている。
清河は打算の多い人間だが、選手としての実力は確かだ。
北村はとりあえず卒業後の配属先も内定し、あとは色々と大学生活をエンジョイしながら、野球を楽しんでいる。
伸び伸びとプレイするのに成績がついてきて、プロや社会人からもそれなりに注目されるのだが、自分の実力では無理だと分かっている。
高校時代に大介を見て、六大学や全日本で多くのバッターを見てくれば、わずかな可能性などを考慮する余地はない。
高校野球で今度は監督をやるのだ。
これに直史や樋口ど同年代の、早大付属組や大当たりの特待生を加えれば、ほとんどのスタメンが埋まってくる。
直史と同年で言うなら、近藤や土方や沖田も、プロのスカウトの目には止まっているのだ。
元々近藤や土方は、高校の時点でかなり注目されていた。
それが大学に進んだのは、本来のポジションで野球をやるためだ。
近藤は本来はサードだったが、外野の左右どちらかを守る場合が多い。どちらかと言うと肩の強さが求められるライトか。
土方はセンターで広い範囲を守っている。
正直なところ近藤は、大学でもピッチャーとして通用するレベルである。
だが上では野手一本と決めていたので、今はこうやってプレイしている。
ピッチャーとしての傑出ぐらいは、直史、武史、細田がドラフト上位級なので、その選択は正しかっただろう。
そんな早稲谷は秋のリーグ三週目、去年の秋に負けた帝都大と対決する。
直史が一番気にしているのは、六大学の中では帝都だ。
なにせジンがいる。目立つ弱点など持たない直史であるが、ジンは自分の性格の傾向なども分かっている。
それに選手の平均的な質も、おそらく早稲谷と並ぶぐらいに高い。
ただしピッチャーを除く。
去年の敗北を苦々しく記憶する辺見は、当然のように直史を土曜日の先発に指名。
もちろんバッテリーを組むのは樋口である。
そして今日は珍しく、樋口の方から直史に注文が入っている。
キャッチャーというのは、黒子に徹するというのが、樋口の信条である。
栄光は一番疲れるピッチャーにやればいい。キャッチャーはピッチャーを動かして試合に勝つのだ。
しかし現在の樋口は、目立つことを重視している。
一つには、直史も言ったように、WBCの壮行試合のメンバーに選ばれるため。
そしてもう一つは、プロからの注目を集めるため。
直史は当然分かっているし、樋口も分かっていることだが、才能だけではプロにはなれない。
そして多少の才能でプロになったとして、プロであり続けることは出来ない。
さらに言えばプロであり続けて、一生をそれで食っていけるか。
そこまでの圧倒的な自信を持つためには、まずドラフトは一位で指名されなければいけない。
プロになれば横一線などと言うが、実際にはドラフト上位の選手ほど、首脳陣からも注目されるのだ。
キャッチャーとしての能力をアピールするためには、いくつかの方法がある。
リードもあればキャッチングもあり、盗塁を刺すための肩もある。
そしてあとは、バッターとしての能力だ。
キャッチャーもピッチャーほどではないが専門職で、打力でそこまで優れていることは求められない。
だがもちろん、バッターとして優れていれば、多少のキャッチャーとしての技術差は覆る。
この日の樋口からの注文は、多彩な変化球を使って相手の打線を抑えていくということ。
そして樋口は大きく変化したり、ワンバンした変化球を全てキャッチしていく。
このでたらめな多さの変化球を、しっかりとキャッチしていく。
地味だが確実なアピールだ。
そしてもちろん直史もそれに応える。
日曜に負けた時、月曜に投げるための体力は残した上で、全力投球だ。
こんな思惑に巻き込まれた、帝大の選手たちこそ不幸であろう。
スライダー、カーブ、シンカー。
ツーシーム、チェンジアップ、ストレート。
カーブ、速いカーブ、ものすごく遅いカーブ。
三者連続三球三振は、変化球でも取れるのだ。
帝大ベンチのジンは、当然ながら直史の、大学入学以降の成績を知っている。
そして今日の直史は、いつもとは違うスイッチが入っていることに気付く。
まさか全打者を三振などと……いやいや、それはないない。
直史はそういうことは目指さない。
だが積極的に三振を取ってきているので、そこは注意しないといけない。
変化球の遅さで三振を取られているので、どうしようもないとも言えるのだが。
先頭打者は基本的に、三振狙いの配球でいく。
ワンナウトからは凡退を狙う。ツーアウトになればなおさらだ。
失点する可能性の低さを考えて、ピッチングを組み立てる。
三振、内野ゴロ、内野フライ。
三振、内野フライ、内野ゴロ。
直史の場合は本質的には、グラウンドボールピッチャーだ。
相手に弱いゴロを打たせて、守備にその料理はお任せする。
内野の突進力と送球はしっかり鍛えられているので、確実にアウトにしてくれる。
このあたりの基礎的な守備力は、日本のアマチュア野球の強いところである。
「なんで佐藤のボールを打ったら、野手の捕れる当たりになるんだ?」
帝大側ベンチでは、そんな泣き言が洩れていたりする。
基本的にグラウンドボールピッチャーは、エラーが多くなる傾向にある。
捕球時にイレギュラーをすることもあるし、一塁への送球が逸れることもある。
なのでピッチャーがいくら優れていても、完封まではともかくノーヒットノーランやパーフェクトを達成するのは、難しいはずなのだ。
だが直史は違う。
内野を抜けていくヒットがほとんどなく、一番あるタイプは内野の頭をわずかに越えていくことと、あとはボテボテになった内野安打だ。
ジンとしても直史は、何か違う世界が見えているのではないかと思う。
おそらく飛びぬけて集中した時、それが可能になる。
ただそこまで集中すると、それなりに体力や精神力を消耗するのだ。
一つ言えるのは、コントロールの機能。
天性の素質であったのか、後天的な努力の成果なのか。
ジンは後者だと思っているが、直史のコントロールは、変化球の変化量や角度にも及ぶ。
そしておそらく、リリースの瞬間にはバッターの体軸を見ている。
スイングの軌道を予想して、そこから上手くずらす投球とでも言おうか。
だからストレートは振り遅れるか内野フライになるし、変化球はバットから逃げていく。
カーブを中心に組み立てていくが、それを考慮に入れて打ち崩そうとしても、狙いを見抜かれると他の球で勝負してくる。
選択肢が多いことが、直史の強みなのだ。
何か一つを磨くのではなく、メインになるものを決めたら、そこからどうその日のピッチングを行うか決める。
その組み立てを樋口と一緒に行うことで、完全にバッターの読みを外していくという感じだ。
優れたバッターであれば、変化球をカットしていくのかもしれないが、そこまでの技術を持った選手はそうそういない。
それに沈むボールを二つほど続けたあとにストレートを投げられれば、どうしても差し込まれてしまう。
どうにもならないな、とジンは思う。
去年の秋、向こうの選手起用の失敗を突いて、勝つのが精一杯だった。
そして武史が入ってきたことで、万一選手起用に失敗しても、日曜日で挽回できる可能性が高くなっている。
それにしてもまたか、と思う者は少なくない。
佐藤直史が投げると、バッターが凡退するのを見るだけとなる。
三振もかなり奪うのだが、それならスピードで押す武史のピッチングの方が面白い。
ジンとしては今日の直史は、いつにも増して変化球の種類を増やしている。
カーブが色々と種類を持っているのは分かっているが、これにシンカーを混ぜて投げるのだが、ツーシームと使い分けているとスピードに対応出来ない。
そしていざとなればスルーがある。
そう、ジンが恐れているのは、スルーにある程度コントロールがついてきたのではないか、ということだ。
ゾーンの真ん中近辺を狙うしかなかった、緻密なコントロールのなかったスルー。
だが秋のリーグあたりからは、おおよそ低めに集めることが多くなっている。
一球ごとに記録は取ってあるが、140km前後のスルーを、ある程度コントロール出来るようになったのか。
どうやって、とも思うがおそらく、単に投げまくったのだろう。
元々直史は効率的で合理的でありながら、気合と根性がなければ務まらないような、投げすぎの練習も行っていた。
下半身がしっかりして、左腕でバランスを微調整することも上手く、まさに絶技と言うべきピッチングだった。
150kmを投げるようになって、それでもうプロで通用するレベルである。
おそらく球速の上限自体は、まだ上がっている。
球速はあくまで目安という意見も聞くなら、直史はおそらく最もストレートを効果的に使っている。
ムービング系のボールが球数を減らすために持て囃されるようになり、そこからフライボール革命が起こった。
ちょっとぐらい手元で動こうが、その変化ごと打ってしまえというものだ。
そこから今度は変化量の大きなブレーキングのボール、特にカーブの復権が言われ、そして危険なはずの高めのストレートも使われるようになった。
ならばコンパクトなスイングに戻って打とうとすれば、直史は手元で曲がるツーシームやカットを使ってくる。
弱肉強食ではなく、適者生存。
それを考えると、ボールのスピードという一番基本的なもの以外の、全てを持っている直史は生き残りやすいし通用しやすい。
「なんとかせんと、あと二年は丸々早稲谷に負け続けるぞ」
監督の愚痴に、ジンも内心では頷く。
打者27人に対して、94球の17奪三振で完全試合達成。
大記録をまるで日常業務のごとく、淡々と達成してくれる。
すごいことはすごいのだが、帝大側の攻撃における応援が、完全に意気消沈してしまう。
あちらの応援も守備の時は、とにかくそっとしておこうという、謎の静寂がある。
普通に投げさせていては、とても打てないのである。
(なんとか考えないとなあ)
ラスボス化しているかつての相棒を、複雑な視線で見つめるジンである。
翌日の日曜日も、早稲谷は勝利する。
武史が投げて、三安打完封であるが、これでこそ応援のしがいがあるというものだ。
ともあれ早稲谷はこれで勝ち点二。しかもどちらも土日の連勝である。
(ひょっとして一番気の毒なの、タケのやつじゃないか?)
直史が投げている限り、永遠の二番手である。
ベストナインに選ばれて当然の活躍で、奪三振率は直史よりも高いというのに。
ピッチャーとしての何かが、決定的に違う。
そこが分からなければ、攻略も難しいのだろうが。
(こちらのスコアラーだけでは、攻略不可能か)
ジンとしては、プロに行くつもりのない直史に、これ以上無双されては他の選手が気の毒だと思う。
よって反則にならない手段によって、弱点を探らなければいけない。
本当にそんなものがあるのか疑問だが。
秋のリーグは、早稲谷の圧倒的な勝利が続いていく。
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