第93話 閑話 東京と大阪

 この年、日本野球界の歴史に残ることが起こった。

 いや春の時点で、既に起こってはいたのだが。

 高校野球では白富東が敗北し、その覇権は四連覇で幕を閉じた。

 大学野球では東大の女子野球選手が活躍し、過去最高のリーグ戦二位となる。

 そしてプロ野球では、大介と上杉が、あらゆる記録を塗りつぶすべく躍進した。


 東大の初優勝を阻んだのは、早稲谷大学。

 エース佐藤直史は、高校野球において二年の夏、大阪光陰を破って高校野球史上初の四連覇を阻むことになった過去がある。

 彼は不調の影を全く見せず、五試合に登板して全勝。

 三期連続のベストナインに選ばれ、全日本大学野球選手権大会でもエースとして活躍。

 二試合18イニングを投げて、両方を完全試合という人間離れした数字を残した。

 佐藤直史の投げる試合は、勝敗が分かっているからつまらないと、ひどい風評被害が本格的に広まりだした。


 同じ頃には白富東が春の関東大会で雪辱を果たし、夏へ向けて新戦力を整えていた。

 五月には大介が、打率と打点と出塁率でトップを走りながら、なぜか月間MVPに選出されないという、プロでは不可解なことが起こった。

 どうやら大介は打率が四割を超えないと、月間MVPで選ばれないのではないだろうか。

 単にチームの調子が少し悪かっただけで、貢献度では間違いなく一位だったはずなのだが。

 ただ同じ無敗でも、上杉よりも成績の下のピッチャーが選ばれることもあるので、チーム貢献度の査定に関しては、改正が望まれる。


 夏にかけては大介がまた四割をキープして六月のMVPに選ばれて、全日本の後には日米大学野球選手権大会が行われた。

 球数制限のない試合ならば、直史は負けない。いや、むしろ武史も負けないと言うべきか。

 佐藤兄弟が三勝して日本の優勝。なお二試合を無安打に抑えた直史がMVPである。


 とにかく高校野球では常識的な熱闘が続き、大学とプロでは常識が辞書から消える事態が発生。

 中心となる二人は、同じ高校出身で、一方はプロへ、もう一人は大学へ。

 そして大学で記録を残し続ける男は、プロに進む気はないと言う。

 当然ながら報道各社は、この二者の対談などを行いたいと言ったりする。

 だが学生野球においては、こういった取材で報酬を受けることが出来ない。

 金の発生しないこと、そして自分にメリットのないことを、直史が受けるわけはない。

 大介としても別に直史と話すのはいい。球団が関東に遠征に来た時なら、時間を作ることは出来る。

 しかし今はシーズンも終盤で、自分の成績に集中したい時だ。


 よって取材に関しては実現しなかった。

 この時点で、公式には。




「つーかお前もめんどくさくなってないか?」

「有名税だな。金にもなってないのに」

 伊達メガネをかけてマスクで口元を覆った直史は、はっきり言って怪しい人である。

 帽子まで被っているので、余計にそう見える。

 ただし体格からして、スポーツ選手には見えない。よってマスコミも追いかけては来なかった。

 先に店についていた大介は、東京の方では追い掛け回されることは少ない。


 そしてこの秘密の個室には、あと一人人間がいた。

 日本中のマスコミ関係者から羨望の目で見られるであろうその一人は、もちろん二人の記録を残すのに相応しい、瑞希である。

「え~と、それでは対談を始めますね」

 そしてポチっとな、とボイスレコーダーのスイッチを入れる瑞希である。


 なんだかんだ言って、こうやって会うのは久しぶりである。

 直史はツインズから色々と聞いているから、そんな感じもしないのであるが。

「つーかお前、アマチュア連中の虐殺するのやめたれよ」

 大介の第一声がこれであるが、直史こそ同じことが言いたい。

「お前こそ非常識すぎる数字出すなよ。なんで俺が今さら、お前について訊かれないといけないんだか」

 高校時代の友人としては、たとえばタイタンズに入った岩崎もいるのだが、ようやく一軍の試合にリリーフ登板してきたピッチャーに対しては失礼である。


 直史に言われても、大介も言い分はある。

「これが俺の仕事だから、打たないと仕方ないだろ」

 プロ野球選手として、当たり前の仕事をしている大介である。

 だが、球団の中でもなかなか相談出来ないようなことも、ある程度は直史になら相談出来る。

「どうやったら敬遠されずに、もっと勝負してもらえるかな」

「下手に打つとまともに勝負してもらえなくなるから、打点とホームランが増えない。だけどわざと打率を落としたら、首位打者が狙えないってことか」

「そうそう」

 まさに大介の悩みである。


 直史にはこういったタイプの悩みはない。

 ピッチャーはとにかく、勝負の主導権を常に握っているからだ。

 直史だって必要がないからしていないだけで、打たれたら困る場面では敬遠をする。

 そう、必要が、今のところはないだけで。


 おそらく、と直史は思う。

「たぶん四割が打てるのは、今年だけになるんじゃないかな」

「俺もそう思う」

 打率をもっと落とさないと、勝負してもらえない。

 そもそも去年の成績を見て、もっと敬遠が増えないとおかしいのだ。

 高卒二年目で、大介の体格を見れば、勝負しなければいけないとも思うのだろう。

 だがさすがにこの二年目の成績で、大介と戦うことの危険さを学んだだろう。


 来年からは、もっと明確に逃げられていくだろう。

 その逃げたボールを追いかけて、大介はボール球を振る。

 申告敬遠が過去最高となり、ひょっとしたらルール改正さえ行われるかもしれない。

 一人の選手の存在が、ルールを変えてしまう。

 そんなことが、スポーツにおいてはないではない。

 球数制限などは、ピッチャーの故障という悲劇から生まれているが、実はアメリカの興行スポーツにおいては、そこそこ頻繁にルールが変わる。

 打高投低の時などは、ボールが変わったりマウンドの高さが変わったりなどもした。

 格闘技であれば柔道などは、圧倒的に旧来の日本的柔道が不利になったりもした。こちらはプロではないが。


 ただ大介が打てないようにルールを変化させるのは、さすがに現実的ではないか。

 ともかく不利になっても、それに対応出来るだけの力を、大介は身につける。

 そもそも去年の結果から対策を考えたのが、甘すぎたことによって今年の成績につながっている。


 直史は自分でも気付いていないが、そのピッチングがよりスピードと精度と駆け引きを増していくのは、大学レベルよりも上のバッターを想定しているからだろう。




 料理が来ると二人は、それぞれの環境の愚痴を言ったりする。

 両者に共通するのが、相手になる者が少ないということだ。

 直史の場合はあえて条件を絞り、その中で相手を抑えるという、極端な楽しみ方もしているが。

「そういや春はフォアボール16個も出してノーノーとかやってたよな。あれどうなってんだ?」

「あれは樋口が頑張ってくれたんだが……」

 ふと直史は、大介に話してみることにした。

 大介はうっかりとしているところはあるが、基本的には口が堅いのだ。

「樋口のやつがプロにいくとして、どの球団なら即戦力になると思う?」

「お前じゃなくて樋口かよ」

 わずかに落胆しながらも、考える大介である。


 現在の12球団で、正捕手が安定していないチーム。

 それこそライガースなのだろうが、島本がベンチからのインサイドワークをある程度していて、滝沢と風間はかなりキャッチャーとしての実力は開花しつつある。

 この二人の強力なライバルなど、さすがに来てもらうのは大介も困る。


 それに大介はまだ二年目で、FAやトレードなどの意味を、実感出来ていない。

 それでも純粋な技術に、年齢を考えればある程度の判断は出来る。

「まあタイタンズはさすがにな。もう森川さんも40歳だし。ただあそこは去年のドラフトで、期待の大卒捕手取ったし」

「言い忘れてたけど、出来れば東日本の中でも、在京球団という縛りがある」

「それで二年後なら、どうにも分からないな。スターズの尾田さんだって、もう37歳だしな。それでも成績を落とさないのはすごいけど」

 だがとりあえず、現時点での話なら言える。

「千葉は正捕手も控えも怪我したけど、若いことは若いし、今は武田がいる。タイタンズは言ったとおり。スターズは尾田さんの後がいない。ジャガースはしばらく安泰として、東北は次の正捕手を全力で競争させてるし、レックスは今の正捕手が下手だし」

 大介的には、レックスの正捕手が一番下手だと思う。

 年齢的には33歳の丸川は、一番円熟味のある頃なのだが。


 レックスか。

 吉村、金田、豊田など、ピッチャーがそろってきている。

 リードオフマンの西片を手に入れたことにより、今年は最後には順位を逆転した、

 そしてこれは大介は知らないが、セイバーはレックス推しである。

 武史を活かしてくれるならば、レックスというチームに樋口がいるのは正解だろう。

 なんと言っても、在京球団という条件に合う。


 樋口はあれでなんだかんだ反骨心が強いので、タイタンズのようなチームには馴染まない気がする。

 上杉がいて次代の正捕手を欲しているスターズが一番なのかと思ったが、実際のプロ野球選手にとってはそういう評価なのか。

「しかしあいつもプロに来るのか。面白いことになりそうだな」

 大介にとっても、樋口はかなり実力のある選手だとは思っている。

 春日山のレベルが明らかに劣るチームで、よくも全国制覇を出来たものだ。

 もちろん上杉弟の存在も大きかったのだろうが。




 直史としては日本シリーズへ向けての展望なども聞いて、さすがにプロの世界は違うなと思う次第である。

 もっとも自分の存在が、大学野球においては似たような存在であるということには無自覚である。

「お前と対戦することはないんだよなあ」

 大介はそんなことも言った。

 直史がプロ相手でも二軍であれば、完全に無双できることは知っている。

 しかしプロの世界は、それよりもさらに上のレベルであるのだ。


 直史はレベルの高い勝負を望むが、職業にまで野球をするつもりはない。

「WBCの壮行試合、大学選抜で出る予定だから、そこで対戦は出来ると思うぞ」

「珍しく金にもならないことをするんだな」

「面白い勝負が出来そうだからな」

 直史としては、ここが最後の境界だ。


 大学野球にも、プロ即戦力と言われている選手はいる。

 だが過去の事例を見れば、本当に即戦力になったのは数少ない。

 なんだかんだ言って、平均のレベルが違うのだ。

 その中で完全に対戦相手を制圧し、プロと戦う。


 単にプロ相手というだけではなく、プロの中でも特に選ばれた者が相手だ。

 直史にとっては、自分の実力を試す最後の機会になる。


 これが最後だ。

 公式戦ではないが、本気で戦える。

 そんな試合は、これが最後だ。

 一応は二試合が予定されているが、ピッチャーが連投するはずもない。

 つまりこれが終われば、直史と大介が戦う場面は、まずなくなるはずなのだ。

「本気で投げるのか?」

「俺なりの本気でな」

 密室の中で、大介の発散する雰囲気が変わった。


 一般人である瑞希は、おしっこを洩らしそうになった。

 大介はこんな人間だったろうか。高校時代にはたくさん接触があったが、呑気で、しかし活動的で、明るい性格であった。

 いや、今もそれは変わってないのだろう。


 変わったのは直史との関係。そして直史の力。

 プロでさえ既に勝負を避けられつつある男が、執着する相手。

 この二人が対決する機会は、おそらくそれが最後。公式戦のみで言うならば、最初で最後。

 同じチームで戦う可能性なら、まだ先にあるだろう。

 プロアマ混合の世界大会。だがそれは、仲間として、チームの一員としての試合だ。

 対決の機会は、ここだけしかない。




 大介の成績は歴史に残るものではなく、歴史を塗り替えるものであった。

 そんなバッターが、直史のことを認めている。

 瑞希も試合などはキャチボールすらしたことはないが、野球に関してはそれなりに詳しくなっている。

 高校時代の、全打数ヒットが当たり前という大介が、さすがにプロではそれなりに抑えられている。

 だが勝負を避けてきたようなコースを普通に見逃していれば、もっと打率は上がっていたはずだ。

 そんな球も打っていって、打球の方向までは調整出来ず、アウトになっているパターンは多いはずだ。


 直史と大介が紅白戦で対決するのは、瑞希は何度も見てきた。

 瑞希の感覚と、結果を見てみれば、ほぼ直史の完勝だと思う。

 ただ県大会レベルなら偶然に一試合一本ヒットを打たれるのも珍しい直史が、大介相手であるとかなりの確率でヒットを打たれるのだ。


 それでも瑞希が直史の勝ちだと言えるのは、単に彼氏贔屓だからではない。

 大介のヒットで、試合が決まることはないからだ。

 もちろん途中で投手交代などがあり、完全にそうだとは言い切れないが。


 この二人は友人だと、瑞希は思っている。

 友人にも色々な形があるだろうが、戦友と言うのに近い。

 直史が大介が打ってくれるのを待ち、大介は直史が封じ続けてくれるのを知っている。

 そんな二人が戦う時に、どういう顔を見せるのか。


 好敵手。

 少なくとも直史にとっては、そう言えるような存在はいない。

 お互いに完璧に近い投球内容であった真田や、あるいは二年生以降に唯一ホームランを打たれた坂本などもいるが、それらを好敵手と呼べるとは、瑞希には思えなかった。

 比べると大介は、真田や坂本を相手に、真剣勝負を繰り広げてきた。

 そしてプロの世界では、上杉がいてくれる。


「白石君は、将来MLBに行く気はあるんですか?」

 瑞希の問いは、かなりデリケートな問題であった。

 だが大介は苦笑する。

「まだ二年目で、今年はほとんど上杉さんに負けっぱなしの俺じゃ、しばらくはアメリカに行くことは考えないな」

 それについては大介は、セイバーからも今の時点でのアメリカ行きは勧められていない。

 単純に実力などを問題にしているのではなく、評価の問題だ。

 MLBに挑戦するという選手は、NPBで大きな実績を残した選手が多い。

 大介は確かにナンバーワンのバッターかもしれないが、それでもまだ二年目だ。

 MLBは実力社会などと言われるが、実際にはある程度の年功序列と言うか、過去の実績もものを言う。

 大介の二年というのは、ワールドカップの記録などを含めても、まだ本来の価値でMLBに売れないというものであるのだ。


 だが、もしも大介が、より高いレベルを目指したら。

 それこそもし上杉が故障などをして、国内に敵がいなくなってしまったら。

 大介はもう野球を楽しむために、日本を出なくてはいけなくなるかもしれない。


 上杉がいない世界。

 そこで大介は、存在出来るのか。

 考えるべきではないようなことを、瑞希は考えてしまった。

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