第94話 奪三振記録

 どうやら彼は普通の人間とは違う感覚を持って、野球というスポーツをしているらしい。

 日常生活では最も近く、そして家族を除けば一番身近に接している瑞希は、直史は自分で言う通り天才ではないのかもしれないが、何かしらの異能はあるように思える。

 第六感と言うのか、それとも予知能力なのか。

 直感的になのか計算的になのかも分からないが、未来の予測能力が高いのだ。

 おそらく経験的なものもあるのだとは思うが、まるで相手の考えていることでも分かるような……。


 そこでなぜかエッチな妄想の方にいってしまって、瑞希はぺちぺちと自分の頬を叩く。

 神宮のスタンドの中でも、バックネットから少しずれて、全体が見やすい位置。

 そこで直史のピッチングを見続ける。


 佐藤直史は完璧主義者ではなく、凝り性だと瑞希は思う。

 その二つはどう違うのかだが、完璧主義者は数字上の最高の結果を求める。

 凝り性は自分の考える結果を最上のものとする。

 直史の場合は、確かに完璧主義者的な側面もあった。

 だがそれは完璧主義であることが、その目的と一致していたからだ。


 高い確率で得られる勝利ではなく、納得のいく勝利を求める今の直史は、完璧主義から遠ざかっている。

 だがそれが悪いとは思わない。

 瑞希は素人ではあるが、野球の考え方についてはある程度分かっている。

 今の直史が不思議な思考でピッチングを組み立てているので、相手も打てないのだと思う。

 打つ以前に、既に迷っている。

 だからこそ打球に勢いがないのだ。そして守備の間を抜けることがない。




 第四週の東大戦、もはや春のような特別な存在ではなくなった東大。

 だが粘り強さ、そして勝負への執念は、明日美たちが去った後も続いていると思う。

 事実油断したのか、法教大が一試合を落としている。

 勝ち点こそ取れなかったものの、確実に選手たちの錬度が上がっていると思う。


 元々東大に来るような選手は、ガチ野球勢ではない。

 だがガチ野球勢でなくても、才能が、素質が全くないというわけでもなかろう。

 下手をすれば直史だって、東大に進学していたのだから。

 その場合……妹たちがキャッチャーをすれば、東大が優勝していた可能性は、かなり高いと思う。

 大学野球のリーグ戦では、ピッチャーの価値はプロよりもはるかに高い。

 直史が弱いチームの戦力で、他の強豪私大を蹂躙する。

(物語としてはそちらの方が面白かったかな)

 瑞希はそんなことを考えて、いつか東大野球部を舞台にしたフィクション小説でも書きたいかな、などと思ったりもするのである。


 だが現実は非情。

 しっかりと練習し、強いゴロも止めて、正確な送球をする。

 だがピッチャーが130km程度しか投げられないのでは、もっと投球術を駆使しないと、今の早稲谷の打線を抑えることは出来ない。

(そう、甲子園優勝投手は、優勝しても球速がイマイチで、プロからも強豪の私立からも声がかからなかったっていう設定)

 瑞希の妄想は、それなりの説得力を追求していく。

(他に誰か……そういえば、キャッチャーでいい人が慶応に行ったけど、野球はやってないとか聞いたっけ)

 妄想が加速する。


 女子選手が三人というのは、それが現実であるのに、逆にファンタジーに感じてしまう。

 せめて一人だけなら、そしてアンダースローのように軟投派であるなら、いてもいいのではないか。

 瑞希は野球狂の詩を読んだことはないのだが、そんな妄想がいちいちマッチしたりする。




 もちろんこの試合の記録も忘れない。

 だが味方側の守備は、ほとんど書くことがないのだ。

 どうしてあそこまでしっかりと抑えられたのかは、後から直史に聞かなければいけない。

 テーマをもって試合に取り組むのが、最近の直史なのだから。


 東大も頑張ってはいる。

 打たせたボールをイレギュラーし、珍しく北村がファンブルなどする間に、ランナーに出た。

 記録上はエラーで、これでパーフェクトは消える。

「すまん」

「いーですよ」

 直史としてはいまさら、パーフェクトの数が増えてもさほどの思い入れはない。

 だが自分が六大学リーグに、永遠に超えようのない神話を打ち立てているという、自覚はあるのだろうか。


 おそらくないのだろうな、と北村は思う。

 直史は大学に入ってから一度も、かつて北村が高校時代に見たような、熱量を発していることがない。

 楽しんでいることは楽しんでいるのだろうが、高校時代に試合に見せていた、勝利への執着心がないのだ。

 もちろんそれは、負けてもそこで終わりではないという、リーグ戦の影響もあるのであろうが。


 この試合も、エラーを出してからは、ピッチングの内容が変わった。

 それまでの打たせて取るという要素もあるのだが、それに混ぜるのが、ボール球を振らせて三振を取るというものだ。


 直史は一年の時から確かに、平均で一試合10個以上の三振を奪っていた。

 だが二年生になってからは明らかに、三振を奪う割合が増えている。

 それでも一試合あたりの平均では、武史の方が多いが。

 北村は当然ながら高校時代にはプレイしなかったが、まさかこんな弟がいるとは。

 白富東が甲子園を制覇したのは、武史の力も大きいのは間違いない。

 左の160kmなどというのは、夢がありすぎるではないか。


 本日のテーマを、ボール球に手を出させることに変更した直史は、珍しくフォアボールを一つ出してしまった。

 打者のレベルが、あそこに手を出せるほどなかったことを計算に入れていなかった。

 樋口も同じミスである。珍しいことだが、東大の野球部のバッターなら仕方がない。

 それにその後に内野ゴロを打たせて、ダブルプレイにしとめている。


 試合は終わった。

 28人を相手に97球。エラーと四球が一つずつという、ノーヒットノーランである。

(当たり前のようにノーヒットノーランはするよな)

 そもそも一試合に一つもフォアボールを出さないというのが、北村のみならず六大リーグではありえないのだが。

 一年の秋に大乱調の試合が一度だけあったが、あれも結局はヒットを一本も打たれず、点にもつながらなかった。

 

 おかしなやつだ、と北村はひたすらに思う。

 高校時代、入部した当初から、野球部員っぽくないやつだとは思っていた。

 ただ才能と、正しい方向へする努力は、間違いなかった。

 三年生になるまでには、かなりいいピッチャーにはなるのではと思っていたら、県大会の決勝で投げるようなピッチャーに急成長していた。

 しかしそれも後の活躍を思えば、不思議なものではなかったのだ。


 記録上ノーヒットノーランとはなっているが、事実上パーフェクト二回を含む、ノーヒットノーラン三回。

 そんなピッチャーは今までに一人もいなかった。

 そして大学入学後は、唯一の弱点と言われていた球速も、プロで通用するレベルにまで引き上げた。

 体格や筋肉からして、スピードの上限は160kmには届かないだろう。

 だがそんな常識を破って、さらにプロの世界に行っても、年に一度ぐらいはパーフェクトをするような気さえする。

 WBCの開催に向けて、今回は大学選抜と、NPBの選抜で試合が行われる。

 そこで直史がどんなピッチングをするのか、北村は今から楽しみで仕方がない。

 そしてそこで、おそらく一度きりの機会が見られる。

 佐藤直史と白石大介が対決すれば、どちらが勝つのか。

 プロをきりきり舞いさせてしまうところ以上に、この二人の対決は楽しみだ。




 翌日の日曜日は武史の先発。

 辺見としては途中で細田に代える予定だったが、代えられなくなった。

 なぜなら、武史が一本もヒットを打たれていないので。


 フォアボールで早々にランナーは出したものの、また連続三振が続いていく。

 やはり三振を奪取する能力は、武史の方が高い。

 正確には少ない球数で、三振を奪う能力と言うべきか。


 八回が終わって、18奪三振。

 さすがに自己記録の23奪三振は奪えない。


 辺見はこれを見ながら、惜しいなと思っていた。

 現在の早稲谷はピッチャーが強すぎるため、土日の連勝で勝ち点を取ってしまうことが多い。

 つまり月曜に、土曜に投げたエースが投げる機会が少ないのだ。

 六大学リーグの通算成績では、一シーズンに三振を、50個以上取らないと届かない。

(いや、出来なくはないのか?)

 ふと気になって、辺見はスコアを確認する。


 直史の過去の奪三振は、一年の春で46、秋に38個。

 そして二年の春は82個。

 この秋は三試合で45個。

 これは届く。六大学リーグの、通算奪三振記録に。

 三試合目にもつれこむことが少ないため、一シーズンの奪三振記録は更新出来ないだろう。

 だが通算記録は到達する。


 ちなみに奪三振率で言うなら、先発投手としては武史が記録を更新している。

 武史の奪三振率は直史以上だが、一年の春で投げない試合があった。

 直史もクローザーで短いイニングだけしか投げない試合があったのだが、直史も武史も、順調に週一ペースで投げていけば、奪三振記録を色々と更新するだろう。

 特に直史は二年の春、一カードを投げなかったのに、東大相手に土曜と月曜を投げて、シーズン82個の奪三振を記録している。

 これは歴代ベスト10に入る数である。


 細田を使っていこうと、辺見は思っていた。

 間違いなくプロに行く実力はあるし、既に指名するとも言われている。

 だが高い順位で指名してもらおうと思うなら、さらに活躍は増やしておきたい。

 だが直史もだが武史も、奪三振記録の更新の可能性がある。

 直史は三試合で45個の三振を奪ったが、武史は58個。

 一試合の内に、アウトのうちの三分の二以上を三振で取っているわけだ。


 細田の将来か、佐藤兄弟の記録か。

(細田の将来だな)

 あっさりと判断する辺見であった。普段の行いがものを言う。

 細田もそれほどの優等生ではないのだが。




 秋のシーズン第六週。

 対戦相手は法教大学である。

 土曜日の先発は、直史が指名された。

 

 辺見としては細田を使ってやりたい。特に先発でだ。

 直史に先発で投げさせると、球数の制限をしていても、余裕で九回までを投げ切ってしまう。

 だから細田を先発にしたいのだが、先制点を取られる恐怖を考えると、どうしても一番信頼出来るピッチャーを使ってしまう。


 だがこの日は、珍しく早い回で一本のヒットを打たれていた。

 ランナーがいる状況では、確実に三振を狙っていく。

 試合も点差がついてきているので、細田に準備を始めさせる。

 五回までを投げて、結局はそれなりに三振を取ってしまうのだ。

 

 細田に継投させるわけだが、辺見はこれはまずいな、と気付いた。

 直史の後のピッチングだと、細田のピッチャーとしての凄さが過小評価されてしまう。

 もっともカーブの落差は、直史よりも優れているかもしれない。

 純粋に10cm以上も身長が高く、腕も長いからだ。


 こいつを取らないとしたら、プロのスカウトの目は節穴だな、と辺見は判断する。

 事実細田はヒットを打たれても、サウスポーを活かして盗塁をさせない。

 そしてその後のバッターを、カーブを使って凡退させる。

 球速は150kmに満たないが、高校時代より肉がついてきたとはいえ、まだまだ細い。

 これが今のしなやかさを持ったまま、パワーを増していけばどうなるか。

 既に即戦力でありながら、まだ伸び代がある。

 最低でも三位までには指名されるべきだと、見学に来るプロのスカウトにも言っている。


 だがプロのスカウトの目は、どうしても来年ドラフト候補になる西郷や、三年後の武史の方に目が向かってしまう。

 その二人以外にも、今の早稲谷は二年生が黄金世代なのだ。

 近藤や土方などには、高校の時点でプロ志望かどうかの調査書が届いていたのだから。

 それがわざわざ大学まで来たのは、直史が関連しているとも聞いた。




 二位以下で取りたいな、と思ったのはレックスである。

 本日は珍しく、関東の担当が二人揃って試合を見に来ている。

 もう指名のリストは完全に出来上がっているのだが、一位指名に洩れてしまったときなど、次善の選択は考えておかないといけない。


 四回を投げてヒット三本の無失点。

 間違いなくプロで取るべき人材ではある。

 あとは何位で取るかの判断だ。


 早稲谷には以前は、下位指名は禁止などという縛りがあったものだ。

 育成など論外といった、選手の意思を無視した高慢なものであったが、辺見の就任以前にはなくなっていた。

「何位で取るべきかなあ」

「細田のあのカーブ、白石対策になりませんかね?」

 鉄也としては、特に細田は、リリーフとしての適正もあるのではないかと思う。

 ただ体の大きさをまだ持て余しているのか、クイックが遅いという欠点はあるが。


 レックスはいまだに改革期である。

 高卒のピッチャーが二年目からしっかりと結果を出してきて、かなり投手陣は厚くなってきた。

 だがエースの東条がポスティングを考えているとは聞いている。

 まあ東条としてはあれだけのピッチング内容で、援護の少ないのは不満なのだろう。

 熱気よりも冷静さと、己の意思を断固として持つタイプだ。

 来年は26歳のシーズンとなるため、FAで出て行かれるよりは、ポスティングで快く送り出してやった方がいいだろう。

 もしMLBで通用してこなくて帰ってくる時も、暖かく迎えることが出来るだろうし。


 するとまたピッチャーが不足してくる。

 細田は確かにローテーションの投手となれそうではあるが、エースと言うには違和感があるタイプだ。

「白石対策なあ……」

 サウスポーの、背中からの大きなスライド変化に弱い。

 これは統計上の事実であり、上杉以外のピッチャーが縋る希望である。

 ただあくまで弱いと言っても、普通に三割ほどは打ってしまうのだが。


 セ・リーグは上杉のいるスターズに、大介のいるライガース、そして強力な補強を繰り返すタイタンズと、AクラスとBクラスがはっきりとしてきた。

 だがそんな状態からでも、どうにかAクラス入りは果たしたい。

 フェニックスが再建に苦労しているが、レックスはそれに比べればドラフト獲得はいい感じできている。

 問題は外国人のハズレが多いことか。

(あの女に頭を下げればいいんだが、それは俺の役目じゃないしなあ)

 自前の力だけで外国人補強をしようとしているあたり、編成の力の限界を感じる。


 今年のドラフトまであと少し。

 プレイオフに出られなかったチームは、秋のキャンプが始まっている。もちろんレックスもその中の一つだ。

 スカウトは基本的に、良い選手を見つけてくるのが仕事なのだが、過去のスカウトしてきた選手との間に、ある程度の信頼関係は築いておかないといけない。

 もしも他の球団にスカウトとして移籍した場合、その選手がFA宣言などをした時に、交渉しやすくなったりするからだ。

 他にも色々と、やるべきことはいっぱいあるのだが。

 それでもスカウトにとっては一番忙しい季節が始まろうとしていた。


×××


 ※ 第四部if もしも東大野球部のエースに甲子園優勝投手がなったら は始まりません。始まりませんったら始まりません。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る