第95話 閑話 光のあるところに
大学野球においても、まだ覚醒しきらない才能というのはある。
あるいは発見されていないのか、見えているのに気付いていないのか。
六大学リーグが開催されている合間、試合のない週末には、オープン戦として練習試合が行われる。
直史目当てでここに来ても、直史は普通に休んでいるのでいない。
ならば武史はと言うと、これまた休んでいていない。
月曜日だけがオフなどというふざけた常識はぶっ飛ばし、武史は好きなように生きている。
ある意味では兄以上に、試合に出ることなどどうでもいいのだ。
干されたところで全く痛痒を感じない。
選手起用、つまり人事権を持つ監督にとって、試合に出さなくても喜ぶだけという選手など、扱いようがないのだ。
それに、武史以上にスピードのある球を投げる大学生は、日本にはいない。
別に調子に乗っているわけではなく、大学生活をエンジョイするためには、練習をサボればいいと気づいた武史である。
それで試合に出られない? 出たくないですよ。使いたい時に使ってくださいな。
もしこれでプロのスカウトからマークを外されても、全くそれでも構わない武史である。
直史ほどではないが、ちゃんと勉強はしているのだ。
サークルとしては映画サークルなどに入って、恵美理の都合の合わない時は、適当に遊んでいる。
ただモテても貞操を守るあたり、佐藤家の義理堅い遺伝子は働いているようだ。
じゃあ細田はどうだと言われるが、四年の細田はドラフトを前に、調整に入っている。
投げても数イニングだけというわけで、これで満足する相手ではない。
なので他のピッチャーにも出番が回ってくるのだが、その中には星もいる。
内野としては打球をキャッチするための瞬発力が、いまいち足りていない星。
野球頭脳は高いのに、身体能力の爆発的なパワーが足りていていない。
だがピッチャーとしてリリーフをさせれば、意外なことに抑えてくれる。
(こいつは、案外プロでも通用するんじゃないか?)
真面目に練習をしている星に、辺見は好印象である。
佐藤兄弟や樋口と違って、心の底から野球が好きな選手を見ていると、心が洗われる。
一軍のオープン戦で三回を投げて、ヒットは三本打たれたが無失点。
おとなしそうな顔して、実際に自己主張しないのに、マウンドの上では樋口に対しても首を振る。
社会人の名門相手に、三イニングか。
おとなしくマウンドを降りるのに、じっと何度も振り返る。
ベンチの隅に座る星に、視線は向けないながらも、辺見は問いかける。
「星、投げるのは好きか?」
「はい!」
やや食い気味に返事があった。
「でもグラウンドにいることはなんでも好きです」
セカンドでも使ってほしいのか。
星の身体能力は本当に、部内でもたいしたことはない。
ただ案外持久力と、そして柔軟性はトップクラスだ。
アンダースローでぐっと腕を引いて、それで勢いをつける。
だがスピードはそこまでは出ず、バッターは幻惑される。
「また投げさせてやるから、頑張れよ」
「はい。頑張るの、好きです」
ここで初めて辺見は星の方を向き、グラウンドを羨望の眼差しで見つめている姿を見た。
ああ、本当に野球が好きなのだな。
大学に来てまで野球をやる人間というのは、野球が好きと言うよりは、既に執着し、虜になっているようなものである。
だが中にはこんな純粋な目で、野球をしている者もいる。
佐藤兄弟の弟の方も似た感じだが、あれは何も考えていないと思う。
才能と言うか、素質の点では兄以上だと思うが、日本で通用するタイプではないのだ。
そもそも野球が本当に好きだとも思えない。
大学ではバスケットボールのサークルにも入っていると聞くし、MLBの選手の名前はほとんど知らなくても、NBAの選手の名前は軽く100人は言えるとかも聞く。
才能はせめて、それをやるべき人間のところに宿ってほしい。
だがそんなことは現実ではなく、こうやって偏ったことになるのだ。
しかし星のこれも、才能ではないだろうか。
秋のリーグ戦は、早慶戦を残すのみ。
一応既に、優勝は決まっている。
注目すべきは去年の春と同じ、全勝優勝が出来るかだ。
ひどいものだな、と辺見は思う。
早稲谷にとっては黄金時代でも、他のチームにとっては暗黒時代だ。
直史と武史が投げた、この秋のリーグ。
二人合わせて八試合で無失点である。つまり防御率0のピッチャーが二人同じチームにいるのだ。
本当にひどい。
瑞希は自然と大学野球の記録も調べ始めたわけだが、直史がひどいことをしているな、と分かってきた。
高校時代は予選となる県大会などでは、決勝以外はコールドがある場合が多かった。
そのため参考パーフェクトや参考ノーヒットノーランは多かったが、本物の完全試合と言えるのは、甲子園での試合ぐらいである。
甲子園で、フルイニングではないと言っても、10試合以上に投げているのに、失点はわずか三点。
それも初出場で、雨の中のミスが連続した失点だ。
大学野球はチーム数こと少ないし、当たるチームも似通ったところになる。
だが直史はここまで、オープン戦も含めても二失点しかしていない。
それも自責点は0である。
直史からは点が取れない。
玄人はその投球術を学ぶべく、眼をを凝らして見るはずだ。
しかし一般的な観客にとっては、もう少しだけ打たれてピンチを作った方が、試合として見ごたえがあるのだ。
だが直史にとって、そんなことは知ったことではない。
アマチュア野球ではあるが、直史は勝利を義務付けられている。
それに特定のバッターから逃げるピッチングもしていない。
いいピッチャーでも、やたらと相性が悪いバッターというのはいたりする。
だが直史は様々な組み立てを駆使することで、どんなバッターにでも対応出来るようにしてしまう。
弱点がないからこそ、強いと言える。
長所を伸ばすか短所をなくすか、これはけっこう重大な問題である。
単に選手の将来を考えるなら、まず長所を伸ばすべきだ。
短所をなくすのは後でも出来るが、長所を伸ばすのは若いうち、それも成長期にするのがいいからだ。
だが実際のチーム作りにおいては、まず短所をなくすことから始める場合が多い。
高校野球までは、主に守り勝つことが、重視される。
打てないことよりも、守備でのミスの方が目立つからだ。
打率というのが三割打てれば上等と言うように、そもそも打力というのは上げるのが難しい。
直史の場合はその成長の過程が、指導者の指導というよりは、周囲の環境の結果ということが大きい。
まず、速い球をキャッチャーが捕れないので、変化球を磨いた。
すると大きな変化球を捕れないので、変化球の数を増やした。
それでもキャッチャーのキャッチングに限界があると分かると、コンビネーションを磨いていった。
どうにかほとんどヒットを打たれないようになったが、それでもエラーで失点は増えていく。そして勝てない。
直史のピッチングには、味方の援護がなくて当たり前という意識が見られる。
だからこそホームランは打たれず、確率的に打たれないピッチングをしていた。
その中でも時には意外性を混ぜなければ、むしろ打たれやすくもなる。
弱点をなくした上で、魔球を手にいれ、上限を高くしていく。
今現在、直史は純粋なスピードを求めている。
ただそれが、変化球をおざなりにすることと同義ではない。
シャワーを浴びた直史が戻ってくると、瑞希がパソコンと睨めっこをしていた。
文章を書いているときも、そんな表情をすることはないので、珍しいと思う直史である。
「何を書いてるんだ?」
「う~ん……ちょっと目先を変えて、フィクションの話を作ってるんだけど」
クリックするとタイトルが出てくる。
東大野球部の栄光。
「春の嵐じゃないのか?」
「あれはノンフィクションでしょ? もし実際に東大が優勝するなら、どういう条件が必要かなって」
「どういうも何も、俺がいなかったら優勝してたわけだし」
「そうなんだけど、女子選手三人が主力っていうのが、さすがにリアリティがないというか」
実際に起こった出来事なのに、リアリティがないとはどうなのか。
とにかく野球で勝つには、ピッチャーがいなくてはいけない。
特に六大リーグであれば、ピッチャーが二人はほしい。
土曜に勝って日曜に負け、月曜に勝つというのも、中一日はかなり苦しい。
調子の悪い時もあるだろうし、二人は必要になるだろう。
「ピッチャー二人にキャッチャー一人、それに二点ぐらいは取ってくれる打線がないとな」
「今でも二点ぐらいは取ってるでしょう?」
「……そういえば他の大学との試合では取ってたか」
そう、それが普通なのである。
自分を基準にピッチャーを考えてはいけない。
実際のところ東大は、そこまで極端に弱いわけではないのだ。
やはりピッチャーが必要になる。
実力はあるが、プロに進むほどではない。それでいて東大に合格するほどの頭脳。
「高校時代や、アマチュアでは充分に実績を残しても、プロでは通用しない、あるいはスカウトが取らないタイプか」
直史も考え込むが、やはり軟投派のピッチャーであろう。
そして変化球主体。
「サウスポーで、サイドスローかな」
さすがにアンダースローは難しい。淳とう実例はあるが。
球速は140kmはあったらまずい。
左のサイドスローでそれだけが出ていたら、普通にプロが持っていく。
そもそも東大に進む理由はなんだ?
東大に入ってまで野球をする理由。
まずそれだけの頭脳がないといけないのは確かだが、野球をやり続けるなら、六大に行った方がいい。
つまりプロは目指していないし、スカウトの目にも止まらなかった。
何かを見返そうとしているのか?
それは何か。
「勝てないことか、認められないことかな?」
「え?」
「わざわざ東大に行ってまで野球をやる理由。あえて弱いチームで、強豪私大と戦う理由」
「そういうのもいるわね」
「まあ女子選手一人は、キャラクターに入れておいてもいいとは思うけどな。小説にはヒロイン付き物だし」
「娯楽小説になるでしょうしね」
監修が甲子園優勝投手とは、ずいぶんと豪華なものである。
話し合っていると、色々と決まってくる。
主人公は甲子園優勝投手で、イロモノ的な左のサイドスロー。
チームの打撃力で勝ったと言われて、四番などは一位指名をされる。
しかしピッチャーの主人公には、そんな栄光の席は用意されない。
一度きりのトーナメント戦だからこそ通用した。
そう言われるのだ。
トーナメントの試合の中でも、終盤にはそれなりに失点していく。
ならばプロのリーグ戦ではとても通用しないだろうと。
主人公は元々、プロ野球に行くつもりもなかった。
勉強をして、そこから何か他の目的を持っていたことにする。
だが甲子園後の屈辱は、それなりに勉強の出来る主人公の自尊心を傷つけた。
本来の目的を忘れず、東大には行く。
だがそこでエースになり、他の強豪私立を破りリーグ優勝。
ここまでは話は作れた。
「問題はあと一人のピッチャーと、キャッチャーだな。まあキャッチャーの方は、樋口みたいな元々の目的が違って、あと打撃が壊滅的とかならそれでいいだろう」
「話が出来てきたわね」
「もう一人のピッチャーを権藤さんみたいな女子選手にすれば、エースになったはずの主人公なのに、また二番手扱いにされるという理由にもなる」
「ひどい話ね」
ひどい話ではあるが、そういうピッチャーは実際にいるのだ。
高校時代は二番手どころか三番手で、大学に行ってから覚醒するような選手。
それに左のサイドスローというのは、確かに優れていても高卒からドラフトで指名するのはリスキーだろう。
ここで重要なことは、主人公は元々プロは目指していなかったということ。
だが全く話がかからなかったことを、モチベーションにしたい。
ピッチャーと、キャッチャーと、もう一人のピッチャー兼ヒロインが出来上がった。
「これで後は、キャプテンを北村さんみたいな人にして、まあ監督を頭脳派にしたら、だいたいいけるかな?」
「あとはタイトルだけど」
東大野球部の栄光。これでは地味すぎる。
キャッチコピーとしては『もし甲子園優勝投手が東大野球部のエースになったら』でいいだろう。
ドラッカーの本のように思えるが、あれは別に野球小説ではないからいいのである。
光の当たる選手たちの裏で、しっかりと成績を残す主人公。
影の中の主人公といったところか。
しかしここまで話し合い、設定まで決めて、瑞希は気付いた。
「この話、地味じゃない?」
まあリアリティを追求したら、現実の方がリアリティから離れていたとかはある。大介の四割なんて、実際のプロ野球のマンガでも作らない設定であろう。
リアルがリアリティを超えている。
野球などのスポーツに限らず、現実では確かに起こることである。
結局この話が、本となって出版されることはなかった。
瑞希は別のペンネームで、無料の小説投稿サイトに投下してみたりもしたが、あまり評価されることはなかった。
ただあまりなり大学野球をベースにしたという点では誉められたが、直史の活躍によりこの年あたりから、大学野球物のマンガが商業ベースで多く登場するのである。
「現実の方がよっぽど面白いのに、こんな地味な話にして何か面白いの?」
ある読者からの感想である。
それに心を折られた瑞希は、適当なところでこの物語を完結させるのであった。
白い軌跡という、成功したノンフィクションの出版物。
その陰には全く注目されなかった、フィクション小説があったりもする。
なお後に、ペンネームを『白い軌跡』のものにし、監修者として直史の名前を出すと、この本はバカ売れした。
なんとも切ない、出版会の需要である。
×××
※ Ex20投下しました。セイバーさん、暗躍してます。
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