第96話 再現
優勝は決定している。あとは全勝優勝か、それ以外の優勝になるかどうかだ。
「全勝優勝とか完全優勝とか、いったいなんなわけ?」
クラブハウスの中はややピリピリしているのだが、そんな空気をぶち壊すのが武史の発言である。
ふう、と直史が息を吐く間に、他の場所からツッコミが入る。
「六大で野球やっててなんで知らねえんだよ!」
「お前の兄貴が去年の春にやったことだぞ!」
そう言われても知らないのだからしょうがないが、武史は本当に野球に興味がないのだ。
野球は別に好きじゃないけど仕事だから、と言っていた名選手もいたそうであるが、これとはレベルが違うであろう。
そもそも武史は最初、春のセンバツの選ばれ方すら知らなかったのだから。
実は直史も詳しいことは、勝ち上がってから知ったのであるが。
六大学リーグにおいては、先に二勝した方が勝ち点を一得る。
リーグ戦が終わったところで、一番勝ち点が多かったチームが優勝である。
この中で、他の全てのチームから勝ち点を得た優勝を完全優勝。
全試合に勝利、つまり土日で勝負を決めた場合を、全勝優勝という。
なんで今さらこんな説明をしないといかんのだ、と上級生は心の底から、才能は望んだ人間に与えられるわけではない不条理を感じる。
「まあ俺、大学入るまでは早慶戦が優勝決定戦って思ってたし」
な・ん・で・だ!
武史は本当にナチュラルに、野球に人生賭けてる人間を怒らせる。
直史も別の方向で同じことをしてくるが、武史の場合は純粋に無知なのである。
知っていて、煽ってはこないが自分とは違う世界の人間として拒絶する直史。
西郷は知っている。三年前のワールドカップを。
中心は大介であったが、直史も煽って日本代表を奮起させていた。
ほとんどの三年にとっては、ドラフト前の親善試合程度の感覚であったのに。
まあ、あれのおかげで高校生大豊作の年などと言われて、競合一位の選手が何人も出たわけであるが。
西郷にしても、プロからの誘いはいくらでもあったのだ。
だが直史がプロに行かないと知ったから、大学でもう一度対戦する機会を得ようとした。
同じチームになってしまって、なんと迂闊なことをしたのかとは思う。
だがバッピをやってもらうことによって、西郷のバッティングの能力は飛躍的に上昇した。
おそらくプロに行っても、初年度からホームランを量産出来る。
直史の変化球と、武史のストレート。
これを上回る選手はプロであっても、ほとんどいないであろう。それが西郷を鍛えてくれた。
直接プロに行かなくて良かったと思う。
本当にちょっと変わった方向の問題児ではあるが、直史はプロには行かないのだから。
同じチームで、もう一度プレイできた。
そして優勝の喜びを味わえたというだけで、本当に満足だ。
秋のリーグ戦第八週。
早慶戦。伝統の一戦。
かつては海外のサッカーのフーリガンのように、とんでもない場外乱闘が起こったこともあるという。
だが今ではもちろんそんなことはない。大人しくなったというのもあるが、ネットで拡散されてしまうからだ。
この週は特別に、早稲谷と慶応の一試合だけが行われる。
それだけ特別な試合であるが、優勝自体は既に決まっているのだ。
去年は出られなかった神宮大会の大学の部にも、出場することになる。
春の全日本とは違い、圧倒的に出場枠の少ない神宮大会だが、六大学と首都リーグの二つだけは、そのまま代表として神宮大会に出られる。
あとはそれぞれの地区のリーグで優勝し、さらにその中から地区ごとにまとめて、一つだけが選出される。
出場するのは11大学だが、六大学の代表はさらにシードとなり、つまり三回勝てば優勝となるのだ。
このあたりは甲子園の、センバツと夏の出場校選定の違いに似ているかもしれない。
優勝自体は既に決まっているので、普段ならばピッチャーを主に調整し、無理をさせないように使っていかなければいけない。
だが今年は全勝優勝がかかっている。エースにはまず、一人で一試合を投げて勝ってもらいたい。
そんなエース頼みの話になるが、早稲谷には今、黄金よりも貴重な右腕がいる。
土曜日に一人で完封してもらって、日曜日には継投なりで勝利。
ほとんどピッチャーの能力に依存した、作戦とも言えない作戦を展開することになる。
神宮大会は二回戦からだが、準決勝と決勝は連投になる。下手をすれば準々決勝もだ。
つまり使えるピッチャーを出来れば、三枚は用意しておきたい。
そして早稲谷には、三枚のピッチャーがいる。
ともあれまずは目の前の一戦。
慶応大学との早慶戦を、終わらせる必要がある。
秋のリーグ戦最終週ともなれば、秋も深まってくる。
既に優勝の決まった消化試合ではあるが、ある程度の意味はある。
先日のドラフト会議で、指名された細田は、神宮で大学ラストイニングとなるだろう。
この早慶戦でも二戦目の先発を予定している。
万一負けたとしたら、佐藤兄弟の速い方がいる。
いざとなればどちらかで直史に、パーフェクトクローザーをしてもらおうという、辺見の雑だが確実な考えである。
そして試合は始まる。
神宮大会に向けた、調整的な面はある。
負けても優勝ということが決まっているので、気楽にも投げられる。
全勝優勝がかかっていると言われても、既に達成したのであまり興味はない。
だがWBCの大学選抜に選ばれるためには、圧倒的な実績を残しておきたい。
一回の表から、今日は球数抑え目バージョンである。
季節柄、神宮大会も割と冷える季節になるので、力を入れすぎないようにしないといけない。
直史は自分の肉体が、あまり耐久力がないと判断している。
少なくともセイバーの計測では、特別に頑丈なわけではないと言われた。
一年の夏の決勝。全力で投げたMAXの変化球で、わずかな間だが投げられなかった。
あれを反省して、体力は限界まで使ったとしても、エンジンを限界まで動かすことはないようにしている。
先頭打者にヒットを打たれるという、意外な展開で始まったこの試合。
だが樋口が全くその気配を見せないまま、一塁に牽制球を投げてアウト。
頼りになる相棒である。
続く二人はあっさりと内野ゴロに抑え、少しずつ力を入れていく。
バランスのいいコンビネーション。
ほどよく三振も奪い、ランナーを出さないいつものパターン。
基本はゾーン内の勝負だが、際どいと見えた球が変化してボールになり、それを振らされるバッターがいるのが、今日は多い。
だいだいこういうピッチングをしていくと、変な異名がついたりもする。
既に色々と言われてはいるのだ。パーフェクト・ゼロだのミスター・パーフェクトだのザ・パーフェクトなど。
メカニック、などということも言われるが、それは少し意味が違うのではないだろうか。
ちなみに武史は過去に何度も使われた、ドクターKの異名を貰っている。
試合が進むほど、バッターはピッチャーに慣れるのが普通だが、武史はスロースターターなので、序盤に叩いておかないと、まず得点できない。
あるいは延長まで持ち込んで、体力切れを狙うかのどちらかだ。
直史の場合は、球数の少ないピッチングをするので、体力はないと思われがちだ。
確かに間違ってはいないのだが、極端なスタミナ不足というわけではない。
そんなピッチャーであれば、甲子園を15回まで投げて、さらに次の日も九回まで投げきることは出来ない。
分かってはいるのだが、それでもスタミナ切れに期待したりする。
すると打てそうな球を軽く投げてきて、体力の温存を図る。
佐藤直史というピッチャーは、本当に攻略が難しいピッチャーなのだ。
技巧派であり、軟投派の要素も持ち、本格派としての成分も充分に持っている。
普通なら分散するはずの要素を、一人の人間が身につけてしまった。
レーダーチャートで表現するなら、全ての要素が95以上といったところか。
しかも半分ほどは100に至る。
早稲谷の打線も、最近は好調である。
直史がバッターを置いた投球練習として、バッティングピッチャーをするからだ。
こと変化球において、右投手であれば強力な変化球を持っていても、早稲谷の打線は止められない。
七回が終わって、7-0と圧倒的なピッチング内容。
打たせて取るタイプの内容だったのに、それでも三振の数は11個。
「よし、今日はここまででいい」
辺見としてもさすがにこの点差なら、逆転はないだろうと考える。
そしてマウンドに登ったのは、四年生のピッチャーだ。
思い出マウンドというわけであるが、さすがにこの点差があれば、逆転はされないだろう。その程度の実力はある。
辺見の期待通りに、ヒットは打たれても確実にアウトを積み重ねていって、大量点までは結び付けない。
9-2というスコアで、この土曜日の試合は終わった。
帰りのバスの中で、スコアを見ていて辺見は思わず笑いそうになる。
途中で交代の試合があったし、二試合の対戦がなかったので、三振数自体はそれほどでもない。
だが奪三振率は15である。
27個のアウトのうち、半分以上を三振で取っているのだ。
もっともそれを言うなら武史は、奪三振率は19.5という異次元の数字になるが。
プロの上杉だって、そんな数字は残していない。プロと大学ではレベルの差があるというのも確かだが。
辺見は電卓を叩いて、他にも数字を出していく。
たとえばもう一つの投手の指標、WHIPだ。
ざっと言ってしまえば、そのピッチャーが平均で、一イニングに何人のランナーを出しているかというもの。
1以下であれば球界を代表するエース。1.2以下ならチームを代表するエースと言われるこの数字が、直史は0.1795である。武史は0.2778と、どちらも大学野球のレベルには合っていないピッチャーだ。
もっともこのWHIPは、分かりやすいがあまり重要な指標と言われないのも確かなのだが。
それでも分かる。
なんと言っても、防御率が0のピッチャーと、0.1以下の一ピッチャーであるのだ。
両者共に、レベルが違いすぎる。プロに行っても即戦力だ。
もっとも一年を通して、シーズンのローテを回せるかが微妙なところだが。
翌日の日曜日、先発は細田。
佐藤兄弟ではないが、ドラフトでプロ入りするというピッチャーに、観客の注目はそれなりに集まる。
得意の大きなカーブを使いながら、それとストレートの組み合わせで三振を取っていく。
他にはチェンジアップも使うので、ストレートを狙うのも難しい。
プロ入り即戦力級ではあるが、さらに体格からして伸び代もある。
さすが上位のドラフトで指名される選手というのは違う。
六回までを投げて被安打四本の無失点と、慶応も打力はあるのだが連打を許さない。
カーブに変化量や速度の違いがあるため、実際には持っている変化球はもっと多いと言ってもいい。
特に縦のカーブと横のカーブは、別の形の変化だ。
大きく曲がる変化球を二つ持っていれば、それだけストレートの価値が上がる。
それにあの長身と長い腕。
育成に失敗しなければ、数年後にはローテを守れる投手にはなるだろう。
だが、残念ながら見物ということでは、その後の方が圧勝であった。
マウンドに登ったのは佐藤武史。そしてキャッチャーも代わっている。
この日、恵美理が友達と一緒に応援に来ていたため、武史は調子に乗っていた。
そしてこの調子に乗って、良く出るか悪く出るか分からないのも、武史の厄介なところである。
しかしリリーフ適性がないと言われる武史だが、今日は充分なアイドリングを行っていた。
初球から160kmを出してくる。
バッターの顔が蒼白になっているが、武史としては上杉よりはよっぽどマシだろうと言いたい。
もちろん比べる対象を間違えている。
ストレートだけで、三者連続三球三振。
樋口としてはちゃんと肩を作れば、リリーフもしっかり出来るではないかと思う。
だがその肩を作るために、それなりの力を入れて、50球ほども投げ込まないといけない。
そこまで準備してから、三イニングも投げるなら、それなりに疲労はたまる。
やはり先発向きではあるのだ。ただ、大学野球のリーグ戦なら、クローザーとして使えなくはない。
八回も、三者連続三振。
バットに当たったのが一球だけという、ものすごいスピードボールだ。
キャッチャーをする樋口としては、最低限のリードだけをしていれば、あとは球威だけでどうにかなるからつまらない。
一発ぽこりと打たれた方が、面白いのにとまで思っている。
だが無駄に芸人体質の武史であるが、締めるところは締めるのだ。
九回も、三振を奪う。
そしてそれを捕っている樋口も、途中からおいおいと思ってくる。
単純に三振を奪っていくのではなく、バットにすら当たらない。
(しかも粘ることも出来ないって)
格段に、レベルが違う。
おそらく自分でもかなりの読みを入れて山を張らなければ、このボールは打てない。
打てないどころか、三振以外のアウトにも出来ないだろう。
最後のバッターは完全に、樋口のミットにボールが収まってから振っていた。
打者九人に対して、三振九個。
投げた球数は28球。
つまり全員を三振に取っただけではなく、その内の八人が、当てることすら出来ない三球三振であったといことか。
武史がプロにいくということを、樋口は直史から聞いている。
才能や素質はともかく、性格がプロ向きではないのかと思っていた樋口である。
しかしこれはプロの世界に行ってさえ、まだ才能でゴリ押しできるレベルではないのか。
最速も162kmと、現在の日本人投手としては、プロも含めて二位。
神は本当に、才能というのは適当にしか与えない。
秋のリーグ、慶応あいてに早稲谷は二連勝で勝ち点を得る。
これで全勝優勝を達成。
直史が入ってから二度目、そして武史が入ってから一度目の、全勝優勝であった。
×××
明日はお休みか短めになります。
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