十六章 プロ一年目 相棒物語
第231話 閑話 一軍キャッチャー
樋口兼人はかなり自分のことを客観視出来る人間である。
そして女から見たら、ある意味ゴミクズではあるが、需要があるタイプだと理解している。
イケメンで、スポーツマンで、ほどよく不誠実で、セックスが上手い。
そんな自分がプロ球団から指名を受けて、大京レックスに入る。
目標は二年目の正捕手定着。
そのためにはキャッチャーとしてではなく、バッターとしての実力を見せればいいと分かっていた。
これまでにキャッチャーが四球団もの一位指名を受けたことはない。
それだけ樋口は、キャッチャーとしての評価と共に、それ以外の部分も評価されていることを示している。
六大学リーグで首位打者を二度獲得したことや、ホームランを狙ったように打ったこと、さらに国際試合でも決定的な役割を果たしていて、スター性にあふれていたのだ。
キャッチャーとしての技術に関しても、上杉兄弟、佐藤兄弟、それに代表として同年代の有名高校投手、あるいはプロの投手の球も受けていたため、その実力はむしろ、プロのピッチャーから認められていたと言っていいい。
レックスの場合は特に、ピッチャーからの進言が多かった。
毎年どこかしらを怪我するが、エース格と言って差し支えない吉村に、今は海の向こうでプレイしているが、東条もWBCでブルペンでは投げて、そのキャッチング技術の高さは評価していた。
それに何より、バッティングセンスは見ればすぐに、優れていると分かった。
現在のNPBにおいて、もっとも優れたバッターは白石大介である。
だが同時に大介は、絶対に真似をしてはいけないバッターとしても有名なのだ。
そもそも特注の、重くて長いバットを使っているので、真似のしようがないとも言える。
しかしその打席においての、体を極端に倒れこませながら、外角のボール球を打ってしまうバッティング。
普通の人間がそんなものを真似したら、当たり前だがスイングがズタズタになる。
樋口のバッティングフォームは、クセがない。
誰が見てもすぐに、これは修正の必要がないと分かる。
そしてヒットが必要な時と、長打が必要な時に、分けてスイングすることが出来る。
また得点圏打率と言うよりは、本当に打って欲しいところで打っているのだ。
甲子園決勝における、逆転サヨナラホームラン。
今ではタイタンズのセットアッパーとして活躍する岩崎から、完全に狙って打ったものである。
そんな樋口は一年目のキャンプを、一軍に帯同して過ごしていた。
とりあえずさっさと一軍に上がり、正捕手となることを、樋口は当たり前のように考えていた。
自信家ではなく、それが単なる事実だと考えて。
現在のレックスの正捕手を務めるのは、今年36歳になる丸川。
キャッチャーというのは比較的、年齢が高くなっても活躍出来るポジションである。
36歳というのはそれでも、そろそろ普通に引退する年齢であるし、少なくとも次代のキャッチャーを育てていく必要はある。
だが丸川は懸命にそのポジションを明け渡すまいとプレイをしている。
実際のところ打撃成績を見ると、丸川はかなり打てるタイプのキャッチャーではあった。
だがその打撃力も年々低下してきて、いつ世代交代となってもおかしくはない。
後釜を狙っているところに、颯爽と登場したのが樋口である。
しかも入団の前から、吉村などとの仲がいい。
これを脅威と見たのは、丸川だけではない。
キャッチャーは一番潰しの利かないポジションなどとも言われる。
だが樋口は普通に内野も守れるし、外野までも守れる守備範囲の広さがあった。
そして新人合同自主トレにおいて見せた、バッティングのセンス。
いざとなればコンバートしてでも、その打撃力を必要としたのがレックス首脳陣である。
「打って守れて、しかも走れるキャッチャーか」
キャッチャーに体重が必要だったのは、もう前の話。
いや、今でも確かに、比較的足の遅さは許されるポジションではあるのだが。
樋口は走れるどころか、ものすごく走れる選手だ。
特に盗塁などさせてみると、ピッチャーのモーションを簡単に盗んでいる。
そしてキャッチャーの特徴と言うべきか、強い打球にも強い。
守備の視野も広いため、サードどころかセカンドやショートでも出来るのでは、と首脳陣は期待してしまう。
「とか考えられてると思うんだよ、俺は」
「俺は一軍に入れるなら、とりあえずはどこでもいいんですけどね」
「いやいや。そうだ、ピッチング練習で暴投しまくるから、お前はそれを全部かっこよくキャッチしろよ」
「コントロールがおかしくなるからやめてください」
吉村と樋口の間の会話である。
現在のレックスの主力ピッチャーは、ほとんどが若手となっている。
160kmオーバーの東条がMLBに渡ったため、20代前半のピッチャーたちが主戦力となっているのだ。
主なところでは、左の二枚看板が、吉村と金原。
そして右で強いのは、豊田、佐竹、古沢、青砥といったところである。
二軍の若手にも、実はレックスはいいピッチャーが多いのだ。
そのくせ勝てないのが、キャッチャーのせいだろうと吉村は考えている。
そんなに極端に下手くそなキャッチャーは、そもそもプロには来ない。
だが今の問題は、ピッチャーが若手ばかりということだ。
チームを去った東条でさえ、丸川よりはずっと年下だったのだ。
キャッチャーの意思がピッチャーを縛り付けている。
「レックスの今の主力ピッチャー、吉村さん以外は全員中位以下の指名なんですね」
「そうだな。まあ金原なんかは怪我のこともあったけど」
レックスは間違いなく、今のピッチャーの力は豊富である。
金原のピッチングは樋口も同じ甲子園で見ていて、あの坂本のいた瑞雲を破ったのは衝撃であった。なにせ自分たちはセンバツで負けたので。
佐竹は高校時代は甲子園に届かなかったが、今では甲子園常連となった水戸学舎の、基礎を作ったピッチャーである。
古沢は名徳のエースとして甲子園でも見たし、そして青砥のことも知っている。
樋口は全く接触はなかったが、直史が言っていた千葉県の公立校のピッチャーだ。
青砥などは実際にキャンプで受けてみて、よくもまあこの素材をしっかりと、ドラフトの下位で指名したなと驚嘆する樋口である。
大田鉄也案件と聞くと、そういうこともあるかと不思議ではなくなるのだが。
「あの人はほんとにスカウトとしては優秀だな」
樋口も入寮から新人合同自主トレの間は、よく話しかけられて心配された。
そしてどうして「頼むぞ」と言われたのかも分かってきた。
単純にこの潤沢な投手陣が、上手く機能していないのである。
丸川のリードを見ていると、マイナス思考が強すぎる。
もちろんキャッチャーというのは、基本的には最悪を想定して、リードをしていくものだ。
だがそれも程度問題で、もっと上手く手綱を引いたり緩めたりしなければいけないだろう。
バッテリーはその名の通り、ピッチャーがイケイケのプラスで、キャッチャーが慎重なマイナス。
まさにバッテリーと言えるのであるが、樋口の場合はかなり使い分けている。
ただ昔の自分の考えると、今の丸川の心情も分からないでもない。
高校一年生の夏、完璧を求めすぎたために、上杉の球数を多くしてしまった。
それが球数制限に引っかかり、大阪光陰に敗北した理由だと思っている。
もちろん一点も取れなかった味方打線も悪かったのだが、あの年の大阪光陰は春夏連覇を目指していた。
そして春夏の決勝が、同一のカードであった。
もっと打たせて取るということを、徹底すべきだったのだ。
それを徹底できたからこそ、次の年の夏は勝てた。
さらに言うなら決勝までの試合で、上杉をもっと休ませるべきだったのだ。
ほとんど無限の体力を持つ上杉であったが、球数制限はルールである。
もちろんそういったことを考えるのは、監督や上杉自身であったのだが、樋口がちゃんと作戦に口を出していれば、あの夏の春日山は勝てた。
上杉に優勝旗を握らせることが出来たのだ。
キャッチャーがマイナスでなければいけないというのは、少し違うと考える樋口である。
ピッチャーが弱気になったら、自分が強くリードする。
基本的にピッチャーなどはイケイケの人間が多いのだが、直史のようにかなりの安全マージンを取るピッチャーもいる。
逆に武史などは、こちらがしっかりと抑えないと、まだ球が来てない試合の序盤から、力任せに投げようとする。
大学時代に組んだピッチャーで、一番キャッチャーのリードが重要だと感じたピッチャーは、直史ではなく星である。
その星が同じチームにいることが、運命の悪戯と言うべきものか。
樋口の場合はバッティングも、見ていればかなり面白い。
最初は普通にミートして、センター前やレフト方向を狙っていく。
基本的にはダウンスイングからレベルスイング、そしてアッパースイングへと、そのスイングの軌道をしっかり意識している。
そして10球ほどそれを続けると、少し力を入れて外野の頭を越えるように打つ。
またこれも自分のミートがしっかりしていると分かれば、さらに力を入れて打つ。
内角のボールは引っ張るし、外角のボールは流し打ち。
そしてちゃんとスタンドには放り込むのだ。
バックスクリーン方向へのホームラン打球は少ない。
ただこれを見ていると、よくもまあ左右に打ち分けられるなと感心する。
樋口のこのバッティングを見ているだけで、首脳陣は一軍への登録をかなりマジメに考える。
キャッチャーが一年目から通用するというのは、長いプロの歴史を見ても、そうはいない。なんと二人だけである。
ただ樋口はこの打撃だけでも、コンバートはしてもいいのかもしれない。
「とりあえず紅白戦だな」
レックスの木山監督は、その紅白戦でスタメンのキャッチャーに、樋口を任命した。
キャッチャーというのは黒子の存在であるべきだ。
それが樋口の美学である。
大学時代にしても、二年生ぐらいまではさほどの打撃成績を残さなかったのは、それでも試合には勝てたからだ。
だがプロを目指すとなると、バッターとしての成績も重要になってくる。
なので首位打者も取ったり、打つべき時にはホームランも打った。
もっとも樋口としては、普段はあまり打たずに、チャンスの時だけに打ったほうが、結果的には勝ちやすいと思っていた。それは今でも変わらない。
ただとりあえず一軍のベンチに、第二捕手として入らないといけない。
そのためには不本意ながら、バッティングを見せるべきだろう。
樋口はキャッチャーの本当の役割は、ピッチャーを含めた守備の要になることだと思っている。
レックスはセンターラインの中では、セカンドが守備力に偏りすぎている。
だがこのポジションは連繋もあるため、そう簡単には動かせないのだろう。
センターの西片は不動のリードオフマンであるが、年齢的にそろそろ衰えてきてもおかしくはない。
(優勝を狙うなら、西片さんがちゃんと動けている、この二年ぐらいが重要なのか)
あとは高校時代、ピッチャーとして主に活躍していた、大阪光陰の緒方。
バッターとしてはややパンチ力が弱いのではと思われたが、一年目からしっかりと長打も打って、新人王に輝いた。
(得点源としては、他に外国人と、浅野さんあたりか)
なるほど確かに、打撃力は弱い。
紅白戦においては、ピッチャーはかなり交代で投げることになる。
キャンプの前半の間に、樋口は全てのピッチャーの特徴は把握していた。
もっとも本人でも気付いていない、隠れた資質を持っていたりするのだが。
打順としては六番に入っているので、まずはリード面で魅せていくか。
最初にバッテリーを組むのは金原で、樋口とは年齢は同じである。
だが怪我から復帰した金原は、一年目からかなり働いた。
去年は二桁勝利も果たしたし、球数が多くなりがちなことを除けば、かなりいいピッチャーである。
金原の欠点らしい欠点と言えば、一点ぐらいは取られてもいい試合でも、抜くことをせずに投げることか。
これは高校時代、さほど強くなかった石垣商工のエースとして、一点でも取られたら負けると考えていたことがいまだに染み付いているのだろう。
(まあゆっくりほぐしていくしかないか)
どうせキャンプ中なのだから、しっかりと仕上げていくのが課題なのである。
156kmに達するストレートに、大きく曲がるスライダーとチェンジアップ、そして打たせるためのカットボール。
とりあえずこのカットボールを磨くのが、成績を上げるためには必要だろう。
(スライダーはいい感じに曲がるのに、カットは曲げようという気持ちが強すぎるのかな)
カットボールの割には、あまり球速が出ていないと思う。
二イニングを投げたところで、金原の本日のイニングは終了である。
そして樋口の打席が回ってくる。
一回の攻撃で五番までで切れたので、先頭打者ということになる。
対決するピッチャーは、今年が三年目の古沢。
一年目から一軍で投げていたが、最初はリリーフが主な仕事であった。
しかし二年目から先発に入って、20試合をローテで回した。
(防御率はいいのに、あんまり勝ててないんだよな)
やはり打力の向上が、今のレックスには求められている。
古沢の特徴は、フォーシームの回転数と、球速があまり落ちないムービングを使うことだ。
ただ大きく曲がる変化球はなくて、それはもったいないなと思う。
チェンジアップがあるので、緩急も取れる。
コントロールはややアバウトなところがあるが、インハイとアウトローにはしっかりと投げ込んでくる。
(まだ細いよな。成長途中だろ)
結果を残しているのだがら問題はないのだが、もう少し筋肉はつけた方がいいのではないだろうか。
手元で細かく動かしてくるボールは、基本的にカットしていこうと考える。
そして紅白戦の初打席、ドラフト一位の新人に対しては、キャッチャーはこう要求するのではないだろうか。
(もしそうなら単純だけど)
狙い通りに投げられた、伸びるインハイのストレートを、樋口は叩いた。
ボールはレフトスタンドのネットにまで飛んでいった。
紅白戦ではあるが、樋口のプロ初打席は、ホームランから始まった。
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