第221話 一次予選開始
四月終盤、大学では春のリーグ戦が真っ盛りで、プロ野球は序盤が終わったあたり。
高校野球も夏に比べれば地味な春の地方大会が行われていて、まさに野球のシーズン到来。
そんな中で都市対抗野球大会、第一次予選が開始される。
クラブチームの中から、二次予選に参加する選ぶこの予選。
もちろん完全燃焼マッスルソウルズは参加していて、三回勝利すれば二次予選に出られる。
一次予選突破も楽勝とまではいかないが、去年も二次予選には進めている。
だがその二次予選で勝てなかったのだ。
対戦トーナメントを見ていて、直史は頭の上にハテナマークを浮かべた。
「警視庁公式野球部って……」
「その名の通りすよ」
「公式? 硬式の間違いじゃなくて?」
「まあ最初はちょっとびっくりするよな」
誠二としてもその反応を待っていたらしい。
警察官とは例外もあるが、基本的にはマッチョの集団である。
「乱闘めっちゃ強そうだな」
「そんなんありませんよ。サツが一般人怪我させたら大問題ですやん」
能登もまた、対戦経験がある。
「まあけどフィジカルは普通にゴリゴリで、強いことは確かですけどね」
「う~ん、俺の苦手そうなタイプ」
直史は基本的に体育会系が苦手なのだ。
自衛隊は意外とオタクが多いとは聞くが、警察官などはある意味自衛隊よりも体育会系である。
訓練自体は装備を持って移動する、自衛隊の方がきついと言われる。
ただ警察でも暴徒対策に盾などを持って移動するため、その訓練をする。
しかし警察の場合は、自衛隊よりもむしろ人間関係が問題となり、酔っ払いや理不尽な事件への対処のため、メンタルを徹底的に追い込む。
警察学校はブラックだ、警察はブラックだなどと言われるが、世間のブラックに対応するためのお巡りさんが、メンタル強くないとやっていけないのは当たり前である。
それを体育会系と言ってしまう直史は、幸福な人間であるといっていい。
まあそれと対戦するのは、トーナメントでも決勝だ。
一回戦からは普通に、地域のクラブチームとの対戦である。
企業からのスポンサーがある程度あったりもするが、マッスルソウルズのように前面的なスポンサードを受けているわけではない。
企業チームと比べれば弱いマッスルソウルズであるが、平凡なクラブチームと比べれば、鍛える環境が違う。
一回戦の対戦相手は、調布市野球クラブ。
ユニフォームのあちこちに、スポンサーの入ったユニフォームを着ている。
企業からのスポンサードは、幾つかの会社から受けており、その後援もあって成り立っているところは、一般的なクラブチームと同じである。
企業からのスポンサーといっても、全面的なバックアップなどではない。
ユニフォームへの企業名掲載や、配布するパンフレットに広告を入れたりと、その程度のものである。
それでも数十社を回って、5000円とか一万円とかの金を地味に集めてくるわけだ。
そしてもちろんそれだけでは足りずに、構成するメンバーからも部費を徴収している。
メンバーを見ると、実は甲子園に出場したとか、そういう選手もいたりする。
クラブチームは確かに企業チームに比べれば弱いが、草野球とはさすがに雲泥の差がある。
名門校が不祥事で部活停止になっていた期間、クラブチームで練習をして、一年後の再開に備えてきたなどという例もあったりする。
まあそういった選手は、練習には参加しても、正式登録は出来ない。
登録したらクラブ所属になり、高校野球にはもう出場出来なくなるからだ。
そんな例外は除いても、調布市野球クラブは、高校や大学で野球を嫌いにならずに集まった集団である。
そこそこ名門の高校よりも、レベルは上であるかもしれない。
ただし決定的な違いが一つある。
プロから声がかかるような選手は、一人もいないということだ。
まだプロを諦めていないならば、社会人野球なり独立リーグなりといったほうが、近年の主流である。
マッスルソウルズはかなりの例外であり、それだけの例外でありながらも、まだ企業チームには及ばない。
中学のシニアチームに似ているだろうか。
実力差が同じクラブチームでも、しっかりと存在するのである。
まあ勝てるだろうなという調布市野球クラブとの対戦。
府中市民球場で行われる、ごく普通の一次予選なのだが、五千人のキャパを誇る球場が埋まっていた。
普通なら選手の関係者とベンチ入りしなかった応援とで、数百人が例年の試合である。
「ナオさん効果やろか……」
「まあ、そうだろうな」
直史はこの日、普通に用事がないのでベンチに入っている。
一人でも客が呼べる選手、というのは確かなのだろう。
だがそれで五千人のキャパが埋まってちまうのか。
確かにこの試合は、ネット中継さえされていない。
なので直史を見たければ、直接やってくるしかないのだが。
球場へのアクセスが、駅から10分以内というのも、なかなか良かったのだろう。
ひょっとして、プロのスカウトも見に来ているのではないか。
「それはない」
そわそわしている誠二や能登に対して、直史は明確に否定する。
「俺が目当てというスカウトはもうほとんどいないはずだし、いたとしても見に来るのは来年でいい」
社会人野球と同様に、大卒でクラブチームに入った人間も、二年間は指名が出来なくなる。
そもそも企業チームですらなくクラブチームに入った直史が、本気で野球の世界には入らないことは分かっている。
目当ての球団に入るため、というのも考えにくい。
もしも直史が特定の球団に入ろうと思っていたなら、高校の時点で志望届を出して、希望通りの球団以外から話が来たなら、大学に進学していただろう。
そして大学を卒業した時点でも、志望届を出していなかった。
本当にプロになるつもりなら、ここで志望届を出して、志望の球団でなかったら、社会人に行くという選択肢もあった。
過去には希望球団以外が交渉権を獲得したため、一年間の野球浪人をして、次のドラフトを待つという選手もいた。
だが直史はそれ以前の問題で、志望届を出していない。
あえて穿って考えるなら、社会人は志望届が必要ないため、完全にプロへ興味がないふりをして、確実に指名されるのを待っていたとか。
だがもう直史の事情を調べたスカウトたちは、結論を得ている。
佐藤直史は本当に、プロに来る予定はないのだと。
この季節は高校野球でも県大会、大学野球でもリーグ戦と、他に見るべきことはたくさんある。
観客は確かに集まったかもしれないが、プロのスカウト級の人材は、他に見るべきところがたくさんあるのだ。
それでもこの試合に見に来ていたのが、大京レックスの大田鉄也である。
直史を大介以上に評価していたのは、あの時点でのレックスからすれば間違いではない。
ただし高校で初めて直史を見てから六年以上、必要とされる戦力は変わっている。
ピッチャーはかなり充実して、そしてそれをリードする樋口も獲得した。
ならば次は得点のためのスカウトをするのは当然であろう。
もちろん戦力の維持のために、将来性のあるピッチャーは獲得しなければいけない。
即戦力で必要なのは、打てる野手なのである。
それでも直史を見に来たのは、もはや未練と言ってもいい。
そして先発の中に、直史の名前はなかった。
鉄也は一流のスカウトなので、マッスルソウルズが単なるクラブチームとは違う、かなりガチが入っている野球部であると知っている。
企業チームではないが、その構成員などを見ていると、企業チームとクラブチームの中間のように思える。
そしてクラブチームとしては例外的に、戦力が高い。
それでも二次予選を突破するには、戦力が足りていないのだが。
もうこの試合は放っておいて、他の高校なり大学なりを見に行く方が、スカウトマンとしては正しい道だろう。
だが直史の様子を見に行っていた間に、マッスルソウルズにもいい選手がいることを知ってしまっていた。
ピッチャーの能登、キャッチャーの竹中、そして外野守備の山中である。
この三人は企業チームにいてもおかしくないレベルだし、まだ若いので伸び代がある。
それに何より、マッスルソウルズはクラブチームとしては例外的に、育成環境が整っているのだ。
あとは高いレベルのチームと対戦して、実戦での力を身につけていくこと。
確かに高い能力を持ってはいるが、プロでは平均的なレベルだ。
あえて編成を納得させるのが難しい選手ではなく、他の優れた選手はいくらでもいる。
育成で取るなら話は別だが、そもそも育成というのはポテンシャル重視で取るためのものだ。
この三人はあえて育成で取るような選手ではないし、レックスの育成部門はあまり整備されていない。
なお社会人を育成で取るのはダメというルールは、正確には間違いである。
社会人にまで行って野球をしているような選手なら、支配下で取るべきというのが原則になっていて、中には育成でも指名されるという選手はいる。
ただし立場の不安定な独立リーグとは違って、企業チームや、クラブチームでもマッスルソウルズぐらいになれば、下手にプロに行って数年で戦力外になるよりは、今のチームで給料をもらいながらプレイするのを選択する者もいる。
「うちの育成環境で取るのはもったいないし無理だろうけど、まあそれは手はあるか……」
鉄也はこの三人に関しては、もう少し考えてみようと思った。
マッスルソウルズは打線も好調で、立ち上がりやや制球の乱れていた能登を、バックもフォローする。
二回からは調子をつかんで、無双状態で相手バッターを薙ぎ払う。
このままでは、コールドになるのではないか?
都市対抗の予選においては、コールドが存在する。
七回か八回が終わった時点で、10点差がついていたらコールドである。
そして五回が終わった時点で、もう残りイニングでコールドになりそうな、八点差となっていた。
ここまで直史の出番はない。
七回から投げさせれば充分かと思っていた中富だが、必要ないからといって直史を投げさせないという選択はない。
直史が投げることを期待して、観客は集まっているのだ。
そして直史が投げなくても、マッスルソウルズの選手を見てくれている。
見てくれる目がないと、素質の優れた選手であっても、埋もれたままになる。
ただ都市対抗に関しては、能登がプロの世界に行く道は、かなりの確率であると思う。
現実的に中富は考えている。
竹中はプロになりたいが、同時に家族も支えなければいけない。
だから育成契約などではプロには行けないし、かといってキャッチャーで支配下というのは難しい。
内野や外野も守っていて、センスでそのあたりはカバーすることも出来ている。
だがやはりアピールするなら、打撃であろう。
そしてその打撃を充分に見てもらえる場は、マッスルソウルズにいてもなかなか作れないと思うのだ。
六回の表、マッスルソウルズのピッチャーが代わる。
背番号は31という、適当に余っていたもの。
1や10に慣れた観客の目は、一瞬それに気付かなかっただろうか。
能登に比べても細身に見える、直史である。
肩も作らないままマウンドに行って、投球練習だけをする。
しかしそれでも観客席はざわめいて、その期待の大きさを感じさせる。
直史は保守的な人間で、派手なパフォーマンスを好まない。
また大言壮語をすることもなく、出来ることでも出来るとは言わなかったりする。
キャラクターが派手なのではない。ただひたすら、そのパフォーマンスが派手なのだ。
その派手なパフォーマンスというのも、一瞬の爆発によるものではない。
気が付いたら終わっていた。
直史のピッチングというのは、そういうタイプのものだ。
派手さで言うなら上杉はもちろん、武史のような奪三振の方が上だろう。
直史のピッチングは、麻薬のようなものだ。
知らない間に、チームメイトさえもが依存する。
一点取ってしまえば勝てると、チームメイトでさえ錯覚する。
あまりにもそれは希望的な観測であり、幻覚でも見ているのかと思わせる。
ただしこの試合は、既に大量点差。
九回まで投げても大丈夫であろう。
ベンチに下がった能登は、勉強させてもらおうと、軽く顔を拭いてから投球練習を見守る。
ブルペンで全く準備をしていなかったが、それでも投げられるということは分かっている。
「お手並み拝見ってやつやな」
そう思っていたら、二球でまずワンナウトを取っていた。
打てそうで打てない球を投げる。
打つことと当たることは違う。
そして当たることと当たってしまうことも違う。
直史はこのあたりをしっかりと理解して、誠二のサインには首を振らない。
要求された範囲内で、しっかりとアウトにすればいい。
カーブのサインであっても、直史にとってはそのカーブの中で、どう投げるかが問題となるのだ。
案外地味なピッチングだな、と初めて直史を見た人間は思っただろう。
こんなアマチュアの、それも高いとは言えないレベルの試合で、何を見ようと思ったのか。
だが五球しか投げていないのに、スリーアウトを取ったという事実だけが残る。
マッスルソウルズはプロ志望の選手がいるだけあって、打撃にはかなりの力を入れている。
だがそれは守備が脆弱であることとイコールではなく、普通にアウトに出来る球なら、普通にアウトにしてくれる。
直史がキャッチャーやバックに期待することは、それほど過剰ではない。
少なくともマッスルソウルズは、一年目の白富東よりは、ずっと上手い守備をしている。
二年目以降になると、かなり後のプロ野球選手が入っているので、怪しくなってくるのだが。
それでも日本の野球の特徴は、とにかく守備が上手いということだ。
国際戦の経験がある直史は、海外の代表であっても、打撃に全部力を持っていって、守備が上手くない選手というのを見てきた。
打撃だけでもあれば、それでMLBには行けるのであるが、日本の考えはそうではない。
日本の守備は、間違いなくアマチュアレベルであれば、例を見ないほど高い水準にある。
追加点が入った。
そして直史が投げていれば、失点することはない。
ちょうど10点差だったので、何かのマグレも起こらないように、直史は力を入れていく。
前のイニングは、さすがに投球練習が少なかったので、抑え目に投げていたのだ。
今度は本気である。
ストレートとスライダーを、カーブと組み合わせることで、いくらでも三振が奪える。
誠二の配球に文句はない直史であるが、誠二は気の毒と言うか、経験が足りないな、と感じる。
キャッチングやスローイングの技術はともかく、リードの面がまだ未熟だろう。
これは誠二の責任だけではなく、優れたキャッチャーというものは、優れたピッチャーがいてこそ育つものだ。
能登は潜在能力は高いが、まだ未熟であることは間違いない。
球種の多いピッチャーをどうリードしていくか、またプロに行ったとしたら数多くのピッチャーをどうリードするか。
やはり再びコンバートして、打撃を磨いていくべきではないのか。
キャッチャーは一度ポジションを掴んだら、なかなか下には落ちないポジションであるとは言われる。
だがその掴むまでの大変さは、他のポジションより上だろう。
たくさんいればそれだけ使われるピッチャーとは、根本的に違う。
そんな明後日の思考をしながらも、直史は七回を三者三振に抑えた。
これによって10-0でコールドが成立し、マッスルソウルズは二回戦に進むことになる。
当たり前のようなパーフェクトリリーフ。
それも最初のイニングは一つも三振を取らず、逆にこのイニングは三者三振。
どれだけのレベルの違いがあるのか、試合の中でようやく気付くものもある。
平然とした直史は、公式戦の後であるが、マスコミの取材がないのを少し新鮮に感じた。
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