第136話 奪三振王
佐藤直史の野球選手としての欠点。
それは、正確には欠点とも言えないのかもしれないが、プレイにおけるエゴが少なすぎること。
チーム全体のことを考えるため、勝敗よりも将来を考えることさえある。
少なくともこの大学三年生春の時点では、そういうピッチャーになってしまっている。
と、辺見は思っていた。
WBCのMVPという世界最高級の栄誉と、紫綬褒章の受章の名誉と権威。
実のところWBCも大きいが、大学野球をここまで盛り上げたことに対する功績の方が大きい。
本人は何度もプロへの道を否定しているため、さすがにプロ入りの意思がないことは明らかである。
そして当たり前のように完封して、勝利をもたらしてくれるのだ。
そんなプロ志望などしていない直史だが、どうしても諦めきれない者はいる。
これが単純に、自信がないとか野球に興味がないとか、そういうことならば文句は言うべきではない。
ただ目の肥えた数人が、もう自分の地位や役職などを超えて、直史にばかり執着してしまっている。
程度の差こそあれ、それは一人や二人ではない。直史に対してメロメロなのだ。
プロの世界へ来させる方法。
それは野球畑の人間には、むしろ不可能なことである。
直史は確かに本質的には、野球大好き人間であるといっていいだろう。
だが他人に強制されてまで野球をやらされれば、それは当然ながら本意ではない。
楽しみはあくまでも、自分が自主的に動いてこそのものだからだ。
直史の救われないところは、そんな野球であっても、草野球などでは満足できないことである。
満足だと自分では思っているが、想像したらいいのだ。
かつての中学時代のような、ぬるい環境で投げることで、満足出来るのか。
もう充分に勝利の味を知ったと言っても、敗北の苦味にまた耐えられるのか。
技術というのは、その相応しいところで使われてこそのものである。
草野球でならば直史は、左で投げても完封出来るだろう。
そして直史以外の多くの人も含めて悲惨なことだが、現在の大学野球のリーグ戦は、直史に満足を与えてくれるものではない。
ここまでに達成した完全試合やノーヒットノーラン、さらに言えば完封など、圧倒的な実力差が既に存在するのだ。
直史は勝利優先で考えて、自分の体力を温存するために、甲子園では他のピッチャーに投げさせたりもした。
だがそれはある視点から考えれば、他のピッチャーでも大丈夫だと思ったからではないか。
実際に直史は、大阪光陰相手に延長までパーフェクトに抑えて以降は、リリーフとして登板するケースが多くなっている。
ワールドカップがまさにそうであったが、ほぼ失敗していない。
点を取られたことはあったが、負けてはいないのだ。
大学野球の頂点でさえ、もうその技量を満足させる相手にはならない。
そこまで達してしまった彼は、もう色々と理由をつけながら、リリーフで楽しくない試合を片付けていくのだ。
(野球で本当に楽しむなら、もうプロにいくしかないんだろうけどな)
相棒を務める樋口はそう思う。
ただWBCには、若手でも既にメジャートップクラスの選手が、数人は出ていた。
それこそ決勝で一本のヒットを打たれたマイケル・サンダーなどは、25歳で既に30億円換算ほどの年俸を貰っているはずなのだ。
壮行試合で直史は、明らかに大介に勝った、と樋口は思っている。
そしてWBCではMVPを取り、紫綬褒章もチームの一員として授与されることが決まり、もう本当に全て、野球に関しては満たされてしまったのではないか。
上手くなろうとして野球を続けるだけなら、今の直史の力は、既に日本のアマチュア、日本のプロ、メジャーのプロを抑えて、既に頂点に立ったのではないか。
その状態でどれだけ、モチベーションが保てるのだろう。
直史は野球が上手くなるのが好きで、それで強い相手とも対戦してみたかった。
頂点からの景色を見たかった。
そしてそれを見てしまった今は、単に野球をするだけで、あとは何も考えていないのではないか。
プロの世界では、野球に執着する者でないと、通用しないと樋口は思うのだ。
樋口はもう、当初予定ではないが、それでも考えうる最高の未来へ、覚悟を決めて進むことになる。
直史は他に道がある。それをプロの世界へ引きずり込むのは、野球関係者のエゴだろう。
大介は、あれは特別だ。
バカ明るいところが根本的な性格だから勘違いするが、精神の奥底には求道者の思考がある。
WBCで見た練習風景だが、大介は普通のティーバッティングはしない。
置きティーはそこそこ多く、それより何より素振りを徹底的にするのだ。
あとはバッティングピッチャーに緩い球を投げてもらって、それを想定どおりの距離へ運ぶ。
この間の試合で出場登録を抹消されていたが、おかしくなるぐらいに体は頑丈だ。
ワールドカップの時に、骨折が二日で治っていたのは、いまだに何かの間違いではないかと思う。
しかし当初発表された予定よりも早く、試合には復帰してきた。これは事実だ。
そして自分の記録を伸ばすことに集中している。
もはや他の誰かではなく、己との戦いだ。
ホームランと打点の最高記録の更新は、今年はさすがに無理だろう。
だが打率は今のところ、休養明けを含めても、五割を超えているのだ。
プロで五割というのはおかしすぎるが、大介は二年連続で、日本シリーズでは決定的な仕事をしている。
そして打率も五割を超えているので、完全にシーズン中とプレイオフでは、性能が違うのだ。
もう更新は不可能と思われていた打率の記録を、さらに高く更新するのかもしれない。
春のシーズンの第四週。
早稲谷の対戦相手は、法教大学である。
入ったばかりの一年生が、前の週の試合で大活躍していたが、この土曜日の第一戦には出てこない。
そして早稲谷の先発は武史である。
武史のピッチャーとしての総合力は、直史とは明らかに比べても成績では劣る。
だが派手さという点でだけは、上回るかもしれない。
直史は球数を減らすために、基本的には打たせて取ることを主眼としている。
だが武史は、三振を奪っていく。
それもただの三振ではない。スイングすることさえも出来ない三振だ。
完全に高めに外れたボール球というのを、振ってしまうバッターは何人もいるのだ。
樋口は同じチームの先輩という立場を利用し、武史に投げさせてバッティングの練習もする。
キャッチャーとして見た場合と、バッターとして対戦した場合、どちらの方が分かりやすいか。
武史のど真ん中へのストレートは、キャッチャーとしては間違いなく捕れる。
だがバッターとしては、そうそう打てるものではない。
投げてる途中からギアが上がっていくので、同じピッチャーと対戦しているとは思えず、ストレートの軌道が計算を上回ってしまうのだ。
変化球のバリエーションが多すぎて、直史のボールが打てないのも、兄弟としては共通のものである。
とんでもないという、ただその一点において。
この試合も、三イニング目までにヒットを二本打たれている。
ただ武史のすごいところは、ギアチェンジによるピッチングで、尻上がりに調子が良くことと、コントロールにある。
ロマン溢れる、ノーコン剛速球ではなく、コントロールがいいと言われる一般のピッチャーよりも、よほど構えたミットの中にボールが収まるのだ。
剛速球投手のコントロールが悪いというのは、上杉を見ても間違いだと分かる。
そういったピッチャーはボールの力だけで相手をねじ伏せるため、コントロールはアバウトでいいと思われていた。
上杉の場合は構えているところにちゃんと投げないと、キャッチャーが捕れなかった。
序盤はコントロールを重視して、緩急とナックルカーブで凡退を狙う。
中盤以降は力のあるストレートを相手に見せ付けて、細かく動かしてやはり凡退を狙う。
ただ球速のあるムービング系は、ストレートと同じでほとんど当てることも難しい。
直史に比べると選択肢がなく、それでいて球威はあるだけに、キャッチャーとしてはリードが単純になってしまうピッチャーなのだ。
それがイコール楽というわけでもないが。
下手に待球策でボールを投げさせると、早めに肩が暖まってしまって、取り返しのつかないことになる。
それをまだ、相手チームは認識していないのか。
打線もしっかりとつながって、7-0の快勝。
武史は二本ヒットを打たれたが、今日は途中で集中力切れも起こらずに完投である。
なお奪三振数は19個である。
ヒットの数も少ないが、そもそもボールがバットに当たった回数が、ごくわずかしかないのではなかろうか。
ストレートだけで打線を封じられるが、そのストレートにもギアがある。
ストレートを使い分けるだけでも、それなりのピッチングが出来るのだ。
樋口としてもリードをしながら、バッティングの方でも二打点を記録した。
「パーフェクトってなかなか出来るもんじゃないですね」
「いや、なかなかどころか普通は出来ないものだからな?」
武史の認識のおかしさに、注意を与える樋口である。
それにしても、本当に試合の終盤になっても、球威が落ちない。
樋口が上手くリードしているというのもあるが、怪物級のスタミナなのではなかろうか。
序盤は肩が暖まっておらず、試合の中で調整していく必要はあるが。
直史の場合も球威は落ちないが、それは落ちないように力を八分ほどで投げているからだ。
本気で投げる球は、一試合の中では多くはいらない。
それが球数と疲労度が、関係しない直史の理由である。
そして翌日の日曜日は第二戦。
早稲谷が先発のマウンドに送ったのは、三年生の村上。
武史が目立つせいであれだが、150kmを出すこともあるサウスポーだ。
場所が悪かったし、時代も少し悪かった。
他のチームであれば、もっとアピールの場はもらえただろうに。
村上も悪いピッチャーではない。
ただ同じサウスポーで、とんでもない後輩がいたのは不幸だ。
五回を投げて三安打の一失点と、悪い内容ではないのだ。
ただ本当に、比較対象が悪すぎた。
その後は一イニングを星に投げさせてみて、そこから残りは直史を使わず、淳を持っていく辺見。
直史としては弟がしっかり使ってもらえることが、嬉しいばかりである。
スコアは8-1で、早稲谷の勝利。
これでまた勝ち点を得た。
六戦して全て勝利と、快調すぎる内容である。
ここまで武史は、三試合に出て59奪三振。
なおシーズン最多奪三振記録は109個であるが、時代は昭和以前の大正である。
おおよそ一試合に20個前後と考えれば、残り二試合で90個は狙える。
さらに一試合を落としてもう一試合多く投げるなら、記録更新の可能性はかなり高い。
普通に武史に土曜日を、直史に日曜日を担当させるか、直史をリリーフとして使うなら、全勝優勝も難しくない。
だが辺見は、目の前で歴史が作られるところを見てみたい。
もちろん二試合目に、わざと負けるようなピッチャーを出すわけではない。
ただ実戦で試すという名目で、敗北する確率を上げることは出来てしまうのだ。
武史が土曜日に投げて、月曜日にも完投する。
それは確かに一般的には大変だが、少なくとも武史にとっては大変ではない。今でも無理ではない内容だ。
だが周囲もまた、大変だと考える場合が多い。
しかし甲子園では、一日の休みを置いて、また完投をするではないか。
もしも武史が奪三振の記録を塗り替えたとしても、それで壊れたりなどしたら問題では済まない。
もちろん記録を更新すれば、マスコミなどにとっては、大きなネタになるだろう。
(次が帝都で、最後が慶応)
辺見はじっくり考えるが、どうしても自分の采配において、記録が達成されるのを見てみたくなる。
ただ、困るのはベストナインだろう。
直史も機会を与えていられないだけで、成績は残している。
それにもし本当の窮地になれば、辺見は武史ではなく直史を使うだろう。
野球に絶対はないのかもしれないが、直史は絶対的な支配者であると、辺見は思うのだ。
奪三振記録が話題になるにつれ、またマスコミの注目が集まってくる。
大正時代に記録された100年以上も続く記録が、ついに破られることがあるのか。
なんだかんだ言って直史は、奪三振よりも球数の減少を最優先に考慮する。
最多で24個の三振を奪って記録を塗り替えたが、毎回そんなことをしたいわけではない。
この時期はプロ野球も、交流戦前で色々と話題は出てくる。
だがそれよりも、大学野球の記事が大きいというのは珍しい。
武史がどう投げてくるかということで、辺見にも注目は集まっている。
胃が痛くなる。
土曜日に投げて月曜日にも投げるとか、あるいは連投するとか。
昔は当たり前のようにあったことであるが、もちろん時代が違う。
ただ武史の体力や耐久力的には、別に不可能なことではない。今でもないわけではないのだ。
だがそんな起用をすれば、辺見が叩かれることは間違いない。勝っても負けても。いや、勝敗よりは、武史が将来故障などをしたら、この時期のピッチングが原因だとさえ言われかねない。
そもそも佐藤兄弟の長男と次男を土日に使えば、それで試合には勝てるのだ。
さらに言うならリリーフ陣に経験を積ませようとしても、あちらが点を取る以上に、こちらの打線は点を取る。
慎重に、という程度の指示ならともかく、打つな負けろとは言えない。
目の前で奇跡が起きるのを見てみたい。
そうは思うが、そのために馬鹿な采配を振るうわけにはいかない。
葛藤が辺見を襲って、さらに胃が痛くなる。
結局は監督としての指名よりも、野球人としての好奇心を抑えられなかったか。
第六週の帝都大戦では、まず武史を先発。
そして勝利した場合は星を二戦目の先発に使うなどという発言をして、部内に困惑をもたらしてしまったのである。
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