第135話 女心を彼はまだ知らない
佐藤三兄弟は高校野球における、絶対覇権の象徴であるように言われるが、実際に一番優れた成績を残したのは、次男の武史の世代である。
甲子園に五回出場し、そのうちの四回が優勝で、準優勝が一回。
ドカベンの明訓よりとんでもない戦績であるが、一年生の時から主力であったのも同じである。
なお最後の夏には大甲子園はなかったようだ。
直史はそれに対し、優勝二回、準優勝一回、ベスト8一回。
淳が優勝三回、準優勝一回、ベスト4一回。
不思議なことに最も優れていると思われている長男の直史の戦績が、一番劣っているように見える。
だがノーヒットノーランの回数で言うと、直史が三回、武史が一回、淳は0回となる。
防御率を見ても、直史が一番だ。
つまるところ直史が踏み固めた道を、次男と三男は歩いたと言える。
それなのに最終学年ではセンバツも選手権も優勝出来なかったので、淳のレベルが一番低いのではないだろうか。そんなことも言われる。
甲子園の決勝のマウンドを託されたピッチャーが、弱いわけがないのだ。
実際に六大野球において、立政相手に六イニングを投げているが、まだ失点していない。
今年と、そして来年までの二年間、早稲谷の覇権は揺るがないように思える。佐藤三兄弟がそろっているからだ。
下手をすればノーヒットノーランをやった武史が残っている再来年も、覇者であり続けるかもしれない。
武史の同学年や、淳の同学年にも、いい選手はいっぱいいるのだ。
特に六大学野球はブランドとして優れており、プロへの最終関門的なものもあって、プロほどではないが対戦する相手チームのデータ分析は多い。
だが分析力が高いことは、時に悲劇でもある。
どう考えても勝てないという分析が出たらどうするのか。
そしてどうやっても分析が出来なかったらどうするのか。
佐藤三兄弟とは、そういうレベルの存在である。
春のリーグ戦で連勝し、勝ち星二点を奪った早稲谷。
第三週は休みであるが、他のチームはもちろん野球をやっている。
そんな時に練習試合をしたりするのが普通の野球部員なのであるが、直史はもちろん普通ではないし、武史もまた普通ではない。
一番分かりやすいタイプの才能に乏しく実績も少ない淳は、しっかりと練習試合に参加しているし、練習もする。
直史と武史は練習とトレーニングだけはしっかりして、帰ってしまうのが本当に性質が悪いのである。
「お前も天才だけど、天才の中の天才って言うほどじゃないな」
天才の中の天才であろう樋口は、なんだか穏やかな気分で淳とバッテリーを組んでいる。
「天才の中の天才って、どういうレベルなんですか?」
誉められてはいないのではないかと思う言葉だが、その声音自体は穏やかなものである。
「プロに行って当たり前。主力どころかレジェンドになる素材。上杉さんとかナオとかタケとか、あと今ならせごどんとか」
樋口の中の西郷の評価は高い。もちろん世間一般の評価もだ。
高卒でプロ入りしていれば、打者成績の多くを塗り替えていたのではないかと言われていたりする。
ただ同じくそう言われていた実城は、なかなか一軍出場の機会が少ないが。
「そういうケントさんはどれぐらいなんですか」
「天才の中の天才にはちょっと及ばないレベル」
謙虚なのか自慢なのか、微妙なレベルである。お前もあっち側だよと、その会話を聞いていた部員たちは思った。
樋口はこれまで、多くの超一流ピッチャーのボールを捕ってきた。
手始めは上杉勝也であり、それが最初にして究極でもあった。
ストライクゾーンのストレートを捕球できないという体験に、樋口は生まれて初めてムキになったと思う。キャッチャーとしては間違いなく屈辱だ。
それがレベルを上げるモチベーションにもなって、おかげで武史のストレートでもさほど問題なく捕れるのだが。
その弟の正也も、人間の範囲内での超一流であった。
そもそもシニアの時に、オール新潟選抜としては組んだことがある。
高校入学時は、普通の一流ピッチャーであったが、卒業時には超一流にまで成長していた。プロ入りして新人王を取っているのだから、その評価は間違いではない。
樋口としては、実際の試合では受けなかったが、Uー18のワールドカップも才能が集まっていた。
本多、玉縄、吉村などなど、現在既にプロの一軍で主力になっているピッチャーの球を受けた。
そして直史である。
これこそまさに、投球術の至高の領域と言おうか。
言わなかったが、たとえ血マメを作っていても、決勝で投げられたら負けていたな、とは思う。
アジア杯でも武史を受けたし、同年か一年下でも突出したピッチャーのボールは受けたことがある。
挙句の果てにはWBCで、成長した上杉以外にも、若手の一線級のピッチャーの球を多く受けた。
東条、山田、種村、海野、武内など。
ただ上杉は別格としても、直史と武史の方が上である。
その中で淳のレベルは、現在でもプロで通用すると思う。
ただ伸び代や、研究されたときの対処、それにシーズンをずっと戦えるかは、やってみないと分からない。
淳はプロに行くためではなく、プロで成功するために大学を選んだのだ。
とりあえず自分がしてやれるのは、野球頭脳を伸ばすことだけである。
(こいつも確かに面白いピッチャーではあるんだよな)
大学入学後、即座に通用しているところが、初見殺しのアンダースローだからか。
問題は情報が出て、他のチームに研究されてからだ。
その意味では星が練習試合で結果を残しているのも、少し不思議である。
大学のリーグ戦で通用しなくなるぐらいなら、プロに行っても通用しない。
むしろ大学で通用したとしても、よりプロは分析してくるだろうからだ。分析の本気度が全く違うのが、アマチュアとプロだ。
プロに行くために、大学で確認をする。
佐藤三兄弟の中では、プロに対して一番意欲的だな、と樋口は思った。
野球部をサボるのではなく、自主的に休むと宣言して、武史は何をやっているか。
そんなものは休日なのだから、デートに決まっている。
そもそも勉強をするはずの大学で、授業以外は野球漬けという環境がおかしいのである。
ようやく恋人つなぎで手をつなぎながら、街を歩く武史と恵美理である。
恵美理はこういう時、スカートを履いてくる。その丈の長さがおしとやかで、むしろ武史の好みである。むっちりした太ももなどは、高校時代の女子の部活で見慣れているので。
隠すからこそ魅力的なのである。
スタイルや服装を含めてめちゃくちゃ綺麗だなと思いつつ「この子が俺の彼女なんですよー!」と叫びたいのを、かなりの頻度で我慢する武史である。
そういう我慢はしてもいい。しなくてはいけない。
定番どおりだが、映画を見てから食事をして、それからどうしようかという話である。
だがその前に武史は頭を下げる必要があった。
「この間の、パーフェクトしたらうんぬんというのは忘れてください」
実際にそれを待っていれば、いつになったら進展するのかと、恵美理も不安には思っていたのである。
「そういうことはそんな無茶なきっかけで進めるものじゃないって兄貴にも言われて」
他人にそんなことが言える資格が、直史にはあるのだろうか。
だが恵美理はそれ以前の問題だと思った。
「男の人って、そういうこと話したりするの?」
確かに微妙な問題に、再び平謝りのヘタレである。
だが、そこは恵美理も実は、他人のことは言えない。
達成したらということで、いざという時の心構えやしておくべきことを、周囲の友人に相談しまくっていたからである。あまり頼りになる経験者はいなかったが。
そして言われたのは、パーフェクトなんて出来るはずがないというものだった。
だからお互いの関係を進めることは、パーフェクトは達成出来なくても、恵美理も考えていたのだ。
本当にパーフェクトを達成しそうで、驚いたことは驚いたのだが。
「それは、別にいいの」
恵美理としては、進展させることには異論はないのだ。
なにしろ20歳をすぎてからだと、どんどんと初体験には痛みが伴うものだと、どこ調べだか分からないデータを聞かされていたので。
「私も……武史さんと、したくないわけじゃないから」
そういう恵美理の顔は真っ赤で、武史も変に反応しそうになったものだが、ここはお外である。
「あの、じゃあさ、今日って遅くなっても大丈夫?」
言質を得た以上、これは突入できると判断した武史である。
だが恵美理はその言葉の意味を知りながらも、首を振るしかなかった。
「ごめんなさい。今日はちょっと……」
「え、何か用事ってあったっけ?」
そもそも今日はそれなりに、長い時間をかけたデートをするつもりだったのだ。
恵美理は周囲を見回すと、ちょいちょいと武史の頭を寄せる。
そしてその耳元で、やはり真っ赤になりながら小さく呟いた。
「今日は私、女の子の日だから」
生理である。
どうしようもないということが、この世界には多すぎる。
世の中の馬鹿な男共は、ホテルでやったら出血してもいいんじゃねえのとか、下にタオル敷けば大丈夫だろうとか、無理解な解決法を出してくる。
だが特定の少数の女性以外は、生理中のセックスは完全にアウトである。
そもそも出血している体に対して、性交を試みるという時点で理解が足りていない。
生理中なら安全日だから避妊もしなくていいじゃんとか、血が出るならお風呂ですればいいじゃんとか、そんなアホなことを考えてはいけない。
世の中の男どもが、意外と知らないことを教えてやろう。
生理というのは単に、血が流れるだけではないのだ。
保険の授業でも習っただろうが、あれは最後に子宮の内膜がはがれるのだ。
それが生理の初日だか、あるいは二日目以降だかは人によるし場合にもよるが、レバーのような血の塊がどろっと出てくるのである。
普通の出血まではセーフの男でも、これを見るとちょっとしたトラウマになる場合がある。
世の男どもよ、そういうこともあるのだから、生理中の女性の扱いは丁寧にしなさい。
フェミニズムとかどうとかではなく、どうしても体調も気分も苛々とするのだ。人によって程度に差はあるが。
武史はアホであるが、救いようのないアホではない。
この日は恵美理の体調を気遣いつつ、この後のデートはあっさりめに切り上げて、家まで送ったのである。
普通にお手伝いさんというか、ハウスキーパーの人がいて、今までにも外からは見ていたお屋敷に招き入れられる。
そこでお茶などいただきながら、恵美理の母と顔合わせなどをするのであった。
幸いと言うか、父は現在ヨーロッパに行っている。
「この子は女子校育ちだから、苦労してない?」
恵美理と同じくヨーロッパの血を引いている母は、スポーツマンタイプの武史を見て、そこそこ気に入ったようである。
そう、武史は中身がヘタレではあるが、全方向にヘタレなわけではない。むしろ見た目はいい感じだし、深く話してみないとその微妙なヘタレ加減は分からない。
中学も高校も、そっと木陰から見られているような、その程度のモテ力はあったのである。
視線に気付かないので、それも全く無駄なのであるが。
夕食までご馳走になって去った武史の、恵美理ママからの判定である。
「なんとなく恵美理は、ああいうタイプの子を連れて来るんじゃないかとは思ったわ」
ああいうタイプとはどういうことだろう。
「基本的に天然というか、人畜無害に思えるけど、けっこう実は活発というか。明日美ちゃんに似てない?」
「え、全然似てないと思うけど」
肝心なところで失敗するが、最後の最後では決めたという点では、確かに明日美に似ている。
あとはあまり人の悪意を受けないことも。
武史は男友達が多いし、明日美は女友達が多い。
天然が入っているところも似ているが、恵美理は全くそう感じたことはない。
とりあえず、母視線からは合格のようである。
「お付き合いしだしたのは、大学にはいってからなのよね?」
「はい」
「将来のことは、どれぐらい考えてるの?」
「将来……」
今が楽しいので、全く考えていない恵美理であった。
だが自分が将来的にしたいことと、武史が将来的にするであろうことは、衝突する可能性がある。
なのでこれは、本当にちゃんと話し合っておくべきことではある。
少し考え込む娘の顔を見て、母はまだまだ子供だな、と思うのである。
だが肉体的には成熟した大学生だ。
「あとは、恵美理ももう20歳だし、うるさいことは言わないけど、在学中に妊娠したりとか、そういったことにだけは気をつけてね」
「ちょ、ママ、私たちまだ、そういうのじゃありません!」
恵美理の否定に、逆に目を丸くする母である。
「ええと、大学に入ってからお付き合いしているのよね?」
「はい」
わずかに頭痛がするのは気のせいだろうか。
「もう一年以上経過してるけど、それでまだ何も?」
「……キスぐらいはしましたけど?」
いや、大学生でそれは遅すぎる。
早すぎても、もちろん心配ではあるのだが。
深く考える母である。
大切にしてくれているのか、それともただのヘタレなのか、そこが問題だ。
「今度パパも帰ってきた時にでも、また家に呼びなさいな。紹介してもらいましょう。あちらのお宅には伺ったことはあるの?」
「武史さんは、千葉県出身で、今は大学の寮にいるから」
「親に会わせようとしない男はダメよ」
「あ、でもお兄さんとか妹さんとは仲良くしてるから」
本当である。小姑と仲良くしているのは、後の問題が発生しなくていい。
直史としてはいい感じのお嬢さんだと思っているし、ツインズは武史にはもったいないと思っているが、その点では恵美理の味方である。
娘が本当の意味で親離れするのは、まだもう少し先であるなと思う母であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます